第5話 シシリアン・ディフェンス1





 どうやら赤毛の令嬢が言った話は本当らしい。


 大広間に集まった貴族連中の前に立ち、館の主であるルーデンス伯爵が大仰な仕草でチェス大会の説明をしていた。


「--優勝者には、王都で話題の虚無の殺し屋ゴーストと面会する機会を与えよう!」


 持ち時間などのチェスの細かいルール説明のあと、伯爵がしたり顔でそう言い放つ。その直後、広間に集った貴族たちが一斉に騒ついた。


『ルーデンス伯爵はゴーストの正体をご存知なのかっ?』


『ルーデンス様っ。一体ゴーストとどう言ったご関係なのかしら?』


 口々に詰め寄る貴族たちを両手で制し、ルーデンス伯爵がゆっくりと口を開く。


「……私は件のゴーストと直接的な関係は無い。ただ、とある筋から今回の話を持ち込まれた、とだけ言っておこう」


 皆が注目する中、伯爵が言葉を続ける。


「私はこの大会を主催はするが、関知はせん。ゴーストと会うか否か、会ったとして何を話すか、全ては優勝者に任せる。私はただ、その機会を設けるだけだ。……さあ、参加する者は前に出たまえ!」


 その言葉をきっかけに我こそはという貴族たちが集団を抜けて前に躍り出る。


「コールマン様、どうなさいますの?」


「もちろん出るわっ!」


 --是が非でも優勝したい。ゴーストとは一体何者なのか。ジークとどういう繋がりがあるのか。私を大監獄へ向かわせた編集長は何故ジークをゴーストだと言ったのか。


 ルポライターとして、女として、一人の人間として、何が何でもその真実を知りたい。


「当然、わたくしも出ますわ」


 そう答えると、私の横に並ぶように、リーゼが出てきてそう言った。よほど自信があるのだろうか、彼女は腰に手を当て胸を張って、にやりと私の方を見た。


「えっと、エレーナ様もお出になられまして?」


 一応、聞いて見る。腕前はともかくとして、もし彼女が優勝すればゴーストの正体くらいは教えてくれるかも知れない。何の繋がりもない貴族が勝つよりは大分マシだろうと考えた。


「わ、わたくし、チェスはあまり得意ではありませんわ」


 予想通りと言うか、エレーナは眉尻を下げて、胸の前で手を横に振って拒絶した。


 ……やっぱり出ないか。


 まあ、そんな気はしていた。話しているときはあれほど元気だった彼女だけれど、いざ開催となった途端、借りてきた猫のように静かになっていたから。


 そもそも、貴族の多くは教養としてチェスを嗜むらしいけど、それは男性に限っての話だ。令嬢はその限りではないし、むしろ自信満々で出てくるリーゼが稀有なのだろう。


 まあ、しょうがない。令嬢が多いに越したことはないけれど、少なくても自分が勝てば良いだけの話だ。あいにくチェスの経験は殆んど無いけれど、将棋なら前世・・で指したことがあるし、ボードゲームは全般的に得意なほうだと思う。


「……紳士協定を結びませんこと?」


 密かな決意を胸に参加者の中に加わると、隣のリーゼが声をひそめてそんなことを言ってくる。


「紳士協定?」


 私はその言葉の意図が分からず彼女に問い返した。


「ええ。わたくしたちで約束するのよ。どちらが優勝しても、ゴースト様の正体を教えるって」


 きらきらと瞳を輝かせて私の手を取ったリーゼが、その目で真っ直ぐ私を見つめてくる。


 ……悪くない提案だと思う。直接ゴーストに会って取材してみたいと思う気持ちはたしかにあるけど、優勝出来なければ意味がない。

 彼女が優勝したなら取材は無理でもゴーストの正体は確実に知ることが出来る。


 リスクがない上にリターンもそれなりに大きいし、そして何より彼女はチェスに対してかなり自信を持っている。優勝出来得る実力があるように思えた。


「とっても良いアイデアね。もちろん乗るわ」


 乗らない手はない。


 私の手を取るリーゼの白いオペラ・グローブの上に、私はもう一方の手で自分の黒のオペラ・グローブを重ねた。


 リーゼの目を見つめる。不敵に笑うその顔を見て、私も微笑み返して頷いた。


 彼女が優勝してくれても良いのだけれど、実は私もそこそこ自信があったりするのだ。


 チェスはルールくらいしか知らないけれど、将棋なら前世・・でとにかくやり込んだ。小学五年生の頃、お祖父ちゃんに『奨励会に入る気はないか』と持ち掛けられる程度にはやり込んだし、アマチュア段位こそ持ってはいないけれど、そんじょそこらの段持ちに負けたことはない。

 

 ……ジャパニーズ・チェスの本気をみせてやる。


 参加者はざっと見て20人くらい。4回か5回勝てば優勝だ。

 

 初戦の相手が決まるまでの間、私は必死に記憶の片隅からチェスの『序盤定跡』を引っ張りだす作業に集中していた。


 やがて対戦相手が決まり、名前が呼ばれる。

 私はオペラ・グローブが悲鳴をあげるほど拳を強く握りしめ、大広間の中央に用意された64マスの戦場へと向かった。









「--チェックメイト」


 遥か遠くのクイーンでA1にはりつけにした相手のキングをルークで串刺し勝負を決める。


 結果から言えば、お祖父ちゃんとの将棋で鍛えた読みの力は、思いのほかチェスでも役立った。


 一回戦も二回戦も先手番の相手がオープンゲームで対局を始めた時点で何となく勝てそうな気はしていたけれど、キャスリングとアンパッサンにだけ気をつけておけば、感覚的にはチェスと将棋は大差ない。

 ぎりぎりまで必死に記憶の糸を辿ったおかげで何とか思い出すことの出来た、幾つかの『定跡』で、私は順調にトーナメントを勝ち進んでいた。


 定跡とは、先人達が数百年の歳月を費やして構築して来た、言わばチェスや将棋の必勝法である。

 これはもちろん将棋にも言えることだけど、チェスは相手の手を見てその場で指し手を考えるのはあまり得策とは言えない。

 特に対局の序盤では、最善の一手が先人達の研究によって既に判明している場合が多々ある。その為、対局序盤は考えるより、最善の一手を『知っている』ことが重要だったりするのだ。


 天賦の才と呼ばれるチェスや将棋の天才棋士が、その生涯を掛けて最善の一手を研究し続け、何百人何千人という棋士達が何百年もの歳月を費やして少しずつ、少しずつ構築していった知の結晶。『最善の一手の集合体』。それが『定跡』である。


 わずか数分考えただけでそれを上回る手を指せるような大天才がもし存在するのなら、そいつには定跡なんて必要ないと思うけれど、残念ながら私はまるっきり凡人だし、そんな神業は不可能である。


 だから、必死に思い出した。

 それは前世・・の記憶。幼い頃、お祖父ちゃんに将棋を教えられ、暇さえあればお祖父ちゃんと将棋を指していた思い出。

 将棋の定跡は現存する全てのものが頭に入っているし、鷺ノ宮定跡や木村定跡などの今では廃れてしまったものすら最終盤まで棋譜を言える。

 それに比べれば格段にレベルは落ちるけれど、遊びでたまに指していたチェスも少しは定跡を覚えたことがあるのだ。

 もちろん全てを暗記なんてしていないし、出来るわけがない。極一部、メジャーどころの戦形を幾つか覚えただけではあるけれど、それがこの世界で活かされるとは思ってもみなかった。


 一回戦も二回戦も、相手はオープンゲームと呼ばれる一番主流な作戦で来てくれた。それもラッキーだった。

 知らないマイナー戦法で来られたら頭を抱えているところだったのだけれど、幸い私はその定跡を知っていた。

 そして、それに対抗する為に変化をつけた定跡も覚えていた。


 それはシシリアン・ディフェンスと呼ばれる戦形。


 感覚的には、将棋の矢倉囲い対雁木がんぎに似ている気がする。

 急戦になる場合もあるにはあるけれど、序盤定跡さえ知っていれば、そこから先は読みの深さの殴り合いに持ち込めるし、その勝負に持ち込めれば、恐らく将棋で鍛えた読みの力はこの世界の貴族様達には負けない。


 当たり前と言えば当たり前の勝利だったように思う。


 --あと二勝だ。


 運良くシード枠に入った私は4回勝てば優勝出来る。


 ……そう言えば、リーゼはどうなったのだろう。勝ち上がれば準決勝で当たるはずだけど。

 そう思ってトーナメント表を見ていると、背後で彼女の声がした。


「これでどちらかは決勝に進めますわっ」


 振り返ってリーゼを見ると、腰に手を当てて誇らしげに私を見る彼女と、その後ろで椅子に座ったまま項垂れる何処ぞの貴族様の姿があった。


 ……勝ったんだ。


 彼女は余程嬉しかったのか喜びを露わにしていた。それを後ろから恨めしそうに睨む貴族様の視線が痛々しい。

 私はリーゼの背後をなるべく見ないようにして返事を返した。


「……順調ね。でも手加減はしないわ」


 次は直接対決なのだから、別に真剣にさなくてもどちらかは決勝に行けるのだけど、より強いほうが決勝に残ったほうが勝率は高い。

 リーゼもそれを分かってか、真剣な表情で私の宣言に頷いた。


「ええ、もちろんですわ」


 自身に満ち溢れ、笑顔でこちらを見やる彼女のその表情に、記憶の奥底から懐かしい感覚が蘇ってくる。


 前世の記憶。お祖父ちゃんに連れられて行った町の将棋教室の思い出。同世代の子供達がそこで将棋を習っていた。

 お祖父ちゃん以外と将棋を指したことのなかった私は、初めて対局する同世代の相手に、お祖父ちゃんと対局する時には味わったことのない緊張と興奮を知った。

 時間が経つのを忘れるほど夢中になって指していたせいで、帰りの夜道が怖くて、わんわん泣きながらお祖父ちゃんに手を引かれて家に帰ったことを今でもはっきりと覚えている。


 ーーあの時と同じ感覚。緊張と興奮を混ぜ合わせた胸の高鳴り。まるで心臓がスキップしているような感覚。


 気付くと私は笑っていた。リーゼの笑顔を見て、私も笑わずにはいられなかった。



「とっても楽しみね」


 彼女の言葉に心から同意して、私は深く頷いた。

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