第4話 ルポライターの意地
通りに面したルーデンス伯爵の屋敷前。列をなした馬車から下りてきた紳士淑女が、吸い込まれるように門の中へと消えてゆく。
私は最も正門が賑やかになったタイミングを見計らって、談笑しながら屋敷に向かう令嬢達の集団にしれっと潜り込んだ。
「あら、素敵な御召し物ね。シャリーゼのお店の品かしら?」
「え、ええ。ありがとう、貴女のドレスも素敵よ」
集団の中に混ざると名前も知らない令嬢に話しかけられた。私は対応に戸惑いながら正門をくぐる。直立不動で門の前に立ち続けるフットマンは、真正面を睨んだままこちらを一瞥もしなかった。
……よし。案の定招待状すら確認されずに潜入出来た。顔パスならぬドレスパスだ。
正門をくぐって屋敷の庭を通る長いガーデンアプローチを抜けると、両開きの扉が開け放たれた館の大広間が見えた。
中には立食形式で談笑する貴族達が大勢居る。
「ところで貴女、お家はどちらだったかしら?」
それまでは薄っぺらい会話でなんとかやり過ごしていたが、令嬢の一人がいきなり痛いところを突いてきた。
「えーっと、コールマン家よ。あの、東部のほうの……」
ルクレツィア王国には貴族がごまんと居る。地方貴族だと匂わせればきっと疑問を抱く者など居ないだろう。王族すら多分全ての貴族は把握していない。
「東部? ブラッドレイ辺境伯領のお近くかしら、良い所よね。あの辺りのワインはとっても美味しいわ!」
「え、ええ。だいたいその辺り、かしら。ありがとう、私も東部のワインは大好きよ。貴女のお家のことも教えて下さるかしら」
確かに東部ワインは美味しい。先日の合コンで浴びるほど飲んだアレも東部のワインだったような気がするけれど。
そんなことより知らない貴族の名前が出てきた上、予想以上に食いついてきた令嬢に焦る。
私は咄嗟に誤魔化して話題を逸らす。そして饒舌に語り出す彼女の話を聞いているフリをして、周囲の会話に耳をそばだてた。
『--帝国が鉄鋼関税の撤廃に強硬姿勢を見せているらしいな』
『ああ。不味い流れだ、ルクレツィアの貿易はただでさえ赤字だろう。この上鉄鋼の関税が撤廃されて貿易が活性化されれば……』
背後のテーブルでは貴族らしき男性が緊張の続く帝国との外交問題を話していた。
……へえ。鉄鋼関税撤廃の流れがあるのか。新情報だ。裏が取れれば他紙に先んじて記事に出来るかも知れない。
正面の令嬢達の会話に笑顔で頷きながら耳をぴくぴくと動かして後ろの会話に気を向ける。
帝国に対する愚痴や文句は出て来るが、流石穏健派のルーデンス伯爵家の夜会と言うべきか、対話路線を模索するような話しか出て来ない。
--最近の帝国の動きは目に余る。新聞記者は中立公正であれと言われるけれど、ちょっとそれでは弱腰過ぎではないだろうか。
「--もし? もし? ……えっと、コールマン様?」
「へっ? あ、はい! なにかしら?」
背後の会話に気をとられて思案に耽っていたせいで、正面がお留守になっていた。気付けば心配そうに覗き込んでくる令嬢の顔が直ぐ近くにあった。
「ふふ、最近王都で騒がれているゴーストの話よ。お噂じゃ絶世の美男子って説もあるわ。本当にそんな殿方なら一度見てみたい気もしますけれど、貴女はどう思いますの?」
私の慌てた様子を見て上品に微笑んだ令嬢はそんなことを聞いてくる。
「へ、へえ。それは、初めて聞いたわ。他にはどんなお噂があって?」
「あら、興味がお有りのようね。ゴーストのお噂ならリーゼ様が一番お詳しいのでは無くって?」
正面に居た赤毛の令嬢がそう言って隣の令嬢に視線を送る。リーゼと呼ばれたそのブロンドの令嬢は、シャンパングラスを片手に意味深長な笑みを浮かべて語り出す。
「……そうね、あれは丁度ひと月ほど前のことよ。クロノア侯爵様が開かれた舞踏会に、例のゴーストが現れましたの。わたくしはこの目で彼を見ましたわ」
朗々とした語り出し。テーブルを囲む令嬢達が固唾を飲んでリーゼの話に耳を傾ける中、私はひと月前に侯爵家で起こった凄惨な事件の記事を思い出していた。
それは、報道規制がかけられて、結局紙面に載ること無く闇に葬られた事件。担当していた記者の
「ほら、先日王都でローランド男爵の葬儀が行われたのは皆さんご存知でしょう? 葬儀では病死とされていたみたいですけれど、……本当は殺されたのよ。ゴーストにね」
そう。確かに男爵は殺害された。担当記者が
結局その映像は、元老院の圧力によって日の目を見ること無く資料保管室送りになってしまったと聞いたけれど。
「クロノア侯爵様のお屋敷の大広間に突然現れたゴーストは、声を出す間も無くローランド男爵のお命を奪ったわ。あれはきっと無詠唱魔法だわ。仮面で顔を隠していましたけれど、ゴーストが逃げ出すときテラスに居たわたくしは、仮面を外した彼の横顔を見ましたの。一瞬でしたけれど、この世の者とは思えない美しいお顔でしたわ……」
どこか恍惚とした表情で両手を胸の前で絡めてゴーストのことを語るリーゼ。私はその姿に違和感を感じた。
「えっと、お話をお聞きしたかぎりでは、ゴーストは人殺しではなくって?」
「ええ、その通りよ?」
それがどうかしたの? と言わんばかりにきょとんとした表情を浮かべる彼女に、率直な疑問をぶつけてみる。
「……恐ろしい輩ではなくって? いくら美青年だったとしても、悪人でしょう?」
私の質問にくすりと微笑んでリーゼが口を開く。
「あら、ご存知ないのかしら。ゴーストが殺すのは裏で悪どいことをしている者だけよ。噂じゃローランド男爵も、とある商会と結託して不正な横流しをしていたらしいわ。きっとゴースト様は正義のお方なのよ」
ゴースト、様? さらっとゴーストに敬称を付けたリーゼと、それに同意するようにうなずく令嬢達を見て思わず顔が引きつった。
どうやら御令嬢方の中でのゴースト像は、市井で噂されているそれとはかなり違っているようだ。
……まあ、どちらにしてもその正体がジークだとは考えにくいように思える。地下牢では
王女様誘拐未遂事件に関しては引き続き調べようと思っているけれど、彼は王都で巻き起こっている一連のゴースト事件とは関係が無いように思えた。
……では、なぜ、彼は私にこの夜会へ行けと言ったのだろう。
令嬢達がゴースト談義に花を咲かせる中、私はひとりで今もあの大監獄の地下に囚われているであろうジークのことを考えていた。
「--もし? もし? もうっ、コールマン様っ? 大変よ!」
しまった。またお話がうわの空になっていたみたいだ。
私を呼ぶ声に気付き視線を戻すと、赤毛の令嬢が鬼気迫る表情で私を見つめていた。
「ど、どうなさったの?」
「大変よ! 貴女、チェスはおやりになって?」
チェス? 一体なんの話だろう。将棋なら
「え、ええ。ルールくらいなら知っていますわ」
何が何だか分からないけど、とりあえず正直に言ってみる。
「今からチェス大会をするそうよっ」
「……あら、そう」
その勢いに押されてよく分からないまま首肯した。
この世界でチェスはそんなに人気だっただろうか。いや、紳士淑女の嗜みとして広く普及はしているけれど、そこまでテンションが上がるほど人気の遊戯ではなかったはず。
……この娘、よっぽどチェスが好き、とか?
思わず眉を寄せて首を傾げた私に、赤毛の令嬢が二の句を続ける。
「優勝者は、ゴーストに会えるんですって!」
「……はっ?」
--はっ?
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