第232話 刀神②
己の前に立ち塞がる二人の人間の剣士を前に、ヨミは不快感を露わにする。
「何のつもりだお前たち? 雀の涙ほどの魔力しか持たないお前たちと遊んでやるほど暇ではない。私はそこにいる、兄と妹と戦わなければならないからな」
ヨミの言葉を聞いたダインは、嘲るように笑う。
「おやおや。『剣士』を名乗りながら、目の前の剣士と戦うのを避け、剣を持たない相手との戦いを望むとは。最強の剣士などというものを目指していたかつての自分より愚かな相手と会えるとは思っていなかった」
ダインの言葉にカチンときた様子のヨミ。
「魔力もない。そしてたかだか数十年しか剣を握っていない人間が。何百年も。昼夜を問わず剣の腕を磨いてきた私と対等に戦えると思うとは。つけ上がりも甚だしい」
ヨミは傲慢ではあったが、言葉自体には、ヨミの方に説得力があった。
実際、エディをはじめ、この場にいるほとんどの者が、『刀神』や『剣聖』が、ヨミに勝てるとは思っていなかった。
それどころか、勝負になるとすら思っていなかった。
だが、そんなことはお構いなしに、ダインは刀を抜く。
「その刀は……」
それを見たヨミが表情を変えて呟く。
「東の果てより我が先祖が持ってきたものだ。初代刀神より代々受け継がれてきたものだと聞く」
ダインの言葉を聞いたヨミは、声をあげて笑う。
「……クククッ、ハハハッ。まさか、その刀がまだ使われているとは」
さっきまでとはうって変わり、面白そうに笑うヨミ。
「いいだろう。その刀の元の持ち主として、引導を渡してやる」
ヨミはそう言うと、ダインのものと瓜二つの刀を抜く。
「勝手につけられた通り名だから、自分で言うのはおかしな気分だが、あえて名乗ろう。『初代刀神』ヨミ。参る」
ヨミの言葉を聞いたダイン師匠も笑みを浮かべる。
「まさか初代様が魔族だったとは……。エディ殿と出会えたことといい、今回のことといい、この歳になってからこうも驚くことがいくつもあるとは。人生とは面白いな」
ダインはそう言うと、表情を引き締めて、刀に魔力を通す。
「『刀神』ダイン。参る」
……そして、誰が考えるまでもなく、ダインが圧倒的に不利なはずの戦いが始まった。
先手はダイン。
その手に持つ刀へ、ダインが魔力を込める。
魔力量も。
動きの速さも。
攻撃の重さも。
全てにおいてヨミがダインを凌駕しているはずだった。
……だが、今エディの目の前にいるダインは、エディの知る師ではなかった。
魔力の量が劇的に増えたわけではない。
ただ、肌を指す、剣気とでもいうべき、ひりつく何かが、エディとの訓練の時とは格段に違っていた。
離れた場にいる者たちの息遣いさえ感じられそうな張り詰めた空気の中、その空気を乱さないようにしているかのように、ゆっくりと刀を上にあげるダイン。
そのあまりにも無駄のなくゆったりとした動きにほとんどの者が目を奪われる中、多少なりとも剣に覚えのある者たちは揃って違和感を感じていた。
ーー殺気が感じられない。
まるで攻撃する意思なく、演舞でも行っているかのような動きに感じる強烈な違和感。
それを一番感じていたのは相対するヨミだった。
今、剣を振るえば勝てる。
殺気どころか警戒心すら感じないダインの動きを見たヨミはそう認識していた。
だが、手を出さない。
いや、無意識に出せなかった。
己に勝てるとはかけらも思っていなかったが、それでもダインが、人間として完成形に近い実力を持っているのは、ヨミにも分かっていた。
そんなダインの、無防備を通り越し、わざと己に切り込ませようとしているとしか思えない動きに、気付かぬうちに躊躇していた。
スローモーションの映画のワンシーンを見ているかのようなダインの動きが止まると、ヨミが口を開く。
「私の剣術にそんな動きはない。何百年も経つ間に、今の動きのような無駄な動きが増えているとは、嘆かわしいばかりだ」
ヨミの言葉を聞いたダインが笑う。
「無駄ではない。現にお前は、私の動きを警戒し、攻撃を躊躇った。そしてお前が、その本質を見抜けずに、表面しか見る力がないことも分かった」
ダインは笑いながら、刀を鞘に収める。
「何百年も、何十代も経てきたのだ。それが、お前がたった一人で磨いてきたものと同じであるはずがない」
ダインの体に、殺気と魔力が漲る。
「魔力も腕力も、そして技のキレも。お前の方が私より遥かに上だろう。だが、私にあってお前にないものがある」
ダインがとるのは居合の構え。
ダインの魔力が鞘にまで流れる。
「それが私がお前と戦える理由だ」
その瞬間、エディには分かった。
エディに背中を向けるダインが、何について話をしているかを。
「私がお前に劣っているところなど一つもない!」
そう怒鳴るヨミ。
「……それだ。その傲慢さ。心技体、その根幹となる心が弱い」
そう告げた瞬間、ダインの刀が爆ぜるように光を発する。
光の原因は膨大な魔力。
鞘を走らせ、刀を抜き、対象に向かって刀を振り抜く。
それだけの動作を突き詰めるのが居合だ。
だが、そこに魔力を加えると、話は変わる。
攻撃力を増すための起爆剤としての魔力。
鞘を走る潤滑油としての魔力。
鞘が破れないよう、カタパルトとしての役割を果たせるように、方向と精度を維持するための魔力。
刀が攻撃に耐えられるよう、武器の強度を上げる魔力。
ただでさえ集中を要する居合いの最中に、ロケット発射並とは言わないまでの、綿密な計算と精度が必要な技術。
それらが凝縮された一撃が、ヨミを襲う。
人間の技の極地。
そこに辿り着いた剣閃。
煌めく閃光は一切の歪みなく、一筋の弧を描き、ヨミを襲った。
……それは一瞬だった。
戦闘中の二人以外で、ダインの攻撃の起こりを目に捉えられたのは、四魔貴族の二人に、リカとヨミ、そして、剣聖とエディの六人だけだった。
その瞬間、ダインの魔力は魔族の将軍並まで高まっていた。
その膨大な魔力を用いられた攻撃は、当たりさえすれば、四魔貴族並の魔力を持つヨミ相手でも通用するものだった。
……当たりさえすれば。
剣に熟練した者や、四魔貴族並の戦闘力を持つ者でもなければ、視界に捉えることすら難しい攻撃。
それは、ヨミをもってしても、同じはずだった。
ヨミは視界には捉えていたが、ダインの剣速より速い動きは取れない。
それでもなお、ヨミは回避行動に出る。
剣による防御は間に合わない。
ダインがどこを狙っているかも分からない以上、勘で避けることもできない。
それでもヨミは、ダインが攻撃を開始した瞬間から回避行動を始めていた。
もはや数百年前のものとなってしまったが、元の世界で学んだ居合に関する知識。
そして、この世界で数百年にわたり積み上げた経験。
その二つを総動員して、ヨミは回避試みる。
居合は初撃が全て。
それさえ回避できれば、残るのは無防備な相手だ。
魔力を足へ集中させ、回避のために背後へ飛ぶヨミ。
刀の長さ。
手の長さ。
魔力の量。
鞘を走る速度。
全てを瞬時に計算しながら行動するヨミ。
確かに相手の攻撃は速い。
想像を超えた攻撃は敵ながら称賛に値する。
……だが。
煌めく剣閃が、ヨミを目掛けて襲いくる。
仮にそのまま無防備で立ったままなら、ヨミの体は真っ二つだっただろう。
全魔力で防御したとしても、それなりの傷を負っていたはずだ。
しかし、その切先は、背後へ退避したヨミの腹部を薄皮一枚切り裂いただけで、そのまま遠ざかっていく。
魔王との戦いを除けば、生まれて初めてといっていい命の危機に、ヨミは内心恐怖を感じたが、今、その危機を回避したことに安堵を見せる。
腹部はヒリヒリするが、致命傷とは程遠い。
ただの人間の身でありながら、己に傷をつけた老人を労いたい気持ちが生まれる。
だが、相手はそれを受け入れる前に追撃の姿勢を取るだろう。
仕方なく反撃をしようと考えたスサは、次の瞬間、さらなる危機に驚愕する。
頭上に煌めく剣刃。
ダインの攻撃は間違いなく全力であったはずだ。
全力でなければ魔力量に劣る人間の身で、ヨミに傷をつけることなどできないはずだ。
そして、全力の攻撃の後で、タイムラグなく追撃に移ることは、人体の構造上できない。
確かに、剣術の技には、切り返しというものは存在する。
だが、切り返しを行うには、どうしても一瞬とはいえ剣を止める時間が必要であり、ヨミがその時間を許すはずがなかった。
だが、実際問題として、ダインの剣はすでに切り返され、頭上からヨミへ向かって振り下ろされている。
この時のヨミは知る由もなかったが、この技は、エディとの勝負でエディが使った魔法を参考にしたものだった。
エディの場合は、神経や筋肉を魔法による電流で強制的に動かしたものだったが、ダインの場合は異なる。
そもそもヨミの称号の効果範囲内では、魔法は使えない。
ダインは、魔法ではなく、自分の意思で体のリミッターを外した。
火事場の馬鹿力の任意的な発動。
関節や筋肉が壊れることを厭わない攻撃。
軋みを上げる関節と、引きちぎれていく筋肉では三撃目はない。
全てを賭けたダインの二撃目。
流星の如く頭上を襲うダインの切り返しに対し、ヨミの剣は間に合わない。
ヨミは全魔力を腕に回し、ダインの剣と己の頭の間に挟む。
ーーガキンッ!ーー
金属と金属がぶつかり合うような音が鳴り響く。
ダインの剣には、瞬間的に魔族の将軍並の魔力が乗っていた。
だが、ヨミの腕には、腕だけ限定で、大魔王の称号を使っていない時の魔王並の魔力が込められていた。
ダインの刀は、ヨミの腕を半分ほど傷つけたところで止まる。
この二撃に全てを賭けていたダインの魔力が急速に弱まっていく。
安堵と共に、余裕を取り戻し、思わず笑みを浮かべるヨミ。
「人間相手にここまで追い詰められるとは思わなかった。そんなお前に敬意を表し、最後に一言喋る時間をやろう」
ヨミの言葉を聞いたダインが微笑む。
「私は負けたが、私たちは負けない。お前の剣の底は知れた。地獄でお前を待っている」
次の瞬間、腕の半分まで刀で埋まった腕ではなく、もう片方の手で、ヨミはダインの首を刎ねる。
あまりにも呆気なく。
あまりにも自然に。
ヨミはダインの命を狩った。
地に伏すダインに対し、手を合わせて敬意を示した後、声すら出せないエディたちを見ながら、ヨミは己に降りかかった血を拭い、ニイッと笑う。
「準備運動は終わりだ。テラ兄、スサ。本番を始めようか」
ヨミはそう言って腕に刺さった刀を引き抜くと、腕に魔力を込めて、腕の傷を治す。
そんなヨミの前に立ち塞がる人間が一人。
「おいおい。爺さんも言っただろ? 俺たちは負けないって」
目を見開いたまま地に横たわるダインの目を優しく閉じた後、剣を構える男。
『剣聖』の名を持つ男が、目に闘志を込めて立っていた。
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