第2話 知られざる大事件
「……とりあえず、話を聞こうか」
どれくらい見惚れていたのだろう。彼に話を促され、私はようやく我に返った。
「あ、はい。えっと、お名前がジーク・フリードリヒ・ルグランさん、で間違いありませんか?」
「ああ、合ってる。ジークでいい」
じっと探るような目つきで私を見つめたまま、ジークが返答する。
その眼力に耐えられず、手元の資料に目線を落とした私は、それをひたすら読み上げることに集中した。
この資料は事前に編集長に渡されたもので、元々この取材に乗り気でなかった私は、本来取材前に確認しておくべきその内容に一切目を通していなかった。
「ありがとうございます。それではジークさん、貴方の略歴ですが12歳で王立魔法学校を首席で卒業。以後、国際魔導研究所に入所し、15歳で室長に就任。18歳で所長へ……って、マジですかこれ……」
故に、その信じ難い内容にいちいち驚く羽目になった。
「ああ、合ってる。マジだ」
演劇か小説の主人公のような華々しい経歴に思わず心の声が溢れる。
「す、すみません。失礼しました。えーっと、それで、19歳の頃、第二王女を誘拐しようとした罪で収監って……は? 王女を誘拐ッ!?」
輝かしい経歴の最後を飾るぶっ飛んだ罪状に、資料を読み上げる声が上擦った。
「ああ、それも合ってる。事実かどうかは別として、そういう理由でここに居る」
ジークは感情の見えない声色で淡々と返答を繰り返す。
「…………」
呆気にとられて口を開けたまま固まる私を見て、ジークが訝しげに目を細めた。
「さっさと続けてくれないか」
「へっ? あっ! すみません。えっと、それで、えーっと、以降バスティル大監獄に収監され服役中、現在23歳。主な罪状は王女の誘拐未遂、その過程における憲兵や騎士に対する傷害罪が515件、及び国家内乱罪。刑期は……、懲役1024年……」
……なんだこれ。冗談にもほどがある。515件の傷害罪? 国家内乱罪? 懲役1024年? こんな馬鹿げた受刑者、聞いたことがない。
自分で読み上げた文章に自分で驚き、私は言葉に詰まった。
「そこは少し違うな。何度か恩赦を受けた。残りの刑期は、多分800年と少しだ」
「恩赦、ですか」
1000年以上の刑期に対して200年程度の減刑。その恩赦に何の意味があるのかは全くもって理解出来ないけれど、200年の減刑自体聞いたこともない異例な数字である。
私は記者として、女として、一人の人間として、目の前の男性に興味が湧いていた。
それが単なる知的欲求なのか、全く別の感情なのかもわからないまま、私はジークに取材を続ける。
「……単刀直入に伺います。ジークさん。貴方は、ゴーストですか?」
その一挙手一投足を見逃さないよう目を皿にして見つめる私に、彼はくすりと笑って言う。
「見ての通り生きてるよ。僕は
「違います。そういうことでは無く、貴方は
「……そんなこと聞かれても、僕は巷を知らない。噂になっているのかい?」
「ええ、とても。もっとも、私は半信半疑でしたが、貴方に会って確信が持てました」
「……へえ。それは、何故?」
「貴方は、王女様の誘拐なんて大それた事件で捕まっているのに、新聞記者である私ですらそんな大事件を知りませんでした。200年以上の恩赦も、1000年以上の刑期も、どれもこれも記者が知らないなんて、何か裏があるとしか思えません。それに--」
一度大きく息を吸う。一段と厳しくなった彼の視線が恐かった。
私はお腹に力を入れ、努めてハッキリとした口調で言い切る。
「--国家内乱罪には本来量刑は無いはずです。有罪であれば刑は死刑のみ。貴方が生きてここにいることが、何か国家ぐるみの裏がある確たる証拠だと思います」
「…………」
今度はジークが押し黙る番だった。冷え切った瞳で私を睨み、何かを思案しているように見えた。
「その質問に、僕が素直に答えると思うか?」
しばらくの静寂の後、鉄格子越しに殺気すら感じさせる視線をぶつけて静かにそう呟くジーク。私は内心で怯えながらもそれに毅然と応じた。
「思います」
「……何故?」
「先ほど、王女様の誘拐の件に関して貴方は、『事実かどうかは別として』と言い含みました。それは、貴方がその事件を認めていないからではありませんか?」
「……そんなこと、何の関係がある」
ジークの視線が微かに揺れた。
--イケる。この取材、前代未聞のスクープになる。
その僅かな動揺に、私の新聞記者としての勘が反応した。
「取材にご協力頂ければ、真実を明らかに出来ます。貴方が無実だと言うのなら、それを世間に公表して見せます」
「……ふっ、馬鹿げてる。そんなこと、出来るものか」
地下の湿った空気の中、ジークの渇いた笑いが妙に耳に残った。
悲しげな、諦念の混じったその声に、私の心は一層強く動かされていた。
それが記者としてのプライドなのか、
……そう思ったのだ。
「出来ます。やってみせます。貴方が無実だと言うのなら、私は中立公正な記者として、貴方を信じます」
「…………」
ジークは何も答えない。それでも構わず、私は言葉を続けた。
ほんの少しでもこの真剣な思いが伝わるように、凍りついて閉ざされた彼の心に、私の思いが届くように。
「……だから、貴方も、私を信じてくれませんか。お願いします。記者としてだけではなく、貴方に興味が湧いた一人の人間として、貴方に協力させて下さい」
「…………」
銀の瞳が真っ直ぐに私を射抜いていた。それは鋭く剣呑な目つきではあったけれど、最初のような冷たいものでは無い気がした。瞳の奥に、微かに揺れる熱を感じた。
「--面会時間は終わりです。ご退室を」
時が止まったようにただ見つめ合い視線が交錯する中、鉄の扉の向こうから看守さんの感情のこもっていない無機質な言葉が響く。
「ちょっと待って下さいっ。まだ話が--」
「--規則ですから」
私の抗議を無視するように言葉が被せられる。室内を覗くように立つ看守さんに促され、私は渋々踵を返した。
また面会のチャンスがあるかは分からない。むしろ彼の特殊な状況を考えると、その可能性は限りなく低いように思えた。
私の思いは彼に届かなかったのだろうか。口を閉ざしたまま私を見送る彼の姿に何故だかすごく悲しくなった。
来た時よりも更に重くなった足をゆっくりと動かす。コツコツと音を立てる自分のヒールの足音が、無性に不甲斐なくて、悔しかった。
後ろ髪を引かれる思いで鉄の扉を再びくぐる。……ダメだったか。そう思った瞬間、背後から声が聞こえた。
「--三日後だ。三日後の夜、ルーデンス伯爵家で夜会が開かれる。この国の
--ルーデンス伯爵。確か、緊張の続く帝国との外交問題に元老院で対話路線を訴えるハト派の重鎮だ。
……一体、それが彼と何の関係があるのだろう。
看守さんの手が石壁のスイッチに触れる。ぶ厚い鉄の扉が不気味な音を立てて閉じてゆく僅かな時間、暗闇の奥から私を見つめる彼の双眸と視線が交わる。
「……はい、必ず」
言うより早く、鉄の扉が口を閉じた。眼前を塞いだその冷たい板に投げかけた言葉は、果たして彼に聞こえただろうか。
私は薄暗い廊下に立ったまま、この誰も知らない未曾有の大事件に、一人の記者として、彼に興味を持った一人の女として、首を突っ込む覚悟を決めていた。
ジーク・フリードリヒ・ルグラン。まずは彼が起こしたとされる王女誘拐未遂事件から、彼のことを洗い直して見ようと思う。
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