04. 足ツボの施術ですから!

 今、泣いている御音みおんに必要なのは。


 ――癒やしなんだ。


 男の《足ツボスキル》をもってすれば、彼女の腕を倍速で動かして、ピアノを速弾きさせることもできるだろう。


 だが。


 御音みおんの「単体の」能力を、《足ツボスキル》でどうこうしたところで、「多数決の原理」は揺らがない。それが異世界の、民主主義という概念。


 そして御音みおんは、政治家や法律家になりたいわけではない。


 

 意志を持った者が、自由に音を楽しめるように。

 子供に音楽を教える。


 素敵なことじゃないか。

 彼女が、こんな事でくじけて良いはずが無かった。


 だから。

 彼女を癒やしてあげようと、その男が取った選択肢。

 それは……。


(やっぱり、歌だよな。先生は、音楽家なのだから)

 着ぐるみの中で、男がそう独りごちた。


 この異世界へと転移する前から。

 男はいつも、煮詰まったら銭湯に行き、湯船で鼻歌を歌った。

 体の疲れとともに、胸のモヤモヤも軽くなる。デトックス。


 それが、くすんだ金髪の彼女にも必要なのだ。


 「通常の」足ツボ施術も、当然ながら男には可能であった。

 失踪した父に代わって、足ツボの施術院を1人守りつづける、彼ならば。



 ◆



 窓から差し込む光が御音みおんを照らす。

 彼女は今、テーブルの上に乗っている。

 黒ヒールを脱ぎ捨て、素足を差し出している。



 さぁ。



 楽しい施術おんがくの時間だ。



 男は押し棒を右手に構えた。

 ――まるで、指揮棒のように。



 両手は肩の高さ。背筋はピンと伸ばす。深呼吸。

 指揮棒は、御音みおんの足裏へ。



「あっ」

 漏れる声。彼女のソレは美しかった。 



「いっしょに、歌うぼびゅっしぃ」

「それは、SCRAP管理団体が……」

「大丈夫。お風呂で作った鼻歌ぼびゅっしぃよ。SCRAP管理団体に、曲も委託してないぼびゅっしぃ」


 男は足ツボを押し、彼女は足ツボを押される。

 のハーモニー。


 男のテノール声に対し、彼女の歌声は、鈴が鳴るようだった。

 ブレスと吐息が混ざる。息を吐き切っているからこそ、大きく吸える。

 そして、鈴の音には、空気感エアリーが混ざっていた。


「きれいな声ぼびゅっしぃね」

「んっ、はぁ……ありがと」


 男は、彼女と一緒に歌いながら、御音みおん先生の足ツボを、押し棒指揮棒で刺激していった。


 彼女の足裏は小さく、オーダーメイドのオカリナのようだった。

 着ぐるみ男の手に、ピッタリと吸い込まれ、押すといいが鳴る。



『シャープは目のつけどころ♪』

 男は、ラルゴ最も遅くから、鼻歌に入る。

「シャープは……つけどこぅ」

 オカリナと化した彼女が、鈴のような声で。


『フラットデザインは心地よい♪』

 ラルゴよりやや早い、ラルゲット。

「フ……ううっ、いんは、心地よい……」


『ドはぼびゅっしい♪』

 アダージョゆるやかに。男は頭と指揮棒を振る。足ツボ施術も忘れない。

「ドはぼび……んっ……」



 徐々にテンポは上がっていく。

 鼻歌を歌いながらハナウタッシモ足ツボを押しながらイテージョ



『花粉の対処はアレグロで♪』

「か……花粉……っっんっ」


『変拍子大好きビジュアル系♪』

「へんな………きびゅ……んっ…」


『ドはぼびゅっしい♪』

 アンダンテ歩くような速さでからモデラート中位の速さでに移行。 



 頭の揺れも、激しさを増していく。

 横ノリから縦ノリへ。

 オカリナの如き彼女も、弦を張りすぎたウクレレの如く、反り始めていた。



『カスタネットでサーフィンを♪』

「………んっ…………!」


『付点2分音符。付点2分音符♪』

「………ほ、ほくろみたい………!!」


『ドはぼびゅっしい♪』



 アレグレットやや快速にからアレグロ快速にへ。

 足裏を押す力も、ピアニッシモ最も弱くからメゾピアノやや弱く、そしてメゾフォルテやや強く

 ぼびゅっしいの体からはじける、さわやかフローラルの香り異世界基準


 テンポが速すぎるのか、はたまた施術の強さの問題か。御音みおんはガバッと起き上がり、ぼびゅっしいの腕を力強く掴んだ。

 先生の首筋からほのかに届く、さわやかフローラルの香り現世基準



「ね、ねぇ。いたくしないで、ね? ね?」

 涙目の彼女は綺麗だった。


「SCRAPに?」

「そっちの委託じゃないってば!」

 御音みおん先生は、涙目で訴える。

「……足ツボの話ぼびゅっしぃね」



『ミックスボイスの通販ショー♪』

「ああっ……ううううぅっ!」


『カラオケはハビットスポーツさ♪』

「ラ……! ラの音が……!」


『シンバシ。イイダバシ。タカハシ♪』

 スタッカート短く切ってで、フォルテシモ最も強く

「で、でちゃ…………」


『ドは、ドは……』

 |男のタテノリも最高潮に達した。指揮棒を、まるで痙攣するように揺らす。


「絶対音感が……でちゃうー!」



 着ぐるみ男は、そんな足ツボは、一切押していなかった。



 ◆



「……大丈夫?」

 着ぐるみ男は、御音みおん先生の背中をそっとさすった。

「は、はげしすぎだよ……足ツボ……」

 くすんだ金色の髪の、スーツ姿のその女性は、肩で息をしていた。


「でも、リラックスできたぼびゅっしぃ?」

「それは、そう……」


 彼女は、何故かもじもじとしながら、話を続けた。

「……さっきの話だけど……さ? ほんとに、委託……しないでね。あなたの鼻歌」

「わかってるぼびゅっしぃ」

 男は、ドン! と自分の胸を叩いて、言った。


「よかった……。委託されちゃうと、ぽびゅっしいの曲も、使えなくなっちゃうもんね? 楽譜を買ってもダメなんだよね? えへへ」

 御音みおん先生の、脱力した笑顔は、かわいらしかった。


「あーっ! 先生! それ! それぼびゅっしいよ!」

 男は突然大きな声を上げ、頭を四方八方にシェイクした。


 御音みおん先生は、若干の引き気味だった――。



 ◆



 2ヶ月後。


 教室には今日も、たどたどしい音楽と、黒のピアノがあった。

 鍵盤の前には女児。

 椅子の高さ調節は、「座面をすこぶる高くアシガツカナッシモ」。


 その後ろには里琴りこ先生が、何も言わずに微笑んでいた。


 〜〜〜♪


 演奏曲は、PGパンチガードKGキックガード。この世界で突如流行りだした、ゲームの曲だった。


「りこせんせー」

 女児のえっちゃんが、邪気のない声をあげた。

「どう? どう?」

 と、後ろを見上げて聞いてくる。


 里琴りこ先生は、えっちゃんの頭を優しくなでて、「すごく楽しそうな音ね」と言う。


「えへへ」と女児が破顔する。


 ――。


 経営者の御音みおんは。

 楽譜を買ったのだ。たった、それだけのこと。


 著作権は、複数の権利に分かれている。権利の束なのだ。

 複製権とか、演奏権とか。

 複製権をクリアしても、演奏権を直ちにクリアすることは出来ない。


「その点こそがおかしいぼびゅっしい!」

 男はそう言った。そして、行動を開始した。

 足ツボスキルを、使い、SCRAP側の条件を、うまく変えさせた。


『楽譜を買った時点で、複製権だけでなく、演奏権もクリアになる』。

 そんな楽譜が販売されていれば良いのだ。


 クリエイターへの対価も還元される。

 楽譜を買えば、その楽譜を使って演奏もできる。


 そうなる為に。

 男は、音楽出版社の背中を押したのだ。


 ――いや。


 足裏を押したのだ。


 ユーザーが望むサービス形態へと、一歩踏み出す為の、勇気を刺激する。

 そんな、足ツボを。


 ――。



 女児が椅子から飛び降り、「りこせんせー」の足に飛びついた。


「せんせー! あたし、ピアノ大好き! とってもたのしいの!」

「そう? それはよかった」

 里琴りこ先生は笑っている。


 教室のドアが、少しだけ開いている。

 そこから中を覗いているのが、御音みおん先生だ。笑みをたたえたまま、従業員ブースへと消えて行った。


 野良マスコットのぼびゅっしいは、今日は、教室の隅に置かれていた。レッスン終了まで黙って立っている約束になっている。


 えっちゃんは、りこせんせーに抱きついて言った。


「あたし、おっきくなったら、曲つくりたいの! PGKGみたいな! みんなに楽しく、弾いてもらいたいんだ!」




〈続く〉

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