エピローグ

 天京てんきん青禁城せいきんじょうに夕刻が訪れようとしていた。

 もう城内の木々もすっかり木の葉を落としている。もう冬である。

 空っ風が吹いている。

 李鐸りたく率いる、禁軍きんぐん棄明きめいで敗北したことは、あっという間に天京てんきんまで知れ渡った。

 北陽王ほくようおうは、今では、北陽帝ほくようていと称しているそうである。

 この汎華はんかに天子は一人。が授教じゅきょうにおける一番のことわりのはずなのに、天子が二人いることになる。

 許されるべきことではない。

 とはいえ、棄明から、天京まで幾千里、もしくは幾万里。現実感は一切ない。いつもと変わらぬ課挙に登第した官吏たちの平々凡々たる毎日が今日も続く。

 

 左礼房内されいぼうないにある礼部本堂れいぶほんどうの脇にあるぼろ小屋掘っ立て小屋、司史所ししじょの前で一人の老人が床几に座り、粗茶と煙草で一服している。

 劉甫りゅうほ、字は伯文はくぶんである。安寧五年の登第。この青禁城の生き字引のような人物である。

 

「これは、これは伯文さん、誰かをお待ちかな」


 見知った官吏の徐倫じょりんが尋ねる。


「まぁ、そういったところかのう、、」

「外で待つには寒くはありませぬか」

「寒いのぅ、じゃが、夕日がつとに美しゅうて」


 官吏のだれもが、棄明での大敗北など話題にはしない 


「はぁ、これですかな」


 徐倫じょりんが碁を打つ手真似をする。


「まぁ、そういったところかのぅ、、、」

「わしなら、いつでも相手をしますに、」

「わしはヘボじゃからのぅ、恥かき碁ですわぁ」

伯文はくぶんさんの碁は雄大じゃ風格がありまする。石がすべて天元を目指しておりまする」

「ついつい、上へ、上へとのぅ」

「では、さようなら、伯文さん、又明日」

「はい、又明日」 


 徐倫じょりんが深々とお辞儀をして去って行った。

 劉甫は粗茶を一杯ずるずるとすする。もうヌルい。


 もう夕日はとっぷり暮れた。冬の日暮れは誠に早い。

 

 そこへ、三人の男が左礼房されいぼうにずかずかとやってきた。

 二人は大股。

 人は小股で。


 三人の男たちは迷うことなく、礼部本堂でなく司史所を目指している。

 暗闇が迫る中、劉甫も気付いた様子である。


「遅かったな、この寒空の下、三日も待ったわ」


 第一声は劉甫だった。

 三人の中央は、時の丞相の許適きょてき。左に剣仙剣聖至剣けんせんけんせいしけんの位を汎華で唯一人授かった武官の、耿慧こうけい。大股だったのはこの二人。小股だったのは右の右丞相の費尤ひゆう


「十万の軍勢が大敗北だったらしいではないか、丞相殿よ」


 許適は黙っている。


 劉甫からは許適の表情までは夕闇のせいで見えないが、表情が硬いのは肩の力の入り具合で分かる。


劉伯文りゅうはくぶん、大人しく、聖骨さえ渡さば、命と身分この司史所ごとそっくりそのまま維持することを許そう」


 許適の声はしっかりとしていた、口調から何度も練習してきたことまで伺える。


許俊江きょしゅんこうよ、貴様とは、あざなで呼びあう仲ではない。これは、わしへの正式な侮辱と受け取る」

「き、貴様こそ、字で呼んどるではないか、丞相閣下と敬称をつけんか!劉伯文!」

「お前は誰だ?安寧五年から右丞相など何人も見てきて名など覚えられんわっ」

「わしの名は費尤ひゆう字は────」

「勝手に名乗るな!許適の腰巾着のこの匹夫ひっぷめ。お前なんぞの字など知りたくもないわ」

「なにっ!」

宣如せんじょやめんか、これでも、劉伯文は先の右丞相だったのじゃぞ」

「なんと、、、」


 右丞相の費尤ひゆうが腰砕けになる。しかし、許適が続けた。


「が、この伯文は、とある儀礼で吠え続ける皇后陛下のちんを絞め殺して今の身分に左遷になったのじゃ」


 費尤ひゆうが盛り返す。


「犬とは吠えるもの、誠に愚かな」

「誰もせんことするのが、わしの流儀でな。宣如せんじょとやら、貴様もわしの許可なしに字で呼んだな、これは正式な侮辱とみなす、士大夫は恥辱を雪ぐが第一の儀。わしは目的のためには手段を選ばんぞ、これからは背中に気をつけてこの青禁城に出仕してこい!」

「うぐっ」

 費尤ひゆうには返す言葉がなかった。


「そっちのずーっと押し黙っておる、物騒なやつは誰じゃ。いやいや知っておるぞ、剣仙剣聖至剣けんせんけんせいしけんの武官、耿慧こうけいではあるまいか?。汎華に並ぶものなしの剣の達人。武官馬鹿がこんな文章の杜に何用じゃ?」


 耿慧こうけいは剣の柄にも手をかけず押し黙っている。

 劉甫はまだ続ける。老人とは思えない。

 

「安寧五年以来、剣仙剣聖至剣けんせんけんせいしけんは五人みてきたが、耿慧こうけいよ、お前は、五人の中で四番目、下の中といったところか。話にならん。こんな白髪頭の老人を切りに来たか、それこそ恥であろう。一応天子に仕える武官であるならば士大夫として恥を知れ」


耿慧こうけい、」

 許適が諌めにかかったが、耿慧こうけいはピクリとも動かなかった。


「ついでに、耿慧こうけいよ、もう一つ教えてやろう。五人の中で四番が貴様なら五番は誰と思う?うん?。貴様の師匠、先代の剣仙剣聖至剣けんせんけんせいしけんたる鄭咬ていこうじゃ。ここいらの古株の官吏なら誰でも知っておる。鄭咬ていこうは夜な夜な青禁城を抜け出し、毎夜、天京てんきんの辻辻で人斬りをしておったのじゃ。城市警邏の連中が困っておったこともしらずになぁ。人を殺す快感が忘れられし止められんそうじゃ」


 これには、さすがの耿慧こうけいも身を震わせて耐えていた。

 が、遂に言葉を発した。


「師匠への侮辱は弟子が雪がねば誰が雪ぐというのです。わが剣仙剣聖至剣けんせんけんせいしけん剣術は天子様に授けた技とはいえ、こんな老人斬って捨てていかなるというもの、早う事をなしましょうぞ」


 許適が一歩前に出た。


「これが二度目だ、三度目はない。聖骨を渡さば、今までの暴言も含め、全てなかったことにしてやろう。そして、己が建てたあばら家とともに古い木簡、竹簡とともに惚けた頭で読み続け朽ち果てろ、それが貴様の望みであろう」


 沈黙があった。


「わしとて士大夫として先帝に誓った身ぞ、そんなこと出来るかバカモン、断る」


 一拍置いて、許適が大きく息を吐いた。


耿慧こうけいやれ」


 耿慧こうけいは許適より早かった。一歩二歩歩みながら、何度も繰り返し抜いたであろう動作で左手で剣帯と鞘を押さえ右手で柄を握り、長剣を抜きにかかった。

 劉甫も言った。それは小さい、小さい声だった。


「やむを得んな、やれっ」


 その声と同時に赤く光る目を持った大男が司史所の脇から屈んでいたのであろう、立ち上がった。


「ひーっ」

 

 右丞相の費尤ひゆうが悲鳴を上げた。

 大男は戈を持っていた。そして大きかった。とてつもなく大きかった。そして匂いも強烈だった。

 許適ですら、半歩下がった。それくらいの大男だった。

 耿慧こうけいが言った。


「ご安心を、丞相殿、こいつは武官の試験で見たことがございます。真っ二つに切り捨ててご覧に見せましょう」


 耿慧こうけいの振りかぶるまでの速度たるや尋常ではなかった。誰も間に合わないだろう。

 振りかぶってからの振り下ろしはもっと早かった。汎華一とはこの事をいうのである。誰も刃の動きすら見えなかった。青禁城の不寝番の灯りが耿慧こうけいの刃に一閃したのみだった。

 異臭を放つ赤い目をもつ大男は袈裟懸けさがけに斬られた。

 しかし、動じなかった。

 耿慧こうけい一瞬おやっとした表情を見せた。しかし知っていた。剣仙剣聖至剣けんせんけんせいしけんの域に達すると切れ味が尖すぎて斬られたことに気付かないものがいることを。耿慧こうけい振り下ろした刀で真逆にバッテンに切り上げた。

 しかし、赤い目をした大男は全く動じず、戈を持ち直しその廻いを縮め変えた。

 さすがの耿慧こうけいにも異変が現れた。

 大男を切り上げたまま剣舞ような美しいまでの姿勢でしばらくいたが、自身の胴ががら空きなことに気付いた。

 今度は大男の番である。戈で切りかかってきた。耿慧こうけいは慌てて剣で受けた。

 大男の戈の振りは鈍い。

 しかし、大男のものすごい膂力である。

 剣仙剣聖至剣けんせんけんせいしけんが鍔迫り合いをしたことがないはずは全くない。どう力を入れればよいか、よく知っているぐらいである。しかし、自身の剣が動かない、いや、動かせない。

 それほどの大男の膂力なのである。

 耿慧こうけいは自身がバッテンに切りつけた大男の傷口を見た、血がそれほど出ていない。赤黒い物が見えるがなにかわからない。夕刻に歩んできた三人が傷口をよく見た。傷口の中から、白い蚕のような蟲が現れたような気がした。

 耿慧こうけいは戈を剣で受けたまま、全く剣を動かせないでいた。

 耿慧こうけいの剣は両刃の剣である。

 耿慧こうけいの顔に恐怖が浮かんでいた。


「嘘だ、嘘だ、斬ったぞ、手応えもあった。俺は、ちゃんと斬ったぞっ」


 耿慧こうけいの受けた剣と大男の戈の刃の押し合いは徐々に戈が押して行った。

 ゆっくりと、ゆっくりと。

受けている耿慧こうけいの剣が耿慧こうけいの胴に迫っていた。


「俺は、斬ったぞ、こんなことがあるのか、、。おぃ」


 呼びかけは小さなささやきだった。

 大男は囁きには無関心だった。


 耿慧こうけいの剣が 耿慧こうけいに刺さり、深々と胴を真っ二つにしていった。血が大量に出た。ポタポタからダバーっと。

  耿慧こうけいが 耿慧こうけいの剣で悲鳴を上げ続けて死んだ。


「ぐえぇえええええええええええ」


 寸とも悲鳴も挙げず脱兎の如く右丞相の費尤ひゆうが全速力で逃げた。逃げ足は剣仙剣聖至剣けんせんけんせいしけんの剣より早かった。


 許適は逃げなかった。逃げることすらできなかったのかもしれない。


「ちょっと待て」


 劉甫が大男に言った。

 赤い目をした大男はしゃがみ込み耿慧の遺体にのも興味がある様子だった。


「亡者の術を会得しているのか?」


 許適が言った。


「そう呼びたければ呼べ」

「もしや、皇后陛下のちんの一件もこの術に関係しているのか?」

「当たり前だろう。死んだちんが蘇って一匹混じっとったら大変だろう?。お前はあれをあばら家だというが、大間違いだ。あっちの大きな礼部本堂こそ幻影だ。すくい取られた、上澄みの綺麗事だけ記されている。本物と真実はあのあばら家にすべて記されている」


 許適は黙っていた。

 劉甫は穏やかに言った。


俊江しゅんこうよ、わしはそなたの身だけを案じておる。袁拓は、帝位が欲しいからここへ来るのではない。お前のところへ来るのだ。かならず来るぞ。あれはやりすぎだったな認めろ。そして本気でやり直しさえすれば助けんこともない」

「やめてくれ、おれはあんたから破門を言い渡された身だ。それにおれは天下を治める丞相だ。もうあんたを越えた」


「言葉を介し記すのが文人たる汎華民族だ。記せなかったり、わかりあえないほど辛いものはない」

「なんとでも言え」


 許適は踵を返しトボトボと真っ暗闇の中、来たみちを引き返していった。


「はて、この術は後始末が大変じゃ。安らか眠れ、郭四かくしよ、もう良いぞ」


 そう言うと、郭四かくしの後頭部をすっと撫でた。するとゆっくり倒れるように郭四かくしはその場に倒れた。

 次に 耿慧こうけいの後頭部もすっと触った。


感染うつったらお前もさまよわないかん、そのまま安らかに眠れ、 耿慧こうけいよ、本当のことを言おう、貴様は自制心忍耐力といい五人中一番の剣仙剣聖至剣けんせんけんせいしけんじゃ」


 そう言うと、劉甫は司史所と呼ばれるあばら家から鋤を持ち出し、あばら家の奥に大きな穴を掘り出した。


 戦魔伝演技 第一部 北陽王の謀反 完。

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