釣瓶落とし (1)

 ぺたぺた、ぺとぺと。

 あれからずっとベトベトさんの足音が着いてくるということ以外、特になんの変わりもなく、いつも通り煙々羅に物怪を払ってもらいながら過ごしていた。

 煙々羅には感謝の意を込めて、お菓子を作ってやると喜んでくれるので、時折クッキーやカップケーキなどを作って食べさせてやる。

 物ノ怪が人間の食べ物を食べられることに初めは驚いていたが、所謂"お供え物"と似た様なものだと煙々羅がいうので納得した。

 煙の体に吸い込まれる食べものがどこに消えているかは謎だが。

 今日は、そんなお菓子作りの為の材料を買いに、スーパーに来ている。

 ホットケーキミックスの粉や、砂糖、それからはちみつなど、必要なものを次々とカゴに入れていく。

 ──⋯⋯ねぇ、また出たんですって。

 ふ、と。汐の耳に、限りなく声を潜めた、世間話が聞こえてきた。

 普段なら特に気にとめることもないが、何故かその時は猛烈に気になってしまい、汐は棚を物色する振りをしながら、世間話をするおばさん達のそばにさりげなく寄っていった。

 先程よりも鮮明に聞こえてくる声に、耳を澄ます。

破ヶ原町わりがはらちょうでしょう? 聞いたわよ、怖いわよね」

「今回で四人目らしいじゃない」

 なんの話しだろうか。強盗か何かか、それにしては少し異常な空気だ。

 汐はさらに一歩、二人に近付く。

「それにしても、ほんとに気味が悪いわ⋯⋯生首が人を食べるだなんて」

 え、と汐は思わず声が漏れそうになり、自分の手で口を塞ぐ。聞こえていなかったのか、おしゃべりに夢中なのか、そんな汐には気がついてないようで、話は進む。

「でも、ただの噂でしょう?」

「それが、見たって人が結構いるらしいのよ⋯⋯」

「そうなの? 幽霊ってこと?」

「そうなのかしら。でも本当、嫌な事件よね」

「暫く破ヶ原町には行けないわねぇ、あそこのスーパーの方がちょっと安いんだけど⋯⋯」

 そこからガラリと話の趣旨が変わってしまい、こっそりとその場を離れる汐。

 なんだか、凄い話を聞いてしまった、と思った。生首が人を食べる。

 もともとそういう類とは頻繁に関わって生活してきていたが、最近は特に、煙々羅の件以降かなりの頻度で物ノ怪の話を耳にする。

 買い物を済ませ、スーパーから出て人通りの少ない路地に踏み込んだ瞬間、煙々羅がするりと姿を現し「嬢ちゃん」と汐に話しかけてきた。

「暫く破ヶ原には行かん方がええ」

「それは、さっきの話が関係してる?」

「ああ。なぁんか、嫌なカンジがするんでィ」

「まあ、破ヶ原に行く用事も、予定もないし⋯⋯大丈夫だよ」

 煙々羅の何時にもなく真剣な声に、そう答えるしか無かった。



「十左衛門」

 今いいかな、と宗次郎が学校から帰宅したばかりの十左衛門を呼び止めると、ひとつの部屋に手招きする。

「何でしょう?」

 十左衛門が宗次郎に続いて部屋に入れば、そこには安倍晴明と、それから、榛家四代目当主であり、今なお術者としての力は健在で榛家のために動いている、既に百三十歳を越えた、十左衛門にとってはひいひいばあさんに当たるが、座って待ち構えていた。

 いとは、宗次郎と十左衛門が部屋に入ってきたのをみとめると、座るように促した。

 宗次郎は一礼して正座をする。十左衛門もそれにならい、宗次郎の隣に座った。

 いつもの飄々とした表情ではなく、どこかただならぬ雰囲気を醸し出す晴明に、一体何だ、と十左衛門は身構えた。

「さて」

 と、しわがれた第一声を放ったのはいとだ。

うぬらも気がついておると思うが、今回集まってもらったのは他でもない。近頃の物ノ怪共の異変についてじゃ」

 物ノ怪の異変。それについて覚えのある十左衛門は、眉を寄せていとを見つめる。

 いとに、晴明に、宗次郎。榛家の重鎮となる彼等の集まりに呼ばれた訳が、分かりかねていた。

「もともと榛京終町このまちは、昔から目に見えぬものの信仰が強く、物ノ怪共も活発でおった。それも時代と共に廃れていき、今では大人しいものだが⋯⋯しかし⋯⋯最近の物ノ怪の動向は、どうも不穏なものを感じる」

 突如として再び物ノ怪達が集まりだした事を、いとは案じてるようであった。

 そして、榛家として、この真相を突き止めるべく本腰を入れていく。そう告げるいとの話を、晴明と宗次郎は黙って聞いている。

 十左衛門は、ますます自身がここにいる意味を図りかねていた。

 この話し合いは、まだ当主として認められていない自分が参加してもよいものなのか。

 いとはそれから、破ヶ原町で流行っている噂話についても語った。

 生首が、人を襲い食べる。ここ一ヶ月ほど前から起きている事件の噂で、その真相は定かではないが耳にしたことはある。

 破ヶ原町は、榛京終町と近いということもあり、物ノ怪が出やすい地域にある。

 その話をどうしてこの場で。

「十左衛門」

「はい」

 いとに名を呼ばれ、背筋をさらに伸ばす。自身の疑問を悟られたか、と十左衛門は身構えた。晴明と宗次郎も、十左衛門をじいと見つめながらいとの言葉を待つ。

 その目は、これからいとが何を発するのかが分かりきっているような視線で、何となく、嫌な予感が背中を伝った。

うぬ、ちょっと行って退治てこい」



 榛家には、榛の血筋の者以外にも、優秀な術者が何人か滞在している。

 その多くは榛の名や晴明の噂を聞きつけ、是が非でもと弟子の名目で従者になるものが殆どだ。

 物ノ怪が引き起こす事件の調査などの隠密行動や、物ノ怪退治後の事後処理が主な仕事だが、時折、退治そのものに着いてくる場合もある。

 今回も例に漏れず、いとが寄越した優秀な従者を一人従えて、破ヶ原町に足を運んだ。

 いと直属の従者といえど、榛家に使える身。次期当主の十左衛門にも限りなく丁寧な姿勢で接してくる。

「着きました。この付近に、頻繁に現れているという情報が多く寄せられています」

 従者が十左衛門に告げる。

 今は夜で、あの話し合いの後すぐさま破ヶ原に向かわされた。住宅街から随分と離れた、閑散とした場所。

 あたりは街頭一本一本が一定の距離を取って設置されており、青暗い光が薄ら気味悪い。土手に面した道で木が並んで生えており、それが余計に夜の暗さを強調させていた。

 意識を集中させ、周囲の気配を読む。風で木々が揺れる音、下から流れる川の音と、それから。

 ざわりと全身が粟立ち、すぐ側の木から瞬時に飛んで避ける。

 どすんと大きな音と揺れが響けば、先程まで立っていたそこに、大きな、大きな、顔。

「──⋯⋯夜業すんだか、釣瓶下ろそか⋯⋯」

 ぎぃ、ぎぃ。歯軋りのようななんとも耳障りな音を発して、ゆらゆらと左右に揺れる顔。

 顔中に髭を生やし、ぎょろぎょろと忙しなく動く赤く充血した大きな目玉。血を吸ったように真っ赤な唇が大きく歪むと、げらげら、と下品な声をあげて笑い始めた。

「釣瓶落としか」

 十左衛門はすかさず懐から呪符を取り出す。従者もその隣で構え、釣瓶落としを見すえた。

 ぎいぎいと歯ぎしりをたてながら、軽く2メートルは越えるであろう大きな顔がごろりと転がり十左衛門に近づく。

 十左衛門は地を蹴って横に逸れると、間髪入れずに呪符を投げつける。釣瓶落としは大きさに似合わず素早い動きでそれを避けると、再び十左衛門に襲いかかった。

 大きな口をあけて噛み付こうとするも、後ろから従者が追撃をかます。釣瓶落としが十左衛門から従者に視線を移したその隙に大きく距離をとった。

 土手の下に着いた十左衛門は、上を見上げる。

 跳ねるように動く釣瓶落としは、急にぴたりと動きを止めたかと思うと、今度はごろごろと土手の斜面を利用して十左衛門のもとへ転がり落ちてきた。

 十左衛門が高く飛び跳ね、上空から呪符を投げる。上手く木の枝に着地し、従者も傍によってくる。

 釣瓶落としはぎりぎりのところで呪符を避けていたようで、土手の下から大きく跳ねて十左衛門達の前に着地した。

「素早いな⋯⋯」

 舌打ちをひとつこぼし、左手で手印を構える。

 釣瓶落としをしっかりと定め「縛」と叫ぶも、なにかを見破ったのか釣瓶落としはその場からごろんと転がり避けた。

 負けじと何度も「縛」を連発するも、その度にごろごろと動いて避けられる。

 ──「ばく」とは、対象をしっかりその視界に捕え、従者の気を飛ばして動けなくする、金縛りと似た術だ。

 相手の身体を簡単な結界で閉じ込めるため、必ず視界に入っていないと効果がない。

 この「縛」で相手の動きをとめ、その間に呪符を投げ、呪文を唱える、という一連の動作が、物ノ怪を祓う手順の基本的なものだ。

 しかし、釣瓶落としが素早く移動するので、十左衛門はその姿をしっかりと捉えきれずにいた。

 まだまだ「縛」を形成するにも時間が掛かる。そのたったミリ秒の差でも、ズレれば縛は効かない。

 何度か連発したため、十左衛門は額に汗を滲ませた。が、諦めずに縛と呪符を投げる一連の動作を繰り返す。

 十左衛門が呪符を投げ、それを避けた鶴瓶落としに従者が間髪入れずに続けて攻撃をかます。

 釣瓶落としには一切当たる気配がない。

 長丁場になりそうだ。

 たらりと額の汗が、頬へと伝った。

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