人工知能と著作権 編

宇宙時代になっても、AIの法的扱いは相変わらず。思考を力に変える新金属が見つかっちゃった!

01. アカデメイアの落第生


 ――ニョイニウムという金属が在る。



 人の思考に感応し、変形、硬質化、具現化。

 あらゆる反応を示す、それは『生きる金属』だった。



 その金属が収められた暗い室内を、モニターの光が煌々こうこうと照らしていた。部屋に居る、その少女の視力を、悪くさせようとするが如く。


 その部屋では、生徒搭乗者スチューロット候補生のカナン・ヒガシノが、とある書籍を読んでいた。


 読むと言っても実際には、座る彼女カナンの眼前のモニターに映ったヒゲの男性が、電子書籍をているのだ。



 その書籍のタイトルは、『コックでも分かる哲学入門』。



 モニター光が照らす彼女カナンの髪は後ろにまとめられ、水色を基調とした『軍服未満』といった雰囲気の、機能的なユニフォームが、均整の取れた身体を強調していた。


 その飾り気の無い服デザインの著作物性は?ユニフォームは、リバタニア軍の正規兵のものではなかった。しかし、リバタニアの国是『正義』を示す円形マークが、彼女の襟元には付いていた。


 1人用カラオケボックスのような狭いその室内は、起動哲学先生モビル・ティーチャーのコックピットを模していた。


 部屋の外から、廊下を通る他の候補生の声が、ぽつ、ぽつと聞こえてくる。


「あの子、また追試だってさ」

「何しにここに来たの?」

「かわいくても、出来が悪いとねえ、あはは」


 少女カナンはそれらを、丁重に無視した。


 モニターに映った、毛量の多い黒髪と、鼻下のヒゲとを備えた男が、ざらっとした低い声質で、くだんの本を読み上げた。



『第5節 ルネ・デカルト(フランス)


 だれも否定できない命題とは、何であるか?


 「レアチーズケーキはおいしい」という命題は、何人なんぴとにとっても真であるか、というと、そうではない。


 激かわいいのに、レアチーズケーキが嫌いな女子が居る。

 彼女にとって、この命題は偽となり、デートは失敗に終わった。


 デカルトは、そのような否定お断りを許さぬ、絶対的真理から出発することで、あたかも数学の如く、真理デートを積み上げることを目論んだのだ。


 かかる絶対的真理とは、どのようなものであるか?

 読者諸兄は、その点を考えて欲しい』




「うあー! もうわかんない」

 カナンは1人、頭をブルブルと振った。


 その声を廊下で聞きつけたらしい。

 カナンと同様の、しかしより角ばったユニフォームに身を包んだ青年が、部屋の扉をノックもせずに、ひょいと顔を覗かせた。


「カナン、学習の調子はどう?」

 縦長の顔に中肉中背のその青年、ケイ・アササギもまた、候補生ではあったが、ケイは成績優秀で、カナンの指導チューターを引き受けていた。


「……これが順調に見えるかな?」

 カナンは、足をシートへとだらしなく投げ出し、上体をのけぞり、大きな目を、この時はぎゅっとしかませて言った。

「もう限界。デカルトって、なんでこうも小難しいの?」


 デカルトは、フランス生まれのヒューマン哲学者だ。


 顔を出した青年、ケイ・アササギが訂正した。

「デカルトじゃなくて、デカルトン先生ね? 哲学者デカルトの思考をニョイニウムに注入した、起動哲学先生モビル・ティーチャーなんだから」


 まさにデカルトの肖像画の如く、モニターに映ったデカルト先生は、鼻下にヒゲがあった。


「その、ニョイニウムどうこうってのも、小難しくてわかんないんだよー。今日中にレポート書いて、教授に提出しないと、私、落第しちゃう」


「カナンが使ってるそのテキスト、かのエリート生徒搭乗者スチューロット、シュー・トミトクル先輩の著書だよ? 一番分かりやすい本のはずだけど……」


 その書籍を推薦した張本人である青年は、まばたきの回数が多くなった。


「それは、ケイくんが頭良いからそう思うんだよー。私の地頭じゃ無理。だって私、コックじゃないし」


「ちょ、帯の煽りキャッチを真に受けすぎだって」

 ケイは苦笑した。


 実際、その書籍の煽り文キャッチコピーは。

『コックがクックしながら書ける程度の、やさしいお味の哲学』

 だったからだ。


「はー。シュー様、カッコいいから、読んでファンレター送ろうと思ってたんだけど。『シュー様の著書、拝読しました!』とか言って、お近づきになれれば……とか。でも読みきれる気がしないー」


「下心まる出しだね」

 青年はまたも苦笑しつつ、青年自身がカナンに対して持つ下心である『ご褒美ミルクティー』は、手提げに隠したままだった。


 ケイは語を継いだ。

「その感覚じゃ、正規の生徒搭乗者スチューロットに選ばれて、シュー先輩と同じ戦艦に配属されるなんて、無理だと思うよ?」


 だから、そんな憧れは早く諦めて、隣に居る僕と――。


 ……とまでは、ケイ青年は言えなかった。


「ぐぬぬ。シュー様に会いたくて、ほんと震える」

 カナン・ヒガシノは、そう言って溜息をついた。


「まぁ、『デカルトの真理に、自力でたどり着け』っていう教授の課題そのものが、無理難題だけどね」


「そう言うケイくんは、どうやってクリアしたの?」


「僕? 僕は前から勉強してて、知ってたから」


「ずっこ! ずっこいー!」


「いいじゃん。結果的に真理にたどり着ければ、過程はどうでも。時間も無いから言っちゃうと、『我思う、故に我在り』ってことさ」


「何それ?」


「哲学者デカルトがたどり着いた、否定できない真理だよ」


「いやそうじゃなくて、その言葉の意味そのものがわからんです……」

 カナンは、何度も首をかしげていた。




『首をかしげる、少しおバカな女の子が、かわいくないわけがない』

 それは、デカルトの真理に匹敵する、絶対的真理なのではないだろうか?




 ――そう言いたげに、ケイ青年は顔をほころばせ、出来の悪いカナンを甘やかした。


「えっとね……チューターである僕の出番だね」

 ケイは、ご褒美ミルクティーを手提げから取り出し、入室。カナンの隣に座りこんだ。


 元々1人乗りの、「戦う哲学先生モビルティーチャー」のコックピットを模した空間なので、2人も入ると狭い。


 並んで座ると、電車の長椅子にぎっちりと人が座った時のように、太ももと肩が当たる。女子特有のいい香りが、青年の鼻腔をくすぐる。青年にとって残念なことに、カナンのかしげた首は、青年とは反対の方向へと傾いてはいたが。


 役得を味わいながら、ケイ青年は言った。


「もし自分が居なかったら、『思う』ことなんて、出来ないでしょ? だから、この『思い』があるってことは、自分が存在する事の証明になる。誰もその証明を否定できない。それが、デカルトの真理なんだ」


「だーかーらー。長いー! わからんのー! 一言でたのむよー!」


「ううん……」

 青年はうなった。物事には、簡単に丸めることが出来るものと、そうではないものがある。そう言いたげに腕を組んだ。そして言葉をひねり出した。


「……個性は、あります! って感じかな?」

 大昔にリバタニアを騒がせた、STEMP細胞事件のような強引な要約を、ケイ青年はした。


 その言葉に反応し、哲学先生ティーチャーである、モニターの中のデカルト先生が、こう聞いてきた。



『我の個性とは、何であるか』

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