02. オーイ、教授

「……では、レポートを見せてもらおうか。カナン・ヒガシノ君」 

 壮年教授、オーイ・オチャノミルク博士は、感情を消した表情で言った。


 リバタニアのエリート養成機関「アカデメイア」。

 そのトップ研究者に君臨するに相応しい、高層階の広い研究室。


 太陽光を取り入れる大窓は、今は遮光板でさえぎられ、代わりに蛍光灯が、安定した光を研究室に満たしていた。


「は、はい……」

 机越しに教授と向かい合う、背筋を伸ばす少女、カナン・ヒガシノの可愛いらしい顔は、引き締まるというより、むしろこわばり、そしておそらくは、震えていた。


 ぺらり、ぺらり。

 紙に印刷されたカナンのレポートを、驚くべき速さで繰る、オーイ教授。


「ふむ……長々と、それらしいことを書いているが、結局のところ回答は『我思う、故に我在り』か……カンニングしたな? おそらくケイ・アササギ君にでも聞いたのではないか?」


 壮年教授、オーイは、口角を上げ、顔はレポートへ向けたまま、目だけをギロリと、直立するカナンの震える顔へと向けた。


 ――だめだ。この教授にごまかしは通用しない。


 カナンは、観念したように言った。

「……ごめんなさい。なぜ……分かったんですか……?」



「簡単だ。君の今のレベルで、デカルトの真理に到達できるわけが、ないからな」



 ――教授は、なんという辛辣しんらつな課題を出したのだろう。

 カナンの目は、一瞬、今度は怒りたくて震えたが、その目の色を、すぐに自制した。


「……教授。いじわる過ぎませんか?」


「自覚はしている。なぜ私が、である君に、この課題を出したか? いつか忖度そんたくしてくれると嬉しいのだが。このレポートは不可だ」


「だめ……ですか……」

 宇宙へ出たいという目標を絶たれたカナンはうなだれた。


「ああ。だめだ。今日はもう帰っていいぞ。私も、出張の支度をしなければならないからな」


「出張……どこかへ行かれるのですか?」

 何気なくそう聞いたカナンへの、教授の返答は、驚くべきものだった。



「先ほど、『フロンデイアの軍を殲滅せんめつしてこい、教授なら出来るはずだ』と命じられたのだ」

 才能と自尊心とが服を着て歩いていると言われる、糸目のオーイ教授は、そっけなく言った。



「どうしてそんなことに!?」

 一方のカナンは、愛らしい大きな目を一際ひときわ大きくした。



「知っているだろう? リバタニア軍が運用しているニョイニウムの塊、起動哲学先生モビル・ティーチャーの性質を」


「……あ、そうでした」


「うむ。起動哲学先生モビル・ティーチャーは、生徒搭乗者スチューロットを、力へと変換して、戦う」


なんて、凄いですよね……。オーイ教授が乗ったら、向かうところ敵なしですよ!」

 カナンは言った。


 実際、思考力の高いオーイ教授が起動哲学先生モビル・ティーチャーを扱った場合、スラスター出力、武器の威力、耐久力、回避性能などが、けた違いのものになるのは明白だった。


 教え子の一言で、オーイ教授の顔に、笑みがこぼれた。

 糸目の目じりが下がる。

 肌のハリツヤが、一瞬だけよくなったような。

 その表情は、「オーイの」と言われていた。


 だが――。


 教授の笑顔に調子に乗ったカナンは、不用意な発言を続けてしまったのだ。

「……敵さんにも、凄いのがいるかもしれないですけどね」



 その瞬間。

 オーイ教授の糸目が開き、口端が上がった。



 アルカイック・スマイルと言えば良いだろうか?

 その表情は、「オーイの」と言われていた。



 この微笑を見た後に、単位を落とされた学生の数は数知れず。



 ――オーイ教授の優越感を潰すがごとき言動は、厳禁なのだった。



「そそそそ、そんな敵、居るわけないですよねー? そういえば! 教授の乗る機動哲学先生モビル・ティーチャー、どんな先生なんですかねー!? 気になるなー! すっごく興味あるー!」


 慌てて取り繕うカナンの意図は見え透いていたが、教授は「オーイの」を見せて、答えた。


「まだ、名付けられては居ないのだがな? くだんの金属『ニョイニウム』に、ソクラテスのAIと、プラトンのAIと、アリストテレスのAIとを混ぜて積む、とだけは聞いている」


「あ、あのギリシャ時代の哲人を、3人も同時に……!? そんなの、制御できるんですか……? ……というのは愚問でしたすみません! オーイ教授なら!」


「ふふ。まさしく愚問だな。明日、その機動哲学先生モビル・ティーチャーの開発進捗を見に行くのだが……カナン君も来るかね?」



「いいんですか!?」

 を見る、思わぬ機会に、カナン・ヒガシノは今度は、機動哲学先生モビル・ティーチャーに会いたくて震えた。



「ああ。思考に反応する金属『ニョイニウム』を得た人類が、ついに、を実現しようしている。そのことを君には、しっかり学んで欲しいと思っている」

 我が子を見るような目で、オーイ教授はそう言った。


 しかし――。

 カナンは、教授のその言葉に、うまく感応できなかった。



「あの……? 教授が乗った起動哲学先生モビル・ティーチャーなら、それはもう強いのでは?」



 しばしの沈黙。



 教授は、オーイのを見せて言った。

「愚か者。戦いにおける強い弱いの話ではなく、の話をしているのだ。……明日までに、レポートにまとめてくるように」


「きゃあー! 教授! それだけはー!」


 大人しくしていれば「チャーミングな女性」と皆に言われる外見を、慌てた仕草で台無しにするカナンに対し、オーイ教授は「ふん」と短く笑った。



 そして数瞬後。


 

 オーイ教授は笑みを消し、少し寂しそうに言った。



「はは……いっそのこと、カナンのようにみんな落第にしてやれたなら、お前は戦場に出なくて済むのだがなぁ……」






(TIPS)

【AIの強弱】

 ルール決める時に、その対象を知らずに決めるのは……危ないですよね?

 車に乗ったこと無い人が、車の交通ルールを決めても大丈夫? みたいな。


 では……「AIって、何なの?」


 ヒントになるのは。

 「強いAI、弱いAI」という区分けだと思います。

 

 Wikiから引用。(傍点は筆者)

(引用)

「…強いAIによれば、コンピュータは単なる道具ではなく、正しくプログラムされたコンピュータには宿とされる」


「強いAIとは対照的に、弱いAIは人間がその全認知能力を必要としない程度のの実装や研究を指す。弱いAIに分類されるソフトウェアの例として、ディープ・ブルーのようながある」

(引用ここまで)


 もっと短くまとめます。


(1)精神が宿った強いAI(鉄腕アトムとか?)

(2)『便利な何かが出来る』道具である、弱いAI。(囲碁のAIとか)

 

 現世の日本が検討してるのは、(2)の方。

(参考:『新たな情報材検討委員会 報告書』)


 (1)の強いAIは、まだ出来ないから後回し。

 今は直近で実現してきた(2)の弱いAIから。というわけですね。




【弱いAIは道具に過ぎない?】

(2)弱いAIを対象にして、交通ルールを考えた時に、次に出て来る思考。それは。


『これまでと、何が違うのよ?』


 例えば印刷だって、紙に手書きしてたのが、活版印刷で便利になった。

 ワープロソフトで、より書くのが速く、何回も印刷できて便利になった。


 それと同じじゃないか。

 人間に勝てる囲碁プログラムだとか。

 絵に自動で着色してくれるプログラムだとか。


 、便利になっただけ。

 だから、(2)弱いAIを恐れる必要はない。

 今までどおりの考え方でいいじゃん。


 ……という、そんな感覚。

 これが、著者の周りの多数派です。


 そして、弱いAIが社会に浸透した後に、どうなるのか?

 ……そんな話が、巷ではたくさん議論されています。

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