終末期の赤い長門有希

 長門とぼんやりと怠惰な土曜の昼下がりを過ごしていると朝比奈さんが現れてこう言った。

「今日はキョンくんに未来の世界を見てもらいます」

出し抜けな提案に、俺は驚天動地した。俺は天であり地である釈迦なので、この用法は何も間違っていない。

「じゃあ、目をつぶってください、行きますよ」

有無を言わせずに朝比奈さんはお得意のPTSDを使って俺を未来の世界に連れ去ったのである。

「…わぁ〜お姉さん未来の世界ってこうなっているんだね」

そうだねモグタン!違った、長門だった。急にモグタンの声真似をするなというのに。なぜ長門がここにいるのか、ということは、いつも通りの天丼ネタなのであえて突っ込まないことにした。

 しかし改めて辺りを見回すと、そこはぺんぺん草一本生えない荒野で、そこら中に転がる赤紫のゲル状の塊と、ところどころ黒く煤けたビルの残骸が目に入るばかりだった。

「あれが西暦4872年の人間の姿です」

朝比奈さんは時折内部からゴポリと気泡を吐き出す赤紫のゲル状の塊を指差して言った。

「未来では高濃度に化学汚染された大気に人間の体が適応することができず、人間は自分たちの手で人類をあの赤紫のゲル状生物に変質させたんです」

ショッキングな話であったので、俺は随分長いこと状況を飲み込めずにいたが、長門が、

「未来では常識、あなたは遅れている」

と言い放ったので、俺は信じることにした。いくら2856年ほど時代遅れになっていたとしてもナウい感性は維持して行きたいじゃないか。

ふと足元に当たったプラスチックの破片を見てなんとなく朝比奈さんに、

「これはなんですか?」

と尋ねると

「それはプラスチックの破片です」

と言った。

長門がまたしても、

「あなたの常識の無さには呆れ果てる」

と言ったので、俺は長門をつねった。

「4000年代初頭に起こったバイオハザードの影響で、地上の植物はほとんど絶滅してしまいました」

それだけではこの荒廃具合は説明がつかない気がするが…

「植物の絶滅で問題になったのは、植物を主な食料とする牛の絶滅です。3000年代おわりの第27次世界大戦の影響で世界はマーフィーの法則を応用したバター猫タービンによる永久エネルギー世代に突入していたため、バターが生産できなくなった人類は大きなエネルギー問題に直面します。」

 俺は一つの疑問に思い当たった、バターがないなら、マーガリンやジャムを使えばいいのではないだろうか。しかしその小さな希望も、朝比奈さんの次の言葉で打ち砕かれることになるとは俺は予想だにしていなかったのだ。

「マーガリンも、ジャムも、植物がないと生産できません」

なんてことだ、かくしてバターを塗ったパンと猫によって支えられてきた人間の営みはもろくも崩れ去ったと言うわけだ。

「核エネルギーも石油も、3000年代初頭には使い尽くされてしまっていました、加速度的な人類の進歩が逆に人類の首を絞めることになったんです、水素燃料も製造過程で二酸化炭素を大量に排出することから、人類の死期を結果的に早めるとして禁止されていました」

そんな現実を知ってしまった俺は、帰ったら絶対にテレビをつけっぱなしにしたり、コタツで寝たりしないぞ、と心に誓ったのだった。

「4200年代には、酸素濃度が人間の活動できる限界近くまで下がっていました。宇宙へ進出する、と言う選択肢も残るには残っていたのですが、最新鋭のシャトルはほとんどがバター猫タービンを動力源にしていましたし、旧来型のロケットは博物館などに数隻現存したものの、運用技術が失われて久しく、現実的ではありませんでした、こうして人類は、より低い酸素濃度で生活できるように自分たち自身の体の方を変化させることを選択したんです」

それがこの赤紫のゲル状生物だとは…。俺は絶望で、目の前が真っ暗になる気持ちだった。

「有効酸素濃度が低い、と言うことは、生命としての活動を著しく制限されることになります。つまりその赤紫のゲル状生物は、ほとんど何も考えることもできず、ただ、そこに生きているだけの存在なんですよ」

何か、何か希望はないのか、俺はこんな絶望的な未来のために生きているわけじゃないんだ。宇宙人がやってきて抜本的な解決策を提示してくれるとか、そう言う奇跡は起こらなかったのか。

「宇宙人などいない」

そうか、長門が言うと説得力があるな。

そうして未来の世界を観光者さながらに見て回った俺たちは、旅の終点で海岸に埋もれる自由の女神像を見つけるのだった。

なんてことだ!ここはアメリカだったんだ!


「終末期の赤い長門有希」完

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