第241話 戦場の奴隷④

 空からゆっくりと舞い降りる美しい女性。


 その姿は、目の前の聖女を装う悪魔より清らかで、俺たちをこの世界へ招いた女神もどきより神々しかった。


 知らなければ、誰もこの美しい女性が、千年誰にも負けたことのない最強の魔王だとは思わないだろう。


 誰からも返事のないことを確認した魔王、ミホは、ゆっくりと俺の方へ近づくと、首を傾げながら、覗き込むように俺の目を見る。


「遅かったから迎えに来ちゃった」


 そう言ってペロリと舌を出しながら微笑むミホは、場違いに可愛らしかった。


 ミホはそう言った後、周りを見渡す。


「私たちの式に呼ぶのは、ここにいるみんなってわけじゃないよね?」


 そう俺に尋ねるミホへ俺が返事をする前に、聖女を装った悪魔が、声を上げる。


「魔王!」


 そんな悪魔へ、ミホは全てが凍てつくような冷たい目を返す。

 その急激な変化に、空気までもが凍り、その場にいた俺を除く全員が、びくりとして震え出す。


「……私は今、ユーキくんとお話してるの。邪魔をするなら殺すわよ」


 その言葉に怯みつつも、なんとか言い返す、聖女を装った悪魔。


「し、死ぬのは貴女です。貴女のことは元の世界の時から気に食いませんでした。神に仕える身である私を差し置いて、貴女の方が聖女みたいだなんて話まで出てましたから」


 その言葉を聞いたミホの表情が少しだけ緩み、それに伴い周りの空気の冷たさも少しだけ緩和される。


「……貴女、もしかして生徒会長?」


 ミホの言葉に、自分を認識してもらえたのが嬉しかったのか、少し余裕を取り戻す聖女を装った悪魔。


「そ、そうです。元ですが。今はこの世界を救う聖女です」


 そう言って微笑む元生徒会長を見て、ミホはぷっと吹き出す。


「貴女が世界を救う? 元の世界でも聖女ぶってたけど、自分が大好き過ぎて自己中の貴女が? 貴女のことを聖女だなんて思ってたのは貴女自身と一部の信者だけよ」


 ミホの言葉を聞いた元生徒会は、一瞬固まった後、その白い肌をみるみる赤く変え、真っ赤になって怒る。


「そ、そんなこことありません! 今も昔も、私は聖女。皆様から慕われ尊崇される存在です!」


 そう言って後ろを控えり、反応を伺う元生徒会。


 だが、僧侶のような服装の男をはじめとした数人を除き、目を逸らす彼女の仲間たち。


「あ、貴方たち……」


 ワナワナと震え、怒りの矛先を、後ろに控える彼女の仲間たちへと広げる元生徒会。


 だが、何かを思い直したのか、元生徒会は深呼吸して自らを落ち着かせると、ミホの方へ向き直る。


「貴女が私のことをどう思っていようと、周りが私のことをどう思っていようと、それは些細なことです。貴女は今ここで滅び、そして私は私の願いを叶える。それは決定事項なのですから」


 元生徒会は、両手を広げ、芝居がかった仕草で天を仰ぐ。


「私が無傷で魔力も残っていて。まだまだ信徒たちが十分揃った状態で。貴女が大魔王の称号なしで現れた。それでこちらの勝利条件は揃っているのです」


 そう言って、再び悪魔のような笑みを浮かべる女。


「さあ、信徒の皆さん。神の元へ赴く時です。皆さんの命をもって魔王を倒し、この世界に平和をもたらしましょう」


ーーまずい!


 そう思った俺は、元生徒会が女神もどきを降臨させる前にどうにかしようと、慌てて右手を前に出す。


 あの女が命を犠牲に女神もどきを降臨させるのを俺が知っていることは、相手は知らない。

 だから、今攻撃すればまだどうにかなる。


 そう考えた俺だったが、俺が攻撃するより早く動く者がいた。


『団体旅行(グループツアー)』


 その言葉と同時に、何万人もいたはずの敵の兵士たちが忽然と姿を消す。


「……へ?」


 何が起きたかわからず、情けない声をあげる元生徒会長。


 分かったのは、俺たちを悩ませ続けていた敵の魔力補充が、これでできなくなったことだ。

 これなら例え女神もどきが降臨してきても、一度倒せば済む。


 前回の世界線で見た女神もどきは確かにミホよりも魔力量が多かった。

 だが、覆せないほどの差ではない。


 こちらが有利とまでは言わないが、悲観するほどの戦力差じゃなかった。


 呆然とする元生徒会長をよそに、ヨミの姿をした眼鏡の十二貴族が、少女を睨みつける。


「……お前、裏切ったのか? そもそも大人数の移動はできないんじゃなかったのか?」


 そんな眼鏡の十二貴族の言葉に、何度か見たことのある、移動能力を持った少女が答える。


「裏切り? 先に裏切ったのはグライン様……いいえ、グラインたちでしょ? 私は身の安全を守ってもらうために貴方たちに味方した。それなのに……」


 少女は、無数に横たわる元クラスメイトたちの亡骸に目を向け、悲しそうな表情をする。


「それなのに貴方たちは、自分たちの役に立たなくなったクラスメイトたちを殺した。これじゃあ私もいつ殺されるか分からない。それに……」


 少女はそう言うと、俺とミホを見る。


「貴女たち、負けそうだから。私は生き残りたいだけ。それなら勝ちそうな方に味方するのが当然でしょ?」


 そう言ってバカにしたような笑みを浮かべる少女。


「ふざけるな!」


 怒鳴りながら剣を振るうヨミの姿をした眼鏡の十二貴族。


 斬撃に魔力を乗せた攻撃は、風の魔法となって少女を襲う。


 だが……


 攻撃が届く頃には、そこに少女の姿はなかった。


 ふと横を見ると、そこには瞬間移動してきた少女がいた。


「ハル! お前、移動には条件があるって……」


 そう言ってハルと呼ばれた少女を睨みつけるヨミの姿をした眼鏡の十二貴族。


 そんな相手へ、ハルは肩をすくめる。


「いつ切り捨てられるか分からない信用できない相手に、馬鹿正直に能力の全てを話すわけないでしょ? 人数制限も条件も、貴方たちにいいように使われないための方便よ」


 ハルはそう言うと、元生徒会長と眼鏡の十二貴族以外の仲間たちに向かって声をかける。


「みんなも! その人たちに付いていると、いつ殺されるか分からないよ。確かに魔王……ミホちゃんを倒さないと、元の世界に帰れないし、願いも叶えてもらえない。でも、いつ殺されるか分からずにビクビク生きるよりいいんじゃない?」


 ハルは俺の目を見る。


「この人は優しい。きっと戦いをやめるなら、悪いようにはしないはずよ」


 こう言われてしまうと、こちらにはもう、ハルや他の寝返ってくるであろう敵たちを、殺すことはできない。

 まあ、もともと俺は殺すつもりなんてなかったが。


「もちろんだ。降伏者には王国での安全な暮らしを保障する。色々言う奴はいるだろうが、こっちには強力な後ろ盾があるからな」


 そう言って俺はミホの方を向く。


「そうね。旦那様がそう言うなら、妻の私は従うしかないね」


 また後ろからのカレンたちの視線が後頭部に刺さっている気がするが、今は仕方ない。


 俺とミホの言葉を聞いた眼鏡の十二貴族と元生徒会長以外の敵が、お互い顔を見合わせ始める。


 元生徒会を信奉する一部のメンバーは憤慨していたが、それ以外の多くは迷っているようだった。

 目の前で数多くの仲間たちが殺されたのだ。

 無条件で信じる気持ちは無くなって当然だろう。


 チラホラとこちらの方へ歩いてくる敵のメンバー。

 最終的に十人ほどを残して、残りは全員こちらの側へ付いた。


 それを見た眼鏡の十二貴族は、その姿を元に戻し、元生徒会の方を向く。


「……聖女様。さすがにこれじゃ、計画通りにはいかない。残念ではあるが、ここは降参するしかないんじゃないか?」


 その言葉を聞いた元生徒会が、その整った顔を歪めて首を傾げる。


「……は? 貴方まで何言ってるの?」


 元生徒会は、眼鏡の十二貴族を押しのけるように前に来ると、こちらへ寝返った元仲間たちを睨みつける。


「……神を裏切った愚か者たち。貴方たちには天罰が下りますよ?」


 元生徒会の言葉を、こちらへ来たメンバーの一人が鼻で笑う。


「あんたには、あんたが強いから従わざるを得なかっただけだ。そうじゃなきゃ、あんたみたいなイカれ女、誰が言うこと聞くか」


 そんなメンバーに対し、見覚えのあるチンピラ風の男が止めるような仕草を見せる。


「やめておけ。結局お前も、甘い汁吸えると思ったからあの女と眼鏡に従ってたんだろ。確かにあいつらはイカれてるが、劣勢になった途端裏切ったのは間違いない。俺も含めてな」


 チンピラ風の男はそう言うと、元生徒会長の方へ残ったメンバーたちへ声をかける。


「お前たちも悪いこと言わないからこっちへ来い。こっちだと甘い汁は吸えないだろうが、殺されもしないだろう。そっちに残ればいつ殺されてもおかしくないぞ」


 チンピラ風の男の言葉に対し、元生徒会長の隣にいた、占い師風の女が口を開く。


「運命はまだ聖女様に傾いています。魔王に見えるのは滅びの未来。私が寝返る理由が見当たりません」


 さらにその隣に立つ男が口を開く。


「俺がこっちに残っている以上、最後に勝つのは聖女様だ。悪い事は言わない。死にたくなければお前たちこそこちらへ戻ってこい」


 最後に、しばらくの間沈黙を保ってきたナミが告げる。


「裏切り者が炙り出せて逆に良かった。この人たちが言うように、最後に勝つのは聖女様。確かに計画通りではないけど、私は最後に、魔王が無惨に死ぬのであればなんでもいい」


 それらの言葉を聞いた元生徒会長は、聖女としての笑顔の仮面を外し、不機嫌さを隠さないまま眼鏡の十二貴族を見る。


「……ということで。私はこれから裏切り者ごと魔王とその配下たちへ天罰を下しますが、異論はございませんね?」


 その言葉に、眼鏡の十二貴族は顔を顰めた。


「……異論はある。だが、どうせ聖女様は俺がなんと言おうが自分の考えを曲げないんだろ? さっきも言った通り、俺はもう、諦めて降参したほうがいいと思ってるが」


 元生徒会長は、眼鏡の十二貴族を睨みつける。


「悪に屈するなんていう選択肢はございません。例え我が身を捧げることになろうとも、私は悪を討ち滅ぼします」


 そんな元生徒会長相手に肩をすくめる。


「それなら俺は邪魔はしない。こいつらを皆殺しにしてしまうと、俺の願いは実現しなくなる。だからもう降参してもいいと思っている。だが、俺の作戦は失敗した。だから俺に文句を言う権利はない。だが一言だけ言うとすれば……」


 眼鏡の十二貴族はそう言うと、俺たちの方を向き、哀れなものを見る目をする。


「素直に魔王を殺させていれば、滅ぶのは魔族と獣人だけだったのに。この一ヶ月の支配が良かったと思えるくらい、お前たちは地獄を見ることになるぞ」


 敵の寝返りにより、戦力は間違い無くこちらが上になったはずだ。

 敵の負け惜しみに過ぎないはずだ。


 ……それなのに、溢れ出る不安が抑えきれない。


 眼鏡の十二貴族の言葉が終わると、元生徒会長が、ゆっくりと前に出てくる。


「……計画は狂いました」


 とても残念、と言った表情で元生徒会長が告げる。


「その点に関しては、貴方たちの力を認めましょう。……でも。それは無駄なことなのです。最後に勝つのはいつも正しい者です」


 そう告げた元生徒会長の体が光りだす。


「私という存在は消えますけど」


 元生徒会長の体がより光り輝く。


「貴女が滅ぶ瞬間は見れませんけど」


 元生徒会長の体が眩い光に包まれ見えなくなる。


「最悪の魔王は今日滅ぶ」


 前の世界線で見た光景が繰り返され、そして、眼鏡の十二貴族や元生徒会を超える最悪が降臨した。

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