第224話 逆襲の奴隷⑥

 初めに仕掛けてきたのはローザだった。


『閃光』


 ローザは、自身の二つ名でもある技の名前を呟くと、魔力を爆発させて一直線に飛んできた。


 一ヶ月前に別れた時より、速くはなっている。

 昨日までの俺なら、受けるのも一苦労だろう。


 ……でも、今の俺には、ローザの動きが止まって見える。


ーーキンッーー


 腰の刀を居合の要領で抜き、ローザの細剣を弾き飛ばす。


 やはり、弱い。


 いや。

 人間にしては強いのだろうが、今から戦う敵の前では、単なる動く的にしかならない。


 そう思った俺の視界に、ローザの影から跳躍してくる白い人影が映る。

 足に全力の魔力を宿し、宙を飛んでくるのはもちろんヒナだ。


 ヒナの脚力は侮れないが、それも俺が強くなる前のこと。

 今の俺にとっては、魔法障壁すら必要ない攻撃。


 そう思って右手で受けようと思ったが、直前で悪寒を感じる。

 念のために魔力を込めて目を凝らすと、ヒナの足に思った以上の魔力が込められているのが見え、判断を変える。


 とりあえず、上げた右手の上に、魔法障壁を張った。


ーードンッ!ーー


 四魔貴族並の魔力で張ったはずの魔法障壁に、強い衝撃が走る。


 想像を超えた威力に、俺が驚いていると、今度はカレンが走ってきていた。


『紅蓮(ぐれん)!』


 ミホに与えられた元の名前を冠した、カレンの魔法。


 燃え盛る火炎が迫ってくるが、所詮は師団長よりいくらか上くらいの魔力しか持たない者の攻撃。

 一応魔法障壁は張って防ぐが、何の脅威も感じない。


 そう思った時、自ら放った炎を追い抜くように、カレンが突如、目の前に現れた。


『火練(かれん)!』


 俺の授けた名前と同じ響きの、俺の知らない魔法。


 次の瞬間、ロケットの噴射のように、炎を吐き出しながら唸る拳が、魔法障壁を捉える。


ーードンッーー


 かなりの威力はありそうだが、障壁を破るには至らない。


 でも、そこで終わることなく、今度は足から炎を噴き出し、蹴りを放つカレン。


ーードンッーー


 再度、激しい衝撃で、震える魔法障壁。


ーードンッドンッドンッーー


 その後も、両手両足から繰り出されるカレンの連撃が、魔法障壁を捉え続ける。


ーーピキッーー


 度重なる攻撃に、障壁にヒビが入った。


 まずいと思った俺は、反撃をしようとする。


 だが、これはカレンたちを傷つけないための戦いだ。

 反撃すればカレンを傷つけてしまうかもしれない。

 そう考えた俺は、攻撃を躊躇する。


 そんな俺を見たカレンがニヤリと笑う。


 何がおかしいのか分からない俺は、カレンに対して口を開こうとして、一瞬だけ、気を逸らしてしまう。


 そんな俺の頭上では、空を埋め尽くす暗雲が、雷鳴を轟かせていた。


『火雷(ほのいかづち)!』


 リン先生の呪文が聞こえる。


 俺が初めて覚えた最上級魔法。

 リン先生との思い出が詰まった魔法。


 その雷が、俺の頭上に降り注ぐ。


 確かに強力な魔法ではあるが、四魔貴族並の力を持つ今の俺には通用しない。


 そう思いながら、魔法障壁を頭上にも張り、その魔法を受けようとする俺。


 ……だが、雷は俺の上には落ちて来なかった。


 いつの間にか迫り来ていたのは、天に剣を掲げるレナ。

 雷は軌道を変えてレナの剣に落ち、そのまま剣へ留まり続ける。


 そして。


ーーズバッーー


 最上級魔法を宿したレナの剣は、ひび割れた魔法障壁を切り裂くと、俺の首元で止まった。


 それを見たカレンが、勝ち誇ったような笑みを見せる。


「どうだ? 俺たちの勝ちだ」


 そんなカレンを見て、俺はため息をつく。


「俺が初めから殺す気なら、全員死んでいた」


 そんな負け惜しみのような言葉に、カレンは真顔で答える。


「でも、そうしなかった。俺たちのことを舐めて、攻撃すら加えなかった」


 カレンはそう言うと、ツカツカと歩み寄り、俺の胸ぐらを掴む。


「負けも認められない腰抜けが! そんな男が、魔王様より強い敵から、魔王様を助ける? 寝言は寝て言え!」


 カレンはそう言うと、俺を突き飛ばす。

 よろける俺を冷めた目で見ながら、カレンは告げる。


「魔力は増えたが、エディは弱くなった。俺が惚れたのは。俺が生涯を捧げたのは。こんな弱い男じゃない」


 カレンの言葉にカチンときた俺は、反論する。


「そんなこと知るか。俺はお前を捨てたんだ。よかったな。俺がもう、カレンの惚れた男じゃないのなら、カレンも俺を忘れて、別の男のところに行けるだろ」


 半分は怒りに任せて。

 半分はカレンの今後を思ってそう叫ぶ。


 そんな俺を見たカレンは、拳を固めて、俺の右頬を振り抜く。


ーードガッーー


 魔力の込められていないその拳は、龍の血により強度を増した俺の肉体にダメージは与えられない。

 ……与えられないはずなのに、ずきりと痛みが響く。


 カレンは再び俺の胸ぐらを掴む。


「誰が行くか!」


 カレンはそのまま俺を自分の目の高さまで持ち上げると、至近距離で俺の目を見る。


「俺のことを見くびるのも大概にしろ! エディが困っているなら助けてやる。エディが命を賭けて戦うなら俺も一緒に命を賭けて戦ってやる。エディが死ぬなら俺も一緒に死んでやる。エディが間違ってるなら、ぶん殴ってでも正しい方向を向かせてやる」


 カレンはそう言うと、ゆっくりと俺を降ろし、胸ぐらから手を離して、俺の両肩にそっと手を置く。


「……それがパートナーだろ?」


 ズシリと響くカレンの言葉。


 こんなにも俺のことを想ってくれているなんて。

 こんなにも嬉しいことを言ってくれるなんて。


 でも、俺にはカレンの言葉を受け取る資格はない。


「……ありがとう、カレン。でも、俺はもうカレンのパートナーじゃいられない」


 俺は両肩に乗るカレンの手をそっと離し、できるだけ真摯に、カレンの目を見る。


「俺はカレンを裏切った。カレンと生涯を誓いながら、俺は魔王とも結婚の約束をした。それに加えて、そこの龍に子種を授ける約束までした。不誠実で、救いようもないのが俺だ。カレンみたいな最高の女性に相応しい男じゃない」


 俺の言葉を聞いたカレンは、じっと俺を睨みつける。


 怒って当然だ。

 カレンから見れば、俺はただの軽薄な浮気男だ。


「……エディ」


 カレンが俺を呼ぶ。

 カレンに怒りをぶつけられるのを覚悟して、俺はカレンの目を見る。


「何度も言わせるな。エディがどんな選択をしても、俺はエディのパートナーだ。エディがもし、本当に俺のことを嫌いになったと言うのなら。俺の側になんて居たくないと言うのなら。俺はエディから離れよう。でも、罪悪感や俺への気遣いから、俺から離れるというのなら、その必要はない」


 カレンは再び俺の両肩に手を置く。


「エディがそう決めたのなら、理由があるはずだ。エディが考えた末に出した結論なら、それがその時の最善だったはずだ。もしその選択が間違っていたとしても、修正が効くなら一緒に直すし、もうどうしようもないならそのツケは一緒に払おう」


 そう言うと、カレンは優しく微笑む。


「どんなことがあっても、俺はエディのパートナーだ。俺はエディを愛しているからな」


 カレンの言葉に、涙が溢れる。


「俺は魔王と抱き合って口付けまで交わした。そんな男が許せるのか?」


 そう問いかける俺を、カレンはギュッと抱きしめ、優しく唇を重ねた。

 そして、俺を抱きしめたまま、少しだけ顔を赤くしながら、カレンは告げる。


「……これでチャラだ」


 大人の姿で、少女に戻ったような初心な表情でそう言うカレンに、俺は思わず笑ってしまう。


「こんなダメな男をそこまで想ってくれるなんて。カレンは最高の女性だけど、男を見る目だけはないな」


 自虐的にそう言う俺のデコを、カレンは指で軽く弾く。


「エディは今、どうしようもないことに巻き込まれ、道に迷っているだけだ。本当のエディは、最高の男だってことを俺は知っている」


 カレンはそう言うと、俺を抱きしめる手に力を込める。


「もう二度と迷わないよう、俺がずっとそばにいよう。迷いそうになったら、もう一回殴って何度でも正しい道に戻してやる。だからエディ」


 カレンは少しだけ体を離し、急に切実な目をして俺を見る。


「もう二度と俺を手放すな。死ぬまで俺と一緒にいろ。例え今日、共に死ぬことになろうとも、エディと一緒に死ねるなら、それは俺にとって最高の結末だ」


 ここまで言ってくれるパートナーに対して、もう俺には、拒む言葉はなかった。


「……本当は最初に言うべきだったんだけど。俺を思い出してくれて、俺の元へ帰ってきてくれて本当にありがとう。やっぱり俺には、カレンがいないとダメみたいだ」


 俺の言葉に、カレンは瞳を潤ませながら答える。


「そうだよバカ。エディには、私がいないとダメなんだから。もちろん私にとっても、エディがいないとダメなんだからね」


 そう言ってもう一度軽く唇を重ねると、カレンは俺から離れた。


「お前たちも。このバカに言いたいことがあるなら、今のうちに言っておいた方がいいぞ」


 カレンにそう言われ、まず最初にリン先生が近づいて来る。


「……ごめんなさい、エディさん。私なんかじゃ命を賭けてもエディさんを助けることができなくて。しかも、ミホちゃんを助けに行くってことは、そもそも止めなきゃならない理由すらなかったんですよね……。無駄なことをして。勝手に死んで。本当にごめんなさい」


 そう言って俯くリン先生に、俺は首を横に振る。


「そんなことないです! あの時点では、ミホは狂っているとしか思えませんでした。本当は狂ってなんかいなくて、俺のことを本当に想ってくれていただけなんですけど……」


 そう言って言葉を濁す俺に、リン先生は、勇気を振り絞るように言葉を続ける。


「エディさんの側には、カレンさんがいて、ミホちゃんもいて。私なんかがいなくても何も変わらないっていうのは、よく分かっています。私みたいに綺麗でもなくて強くもない女がいても、先程言われたように、邪魔で足手纏いにしかならないでしょう」


 そんなことはない。


 そう言おうとして、カレンが視線で俺を止めようとしているのに気付く。


「でも、気持ちは私もカレンさんと同じです。エディさんのためなら、命を賭けられますし、エディさんが死ぬなら私も死にます。だって私も、人生全てを捧げられるくらい、エディさんのこと、好きですから」


 リン先生はそう言って顔を赤らめる。


「本当は、死ぬまで内緒にしとこうとも思ったんですけど、さっき死んだ時に言っちゃったので」


 リン先生はそう言うと、少し悲しそうな顔をする。


「カレンさんよりも、ミホちゃんよりも。自分に女性としての魅力がないのは分かってます。……エディさんが、私のことを女性として見ていないのも。でも。そんなことを気にするのはやめました。二人にも絶対に負けていないと思えるものが、一つだけあるからです」


 リン先生はそう言うと、これまでに見たどんな笑顔より心のこもった笑みを浮かべる。


「エディさんのことを好きな気持ち。これだけは、二人にも負けません」


 リン先生は、表情を引き締めて、力強く告げる。


「これからは先生と生徒ではなく、一人の女として、エディさんのために尽くします。もちろん、見返りなんていりません。ただ側で。一緒に戦うことを許して欲しい。私の持つ全てで、エディさんの助けになりたい。それが私の願いです」


 正直な気持ちをぶつけてくれたリン先生に、俺も真っ直ぐに向かい合う。


「ありがとうございます。リン先生のことは人として尊敬しています。でも、正直、これまで女性として考えたことはありませんでした。それは、リン先生に魅力がないとかじゃなくて、俺にとっての女性はカレンだけで、他の人のことなんて考えられなかったからです。だから今、リン先生の気持ちに応えることはできません」


 俺の言葉に、寂しそうな笑顔を返すリン先生。


「ただ、リン先生のことは、素晴らしい人だと思っています。それに、とても可愛らしい人だとも……。今気持ちに応えることもできませんが、今すぐ断るほどに、女性としてのリン先生について知りません。ズルいとは思うんですが、ミホを助けた後、改めて考えさせて頂いてもよろしいでしょうか」


 俺の言葉に、パッと花が開いたように、表情を明るくするリン先生。


「ありがとうございます! チャンスがもらえるだけで、これ以上ないです! 本当に嬉し過ぎます……」


 そう言って目に涙を浮かべるリン先生を見て、カレンが苦笑する。


「そんなに喜んでもらっているところ悪いが、俺は魔王様にもリンにも、エディを譲るつもりはないからな。だがまあ、リンが悪い奴じゃないのは俺も知っている。魔王様だけじゃなくて、リンにも負けないように俺も頑張らなきゃな」


 目の前で浮気の可能性を仄めかす発言をした俺を怒ることなく、カレンはそう言った。


 残るはヒナとローザ。


 口を開かない二人に、俺から話しかけようとして、どちらから話すか迷っていると、別のところから声がした。


「……私も話をしていいかしら?」


 それは、アレスの剣を手にしたレナだった。

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