第225話 逆襲の奴隷⑦
俺を見つめるレナ。
「……お前と話すことはない」
母親の仇。
それだけでも殺したいほど憎いのに。
レナはさらに、カレンと俺を引き離した。
これまで感情を押し殺してきた。
恩人であるアレスの娘。
戦う上では戦力にもなる。
だから生かしてきた。
でも、許しているかと言えば否だ。
今すぐ殺したいほどかと言われたら、我慢はできる。
レナはレナなりに努力し、成長しようとしてきたことも分かっている。
国を思う気持ちは本物で、統治者として優れた人間になるかもしれないことも分かっている。
ただ、だからといって、これまでのことを許せるわけではない。
俺の拒絶の言葉に、レナは悲しそうな笑みを浮かべる。
「……そうよね。エディが私のことを憎んでるのは知ってる。私にとっての、お母様を殺した魔族のように、エディのお母様を殺した私は、憎まれても仕方ない。その上、私はそこの魔族も殺そうとした。エディが私のことを殺さないだけでも、十分な優しさだというのは分かっているわ」
何も分かっていない我儘な子供だと思っていたレナの言葉に、俺は少し驚く。
「今更謝っても許されないのも分かっている。それでも、謝らせて。貴方のお母様を殺した時の私は、あまりに経験不足で判断が悪かった。功を焦って、周りが見えていなかった。謝って済む話ではないのは分かっているけど、本当にごめんなさい」
そう言って深々と頭を下げるレナ。
レナが言う通り、謝っても母さんは戻ってこない。
でも、レナが本気で謝っているのは伝わった。
「それに、そこの魔族のこともごめんなさい。あの時の私はあまりに子供だった。初めて好きになった人を盗られたくない一心で、卑怯で最低なことをしようとした。正々堂々と戦うべきだった。これは、二人にごめんなさい」
レナは今度は、カレンと俺に謝った。
魔族を心の底から憎んでいるはずのレナが、カレンにも頭を下げたのは驚きだ。
そしてレナは顔を上げると、俺を見る。
「でも、それでも私はエディのことが好き」
レナはストレートにそう告げる。
「誰よりも頑張ってきたつもりだった私より遥かに努力家で。貴族の中でも、容姿が優れているはずの私に見向きもせず、真っ直ぐに頑張り続けるエディのことを、いつの間にか好きになってた」
レナはそう言うと、今まで見せたことのない柔らかい笑顔を見せる。
「私は、自分の気持ちをようやく自覚して、やっと自分の口で言えるようになった」
レナは、少しだけ悲しそうな顔になりながらも、話を続ける。
「魔王はよく知らないけど、そこの魔族……カレンも、リン先生も、私なんかじゃ到底敵わないくらい素敵な女性だというのは知ってる。ただでさえ女性として劣っているのに、エディに憎まれている私に、エディと結ばれるチャンスがないのも分かってる」
そこまで言うと、レナはその表情を引き締め、アレスを思い出させるような精悍な顔つきで、俺をまっすぐと見る。
「私を好きになって欲しいなんて言わない。でも、貴方のために戦わせて欲しい。償いでも、エディに振り向いてもらいたいからでもない。結ばれないならせめて。好きな人の役に立ちたい。絶対に振り向いてもらえないのだとしても、貴方の側で戦いたい」
レナはそう言った後、両膝を地面につけると、両手を地面につき、額を土へ擦り付けるようにして、頭を下げた。
「許してもらえないのは分かってる。顔も見たくもないのも分かってる。それでも貴方のために戦わせてください。この命、貴方のために使わせてください」
俺は、恥も外聞もなく頭を下げるレナの後頭部を見下ろしながら考える。
プライドの塊だったレナ。
カレンや俺を見下していたレナ。
そのレナが真摯に反省して、心から謝っている。
謝って許されることじゃない。
謝られても母さんは帰って来ない。
でも、レナは、たかだか十三歳の子供であるのも間違いない。
子供だからといってなんでも許されるわけではないが、一度や二度の過ちで、その将来を奪う考え方は、元の世界でもなかった。
謝りもせず、反省もしない相手を許すことはできない。
でも、心の底から反省している相手を切り捨てることもまた、俺にはできなかった。
母さん、ごめん。
俺は心の中で亡き母へ謝り、地面から離れないレナの手を取る。
俺に引っ張られらようにして顔を上げたレナの整った顔は、額の泥と涙でぐちゃぐちゃだった。
「レナ。俺はお前が憎かった。必ず殺してやろうと思っていた」
俺の言葉に、レナの顔が暗くなる。
「でもお前は、成長した。貴族のお嬢様じゃ到底耐えられない俺の訓練にも耐え、アレス様の為に努力する姿は、正直凄いと思った。さっきの動きを見る限り、リン先生と俺が引きこもっている間にも自分を鍛えたんだろ? リカの血を得る前の俺よりも強くなっていた。何より、国を想う心も、自分の非を認める心も持てるようになった」
俺はレナの手を引っ張り上げて立ち上がらせると、同じ高さで視線を合わせる。
「母さんのことも、カレンのことも、まだ割り切ることはできない。でも、戦士としてのレナは、引きこもった上に龍の血という他人の力に頼った俺なんかより、遥かにすごくて、尊敬できる」
俺の言葉に、レナの目が輝く。
「これからの戦いは、レナにとって何のメリットもない戦いだ。俺が、俺の大事な人のために戦う戦いだ。……それでも手伝ってくれるか?」
レナは、さらに涙を零しながら微笑む。
その笑みは、憎い仇のものではなく、信頼できる仲間のものだった。
「もちろん。エディにはまた差をつけられちゃったけど、私だって魔族の将軍とも戦えるくらい強くなったんだから。必ず役に立ってみせる」
そんなレナへ微笑みを返し、指で涙を、服の袖で額の泥を拭ってやった。
そんな俺に驚いた目を向けるレナから、視線をカレンに移す。
「悪い、カレン。カレンを殺そうとした奴を、俺は殺せない」
謝る俺に、カレンは笑顔を返す。
「しょうがないな。まあ、アレスには世話になったから、その借りだと思うか」
カレンにそう言ってもらった俺は、次の話し相手の方を向こうとする。
すると、俺が口を開くより先に、ヒナが口を開いた。
「エディ様。私はなんと言われようと、エディ様へついていきます」
普段にはない力強い口調でヒナがそう宣言する。
ヒナの言葉に、俺は視線を少し離れたところへ向ける。
そこには、心配そうな目でヒナを見つめる、数名の獣人の姿があった。
俺の元を離れている間に、仲間と出会えたのだろう。
俺はそんなヒナへ告げる。
「ヒナを助けたことならもう気にしなくていい。あの時の恩は、もう十二分以上に返してもらった。ヒナは獣人の仲間たちと一緒に暮らせばいい。恩を返すという縛りのために、憎い人間と無理して一緒に行動する必要はないよ」
俺の言葉を耳にしたヒナは、出会ってから初めて、俺に対して怒りの表情を向ける。
「縛りなんかじゃありません!」
ヒナは大声でそう叫ぶと、出会ってから初めて、俺のことを睨みつける。
「確かに初めは、恩だけを感じておりました。その感謝の気持ちが、エディ様への想いに繋がったのは間違いありません。……でも!」
ヒナはそう言うと、今まで見せたことのない、切なそうな表情で俺を見る。
「エディ様は、獣人である私のことを、人として真っ直ぐに見てくれました。人間にとって性欲の捌け口でしかない兎の獣人の私を、一人の人として、大事にしてくれました」
ヒナは、意を決したように口を開く。
「今、私は、恩人としてではなく。奴隷の主人としてでもなく。エディ様をお慕いしております。人として、男性としてエディ様に好意を抱いております」
ヒナはそう言って深呼吸をする。
「エディ様の周りには、私なんか比べ物にならない素晴らしい女性ばかりいらっしゃるのは分かってます。それでも私は、エディ様に惚れてしまいました。奴隷の私なんかにそんな想いを抱かれても困るというのは存じ上げておりますが、それでも気持ちを抑えきれない程に、エディ様への想いが溢れています」
ヒナは頬を赤らめながら、俺の方を真っ直ぐに向く。
「私はエディ様が好きです。異性として好きです。私の心も体も、全てがエディ様のもの。エディ様のために生き、エディ様のために死ぬのが、私の使命であり、私の幸せです。それは恩でも義務感からでもありません。貴方が好きだからです」
思いもよらなかった言葉に、驚きを隠せない俺に、ヒナは言葉を続ける。
「戦闘力が足りないのは分かっています。それでも、この耳と脚で、必ずお役に立ってみせます。だから、どうか私も連れて行ってください」
確かに、ヒナの耳も、跳躍力も捨てがたい。
足での一撃も悪くはなかった。
だが、戦闘に関するその他の能力はカレンやリン先生、レナより劣る。
多数の格上相手では、逃げない限り、真っ先に死ぬのはヒナだろう。
懇願するヒナへの返事を迷っていると、突然リカが口を挟む。
「話を割って申し訳ないのであるが、戦闘力が足りないというのは何の話であるか?」
リカの疑問に、俺が答える。
「ヒナ……この兎の獣人が、さっきの三人と比べると弱いってことだ」
俺の言葉に、心底何を言っているか分からないという様子で、リカが首を傾げる。
「獣化もせずにあの威力。獣化すれば、魔族の将軍並にはなるであろうし、一撃の威力は我や旦那様にも匹敵すると思うが……」
獣化という初めて聞くワードに、俺はヒナの顔を見るが、ヒナも初めて聞いたという顔で、首を横に振る。
そんな俺たちを見て、リカがもう一度首を傾げた。
「ん? 魔力を取り戻したのであろう? ここ千年か二千年くらいは見ておらぬが、魔力が使える獣人が、人間の血を口にすれば獣化するのは常識であろう?」
全くの初耳の言葉に、周りを見渡してみるが、魔族も含め、誰一人として知っていそうな人はいなかった。
「何と! しばらく森を出ない間に、忘れ去られてしまうとは……。とりあえず、旦那様の血を与えてみるが良い。半分龍ではあるが、多分大丈夫だであろう。絆が深いほど血で得られる効果は大きいから、とりあえず試してみよ」
リカに言われるがまま、刀で指を少しだけ切り、ヒナに指を舐めさせる。
次の瞬間、爆発的に高まるヒナの魔力。
先ほどまで肌が見えていた部分まで、全て全身が毛で覆われ、その容貌はまさに、兎が二足歩行になったとしか思えないものとなる。
「これが獣化である。血の持ち主との絆と、摂取した血の量で、獣化の時間は変わる。今くらいの血の量なら、数分もすれば戻るであろう」
龍の血といい、獣化といい、知らない知識をたくさん持ち出してくるリカ。
普段の言動からはあまり感じないが、数千年を生きる龍の知識というのは侮れない。
「リカ、実は他にも、手っ取り早く強くなれるような手段、知ってるんじゃないのか?」
俺の言葉に首を振るリカ。
「ないのである。魔族だって人間の血で強くなる。同じく亜人である獣人が人間の血で強くなるのは、おかしな事ではなかろう?」
確かにそう言われると納得感はあるような気がする。
そもそも、魔力を使える獣人が、何百年もいなかったのだ。
忘れ去られていても、全くおかしくはない。
俺はヒナの方へ向き直る。
「何にしろ、これでヒナも立派な戦力だ。ぜひ一緒に戦って欲しい。ただ、その……正直、ヒナまで俺なんかのことを好きだなんて、考えてもみなかったから、そのことについては、今、なんとも言えない。でも、義務じゃなくて俺のことを好きって言ってもらえるのは嬉しいよ」
血の効果が切れてきたのか、殆ど人の顔に戻ったヒナは、これまでのどこか機械的に見える笑顔ではなく、心の底からの笑顔を見せる。
そこまで話したところで、俺は残る一人の方を向く。
俺に剣を捧げてくれた騎士。
俺の剣として奴隷にまでなってくれた気高い女性。
初めて会った時は、何とか勝てはしたものの、全力を出されていれば間違いなく負けていた。
血の滲むような努力で、剣を磨いてきた、若き二つ名持ちの騎士。
そんな誇り高き騎士が俺の方を真っ直ぐに見る。
「最後になってしまったが、私も気持ちを告げさせてもらう。そのためには、一度過去の命令を説いてもらう必要があるのだが、過去の命令を取り消すと言ってもらえないか?」
俺は、なんのことかはよく分からなかったが、とりあえず言われるがままに頷き、ローザへ告げる。
「過去の命令を取り消す」
ローザは俺の言葉を聞くと、薄く笑った後、厳しい顔で俺を見る。
「私は人生を剣に捧げてきた。非才な身ながらも、全ての時間と想いを剣に捧げてきた」
そこまで話した後、ローザはふっと表情を緩め、微笑を浮かべる。
「そんな時に出会ったのがエディだ。私より幼いのに、私より努力家の少年。全てを費やしたつもりで、そうではなかったと思い知らせてくれたのがエディだった。私はそんなエディへ、尊敬の念を抱き、そして、恋心も抱いた」
ローザは、すぐに顔を引き締め、再度真っ直ぐに俺を見る。
「私もエディが好きだ。この体は、傷だらけで、脂肪も殆どなく、抱き心地も悪いだろう。カレンやリン、ヒナやレナ様のように、女性らしさのカケラもない。女性としてエディに選ばれることはないのは分かっている」
ローザはそう言うと、険しい表情をする。
「でも、それは良かった。女性として選ばれなくても、私には剣がある。エディの剣として、誰よりもエディの役に立つ。それが、女性として選ばれないだろう私の、エディへの恋のつもりだった」
ローザはそこで言葉を区切り、悲痛な表情を浮かべる。
「でも私は、その剣ですら、エディの役には立てない。先程エディと戦って分かった。カレンやリンはもちろん、レナ様も私より遥かに強くなり、そして今、ヒナもその高みへ到達した。未だに、弱いのは私だけだ。これからの戦いで、私は役に立たない。ついて行っても足手纏いになるだけだ」
ローザの目には涙が浮かんでいた。
悔しさで溢れた想いが、目から零れ落ちようとしていた。
「エディへの想いは、他の女性たちにも負けていないつもりだ。でも、女としても劣っていて、戦力としても劣っている。私はエディに相応しくない。エディの隣に立つ資格がない。エディの背中を守りたかったけど、その力がない」
気高き騎士は、大粒の涙を流しながら、言葉を続ける。
「エディの役に立てないのは死ぬほど辛い。でも、エディの足を引っ張るくらいなら、死んだ方がマシだ。だから、私はエディにはついていけない。死ぬほど辛いけど、エディのためなら死ぬのなんて何でもないけど、足手纏いになるのは死ぬより嫌なんだ」
泣き崩れるローザに、俺はかける言葉がない。
泣き止むのを待つしかないかと思い始めたところに、口を開いたのは意外な人物だった。
「殊勝だな、ニンゲン。だが、殊勝さなんてクソ喰らえだ。力が欲しければ何をしてでも手に入れろ。欲しいものがあれば何としてでも食らいつけ。木にでも。石にでも。……魔族にでもな」
四魔貴族スサが、そう言ってニヤリと笑った。
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