第226話 逆襲の奴隷⑧

 スサは笑みを浮かべながら言葉を続ける。


「私の血を飲め、ニンゲン。運が良ければ強力な力を得られるだろう。運が悪くても死ぬだけだ。さっきの話なら死ぬほうがマシなのだろう? 聞くところによると百に一つしか生きられないらしいが、惚れた男の役に立てるかもしれないんだ。安いものだろ?」


 スサの言葉に慌てる魔族の男が一人。


「お、お待ちください、スサ様。ニンゲンなんぞにスサ様の高貴な血をお与えになるなんて……」


 そんな魔族へ不機嫌そうな目を向けるスサ。


「黙れ。私の行動は私が決める。誰の指図も受けない。それにそのニンゲンのメスは、私の食事になる予定だったやつだろ? だったら私の所有物だ。私がどのように使おうが私の勝手だ」


 そう言ってローザへ近づこうとするスサ。

 俺はそんなスサの前へ立ち塞がる。


「ローザはお前の血なんか飲まない。俺がリカの血を飲んだ時には勝算があった。でも、ローザには何の勝算もない。博打みたいな真似で、俺は俺の大事な仲間を殺すわけにはいかない」


 俺の言葉に対し、スサは俺ではなく、俺の後ろのローザへ向けて言葉を発する。


「だそうだが、お前はどうしたいんだ?」


 スサの言葉に、俺は振り返ってローザの方を向く。


 そこには、先ほどまで泣いていたか弱い少女の姿はなく、迷わず背中を預けたくなるような、力強い騎士の姿があった。


「私に血を分けてくれ。例え、百に一つが、万に一つでも、私は賭けたい」


 俺は、今度はローザの方へ体を向ける。


「考え直すんだローザ。そんな自殺みたいな真似は止めろ。せっかくそこまで自分の力で強くなったんだ。ローザは魔族の血になんか頼らなくても、もっともっと強くなれる」


 俺の言葉に、ローザは少しだけ笑う。


「エディと出会う前の私ならそう思っただろう。他人に頼った力なんてきっと欲さなかった。……でも、今は違う。例え悪魔に魂を売ってでも、私は今、力が欲しい。将来の力ではなく、今この時、エディと共に戦える力が欲しい」


 ローザはそう言うと、視線を俺からスサへ移す。


「ぜひ血を分けて欲しい。だが、私には代わりに差し出せるものが何もない。それでも血を分けてもらえるのだろうか?」


 ローザの言葉に、スサはニイッと笑う。


「私の血の力に耐えられずに死んだらその体を食わせてもらう。生きてる間に食おうと思っていたが、そうすると邪魔に入るだろうそこのガキを相手にするのは面倒だ。だが、約束の上での正当な対価なら、そのガキも文句を言えないだろう」


 スサの言葉に、ローザも笑う。


「分かった。もし私が死んだら、この肉体の全てを差し出そう」


 俺はそう言ってスサの元へ近づこうとするローザを睨む。


「止まれ。止まらないなら、俺はローザの主人として、奴隷契約の力を使ってでもローザを止める」


 そんな俺を、ローザは俺以上に鋭い眼力で睨み返す。


「そんなことをしてみろ。私は、一生エディを恨む。お願いだから行かせて欲しい。例え、ゼロに近い可能性でも、ゼロでないのなら、私はそれに賭けたい。どうしても、エディの剣でありたいんだ」


 ローザはそう告げると、それ以上何も言えなくなった俺の横を通り抜けて、スサの元へ向かう。


 スサのすぐ側で、片膝をつくローザへ、スサが尋ねる。


「ほぼ間違いなく死ぬだろうが、その前に聞いてやる。お前、そこまでしてあいつの役に立ちたいのか? あの男に惚れているのか?」


 スサの問いに、ローザは真っ直ぐに答える。


「ああ。命の限り、魂の限り、私はエディの役に立ちたい。これまで費やしてきた全てと、これからの時間全てで、エディのために尽くしたい。それくらいエディに惚れている」


 それを聞いたスサは微笑む。

 さっきまでの笑みとは異なり、慈しむような目でローザを見ながら微笑む。


「それならば言うことはない。私の血、余すことなく飲むがいい」


 スサはそう言うと、自らの尖った牙のような歯で、腕を切る。

 そこから滴る真っ赤な血を、ローザは口にした。


「あああぁーっ!」


 次の瞬間、大声で叫ぶローザ。


 その苦痛はよく知っている。

 全身が焼けて溶けてしまいそうなほどの熱は、正気を失ってしまいそうになるほどに強烈だ。


 地面をのたうち回るローザを見ながら、俺にできることは何もない。

 だだ、百に一つの可能性に賭けて、祈るのみだ。


 大切な仲間の苦しむ姿なんて見たくない。

 しかも苦しんでいるのが自分のためだとしたら尚更だ。


 助けてやりたい。

 苦痛を肩代わりしてあげたい。


 でも、それはできない。

 そのもどかしさが俺を苦しめる。


 しばらくして、ローザはうつ伏せになり、そして動かなくなった。


 しばらくの間、立ち上がってくれるのを待つが、ローザは動かない。


 思わず歩み寄ろうとする俺より早く、スサがローザの元へ行き、しゃがみ込む。


 スサがローザが死んだと判断し、ローザを食べようとしているのだと思った俺は叫ぶ。


「スサ! ローザはまだ死んだか分からない。勝手に食べようとするな!」


 スサは、嫌気の刺したような顔で俺を見る。


「騒ぐな、ガキが。分かっている」


 スサはそう言うと、生気をなくしたローザの上半身を抱くと、その唇に自分の唇を重ねた。


「……なっ」


 驚きに声をなくす俺。


 だが、スサの口からローザの体へ魔力が巡っていくのを感じて、俺はスサを止めるのをやめる。

 砂が水に染み込むように、スサの魔力がローザの体へ染み渡っていく。

 血の気をなくしたローザの顔に、血色が戻ってくる。


 そしてローザは目を開いた。


「……!!!」


 自らの唇がスサと重なっているのに気付き、声にならない声を上げるローザ。


「えっ? あっ。……えっ?」


 慌ててスサから離れると、スサと自分の唾液で濡れた口元を拭う。


「な、な、何をする!」


 顔を真っ赤にしてそう尋ねるローザ。

 それを見て笑うスサ。


「クククッ。命の恩人に、なんて言い草だ」


 何度も口元を拭いながら、抗議の声を上げるローザ。


「初めてだったのに……」


 そんなローザへ、スサも告げる。


「安心しろ。私もだ」


 そんな二人のやりとりを横目に見ながら、俺はふらふらとローザの元へ近づく。


「ローザ……。無事で良かった」


 近づいた俺を見て、満面の笑みを浮かべるローザ。


「死んだと思ったのだが、なんとか生き残れた。力が漲っているのが分かる。これで私はまだ、エディの剣でいられるな」


 そんなローザを、俺は抱き締める。


「ああ。ローザは俺の剣だ。俺の背中はローザに任せる」


 しばらく抱き締めた後、自分より背の高いローザを見上げるような形になりながら、俺はゆっくりとローザから離れる。


 俺を見つめる十の瞳。


 カレン。

 リン先生。

 レナ。

 ヒナ。

 ローザ。


 四魔貴族の二人は仲間にできなかった。


 でも、俺には共に戦ってくれるこの五人がいる。

 純粋な個人の力では四魔貴族に及ばずとも、この五人がいれば戦える気がしてくる。


 俺は、俺の都合で、別の女性を助けるために、この五人の命を危険に晒す最低な男だ。

 それでも俺は、この五人と共に戦うことを決めた。

 五人に命を預け、五人の命を預かることに決めた。


「五人とも、頼む」


 そう告げる俺に対し、待ったをかける者がいた。


「……おい」


 それは、なぜかローザに肩入れしてくれたスサだった。


「……何だ? 俺たちはこれから魔王を助けに行かなければならない。ローザに血を与えてくれたことは感謝するが、残念ながら無駄話をしている時間はない」


 そう告げる俺に、馴れ馴れしく近づいてくるスサ。


「まあ、そう言うな」


 そう言いながら、俺の肩をぽんぽんと叩くスサ。


「私も一緒に行ってやろう」


 突然のスサの心変わりに一番驚いたのは、俺ではなかった。


「な、何をおっしゃられるのですか、スサ様!」


 慌てるスサの配下の魔族。


「言ったままの通りだ。私はこのニンゲンたちと、魔王様を助けに行く」


 そんなスサを、配下は必死に止めようとする。


「先ほどご自身でも、魔王様を助ける義理はないとおっしゃられていたではないですか。それに、もし本当に魔王様を倒すような者がいるなら、いくらスサ様でも敵いません」


 その言葉を言った後、配下は、しまったと言う顔をする。


「それがお前の本音だな、クラム。魔王様より弱い私が、魔王様を倒した相手を倒せるはずがないと」


 クラムと呼ばれた配下は、答えられずに俯く。


「お前が言うことはもっともだ、クラム。でも、このニンゲンは、それを知ってなお、魔王様を助けに行くという。口だけのガキなら放っておこうと思ったが、このニンゲンを知る女たちは、皆このニンゲンについていくと言う」


 スサはそう言うと、カレンたちを順に見ていく。


「この女たちは、皆私の配下にしたいほどの女たちだ。その女たち全員が、このニンゲンを、愛し、命を賭けるという」


 スサはそう言うと目を輝かせる。


「私は見てみたい。魔王様だけでなく、これほどの女たちが愛するニンゲンの戦う様を。先ほどのような手抜きの戦いではなく、本気の戦闘を」


 スサは、無邪気な子供のように、俺を見る。


「私が生まれてからのこの数百年、父上とテラ兄以外で、私と同等の力を持つ男は現れなかった。先ほどまでのお前に興味はなかったが、この女たちと戦った後のお前は違う。ゾクゾク感じるものがある」


 スサはそう言いながら、俺の顎をくいっと持ち上げる。


「お前の戦いざま次第では、私もお前を争う戦いに加わらせてもらおう」


 スサはそう言うと、後ろを振り返る。


「クラム! イア! ナツヒ! お前たちも来い。魔王様を助けにいくついでに、お前たちもこのニンゲンを見極めろ」


 スサに声をかけられた三人の将軍クラスの魔族たちが揃って俺を見る。


 単純な興味で俺を見る二人の女性に対し、男性の魔族だけは、敵意を混ぜて俺を見ていた。

 恐らくスサに好意を抱いているのだろう。


 ミホとこの五人だけでもキャパオーバーなのに、これ以上考える相手を増やすのは無理なので、むしろこの配下の魔族には、しっかりスサを捕まえて欲しい。

 俺が睨みたいくらいだった。


 思わぬ形で、スサの協力が得られ、今度こそこの場を離れようとした俺に、もう一人口を開く者がいた。


「……俺も連れていけ」


 もう一人の四魔貴族、テラだった。


 そんなテラへ、スサが疑問の表情を浮かべる。


「人のことは言えないが、テラ兄は何でついてくるんだ?」


 スサの言葉に、テラはカレンの方へ視線を送る。


「……俺の嫁候補が行くからだ」


 その言葉を聞いた、テラの配下と思われる女性が呟く。


「さっきのやりとり見る限り、さすがのテラ様でもチャンスはないとボクは思うな……」


 その呟きを聞き漏らさずに、テラがギロリと配下と思われる女性を睨む。


「……黙れシナツ。お前は俺より、こんな浮気性で色欲の塊の優柔不断な男の方がいいと言うのか?」


 散々な言われようだが、側から見たらそう言われても仕方ない状況だと思うので、俺は何も言えない。


「いえ、ボクは断然テラ様の方がいいので、ボクを選んでいただければ問題ないのですが……」


 シナツと呼ばれた配下の言葉に、舌打ちをするテラ。


「チッ。クシナ。リッカ。お前たちはどうだ?」


 テラにそう言われ、この場に似つかわしくないメイド服を着た女性がまず答える。


「私は、テラ様が望むのであれば、どこにでもついていきますし、何でもします。お望みであれば、初夜の手解きまでいたしましょう」


 テラはクシナというメイド服の女性の言葉に頷いた後、なぜか先程からこちらに背を向け、隠れるようにしていた黒髪の女性の方を向く。


 テラに声をかけられ、仕方なくといった様子でテラの方を向くその女性の横顔に、俺は衝撃を受ける。


「私ももちろんついて行きます。ただ、もし私の方がその女より役に立つと判断された場合は、その女ではなく、私を妻にしてください」


 真っ直ぐとテラを見ながらそう告げるその女性は、俺の初恋の女性の、元の世界での姿に瓜二つだった。


「ミ、ミホ?」


 思わずそう呟いた俺の言葉は聞こえなかったのか、テラは返答する。


「……いいだろう」


 その言葉にホッと胸を撫で下ろすリッカに、俺は問いかける。


「リッカ……でいいのか?」


 俺の言葉を聞いたリッカは、気まずそうに俺の方を向く。


「……貴方が言いたいことは分かるわ。この姿は、元の世界で私が一番理想としていた女性の姿。まあ、こっちの世界に来た彼女は、もっと美しかったけど。テラ様が彼女を助けるという以上、私も一緒に力を貸す。だから、それ以上干渉しないで。誰にだって触れられたくないことはあるのだから」


 リッカの言葉に、俺は頷く。


 彼女が敵でないのなら、それ以上詮索する必要はない。


「ボ、ボクもついていく! この雪女と同じことを言うのは癪だけど、ボクが一番活躍したら、ボクを妻にして欲しい」


 慌ててそう手を挙げるシナツ。


「……考えておこう」


 テラの言葉に、安心した様子のシナツだったが、リッカの時より、テラの反応が悪かった点には触れないことにした。


 何にしろ、これで戦力は揃った。


 そう思って、これからのことをみんなに告げようとしたその時だった。


「おいおい。嬢ちゃんの言葉に動かされてきてみればどういうことだ? 倒すべき相手と仲良しこよしして、諸悪の根源であるはずの魔王を助けにいくなんて。俺たち王国の人間全員をバカにしてんのか?」


 研ぎ澄まされた剣気を撒き散らしながら仁王立ちする剣聖と、静か過ぎるくらい静かに佇む俺の師匠、刀剣ダインがそこにいた。

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