月は無慈悲な夜の長門有希
長門はかつて過去現在未来全ての自分と同期していたという、それはつまり自分がこれからなにをするのか、周りの人間がなにをするかということがわかっていたことになる。そういえばかつて、長門が読んだという「タイタンの妖女」という小説の話を聞いたことがある。
その小説に出てくる変なじいさんは時空の狭間だがなんだかに飲み込まれ、過去現在未来全てに偏在する神のような存在になってしまったのだという。しかし、人々の運命というのは複雑に絡み合った糸のようなもので元々1人の人間だったそのじいさんがなにをしようと変えられるようなものではないらしい。長門の話の中で最も印象的だったのは、『ジェットコースターに乗っている人間がジェットコースターの終着点を知っていたとして、なにができるだろうか』というような言葉だった。わざわざそんな話を俺に聞かせたということは、長門なりのメッセージだったのではないか、と、今となっては思うのだ。
あの冬の事件以来、長門は未来の自分と同期することはやめているというが、それは記憶という形で、やはり長門の中に残っているのではないだろうか。と言う訳で、俺は少しばかり長門に対して小さないたずらをしてみようと思い立った訳である。
部室に入るといつものごとく長門が1人で本を読んでいた。これはもちろん俺の段取りで、ハルヒはカエルは睨み続けると油を体から分泌しその油は全ての傷を治す万能薬になる、という話を聞かせたところ意気揚々とリストカットした手首から血を垂れ流しながらカエルとにらめっこを続けているし、朝比奈さんは俺の掘った18メートルの落とし穴にはまっているので、とても部室に来られる状況ではあるまい、古泉はつまらないギャグを言ったので16トンの重りで潰した。
かくして本来ならあり得なかった、長門が1人で部室で本を読んでいる、という状況を作り上げた訳である。
長門はしばらく俺の方を見てから、また本に目を落とした。普通の人が見たらいつも通りの長門である、と判断するだろうが、もはや熟練の域に達した長門マイスターである俺は長門のわずかな変化、目を若干泳がせ、額にやや汗をかいているという状況を見逃さなかった。
俺は長門の方に歩を進め、屈みこんで長門の顔を覗き込んでみた。
「…なに?」
俺はここでなにも言葉を発しないことを選んだ、沈黙は金と言うしな。そうして沈黙が短く見積もっても5分ほど経った頃、長門の動揺は明らかに見て取れるくらいに拡大したように見えた。
「…」
とはいえ長門は変化は目をちらほら逸らすくらいのものでそこまで大きな動揺を見せているとは言い難いものだった。俺は長門から離れると、いつもの定位置に座り、オセロのボードを取り出した。
長門が不安そうにじっとこっちを見ているが俺はそんな目線を気にしていないかのようにオセロの駒を縦に積み上げ、白黒白黒と七回続いた後に黒白と逆さまの駒を挟んで見たり、積み上がったオセロの駒の4段目を崩さないように引き抜いてみたり(これはどう考えても失敗で、縦一列に積み上がったオセロの駒は普通に崩れてしまった)、その反省を生かして今度は交差する形でオセロの駒を積み上げてまた崩してみたり、オセロの白黒をモールス信号に見立て、SOSのサインを盤面に並べてみたりした。突然意味のわからない行動を無言で始めた俺に、長門は相当当惑したのか、ソワソワとこちらを確認するような仕草を繰り返している。額には大玉の汗を滲ませ、目はどこか虚ろになっている。
「…それ」
長門はついに立ち上がり、オセロの盤面を指差して発言した。俺は断固答えず。オセロの駒で築かれたオセロ王国を作ることに夢中になっている振りを続けた。長門がこちらに興味を持ったことを確認し、俺はオセロの駒に将棋の駒を混ぜて、将棋オセロなる自分が今考案した遊びを始めた。
「あなたはなにをしている?」
長門は頑として自分を無視する俺に対して不満と不安をないまぜにした表情で俺に問いかけるが、俺は、まさかここでオセロの白に銀将が挟まれて成ってしまうとは…などと別のことを考える事に徹していた。盤面は黒優勢、王手2手前、白チェックメイトで、相当煮詰まってきている。
盤面の煮詰まり具合と同時に、長門が先を予測できない不安でストレスを溜めていることを察する。
「あなたはなにをしている?」
長門が同じことを2度言った。これは相当なストレスを感じている証左だろう。俺はなおも無視を続け、盤面を進める事に徹した。将棋の駒はルール通りにしか動けないのに、オセロの駒は盤面のどこにでも置けるので、どう考えても将棋が不利だな、などと言うことを考えていた。
「きいてほしい」
長門が業を煮やしてか、やや顔を赤くして強い調子で俺の肩に手を置いて言った。
俺は黒に王将の右隣を取られて汲々としておりそれどころではなかった。そもそもオセロ側はどうやったら負けなんだ?などと益もない事を延々と考えていると長門はオセロの盤に手をかけてそれをひっくり返した。これは俺も見たことのない長門一面であった。俺は面食らった。
「現在の事象に予測不可能な異変が生じている、あなたの行動も不可解、これはエラー?」
俺は長門の方をじっと見ながらおもむろに立ち上がった。さも、もう少しで決着を見ようとしていた将棋オセロの盤面をひっくり返されたことで怒っているような表情で長門にゆっくりと詰め寄っていく。
「…????????」
長門は少し怯えるような表情を見せると後ずさりしながら口を開いた。
「…盤面をひっくり返したことは謝る、謝るから話を聞いてほしい」
俺は無言のまま長門に一歩また一歩と詰め寄っていく。
「ままま、まつがよい、まつがよい…さっきのことに関しては私が全面的に悪い、でも今はそれどころではない、聞いてほしい、未来が予測される状況と大きく異なっている…早く修正しないと大変なことになる…」
口元もおぼつかない長門は、目に見えるほど汗をだくだくと流し、目は今にもバタフライで世界記録を叩き出すのではないかと言うほどに泳いでいる。体はガタガタと震えている。なんだか俺は長門が可哀想になってしまったので、この辺りでこのいたずらを終わらせることにした。
「冗談だ」
「まつがよい、まつが…」
長門は俺がなんと言ったのかを理解したのか、ゆっくりと平静を取り戻していくと
「全て予測された事象、あなたの冗談だと言うことも実は最初からわかっていた」
と言った。
それから俺たちはもう暗くなりかけた空を見て、ゆっくりと帰り支度をし、部室を後にした。帰り道で朝比奈さんを掘り出しに寄ったが、この時は長門の宇宙人パワーが大活躍だった。地球の反対側のブラジルから朝比奈さんが生還したと言うニュースを聞いた時は俺もたいそう驚いたものだ。ハルヒの姿はその日から見ていない。ただ、ハルヒの机の上に置かれた花瓶と、その花瓶から伸びる、俺が名前を知らない綺麗な花が、風に吹かれて揺れていた情景だけを確かに覚えている。
「月は無慈悲な夜の長門有希」完
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