第8話 糸口





「一連のゴースト事件の被害者は4人。その全員に共通点がある」


「……どういうことかしら?」


 頭の中に思い描いた終局図へ向かって盤面が変化していく。

 まるでひっくり返したおもちゃ箱の中に遊具が戻っていくように、駒の利きが盤の片隅へと収束していく。


 しばらく盤上を見つめたあと、静かに深く息を吐いたデリックがおもむろに語り出す。彼のキングが行き場を失うまでの僅かな時間、私は彼からゴースト事件の手掛かりを聞くことになった。


「ローランド男爵、バルトロメイ伯爵、ケンブリー伯爵、マグワイア子爵。全員、帝国に対して強硬姿勢を示すタカ派の議員だった」


「あら、ケンブリー伯爵は中立ではなくって?」


「あれは形だけだ。実際のところケンブリーはタカ派筆頭のクロノア侯爵と繋がりが深かった。……これが何を意味するか、わかるか?」


 デリックが自分のキングの前にクイーンを置く。私はそれを盤外に出し、代わりにそこにルークを置いた。


「チェック。……つまり、ゴーストはハト派の息が掛かった者と言いたいのかしら?」


「ああ。それなら、まだマシなんだがな」


 そう呟きながらデリックがキングを逃がす。

 私はその言葉を聞いてゾッとした。


「……まさか、帝国?」


 キングを端に追い詰めながら、真剣な面持ちでデリックの顔を見つめる。


「可能性の話だ。ゴーストに会ってみないことには分からない。だが……」


 チェスボードから視線を上げたデリックと視線が交錯した。


「帝国の手によるものと考えると全て辻褄が会うのも、事実だ」


「それを私に言って……、何がお望みなのかしら」


 あと、3手で終わる。盤上の行く末と同じように、会話もそれに向けて収束していく。


「クレア。君に覚悟はあるのか?」


 覚悟。それの意味しているところはつまり……。


「ええ、もちろん。巻き込まれる危険なんて、承知の上ですわ」


「……死ぬかもしれんぞ。譲る気はないか?」


「チェック」


 キングを追い詰める。盤外の言葉に、盤上で返す。

 これはルポライターの意地だ。ここで引くなら、私はハナから首を突っ込んだりしない。


「ふっ、クレア。君は一体、何者だい?」


 追われたキングをチェス盤の角に動かしながら、デリックが少し笑ってそう言った。


「そうね……、ただの噂好きの、貴族令嬢かしら」


 最後に少しだけ、嘘を吐いた。


「ふっ、面白い女だな。また会える日を楽しみにしておこう」


「……ええ、私も楽しみにしておきますわ、閣下。チェックメイト」


 最後の一手を指す。デリックはそれを暫く見つめたあと、椅子から立ち上がって私に言った。


「悪いが今日は先に失礼するよ。次は口紅を引いた顔も見せてくれ。……折角の美貌が、少し勿体無い」


 ……え、そんなに酷い状態なのだろうか。


 言うだけ言って立ち去るデリックの後ろ姿を見つめながら、私は無性に鏡が見たくなった。


「流石よ、クレア様っ」


 観戦していた人集りからリーゼが飛び出して来て、私の手を取り笑顔でそう言う。

 それと同時に周囲から盛大な拍手が巻き起こった。


「ありがとう、リーゼ様。貴女の応援のおかげよ」


「あら、聞こえてらしたの?」


「ええ、もちろんよ」


 手を取り合ってそんな話をしていると、なんとか人混みを脱出したエレーナが隣にやって来る。


「お2人とも凄いわっ、わたくしとっても興奮致しましたわ」


 瞳を輝かせて両手を胸の前で組むエレーナ。


「まあ嬉しい。見ていて下さったのねっ」


 エレーナにそう返すと、リーゼが耳元に口を近づけ小声で囁いてくる。


「ところでクレア様? 次はどの夜会でお会い出来るのかしら。わたくし早くゴースト様のお話が聞きたいわ」


 あ、そうか。ゴーストの正体を教える約束をしていたんだっけ。

 ……私が勝てなかった場合の保険のつもりだったんだけど、どうしよう。


 私はその事実に今更気がつき、思わず親指を唇にあてた。


 ……困った。約束は約束だし、また令嬢に成り済ますしかないのか。


「そう言えば、ルーデンス伯爵が来月にまた夜会をお開きになると仰っておられましたわっ」


 私が必死に頭を回転させていると、リーゼがポンと手を打ってそう提案する。


「あら、それは楽しそうね。是非また2人とお話ししたいわっ。クレア様も来られるでしょう?」


「え、ええ。そうね、……そう致しましょうかしら」


 リーゼの提案に賛同するエレーナ。私は2人の勢いに押し切られ、思わず頷いてしまった。


 どうやらまたルーデンス伯爵の夜会に潜入することになるらしい。









「--いやはや、実に見事だった」


 決勝戦の盛り上がりが落ち着いたあと、私はルーデンス伯爵に連れられ大広間から少し離れた客間に通されていた。


「まあ、そんな。ありがとうございます。光栄ですわ」


 ルーデンス伯爵は好々爺然とした柔和な笑みで握手を求めてくる。私はそれに応じてとりあえずにっこり微笑んでおいた。


「まさか御令嬢が優勝するとは予想外だった。すまんが名はなんと言ったかな?」


「クレア・コールマンですわ、ルーデンス様」


 ルーデンス伯爵は目を細めてそれに頷きながら、何かを逡巡するように視線を迷わせる。


「……えっと、ルーデンス様?」


 窺うように首を傾げて伯爵の顔を見る。それに気がつき私に視線を合わせたルーデンス伯爵が重々しく口を開いた。


「君は賢い人だ。少なくともチェスの大会で優勝する程度には。……そうだろう?」


「え、ええ。賢い、かは分かりませんけれど、幸運にも優勝することが出来ましたわ」


 はっきり言って、私は賢くは無いと思う。チェス大会で優勝出来たのは、たまたまだ。

 前世で将棋をやり込んでいたこと、チェスの定跡をいくつか覚えていたこと、そして、これはやってみて分かったことだけど、たまたま私がチェスに向いていたこと。


 将棋よりもマス目が少なく、駒の復活も無いチェスは、読み筋の数が将棋より少なく、将棋に比べて読み幅の広さより深さが求められるゲームだと分かった。そして、それが私には向いていた。

 優勝出来たのは、ただそれだけの理由だと思う。


 しかしそれでも、ルーデンス伯爵は謙遜する私を見つめて小さく頷き言葉を繋げた。


「……君に、協力者になってほしいのだよ」


「……協力者?」


「ああ。この国は今、大きな危機に直面している。国の中枢を知らん者には分からんことかも知れんがな」


 訥々と語る伯爵は、私に背中を向けて、火をつけた葉巻を燻らせる。立ち上った煙が揺蕩い、少し芳ばしい独特の香りがした。


「……ゴーストは、今のルクレツィアに無くてはならない存在だ。この国を守る為にはな。……君は、この国が好きか?」


 そう問いかけて振り返った伯爵の表情は、先ほどまでの柔和な雰囲気が消え失せ、私を推し量るような真剣な眼差しをこちらに向けている。


「ええ、当然です。ルクレツィア国民ですから」


「……国の為に力を貸してくれ、と言ったら?」


「もちろん。私などに出来ることは限られておりますが」


「…………」


 伯爵は静かに私を見つめていた。私もただ伯爵を見つめ返した。

 ……どれくらいの時間だろう。延々と煙を吐き出す葉巻の灰がすっかり伸びた頃、ルーデンス伯爵は意を決したように私の目を見てこう言った。


「……ゴーストに会ってやってくれ。そして、自分の目で彼を見定めてくれ。判断するのはそれからで構わん。……もし可能なら、彼に協力してやって欲しい」


 私は伯爵に一通の封書を手渡された。朱色の蝋で封印がされたその封筒を私が仕舞うより先に、伯爵が言葉を続けた。


「家に帰ってから読むと良い。ゴーストと会う方法が書いてある……はずだ」


「……はず、とは?」


「実のところ、ゴーストに会う方法は私も知らんのだよ。……それが意味するところを、わからぬ君ではあるまい」


 それを最後に伯爵は口を閉じ、再び背を向けて葉巻を燻らせる。室内に充満したその匂いは、少し臭いけど、お祖父ちゃんの煙草の香りに似ていて、なんだか心がほっこりした。


 私は伯爵の背中に深々とお辞儀をして、静かに客間を出る。


 チェス大会で優勝したからだろうか。どうやら伯爵からは能力以上に高い評価を受けているみたいに思えた。


 伯爵の最後の言葉の意味。それは多分、伯爵より上の存在がゴースト事件に関わっているということだと思うけれど。……あまり有能に思われても後で勝手に失望されそうで怖い。



 とにもかくにもこうして私は、ゴーストと会う方法と、その機会を手に入れた。

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