第233話 剣聖
「爺さんの亡骸を戦いに巻き込まれないところへ」
そう言いながら己の目の前に立つ男を見て、ヨミは明らかに不快な表情を浮かべる。
「お前はそこに転がっている首だけの老人より弱い。それは一眼見たときから分かっている。そこの老人が私の目測より強かったのは認める。だが、その老人より弱いお前が、私より強いとは思えない」
『刀神』より弱いと断言された『剣聖』は、全く怒る様子もなく、ヨミへ笑みを返す。
「確かに俺は、この爺さんより弱かった」
『剣聖』は、この一か月を思い出しながら前を向く。
アレスが殺された後、魔族や十二貴族に挑むでもなく過ごした一か月。
その一か月間、『剣聖』は何もしなかったわけではない。
アレスが十二貴族に捕まって以来、牢に幽閉されていた『刀神』ダインの身柄は、『剣聖』が預かっていた。
「立場上、あんたを逃すわけにはいかない。だが、この家から逃さなければ、あんたの扱いは俺に一任されている」
初めて『剣聖』の家に連れてこられた際、そう告げられたものの、意図が読めない『刀神』へ、『剣聖』は告げる。
「あんたには俺の稽古相手になってもらう」
『剣聖』はエディと戦って感じていた。
このままでは己に先はないと。
恥も外聞も忘れ。
誇りも伝統も捨て。
『剣聖』は『刀神』の剣から学ぶことにした。
『剣聖』は、十二貴族たちと共にアレスを襲った際に見た『刀神』の剣に可能性を感じていた。
己より魔力も身体能力も低いのに、己と同じか、それ以上の実力を持った『刀神』の剣。
自分より上位の者と戦うために、必須の技術。
それを『刀神』の剣に感じていた。
「囚われの身である私に選択権はない。だが、稽古で命を落としても責任は持てないぞ」
……それから一か月、『剣聖』は『刀神』に負け続けた。
『剣聖』は決して弱いわけではない。
人間の剣士として最高峰の高みにいるのは間違いなかった。
ただ、大陸中を旅し、様々な相手と戦った経験のある『刀神』の、技の引き出しがあまりに多かったのだ。
初めは十回戦って一回も勝てなかった。
『刀神』と同程度の力を持っていると思っていた『剣聖』のプライドはズタズタに切り裂かれた。
だが、しばらくして十回に一回は勝てるようになり、一ヶ月が経つ頃には、十回戦えば三回か四回は勝てるようになった。
「その歳でここまで吸収できる貴方のセンスは素晴らしい。このままいけば、近い将来、貴方が私を越えるのは間違いないだろう。だが、今この瞬間はまだ私の方ができることが多い。もし強敵と戦うことがあれば、私が先に戦う。そこでしっかり相手の動きを見極め、戦いに活かせ。仮に私が敗れても、貴方ならそれを活かすことができるだろう」
『剣聖』は『刀神』の言葉を思い出しながら剣に魔力を込める。
「ついさっきまでは俺の方が弱かった。だが、今は俺の方が強い」
『剣聖』の言葉に、不快感を隠しもせず、ヨミが吐き捨てるように言葉を返す。
「その老人より強い? ふざけるな。それは老人に対する侮辱だ」
ヨミの言葉には耳を貸さず、『剣聖』は構え続ける。
「口ばかりうるさい女だな。剣士に必要なのは言葉じゃない。お前が俺より強いのなら、さっさと俺を斬り捨てればいい。まあ、そんなことできないがな」
『剣聖』の言葉に激昂するヨミ。
「望み通り斬り捨ててやる!」
言葉と同時に上段に振りかぶった剣へ大量の魔力を込めると、すぐさま『剣聖』へと斬りかかるヨミ。
受ければひとたまりもない攻撃。
そんな攻撃を見て『剣聖』は笑みを浮かべる。
まともに戦えば勝ち目はないのは分かっていた。
どんな攻撃が来るか分からない状態では、技のキレも魔力も上の相手に、対等に戦うことはできない。
だが、怒りに血が上った相手の攻撃は、選択肢が絞られる。
怒りで威力は上がるのかもしれないが、当たらなければ意味がない。
飛び込みながらの、上段からの打ち下ろし。
『剣聖』は『刀神』ダインとの戦いで、何度もその攻撃を受けていた。
剣筋はほぼ同じ。
違うのは込められた魔力の量と速度。
ダインの剣でさえ、受けるのには大きな力を必要とした。
ダインより魔力も速度も上であるヨミの剣を受けることはできないだろうと判断した『剣聖』は、まともには受けずに、刀を横から叩くように受け流す。
軌道と威力が分かっているからこその対応。
ダインとの戦いがなければ、まともに今の攻撃を受けて剣を折られていた。
剣筋を知らなければ、仮に今と同じことをやろうとしても、できない。
軌道を読んで、横から叩いて受け流すなんて芸当、試みることすらなかっただろう。
まさか受け流されるとは予想していなかったヨミ。
だが、それで止まるほどヨミの実力は低くない。
『剣聖』の頭の横で止まった剣を、そのまますぐに少しだけ上げ、再度斜め上から『剣聖』の頭を狙う。
そして、その動きも読んでいた『剣聖』。
またもやまともには受けずに、しゃがむように腰を落として回避する。
剣を振り抜かれていたならそこで終わりだっただろうが、ヨミの刀は、先程まで『剣聖』の頭があった位置で止まる。
『剣聖』はダインと同じ刀神であったというヨミの剣を、ダインと同じものだと推測していた。
そして、それはおおよそ合っていた。
『剣聖』は回避のためにしゃがんだ姿勢のまま、横へ薙ぐように、ヨミの胴を狙って剣を振る。
その攻撃を難なく防ぐヨミ。
ダインが振るった刀神の剣は、頭、前腕、胴、喉を狙ったもので、その動きは無駄がなく、例え防がれても連撃を行ないやすいものだった。
また、防御もその部位を守ることに特化している。
魔物を倒すには、剣を振り抜く必要があるが、刀神の剣には基本的にその動きはない。
人型の相手と戦うために特化した剣術。
知らなければ恐ろしいが、知っていれば対処のしようがある。
『剣聖』は、防がれた剣をそのまま切り返し、ヨミの脛を狙う。
ーーガキンッーー
ヨミは何とか防御するが、その動きは、胴への攻撃を防いだ時とは明らかに反応が違った。
刀神の剣は、足元への攻撃に弱い。
それが、ダインと一ヶ月戦って『剣聖』が得た気付きだった。
防御の姿勢が崩れるヨミ。
そして、その隙を逃す『剣聖』ではない。
いや。
この隙を生み出すために、これまでの一連の動きがあった。
『剣聖』の強さの根幹は、その魔力量と身体能力、そして剣のセンスだけではない。
強くなるためなら、どんなことも厭わないその貪欲さと、誰からでも学ぼうとするその姿勢にある。
その相手はダインに限った話ではない。
己を見直すきっかけを与えてくれた少年も、その対象だ。
魔力を爆発させ、その爆発の推進力を攻撃へと変える技。
己の掌に穴を開け、少年を認めるきっかけとなった技。
『閃光』
眩い輝きが発せられ、『剣聖』の剣の鋒が、ヨミの心臓へと向かって繰り出された。
どれだけヨミの魔力が高く、剣の腕があろうとも、姿勢を崩された状態では反応が遅れる。
同じことが二度も通用しないのは『剣聖』も分かっていた。
だが、初見の今だけは通じる。
あとは、『剣聖』の剣が、高密度の魔力に覆われたヨミの肉体を貫けるかどうかだ。
全てを賭けた『剣聖』の攻撃。
ダインから教わった、全ての魔力を剣に乗せる技術で、『剣聖』の魔力は枯渇寸前ではあった。
だが、最後に繰り出したこの攻撃には、そのおかげもあって師団長から将軍の間くらいの魔力が籠っていた。
『剣聖』は確信する。
この剣は、ヨミに届きうる、と。
次の瞬間、『剣聖』は地に臥していた。
「……え?」
何が起きたか分からない『剣聖』。
体には斬られた様子も、打撃を受けた様子もない。
だが、全身が何かに抑えられたような重圧で、動かすことができなかった。
ヨミが何かをしたのは間違いない。
でも、何をされたか分からない。
今攻撃を受ければ間違いなく己は負ける。
この場はダインに託された場だ。
ダインが命を賭して用意してくれた場だ。
ダインの命と技を紡ぎ、次を担う少年へ、剣の真髄を伝えるための場だ。
何をされたかも分からないまま、地に臥している場合ではない。
なす術なく、上から剣で突き刺されて死ぬわけにはいかない。
せめて、何が起きたか突き止め、次へ繋げる糧になろうと、体を起こそうとする『剣聖』。
何とか前を向くことができた目で、ヨミを見ると、そこには己以上に青褪めた表情のヨミがいた。
ヨミと目が合うことで、己の体の呪縛がとかれていくのをかんじる『剣聖』。
ダインに託されたこの場を無駄にせずに済みそうなことに安心しつつも、魔力が枯渇した状態で何ができるか模索する『剣聖』へ、ヨミが告げる。
……言い訳するように告げる。
「ち、違う。わざとじゃない。私は魔法を使うつもりなど……」
ヨミの言葉で、『剣聖』は自分の身に起きたことを悟る。
地面に相手を縫い付けるような魔法に心当たりはないが、相手は四魔貴族並の実力者。
魔法にそれほど詳しくない自分の知らない魔法なんていくらでもあるだろう、と『剣聖』は思う。
元々これは剣の勝負。
だが、実戦の世界に、剣だけでの勝敗など存在せず、魔法を使ったとしても強い方が強い。
だから、ヨミの特別な力によって、剣だけの勝負だったはずなのに、魔法を使うなんて卑怯だというつもりは『剣聖』にはない。
ただ、それでも……。
『剣聖』は、ふらつく体を起こしながら、目に力を入れ、口を動かす。
「大口叩いといて恥ずかしい限りだが、お前の方が俺より強かったってことだ。俺の首を刎ねるがいい。……だが、一つだけ言っとく」
そう言って、とてもさっきまで地面に縫い付けられた男とは思えないほど自信たっぷりに告げる。
「これから二度と最強の剣士は名乗るんじゃねえぞ。一人で鍛えたって最強になんてなれねえ。人と人を繋いできた歴史があって初めて剣は磨かれる」
エディと戦い、ダインに学んだからこそ言える言葉。
一人で千年鍛えるより、様々な人間が切磋琢磨しながら千年築け上げてきたものの方が上だという確信に満ちた言葉。
だが、その言葉はヨミには本当の意味では届かない。
「私は誰よりも長く剣に時間を注いできた。誰よりも厳しく己を鍛えてきた。その私が負けるはずがない。相手が魔王ならともかく、魔力量の遥かに劣る人間相手に、剣の戦いで反射的に魔法を使うなんてこと、あるはずがない……」
狂った機械のように、自分への言い訳を繰り返すヨミ。
「うるさい、もう黙れ」
そんなヨミの胸から剣が生えた。
「お前は負けたんだ。そして格下の人間相手に負ける奴など必要ない。大人しく殺され、我が力となるがいい」
とても元クラスメートである仲間に向けるものとは思えない冷たい目でヨミを見ながら、眼鏡の十二貴族は告げる。
……その手に持つ剣で、ヨミの心臓を貫きながら。
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