第243話 ある少女②

「止まれ」


 魔王城へ向かった彼女は、当然の如く、その入り口の門で門番に止められる。


「人間のメスがたった一人で何の用だ? 食べられに来たっていうなら、俺が食ってやってもいいぞ。ニンゲンの癖に魔族並みの外見してるから、別の意味でも食ってやったあとでな。ガハハ」


 そう言いながら下卑た目で彼女の体を舐め回すように見る門番。


 本来嫌悪するはずのその視線に、彼女は笑顔で返す。


「魔王様にお目通できないでしょうか? 大変重要なお話があるので」


 彼女の言葉に門番は鼻で笑う。


「見ず知らずのニンゲンのメスなど、魔王様に会わせるわけないだろ」


 門番の言葉に彼女は残念そうな顔をする。


「そうですか。神の力を与えられ、魔王様を倒そうとする者たちに関する情報をお伝えきたのですが。もし魔王様に何かあれば、貴方の責任ですからね。私は魔族の皆様にいつ食べられるか分からないので、帰ります」


 彼女の言葉に、顔を青くする門番。

 そんな門番に背を向け、帰ろうとする彼女。


「ち、ちょっと待て」


 門番がもう一人の門番に話をし、バタバタとその場を去ってしばらくすると、明らかに膨大な魔力を秘めた魔族を伴って帰ってきた。


「この方は魔王様の側近の四魔貴族だ。この方がお前の話を聞いてくださる」


 彼女は、その四魔貴族を見定めるように見た後、首を横に振る。


「魔王様に直接お目通りさせてください」


 彼女の言葉に、怒りをあらわにする四魔貴族。


「ならぬ。どうしても話さぬと言うのなら、無理やり口を割らしてもよいのだぞ?」


 そう言って、魔力を高める四魔貴族相手に、震えそうになる膝を何とか抑えながら彼女は答える。


「それなら私は自害します。その場合、今度は貴方のせいで魔王様に危険が訪れることになりますが」


 彼女の言葉に、じっと彼女の目を見る四魔貴族。


「いいだろう。そこまで言うのなら連れて行ってやる。だが、怪しいそぶりを見せたら、すぐにその首が飛ぶことを覚えているがよい」


 四魔貴族の言葉に、深々と頭を下げる彼女。


「ありがとうございます」


 下を向きながら、彼女がニヤリと微笑んだことに、四魔貴族も門番も気付かなかった。


 魔王の間に通された彼女は、眼前の王座に座る魔王を見て、そのあまりに膨大な魔力と威厳に、膝を降りそうになる。


 だが、それを何とか堪えて魔王へ告げた。


「畏れ多くも魔王様。魔王様へお伝えしたいことがございます」


 彼女の言葉に、魔王は尊大な様子でひと言答える。


「申せ」


 魔王の言葉に頷く彼女。


「すでにそこにいらっしゃる四魔貴族様からお聞きになられているかもしれませんが、神の使いとして魔王様を倒そうとしている人間についてご報告があります。私はその人間たちの隠れ家を知っています。今はまだ脅威ではございませんが、特別な力を神から与えられており、そのうち実力をつけるかもしれません。隠れ家をお伝えしますので、今のうちにその人間たちを倒されるようお勧めします」


 彼女の言葉を聞いた魔王は、不審の目を彼女へ向ける。


「お前も同じ人間で、捕食者である魔族のことは憎んでいるはずだ。そんなお前のことを信用するはずはないだろう?」


 魔王の言葉に、彼女は目に涙を浮かべる。


「私は、その人間たちによって獣人へ売られました。獣人の盗賊の慰み物となりました。純潔を散らされ、野蛮な獣に毎日犯され、淫靡なことを強制されました。私は……私をそんな目に合わせた人間たちに復讐したいのです」


 彼女はそう言うと、縋るように魔王を見る。


「私のように獣人に犯され続けて汚れた女の言葉なんてお聞かせしてしまい、申し訳ございません。でも、私のこととは無関係に、私をこんな目に合わせた元凶の人間たちが、魔王様を倒そうとしているのは事実です。今ならまだ準備が整っておりません。どうか、どうか魔王様まであの人間たちの手に落ちないよう、討伐をお願いします」


 彼女の目から滴る涙を、王座から降りた魔王は優しく拭う。


「お前の涙に嘘がないことは分かった。場所だけ教えろ。あとは余が対応する。お前には部屋を与えるからしばらく休むが良い」


 魔王の言葉に、聖女のような微笑みを浮かべる彼女。


 彼女の涙に嘘はない。

 仕方なかっとはいえ、獣人の頭に毎晩犯され続けるのは辛かったし、悔しかったし、耐え難かったのは事実だ。


 ただ、その言葉には嘘が散りばめられている。

 彼女は世渡りのために、嘘をつくのを厭わない。


 上手な嘘のコツというのは、その話の中へ、いかに真実を混ぜるかにある。

 真実が含まれた嘘には、本当の感情が混ざり、見破られにくくなる。

 そこに称号の力を加えた彼女の嘘は強力だ。


 相手の心を見抜くのに長けたはずの魔王すら騙せるほどに。


 彼女は与えられた部屋で数日を過ごす。

 彼女の生活は魔王の指示によって何不自由なく保証された。


 数日後、戻ってきた魔王は彼女の部屋に入って告げる。


「お前を嵌めた者たちは一人残らず殺してきた。……それでお前が救われるわけではないだろうが」


 そう告げた魔王へ、彼女は抱きつく。


「……ありがとうございます! これで少しだけ救われます」


 そう言って目に涙を浮かべながら彼女が魔王の顔を見上げると、彼女のことをじっと見ていた魔王と目が合う。

 それに気付いた魔王が慌てて目を逸らす。


 魔族の男は、強い女が好きだと思われている。

 そしてそれは、子孫を残すという観点では間違っていなかった。


 だが、庇護欲がないわけではない。

 弱々しく儚げで美しいものに惹かれないわけではない。


 彼女はそれに気付き、そしてその感情を利用する。


「魔王様にもう一つだけお願いがございます」


 そう上目遣いにお願いする彼女をチラッとだけ見て魔王は答える。


「何だ?」


 平静を装う魔王へ、彼女は囁く。


「今夜だけで結構ですので、お情けをいただけないでしょうか。獣に穢された身なので、無理にとは申し上げられませんが……」







 魔王に抱かれた彼女は、書き置きを残して魔王の城を去る。


『私は獣のもとへ戻ります。私がここにいることが獣の耳に入りますと、魔王様へご迷惑をお掛けしてしまうかもしれませんので。最後にお情けをいただき、私は幸せです。たった一晩だけで共にさせていただいた身に過ぎませんが、私は魔王様をお慕い申し上げております。本当にありがとうございました』


 魔王の城を後にした彼女は、獣人の盗賊の頭のもとへ戻る。


 何があったのかを問いただそうとする頭が口を開くより早く、彼女は大粒の涙を流しながら土下座した。


「すみません。私は魔王の手によって穢されてしまいました。もうお頭のものではいられません」


 詳細を聞く頭へ彼女は、魔王が頭の配下を殺し、自分を魔王城へ攫った後、無理やり犯したと伝える。


 それを聞いて激昂する頭。


「今すぐ魔王を殺してやる!」


 頭の発言を聞いて慌てる配下たち。


「お頭は確かに強いですが、魔王は別格です!」


 それでも納得しない頭。


「俺たちは盗賊だ。盗賊が自分のものを盗まれるなんて恥以外の何者でもない! メンツがなくなれば俺たちはお終いだ。負けるのが怖くて盗賊なんてやってられるか!」


 頭の言葉に、発奮し、士気を上げる獣人の盗賊たち。


「ありがとうございます、お頭。私なんかのために……」


 彼女の言葉を聞いた頭は、その毛むくじゃらの頬を赤らめる。


「お、お前なんかのためじゃない。メンツのためだと言ってるだろ」


 そんな頭の頬へ口付けする彼女。


「それでも大好きです」


ーー簡単に騙される馬鹿な貴方が。


 彼女は心の中でそう呟く。


 彼女の見立てでは、頭では魔王には敵わない。

 だが、獣化した頭の強さは、四魔貴族以上かもしれないと読んでいた。


 恐らく負けるが、それなりにいい戦いをする。


 それが彼女の読みだった。


 頭が勝つなら勝つでいい。

 ……魔王へのトドメさえ、自分がさせれば。


 戦うと決めた頭の行動は早かった。


 その日のうちに盗賊団を引き連れ、魔王城へ向かう頭たち。


 彼女もそれにそっと着いて行く。


 魔王城へ着いた頭は大声で叫ぶ。


「人の女を盗むクズはいるか!」


 その言葉を聞いた魔王が配下を引き連れて城の扉を開くと、頭の前へと歩み出る。


「貴様か。力付くで女を手篭めにするしか脳のない野蛮な獣は」


 魔王の言葉を頭は鼻で笑う。


「力付く? それはお前だろ? あいつは俺のために喜んで股を開くぞ」


 その言葉を聞いた魔王は静かに激昂し、そして、宣戦布告もせずに殴りかかった。


 その拳を難なく躱す頭。


「貴様のような獣にあの女は譲れぬ。余が誅してくれよう」


 その拳をかい潜りながら、頭が答える。


「黙れ。俺の女に手を出したこと、あの世で後悔させてやる」


 激闘を繰り広げる魔王と頭。

 その周囲でも、魔王の配下の魔族軍と、頭の配下の獣人の盗賊たちが激しい戦いを行なっていた。


 それを遠目に見つめる彼女。

 ……その口元に悪魔のような笑みを浮かべながら。


 初めは拮抗していたかに見えた戦闘も、自力に勝る魔王軍が徐々に押し始めた。


 そして……。


ーーグサッーー


 魔王の剣が頭の胸を貫く。


「……あ……か……」


 頭の手が力無く伸び、そしてだらりと垂れる。


 頭を失った盗賊団には、それ以上戦う気力も理由もなく、散り散りに逃げ去っていった。


 残されたのは、強敵を相手に深傷を負った魔王と、死傷者を大勢出した魔王軍だった。


 彼女は魔王軍の方へ歩み寄ると、魔王軍全体に治癒の魔法をかける。


 彼らの傷の深さに対して、その魔法の効果はほとんどないに等しかったが、魔族に比べると明らかに少ない魔力を限界まで振り絞った彼女に対し、魔族たちは心を奪われた。


 魔力枯渇のためにふらふらになりながら、彼女は魔王の元へ歩み寄る。


 その場に倒れた頭の亡骸には目もくれず、彼女は魔王に近づくと、傷だらけの魔王を優しく抱きしめた。


「私のためにありがとうございます」


 魔王も血塗れの腕で彼女を抱き返す。


「お前のためではない。愚かにも余の城へ敵が攻めてきたから、返り討ちにしただけだ」


 口ではそう言いながら、彼女を抱くその腕には、間違いなく愛情が乗っていた。


 その日の夜、彼女は魔王の寝所を訪れる。

 彼女を知り、無理をして自分たちに回復魔法を施したことを知る魔族は、誰も彼女を止めようとしない。


 寝所に訪れた彼女へ、魔王が申し訳なさそうな顔をする。


「悪いが、余の魔力をもっても、この傷はすぐには治らぬ。今宵はお前の相手はしてやれぬ」


 魔王の言葉に、彼女は聖女のような微笑みで答える。


「はい。ただ、どうしても今夜は魔王様のお側にいたかったので。一緒に寝るだけでもお許しいただけないでしょうか?」


 彼女の言葉に頷く魔王。


「いいだろう」


 そう答えた魔王のベットにそっと入り、魔王へ寄り添う彼女。


「……やはり駄目だ。お前が隣にいては、昂って眠れぬ」


 頬を赤らめながらそう告げる魔王の頭を優しくなで、柔らかく唇を重ねた彼女は囁く。


「それではお口で鎮めて差し上げます」


 彼女は魔王の纏うバスローブのような服の前を開くと、傷に響かないように、そっと下着を脱がせる。


 既に熱り勃った魔王のそれを、優しく口で包み込み……そして魔力を通わせた歯で噛み切った。


「ぐッ!」


 一瞬遅れてくる痛みに、何が起きたか分からない魔王が悲鳴を上げると同時に、彼女は噛み切った肉の先を、魔王の顔へ吐き捨てる。


 ドクドクと血を流し続ける下半身を一瞥しながら、彼女は魔王の傷のうち、一番深手のところに右手を置く。


「な、なぜこんなことを……。余は、お前を妻に迎え入れようとさえ思っていたのに」


 魔王の言葉に、首を傾げる彼女。


「……うーん。貴方、顔もいいし、夜の方もあの獣と違って紳士的で悪くはないんだけど……」


 そう言った後、悪魔のような笑みを浮かべる彼女。


「貴方、魔王だから。私、どうしても叶えたい願いがあるから、魔王をこの手で殺さないといけないの」


 そう言いながら、魔力を高めて行く彼女、


「普通に戦っても貴方には絶対勝てない。誰かと戦って身体的にボロボロになってもらって、その上で、油断してもらう必要があったの。まさかこんなに上手く行くとは思わなかったけど」


 彼女は、魔王の傷口に巻かれた包帯を力付くで引きちぎると、生々しい傷口に右手を突っ込む。


「ぐわアッ!」


 あまりの痛みに叫ぶ魔王。


「貴方なら、私のことなんて簡単に殺せるんでしょうけど、私も今この状況でなら貴方を殺せる手段を一つだけ持ってるの」


 彼女はそう言うと、呟くように口を開く。


『ディストラクション』


 その瞬間、魔王の寝所は眩ゆい光に包まれ、魔王の傷口にねじ込まれた右手ごと、魔王の体が跡形もなく破壊された。

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