不確定世界の長門有希物語
純粋とはこういうものです。人はとにかく感傷的に、情的な面ばかりでそれを考えたがりますが。
–岡本太郎「日本の伝統」
なんてことはない、暖かな陽気の昼下がり、春の訪れを肌に感じずにはいられないような、そんな入学式の当日に、一隻の宇宙船が俺たちの住む街に降りてきて、長門有希という宇宙人が朝倉涼子という宇宙人を連れ立って降りてきた。
その時、俺はどうしていたかというと新しいクラスでなんとなく自己紹介を終え、席に着いたばかりだった。空を覆う巨大な宇宙船は学校の校庭に降りたので、もう、クラスは自己紹介だとか、そんな雰囲気ではなかった。後ろの席の女が、動揺するクラスメイトを無視するように大きな声で自己紹介をしていたが、そんなものは俺の耳には入らなかった。少なくとも、このような非現実的な出来事に、たとえ野次馬Aだとしても居合わせるなんてことは生涯ないものだと思っていたが、どうやら世の中というのは意地悪にできていて、あきらめた後にこういうサプライズを催すのが好きなようである。
宇宙船から降りてきた宇宙人は、寡黙でなにも話すことはなかったが、横にいた青い髪の世話焼きな委員長タイプの宇宙人に随分とフォローされてなんとか人類とコミュニケーションを取ったようである。
「野球をするからグランドを貸して欲しい」
それが我々人類と宇宙人の、第1種接近遭遇において発せられた最初の言葉だった。
俺は野球なんか見ててもしょうがあるまいと思って、教室から誰にも見られないように、退散した。何より、ここでずっと宇宙人の野球を眺めていたって、なんになるというのだ。渡り廊下を渡って校舎裏へ出ると、俺はなにやら不思議なものに遭遇した。校舎裏の壁に、銀色の車が衝突して火を吹いていたのだ。
座席で倒れている女性に目が止まり、俺は自分がどう行動すべきかを思案したが、僅かばかりに残っていた良心が、その女を助ける、という選択を取るまでに、そう時間はかからなかった。なぜならその女性が天使のように可愛かったからであるなんていうのは口が裂けても公言できないがね。ドアをこじ開けて、内を確認する。どうやら車内で火は起こっていないようである。ふと俺は計器類にくくりつけられたデジタルの表示器に表示されている4851 08 24と言う数字とそれに並んで表示されている2003 04 10と表示されている数字に目が止まったが、いまはそれどころではあるまい。
肩を抱いて女性をゆり起こすと、女性は
「すいません、今は何年の何月何日でしょうか…?」
と訪ねてきた。事故に遭って混乱しているのだろう、と思ったが俺も相当混乱していたので先ほど見た正直をまた確認して
「4851年の8月24日です」
と答えると
ひょえーとでも形容すれば良いのであろうか、そのような悲鳴をあげて
「そんなはずは…今日は2003年の4月10日のはずじゃ…!」
と焦って自分の時計を確認していた。
「ちゃんと4月10日じゃないですか…!あ、しまった…」
俺がなにがしまったのかと疑問に思っていると背後に轟音が響き渡った。俺は訳もわからず地面に投げ出され、吹き飛んでくるコンクリートの破片が目に入って悶絶していた。
しばらくして目を擦りながら確認するとそこにはなにもなかった、いや、間違いなく校舎がそこにあったはずなのに、いまはその奥にあったはずの宇宙船が見えていたのだ。
「遅かった…どうしよう…わたしのせいだ…」
と俺の横で涙目になっている女性に気を取られていたが、しばらくして二つの足音が近づいてくることに気づいた。
「あっ、長門さん…!」
涙目の女性の目線の先を追うとそこには先ほど宇宙船から降りてきた2人の宇宙人がいた。
どう見ても人間の女子高生にしか見えない長門と呼ばれた宇宙人が、
「うっかりホームランで校舎を消し飛ばしてしまった」
と言った。はてなんのことであろうか、と俺は思ったが、いまはそれどころではあるまい、と思い、
「そんなことはいいから、この人を早く保健室に」
と怒鳴ってしまった。
青い髪の女は呆れたような顔で俺を見ると、
「保健室はもう無いわ、保険の先生もいないわよ、みんなホームランボールと一緒に蒸発しちゃったもの」
と言い放ったのだった。
人は見かけによらぬもの、とはよく言うが、案外話して見ると、宇宙人というのも意外と気さくないいやつだ、ということがわかってきた。何より奴らの見かけはどう見ても女子高生だったので、見かけによらぬ、というよりも、見かけ通りと言ったほうが正しいのかもしれない。つまりあれからどういうことになったかというと、俺たちは近くの喫茶店にやってきていたのだった。
ボブカットをさらに短くしたような髪をした肌の白い方の宇宙人、これは長門有希、という名前らしいが、喫茶店で供される様々なスイーツのメニューを30分はじっくり吟味し、注文したイチゴパフェを無表情ながらも熱心に食べている。
「ごめんなさいね」
と、髪の長い世話焼きな委員長気質の宇宙人、こいつは朝倉涼子と言うらしいが、黙々と食べることに集中して黙ったままの長門有希の代わりに謝った。
「何しろ私たちはまだ人間の年数で言えば3歳くらいだから」
どうやら宇宙人というのは随分早熟らしい。俺が3歳の頃といえば、三輪車をひっくり返して泥除けに砂利を落としペダルを手でくるくる回していた頃であるから、これは相当な差があると考えていいだろう。
コーヒーを口に運びながら俺はそんなことを考えていた。
横にいた自動車事故の女性が、この人は朝比奈みくると言う可愛らしい名前だそうだが、なんだか怒ったような様子で
「なんでこんなに和やかな感じなんですか!学校が一つ消し飛んじゃったんですよ!」
と大きな声で言った。
「あれは宇宙規模で言えば小さな損失にすぎないわよ」
と朝倉涼子は言った。
「地球型惑星なんて、それこそ数年に一度のペースでヴォゴン人に破壊されてるし、それにこの宇宙だっていずれトラファルマドール星人が滅ぼしてしまうんだから、この程度なら誤差の範囲よ」
なんだかすごい話を聞いた気がするがどうにも規模が大きすぎてついていけないので、俺は黙々とパフェを食べている長門有希という宇宙人の方に目を向けた。
見られていることに気づいたのか、長門有希は俺の方をに目をあげると右手の人差し指を俺の方に差し出してきた。
「あなたにはわかって欲しい」
俺はなんとなくE.T.のワンシーンを思い出して、長門有希の人差し指に俺の人差し指を向けて見ると、それはどうやら一瞬のことだったが、宇宙人の価値観というものが理解できた。つまり死というものは『そういうものなのだ』。
「でもあそこには涼宮さんが居たんですよ!?」
出し抜けに朝比奈さんの大きな声が響いたので、俺はビックリしてしまった。
涼宮といえば、宇宙人襲来に混乱する教室で、でかい声で自己紹介をして居た、俺の席の後ろに座って居た女も涼宮という名前を名乗っていた気がする。
「地球人は未だに三年前の時空震のことを気にしてたの?宇宙じゃそんなの日常茶飯事じゃない」
長門有希が口を挟む
「数年前にもインキュベーターがうっかりミスで地球を滅ぼすところだった」
朝比奈さんはオロオロしながらもどこか納得できないようで、
「でも、でも…」
と反論の糸口を探ろうとしていた。
「それに地球を管理してるドグラ星の王子にも許可をもらってるわよ」
俺は地球が宇宙人に管理されている、と言うことと、宇宙人の社会にも王政がある、と言うことを知り愕然とした。
どうやら喧々諤々の議論が続きそうなので、またも長門有希の方に目を移すと、彼女はパフェを食べ終えてメニューをじっくりと眺めている最中だった。
長門有希の目線が、一つの写真に注がれていることに気づくと、俺は、
「カレー、食べたいのか?」
と、そう、宇宙人に問いかけたのだった。
ところで、この話には素晴らしいオチがあったはずなのだが、どういうわけか忘れてしまった。
「不確定世界の長門有希物語」完
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