第228話 幕間
カレンたちを魔王の城に連れて行くわけにもいかず、一旦彼女たちと別れて魔王の城に戻った俺とリカを待っていたのは、仁王立ちのミホだった。
「おかえりなさい、ユーキくん」
顔の表面こそ笑顔で、魔力も抑えられていたが、彼女の感情が、表情通りでないことは、女心の分からない俺の目にも明らかだった。
大きな体を縮めて、自分だけ翼で顔を隠すリカを思い切り蹴りたい気持ちを抑えつつ、俺もミホへ笑顔を返す。
「た、ただいま」
そんな俺に笑顔のまま質問を投げかけるミホ。
「それで、知り合いの人たちは来てくれることになったの?」
ミホの質問に、俺は答える。
「う、うーん。今日は全員と会えなかったから、明日また残りのメンバーにも声をかけに行くよ」
俺の返事に、笑顔のまま近づいてくるミホ。
「そうなんだ」
そう言いながら、俺の顔の正面へ、ぐいっと顔を寄せてくるミホ。
「それで? 知り合いを誘いに行くのに、どうしてどこかの誰かと口づけをしてこないといけないのかしら?」
ミホの鋭い質問に、焦る俺。
「こ、こっちの世界での家族としてきたんだ。家族でキスするのはダメなのか?」
嘘はついてない。
家族といっても生涯を誓ったパートナーだというのを言っていないだけで。
「トカゲさん!」
ミホは突然、リカの方へ視線を向ける。
「ユーキくんが言ってる話は本当? 嘘だったら貴女は丸焼きになって結婚式の食事として出されることになるけど」
リカは、俺の方をチラッと見てから答える。
「う、嘘ではないのである」
俺は心の中でリカに感謝する。
そして、もしミホがリカを丸焼きにしてしまうような事態になった時は、俺も一緒に焼かれてやろうと決意する。
「……そう。なら信じるわ」
真っ直ぐに俺を見ながら答えるミホに、俺は問いかける。
「ミホ。今日は一緒に寝ないか? もちろん、変なことはしないし、ただ寝るだけなんだけど」
俺の提案に、目を輝かせて頷くミホ。
「もちろんいいよ!」
勢いよく返事をした後、少しトーンを落とすミホ。
「でも、急にどうしたの? やっばりやましいことがあるの? 式の日までは待たないといけないのかなって思ったんだけど……」
弱々しく語るミホへ、俺は笑みを返す。
「理由が必要か? 今日はミホと二人で夜までゆっくり話したいなと思ったんだ」
俺の言葉を聞いたミホは、憚ることなく涙を流す。
「ううん。いらない。疑ったりしてごめん。嬉しすぎる……」
そう言って何も言えなくなるミホ。
「おいおい。俺と結婚するんじゃなかったのか? 一緒に寝るだけでそんなんじゃ、式なんてあげられないぞ?」
そう言いながら、ミホの涙を拭う俺。
「ユーキくんの言う通りだね」
ミホはそう言うと、くるりと背を向け、少し歩いた後、振り返る。
「早く、ユーキくん。今日は早く寝よう!」
子供のような笑顔ではしゃぐミホに苦笑する俺。
この笑顔が見れただけでも、提案した甲斐があった。
明日俺は死ぬかもしれない。
敵に瞬殺されて、ミホが駆けつけてくれる前に死ぬかもしれない。
俺が語った作戦は、作戦とも言えないハッピーストーリーだ。
能力の読めない敵の称号次第では、何もできずに全滅する可能性もゼロではない。
だから、ミホと話すのは今日が最後になるのかもしれないのだ。
俺のことを思ってくれている他の女性たちとは、明日また会える。
たとえ死ぬことになろうとも、最後を共にすることはできる。
でも、ミホだけは会えないかもしれない。
だからこその提案だ。
ミホだけ一緒に寝るなんてズルいと言う声が聞こえてきそうだが、そこは、千年もの長い間、俺を待ってくれたミホに対する感謝ということで許してもらうしかない。
ナミとは顔を合わせたくなかったので、夕食はミホの寝室で食べた。
「これはね、東の領地を任せてるヨミが、自分の領地で作れるようにしてくれたんだよ」
そう言って出された料理は和食だった。
白米に、味噌汁に、焼き魚。
豪華とは言えないが、こっちの世界に来てから初めて食べる和食は、元の世界と比べても遜色のないものだった。
「ヨミはね、東の領地を昔の日本みたいにしようとしてるの。もともと剣が好きで、和の文化に憧れがあったみたいだから」
そのヨミが実は明日、ナミと一緒に裏切るなんてとても言えない俺は、適当に相槌を打つ。
「そうなんだ。一度行ってみたいな」
俺の言葉を聞いたミホは、にっこりと笑う。
「一度と言わず、何度でも行こうよ。これからユーキくんと私はずっと一緒なんだから」
ミホの言葉に、俺は言葉ではなく笑顔で返す。
「お風呂沸いてるからお先にどうぞ」
ミホの言葉に甘えて、俺は浴室に向かう。
シンプルな寝室だと思っていたが、さすがは魔王の部屋だけあって、個室内にそれなりに広い浴場があった。
体を流して湯船に浸かっていると、入り口の扉が開く音がした。
「なっ……」
振り返った俺の目に映ったのはバスタオルで胴体部分だけを隠したミホだった。
透き通るような白い肌。
すらりと伸びる長い手足。
大事な部分はタオルで見えないが、俺はすぐに目を逸らす。
「背中流してあげるね」
さも余裕たっぷりに言うミホ。
チラッと見ると、ミホの頬は真っ赤だった。
「や、やりすぎだ!」
何がやり過ぎなのか自分でも分からないままそう叫ぶ俺。
「男の子はこう言うベタな展開好きかなって思って」
ミホはそう言うと、湯船の中の俺に手を伸ばし、腕を掴むとゆっくりと引き上げる。
仕方なく、正面を見せないように、俺は立ち上がる。
普段ならミホを追い出すか、俺自身が風呂から逃げるが、今日の俺は、ミホの望むように過ごそうと決めていた。
「せ、背中だけでいいから」
俺の言葉に、ミホが笑顔で頷く。
「うん!」
ミホは、素手で石鹸を泡立てると、俺の背中を洗う。
ミホの細い指の感触が背中を這う。
その指が、俺の胸へ伸び、ミホの吐息がうなじにかかる。
「せ、背中だけでいいって……」
焦る俺に、ミホは答える。
「いいからいいから」
ミホの手が胸から下へ降り、臍の下あたりで止まる。
「ここから下は、結婚してからね」
ホッとしたような残念なような気持ちがする俺の背中に、急に柔らかい感触がして、ミホの細い腕が俺の体を後ろから抱きしめる。
「な、な、何してるんだ?」
動揺する俺に、ミホがそっと囁く。
「だって、ユーキくんの背中とか、緊張してるとことか見ると、可愛くなったんだもん」
言い訳になってない言い訳をしながら、ミホの腕に加わる力が少し強まった。
俺の心臓は高まり続け、このまま蕩けてしまいそうになる。
「やっぱりダメ! このままだと私、我慢できなくなる!」
突然ミホはそう告げると、俺から離れ、泡がついた体をお湯で流した後、バタバタと風呂を出て行った。
今なお治らない胸の高鳴りを抑えようと試みつつ、俺は体の残りを洗い、ゆっくりと風呂に浸かって気持ちを落ち着かせてから、風呂を出た。
風呂から出ると、何事もなかったかのような顔で、ミホが待っていた。
「それじゃあ次は、私が入るね」
顔は取り繕っていたが、微かに震える声を聞いて、ミホも平常心ではなかったことに、俺は気付く。
「わ、分かった」
俺は慌てて、その場から離れると、ベッドに腰掛けて、ミホが出てくるのを待つ。
何も変なことはしないと決めてはいたものの、世界一と言って過言じゃない美しさの女性と二人きりで寝るのは、今更ながらリスキーな気がしてきた。
やっぱり一緒に寝るのをやめようかと思い始めていた矢先に、ミホが風呂から出てきた。
バスローブに身を包むミホ。
すらりと伸びた脚は相変わらず艶かしく、ほんのりとピンクに染まった肌からは、色気が香り立っていた。
思わず唾をごくりと飲み込む俺。
そんな俺にぴたりと寄り添うようにミホは座る。
ミホは首を傾け、俺の肩に頭を乗せた。
あまりにも芳しい香りが、俺の鼻を襲う。
「ユーキくん。私、こんなに幸せでいいのかな?」
そう呟くミホの肩に、俺はそっと手を回す。
「いいに決まってるだろ。それに、これからもっと幸せになるんだから」
俺の言葉を聞いたミホは、目に涙を浮かべて笑顔を作る。
「そうだね。まだ式も挙げてないもんね」
あまりにも幸せそうに笑うミホ。
本当はミホを生涯のパートナーだと思っていない罪悪感と、命に変えてもこの笑顔を守りたいという複雑な気持ちが、俺の胸を支配する。
ミホの肩にまわした手に少し力を入れる俺。
それに気付いたミホが、そっと目を閉じる。
どんな芸術品よりも美しい顔が目の前にある。
長すぎるまつ毛。
わずかに桃色に染まった真っ白な頬。
そして、ふっくらとした柔らかそうな唇。
そんなミホの唇に、俺はそっと唇を重ねる。
今の行為は、カレンになんの言い訳もできない浮気行為だ。
自分が絶対になりたくなかった最低な男の行為だ。
それでも俺は思ってしまった。
この子を守りたい。
この子に幸せになってほしい。
俺は気付く。
自分の浅ましい願望に。
俺を慕ってくれる全員を平等に愛することなんて無理だ。
全員を幸せにすることなんて絶対に無理だ。
それでも願ってしまう。
みんなに幸せになってほしいと。
できるなら、みんなを自分の手で幸せにしてあげたいと。
カレンに刺されても仕方のない想い。
人間の。
男の。
何より自分の。
なんと意思の弱いことだろうか。
一人の女性だけを愛すると誓いながら。
一人の女性だけを愛することが愛だと思いながら。
魅力的で、心の底から自分を想ってくれる相手が現れただけで、その誓いも想いも簡単に揺らいでいる。
カレンのことは好きだ。
心の底から好きだ。
自分の命も魂も賭けても足りないくらいに好きだ。
でも、今腕の中にいるミホも捨てられない。
ミホのことも、命を賭けてでも守ってあげたいと思ってしまう。
しばらく唇を重ねた後、ゆっくりとミホから離れる。
そっと瞼を上げるミホの瞳が潤んで熱を帯びていた。
「ユーキくんのいじわる。こんなことされたら我慢できなくなっちゃう」
そう言って俺をベッドへ押し倒すように倒し、両手を俺の横について俺に覆い被さるようになるミホ。
神々しい美しさを放つミホから、俺は目を逸らす。
「み、ミホが綺麗すぎるからだ。これ以上は俺も我慢できないから、一旦離れてくれ」
俺の言葉を聞いたミホが意地悪そうな顔をする。
「だーめ」
そう言って俺の顔を自分の方へ無理やり向けると、再度唇を重ねてきた。
そのまま俺を抱きしめるように俺の上へ乗るミホ。
そんなミホを俺も抱き締める。
「愛してるよ、ユーキくん」
唇を離しそう囁くミホを、言葉の代わりに強く抱きしめ返し、再び唇を重ねる俺。
考えるのはやめにしよう。
考えるのは、ミホを狙う女神もどきを倒してからだ。
俺は、自分を愛してくれている女性を腕に抱きながら、そっと目を閉じた。
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