第3話 ルポライターの欲求





 あれから三日が経った。寝る間も惜しんで情報収集に没頭した私は、西日が射し込む王国裁判所の資料室で寝不足の頭を抱えていた。


 四年前に彼が起こしたとされる王女誘拐未遂事件の裁判資料は、調べれば調べるほど謎が増す一連の事件内容と、怪しいことこの上ない不自然な裁判の経緯を詳細に記していた。


 年代別に区分けされ、整然と管理された裁判録の中で、まるで隠していたかのように全く違う年代の棚に押し込められていたその裁判録は、四年前に下された不可解な判決文から始まっていた。


『主文、被告人を懲役1024年に処す』


 誘拐未遂罪と複数の傷害罪、そして国家内乱罪を同時に裁いた異例の裁判は、情報開示義務のある王国法に背き傍聴席を閉鎖した上で、裁判の存在すら国民に周知されず秘密裏に行われたあまりに特異な裁判だったらしい。


 一審二審ともに死刑判決が下されたその裁判は、最終審となる三審になって有期刑へと覆された。

 裁判録によると、事件の被害者であるシャルルロワ王女殿下の嘆願により懲役刑への減刑がなされたとされている。


 --考えられない。怪しすぎる。……絶対何かある。


 私は机に肘をつき、西日に照らされた裁判録のページをめくりながら親指で唇をなぞる。考え事をしている時の癖だ。こうしていると頭が良く回る。


 そもそも、国家内乱罪の処罰は極刑しか存在しない。いくら王女殿下の嘆願があろうとそれを減刑することは王国法に反するはずだ。

 それに、何故自分を誘拐しようとした犯人に王女様は助命の嘆願など行なったのだろう。

 傍聴人を排して秘密裏に行われたというこの裁判自体も極めて怪しい。


 裁判録に残された515件にのぼる傷害罪の詳細には、王城をひっくり返すほどの騒ぎになった前代未聞の大捕物の様相が事細かに描かれていた。


 ジークが王女様を連れて逃走を図る最中に燃やされた城内の大広間の様子。破壊された中庭の惨状。駆り出された憲兵と宮廷騎士がダース単位で倒されていくその描写は、まるで悪魔を相手取っているのかと思うほど凄まじく、12歳で魔法学校を首席卒業したというジークの才能を裁判録を通して改めて実感した。


 --こんな、庶民が好みそうな大事件、市井で騒がれないわけがない。きっと、王城関係者内で箝口令かんこうれいがしかれている……。


 『エリート魔導師と王女様の愛の逃避行』なんて題名を付ければ、充分これだけでも王都を賑わすゴシップになりそうな気がしたけれど、私はそんな記事を書きたいとは微塵も思わなかった。


 この事件、もっと詳しく調べる必要がある。記者としての本能がそう告げていた。


 それに、きっとここまでの情報なら私をジークの取材に向かわせた編集長も当然掴んでいるはずだ。

 これを記事に上げずに私に任せた意味、そこに編集長の意図を感じた。


 編集長はムカつく奴だけれど、その取材手腕と情報力は本物だ。きっと、きっとこの事件にはもっと大きな裏がある。


 様々な考えを巡らせながら裁判録と睨めっこしていた視線をふと窓の外へ向けてみる。王都の街並みの向こうで空をオレンジ色に染める夕日は、もうすっかり傾いていた。


 すぐに夜がやってくる。


 --行こう。なんだか編集長の手の平の上で踊らされているみたいでムカつくけれど、この事件のことを、ジークのことを、もっと深く知ってみたい。


 隅々まで読み尽くした裁判録を棚に戻す。今度はそれを年代に沿った正しい棚に並べて、私は裁判所の資料室を後にした。


 向かう先はルーデンス伯爵の屋敷。今晩、ジークが言った『例の夜会』がそこで開かれているはずだ。









 日がすっかり暮れた頃、私は王都の中心街にある貴族向けの服飾店に駆け込んだ。


 貴族様や富裕層ばかりが主な客層とあって、高級店の建ち並ぶシャリーゼ通りは店仕舞いが早い。

 私はたまたまこの時間まで開いていたありがたいお店に滑り込みで入店し、膝に手をつきぜいぜいと荒い呼吸を繰り返す。


「い、いらっしゃい、ませ?」


 店に入ると、もっぱらお上品な紳士淑女ばかりを相手にしている高級店の店員さんが、目を白黒させて私を見ている。


「はぁはぁ。夜会に着ていくドレスと、それに合う、アクセ、サリーを、適当に、持ってきてっ……」


 こんなに走ったのは久し振りだった。元を辿れば裁判録に熱中し過ぎて時間を忘れてしまった自分が悪いのだけれど、石畳みに引っかかって走りづらいヒールに心底腹が立った。


 呼吸がようやく落ち着き、ガクガクと震えていた膝が元気を取り戻した頃、狼狽しながら私の注文を聞いていた店員さんが小走りで店内を駆けて来る。


 気が利く店員さんだ。どうやら急用だと察してくれたらしい。……さっさと店を閉めたいだけなのかも知れないけど。


「お待たせ致しました。こちらは今年の流行色を取り入れたサテンクレープのイブニングドレスでございます」


 平静を取り戻した店員さんが、流暢に商品の説明を始める。


「ええ、じゃあもうそれで。アクセサリーの説明はいらないわ。全部でおいくらかしら」


 適当に返事をしながら上品に微笑んで見せる。入店時とのギャップに目をぱちぱちと瞬かせた店員さんが手早く計算器を叩き、合計金額を口にした。


「--占めて87万2800ゴールドになります」


っか……。えーっと、領収書頂けるかしら。エルドア新聞社で、前株で」


 若手新聞記者の半年分の賞与が吹っ飛ぶその金額に思わず心の声が漏れた。

 自腹で払ってたまるか、経費だ、経費。それが無理なら取材費名目であの編集長に請求してやる。


 夜会の取材は事前にアポでも取っておけば、記者はスーツで入れるのだけれど、貴族の集まりに当日出向いても取材の許可が下りるわけがないし、そもそも招待客以外に知られていないはずの個人主催の夜会の日取りを記者が知っていたら、その時点で怪しまれる。そして経験上そのほとんどは断られる。


 私は最初から今回の取材は貴族令嬢に扮して潜入するつもりだった。

 と言うのも、個人主催で開かれる夜会のフットマン受付兼警備員は基本的に招待状よりドレスコードで入場を制限しているふしがある。令嬢風の衣装に身を包んでいれば招待状を忘れたと言っても中に入れてもらえる、と思う……。


 イメージは病弱で滅多に社交の場に顔を出さない貴族令嬢。


 お店の試着室を借りて購入したばかりのドレスにすぐさま着替える。今年の流行だと勧められたそれは、背中がぱっくり開いたベアトップのイブニングドレスだった。ボルドーカラーに黒い薔薇の刺繍があしらわれている。

 背中の頼りない紐が解ければたちまちあられもない姿になってしまうであろう際どいドレス。


 ……うーん、我ながらエロい。て言うかお腹が苦しい。あと、肩と背中が寒い。


 私は試着室の扉を少しだけ開いて、部屋の前で待っている店員さんに声をかける。


「このドレスに合うストールはあるかしら? 適当にお願い。領収書はエルドア新聞社で、前株で」



 --結局ひとりでは背中の紐を結べず、店員さんに手伝ってもらってようやく着ることが出来た。

 貴族令嬢も当然着付けは店員さんや侍従にやらせるのだろうけど、なんの羞恥もなく裸を見せることが出来るその度胸は尊敬に値すると思う。


 着替えが終わってお店を出ると、夜の空にはもう月が浮かんでいた。

 私はお店に来たときよりも更に角度のついたヒールでシャリーゼ通りを足早に歩く。


 ……歩きにくい。足が痛い。馬車がほしい。


 気合いだ、気合い。王都の貴族街にあるルーデンス伯爵家までは徒歩でも30分くらいで着くはずだ。

 

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