煙々羅 (2)
次の日もその次の日も、彼女の周りには煙がまとわりつき、そして暑そうに顔をゆがめる姿を見ても、十左衛門はさっぱり違和感を明かせずにいた。
煙の正体が煙々羅だということは分かったが、しかしそれがどうして彼女にまとわりついて居るのかが、いくら考えても分からなかった。
煙々羅だけではない。よくよく彼女をみてみると、どうやら彼女は他にも様々な物ノ怪をその身にまとっているようであった。
どれもこれも一斉に祓えるような小さいモノばかりであるが、これだけの量を抱え込む彼女は、それだけで体力の消耗が激しいだろう。
しかも、日に日にその数が増えていっている。
「煙々羅について調べたんだけど」と十左衛門の隣で梅谷が話しかける。
「地獄の業火って解釈もあるみたいだよ。彼女が暑そうにしてるのって、それかな」
「このままでは熱中症になりかねんな」
衣替えには早い時期だが、彼女の制服はすっかり夏仕様に変わっていた。時折自販機で冷たい飲み物を買い、首筋や頬にあてて気持ちよさそうにしているが、それでも暑いのだろう。汗が止まらない様子だ。
何も進展が得られず、焦りの表情を浮かべる十左衛門に、梅谷はぽそりと言葉を零した。
「でも凄い数だね、彼女の周りの物ノ怪たち。まるで彼女が引き寄せてるみたいだと思わない?」
「引き寄せてる?」
梅谷の言葉にもう一度彼女を見る。丁度小さなふわふわとした物ノ怪が彼女の側を通り過ぎ⋯⋯───彼女に引っ張られるようにして、物凄い勢いで彼女に引っ付いた。まるで強力な磁石のようだ。
物ノ怪が彼女にまとわりついているのではなく、彼女の方が物ノ怪達を引き寄せていたのだ。
「違和感の正体はこれか」
十左衛門がつぶやけば、梅谷はにっこりと笑って「なにか分かった?」と聞いた。
「梅谷⋯⋯気付いてたな」
「晴明さんから十左衛門の手助けしてやれって言われててね」
十左衛門はこめかみに青筋を浮かべる。晴明はもしやとっくに気がついていたのか。おおかた、晴明も彼女について調べていたのだろう。ヘラヘラと笑う晴明を思い出し、直ぐに雑念を打ち消した。
今は晴明にかまっている場合ではない。彼女がどうして物ノ怪を引き付けているかを知るのが先だ。どうやら無意識のようだが、彼女はなにか物ノ怪を引き付ける能力でも持っているのだろうか。
「あっ」突然声を荒らげた梅谷に驚く。
慌てたように彼女の元へと駆け寄る梅谷と共にそちらへ視線を寄越せば、彼女のまとう靄が膨大に膨れ上がり、彼女がその場にへたり込んでいた。
十左衛門も駆け寄り、その際ポケットに忍ばせていたお札を何枚か靄に向かって投げつける。榛家のものが念を込めて作った呪符だ。
靄に張り付くと、寄り集まっていた小さな物ノ怪は一瞬にして散り、煙々羅は思い切り甲高い鳴き声のようなものを発しながらしゅるしゅると小さくなった。
「大丈夫?」
「あ、すみません⋯⋯ちょっと立ちくらみがしちゃって」
二人のやり取りが聞こえ、そちらへと向く。梅谷に支えられながら立ち上がる少女は、ありがとうございます、とお礼を述べて頭を下げた。
「あの、さっき貴方がなにか投げたら、私にまとわりついてきていた変な煙がちっちゃくなった様に見えたんですけれど⋯⋯」
十左衛門と梅谷は驚いて少女を見つめた。もしや彼女も見えているのか。二人が言わんとすることを察し「すみません、私、なんだかよく分からないものを沢山引っ付けちゃうみたいで」と申し訳なさそうに笑った。
少女──
梅谷のように、霊感を持ち、見えるし聞こえるし触れることが出来る人間はこの世に一定数いる。
しかし汐はさらに物ノ怪を惹き付けてしまうという奇異な体質をも持ち合わせており、常になにかが汐の周りにまとわりついてきていた。
もとは暫くすると自然と離れていったり別のものにひっつきに行ったりとしていたが、ここ最近は特に酷いらしく、くっつかれるとなかなか離れなくなっているらしい。
先程の煙々羅も、ずっと自分にくっついていると、初めは小さかった靄がどんどん広がって、煙々羅が大きくなるにつれて暑くて暑くてたまらなくなっていったそうだ。
そうしてしゃがみこんでしまった所に、十左衛門達が駆けつけた、と。
「まとわりついている間も、ずっと見えていたの?」
梅谷が聞けば、汐はこくりと頷いた。
「それで、あの、その煙々羅というのはどこに⋯⋯」「ここでィ!」
甲高い、それでいてしゃがれた様な声が聞こえると、汐の制服のシャツからするりと煙があがった。
すかさず十左衛門が呪符を構えると、ぎゃ、と短く叫んで汐の背後に隠れる煙々羅。
「おい、出て来い」
十左衛門の低い声で観念したように煙々羅が顔らしき部分を覗かせた。
「や、やめとくれや、それ投げんの! さっきそれ当たったときゃ、死ぬか思うくらいほんっまに痛かったんでィ」
どこの方言か、訛りの強い言葉で煙々羅が続ける。
「それはお前の出方次第だな」
「ひょえ、違うんだよォ! オイラやって、べつにこの嬢ちゃんをどうにかしてやろう思ってくっ付いとった訳やないんでィ⋯⋯なんかふらふら~って引き寄せられて⋯⋯ごめんな」
煙々羅は先程の十左衛門の呪符で、すっかりその煙の威力が落ちている。見た目も随分と小さくなり、器用に煙で指を作ってつんつんと人差し指を合わせては、しおらしく言い訳をこぼした。
「しかし彼女に悪影響を及ぼしていたのは確かだろう。やはり滅するしかない⋯⋯」「待って!」
再び呪符を構えた十左衛門の腕を、汐が引っ張って止める。煙々羅はそんな汐の服の中に引っ込むと「ごめんよってばぁ!」と泣きそうな声を荒らげた。
十左衛門は、汐の行動が理解出来ず、顔を顰めた。
「なぜ止める。君だって困っていたんじゃないのか? 害ある物ノ怪は滅するべし。さあ出て来い」
汐が必死に腕を引っ張るが、それでも十左衛門は容赦ない。そんな二人の間を、ずっと黙っていた梅谷が「まあまあ」と遮った。
「八月一日さんの話も聞いてあげよう。ね?」
梅谷の言葉にするりと力を抜いた十左衛門は、それでも不満げな顔で汐を見下げた。ただでさえツリ目がちな目元は、より不機嫌に細められている。
汐がおずおずと服の中に隠れる煙々羅に出てくるよう促すと、しょんぼりと明らかに反省している様子で出てくる。
「ほんまにごめんな、嬢ちゃんのこと、困らせる気は無かったんやけど⋯⋯オイラ、ちょっと調子に乗りすぎたみたいでィ。ごめんよ」
「ほら、煙々羅さんもこの通りしっかり反省しているみたいですし、ね? なにも消すことは無いと思うんです」
「⋯⋯嬢ちゃん」
煙々羅は汐の言葉に感動したのか、少しばかり目元であろうあたりからほろりと水がこぼれた。
煙が泣く、というのは変な話だが、事実目の前の煙々羅はほろほろと涙を流して何度も汐に謝罪をしている。
梅谷は押し黙る十左衛門の肩に手を置くと「八月一日さんの言う通りこれだけ謝ってるんだしさ。消さなくてもいいんじゃない?」と言った。
十左衛門は顔を顰めて考える。確かに見た目は反省しているようだ。が、しかし、汐に対して悪さをしていたのも事実である。
榛家のものとして、害ある物ノ怪を放っておいてもいい物か。十左衛門の考えることが梅谷には分かり、それ以上はなにも言えずにいた。
汐と煙々羅は伺うようにして十左衛門を覗き込む。
十左衛門が返事をする前に、煙々羅はいい事を思いついたと言わんばかりにぱっと表情を明るくすると、煙の両手を広げて話し出した。
「せや! オイラ、実はちいとばかし他の物ノ怪よりも妖力が強いんや⋯⋯嬢ちゃん困らせたお詫びに、これからはオイラが嬢ちゃんに惹き付けられた物ノ怪共を追っ払ってやるでィ!」
堂々と「名案だろ?」と言い放つ煙々羅に、すかさず汐と梅谷がそれいいね、と返す。それから三人で十左衛門を見つめた。
何も言わずに見つめてくる三人の目に、十左衛門はぐっと言い淀む。
この流れは、ここで無理矢理煙々羅を消滅させると十左衛門が悪いみたいな流れになりかねない。
ひとつため息をつくと、十左衛門は呪符を持った右手を下ろして視線を逸らした。
「⋯⋯今回は見逃す」
わっと煙々羅が嬉しそうにくるくるとその煙の身体を回しながら踊る。汐は良かったですね、とニコニコ笑顔で煙々羅を見つめた。
「ただし!」
大声を張り上げピタリと止まる一同。
「少しでもまた悪さをしようものなら、その時は滅するからな」
「も、もうしやせんって!」
こうして、煙々羅は正式に汐の憑き物として汐に引き寄せられてくる小さい物ノ怪達を追い払うという役目を手にし、無事祓われる事無く終わった。
その夜。屋敷へと戻り、一連の流れを晴明に伝えるために長い廊下を急ぐ。晴明の部屋の前で一度立ち止まり、ひとつ深呼吸をしてから「失礼します」と返事も聞かずに襖を開けた。
晴明は入ってきた十左衛門をにこやかに出迎え、座るように促す。十左衛門は晴明の前に座ると、早速煙々羅について、それから汐についてを話し始めた。
全ての出来事を聞き終えた晴明は、ふむ、と手のひらを頬に当てる。
「まあ解決して良かったじゃないですか」
「煙々羅のことは一応見張っておきますが、釘を刺しておいたので多分心配は無いかと⋯⋯ところで」
十左衛門は立ち上がると、ずいっと晴明に近付いて声を荒らげた。
「彼女が物ノ怪を惹き付ける体質だって気付いていたんですか!」
ことは梅谷とのやり取りを思い出す。晴明から「十左衛門の手助けをしてやれ」と言われたらしい梅谷は、十左衛門が汐の特異体質に気がつける様に誘導した。
それは晴明が初めから汐のことに気がついて居たようで。何だか結局晴明のおかげで汐の事に気が付けたような気がして、十左衛門は気に食わなかった。
晴明はへらりと笑った。
「何日も進展がないからやきもきしちゃって、私の方でも調べちゃいました。すぐに分かりましたよ、彼女のことは。私から言っても良かったんですけど、それだとあなたぷんぷんしちゃうでしょ。だから、蒼太にそれとなく伝えるように頼んだんですよ」
憎たらしいその笑顔が余計に腹立たしくて、憎たらしくて、でもその事を伝えるには負けた気がして、青筋を何個も浮かべて十左衛門は「失礼しました!」と乱雑に襖を閉めて出ていった。
確かに自分だけでは直ぐに気が付くことが出来なかっただろう。しかし、どうしても師匠の手のひらで転がされているような気がして、いい気分ではなかった。
どすどすと乱暴に足音が去っていく。一人残された晴明はくつくつと笑いを堪えながら肩を震わせ「やはりまだまだ青いですね、十左衛門」と呟いた。
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