第223話 逆襲の奴隷⑤

 リカが地面に降りるまでの僅かな間に、俺は対応を考える。


 会いたくて。

 会いたくて。

 会いたくて。


 二度と会えないかもしれないと思っていた。

 会いたくて仕方のなかった最愛のパートナーであるカレンは言うに及ばず。


 自分を助けるために命を投げ。

 自分のことを好きだと言ってくれた恩師。

 まさかの元同級生だった尊敬すべき人。


 何のお礼も言えずに死なせてしまったはずのリン先生も。


 人間に虐待され。

 人間を嫌悪しているはずなのに。

 人間である俺のために、全てを捧げてくれた。


 俺なんかのことを慕ってくれているヒナも。


 元々はアレスの剣。

 剣の為に人生を捧げる気高き騎士。

 俺はアレスとは比べ物にならないほど劣っているはずなのに。


 俺の剣になってくれたローザも。


 俺にとってかけがえのない大事な人たちが、揃って俺を見つめていた。


 後僅かで地に着いてしまう。

 それまでに俺は、対応を考えなければならない。


 これから向かう先は、紛れもない死地だ。


 史上最強の魔王であるミホより、さらに強い女神もどきと。

 四魔貴族並の力を持つ者が数名と。

 全てを覆す可能性を持つ称号の力を宿す者数十人と。

 そして、数万の軍勢。


 そんな相手に少数で戦いを挑まなければならない。


 最低でも、将軍並の力は持っていないと、すぐに命を落とすことになるだろうと思っている。


 だからこそ、リカも俺をあの場にとどまらせてはくれなかった。

 今ならそれが良く分かる。


 俺の大事な人たちは、俺が死地へ向かうと知れば、喜んでついてくるだろう。

 たとえ死ぬのが分かっていても、喜んで死んでくれるのだろう。


 自惚れかもしれないが、俺はそう感じていた。


 逆の立場で、彼女たちがもし死地に向かうなら、きっと己もそうするだろうから。


 過ごした時は僅かだが、それだけの絆が彼女たちの間にあると思う。


 だからこそ、俺は彼女たちを連れては行けない。

 大切な彼女たちを、他の女性を助けに行く俺のエゴのために死なせるわけにはいかない。


 彼女たちは、みんな素晴らしい女性たちだ。

 俺なんかがいなくても、きっとそれぞれ良い人生を歩いていけるだろう。


 だから俺は、拒むことにした。


 彼女たちの想いを。

 彼女たちの親愛を。

 彼女たちの忠誠を。

 彼女たちの決意を。


 俺は全て拒むことにした。


 大切な彼女たちを死なせない為に。


 例え彼女たちを傷付けても。

 例え彼女たちに嫌われても。


 彼女たちに生きてもらう為に。


 俺は、覚悟を決めた。


 リカの足が地面へと着き、皆の注目が集まる中、俺は誰一人として見なかった。

 全てを拒絶し、ただミホを助けることだけを考えるようにした。


 そんな俺に気付きもせず、リカが咆哮のような声をあげる。


「我は魔王様の一の僕にして第二階位の龍リカ。これより我が主人である魔王様の旦那様よりお言葉を頂く。全員、静粛に聞くように!」


 静まり返る場。

 そんな静寂の中、リカの言葉の後に、俺は言葉を続ける。


「俺は、魔王の夫となる者だ」


 最初の一言で、全体に動揺が走る。

 魔族たちも、カレンたちも、それぞれに表情を変えて俺を見た。


 そんな様子に構わず、話を続ける。


「この場にいる魔族たちへ告げる。俺の妻となる予定の魔王が、本日の夜、神を名乗る不届き者たちと、この国に悪政を敷いた十二貴族たちの襲撃を受ける。敵の力は強大で、魔王ですら敵わない。力のある魔族は、俺と共に魔王を襲う敵を倒す助力をして欲しい」


 しばらくの沈黙の後、そんな俺の言葉にまず反応したのは、スサだった。


「何処の馬の骨とも知らない奴が、魔王様の夫だって? しかも、魔王様より強い奴が来る? そんな話信じられるわけがないだろう?」


 もっともなスサの言葉に、俺はリカの背から飛び降り、スサの元へと向かう。


 アレスが殺された時には、立ち向かうことすらできなかった存在。

 その強大な存在の正面に立つ。


「先程まで俺は、魔王と抱き合っていた。魔力の残り香で分かるだろ?」


 そう言って腕を広げる俺に、スサは顔を寄せると、表情を豹変させる。


「ば、バカな。本当に魔王様の魔力だ。身体中から……唇からも魔力を感じる……」


 言葉をなくしたスサを見て、カレンと同じ赤い瞳を持つ男が歩み寄ってきた。


「スサの魔力を感知する力は確かだ。少なくとも、お前が魔王様と抱き合い、唇を重ねるだけの存在だというのは分かった。お前が魔王様の夫になるとして、なぜ魔王様ではなく、お前が一人で来る? 魔王様ご自身が来られたならば、俺たちも疑わなくて済んだ」


 紅眼の魔族の問いに、俺は称号の力という説明が難しい部分以外、隠すことなく答える。


「魔王は俺との結婚式の準備で忙しい。そして、敵の内通者情報で、俺は今回の敵の攻撃を知ったのだが、その情報によると、四魔貴族であるナミが裏切り者だ。魔王本人まで動けば、俺が戦力を集めようとしていることが、バレるかもしれない。だからこの件は魔王には知らせず、俺の判断で動いている」


 俺の言葉に、スサが驚く。


「母上が?」


 スサとナミが親子だというのは初めて知ったが、スサの言葉に、俺は頷く。


「驚くことはない。母上は一度魔王様を殺そうとしたことがあるらしいからな」


 紅眼の男もまた、ナミの子どもらしい。


 二人とナミの関係を知り、俺は内心焦る。

 二人が、主人であるナミより、母親を選んでしまわないか。


 俺はそれを判断できる程、二人のこともナミのことも知らなかった。


「それで、話は魔王様を助けて欲しいということだったな」


 話を戻す紅眼の男に、俺は頷く。


「ああ。敵は強大過ぎる。俺とリカだけでは守り切れない」


 俺の言葉を聞き、笑い始める紅眼の男。


「クククッ。悪いが断る。あの方は魔王の座を降りられた。今の俺にはあの方を助ける義務はない。あり得ないとは思うが、もしあの方が敗れたならば、あの方を倒した敵とやらは、後で俺が殺してやる」


 確かにこの男の言う通りかもしれない。

 ミホ個人に忠誠を誓っていないのだとすると、今は魔王の座を降りているらしいミホを助ける義理はない。


「私も断る。魔王様のことは尊敬しているが、誰かに敗れたのならそれまでだ。弱い魔王に価値はない。テラ兄が言う通り、魔王様を倒した奴を倒して、私が新しい魔王となる」


 最高の戦力になるであろう四魔貴族二人に断られ、内心焦る俺。

 この二人なしには、仮に他の将軍が力を貸してくれたとしても、大きな戦力増強は図れない。


 そんな時、声をあげる者がいた。


「エディ。俺が手を貸そう」


 ずっと聞きたかった声。

 好きでたまらない声。


 ……でも、今は聞きたくなかった。


 皆に聞こえるように言われた為、無視することもできず、仕方なく俺は、声の主の方を向く。


「……カレン。君は連れて行けない」


 どうにか絞り出すようにそう返した俺。


 本当はこんなことを言いたくなかった。


 再会を喜び。

 なぜか俺を思い出してくれていることを喜び。


 抱きしめて唇を重ねたかった。


 でも、それはできない。

 カレンを死なせない為に、それはできない。


 俺の言葉に対し、カレンが笑みを浮かべながら返す。


「俺がいない間に別の女性を好きになったからか?」


 違う!

 俺は今でもカレンが好きだ。


 ……でも、そんなこと言えない。

 言える立場にない。


「……それもある。魔王は俺の初恋の相手だ。魔王と離れ離れになったから、仕方なくカレンで我慢した。カレンも知っての通り、魔王ほど美しくて強い女性はいない」


 徹底的に拒絶するための言葉。

 カレンに嫌われるための言葉。


 こんなこと言いたくない。

 でも、これくらい言わなければ、カレンは俺のことを見捨ててくれない。

 愛想をつかしてなんてくれない。


「それも、か。あとは、俺が弱いからか?」


 カレンは強い。

 レナから俺を守ろうとしてくれた時から、ずっとカレンは強い。


 ……でも、俺はあえて頷く。

 カレンを守る為に頷く。


「そうだ。カレンは弱い。一緒に来ても役に立たない。足手纏いになるだけだ」


 俺の言葉を聞いたカレンは笑う。


「言うようになったな、エディ。レナに襲われた時、魔法も使えない癖に、命懸けで俺と一緒に戦おうとしてくれたやつのセリフとは思えないな」


 徹底的に侮辱し。

 突き放し。

 嫌われるための言葉。


 それでも、カレンは態度を変えない。


「あの時とは変わった。俺は強くなった。四魔貴族と同じくらいに」


 ここで初めて、カレンが表情を変える。


「……強くなった? 笑わせるな、エディ。確かに魔力は増えたようだが、そんなものは強さではない。それを教えてくれたのは、他ならぬエディだ」


 俺はそんなカレンから目を逸らす。


「カレン。俺はカレンとくだらない話をしている暇はない。魔王を助けるため、そこの二人を説得しなければならないんだ」


 そう告げる俺に、カレンはため息をつく。


「エディにとってはくだらないかもしれないが、俺にはエディと話す理由がある。魔族にとってのプロポーズが重いっていう話はしたよな? それを一方的に破棄されたんだ。魔族にとって、これは許されざる行為だ」


 カレンの言葉に、俺もため息をつく。


「それで? 許されなかったら腹でも切ればいいのか? それなら、魔王を助けた後にしてくれ」


 俺の言葉に、カレンは首を横に振る。


「いいや。プロポーズを破棄する権利があるのは、戦って勝った方だけだ。許されざる行為も、戦って勝てば許される。それが魔族の世界だ」


 カレンはそう言うと、魔力を練り始める。


「俺と戦え、エディ。プロポーズを破棄された俺には、お前と戦う資格がある」


 カレンの言葉に、俺は再度ため息をつく。


「時間の無駄だ、カレン。カレンと俺とじゃ、勝負にもならない」


 俺の言葉を聞いたカレンは笑う。


「そうだな、エディ。確かにこのまま戦っても俺は負けるだろう。でも、俺は相談もなく一方的にプロポーズを破棄されたんだ。強者であっても相談も事前通告もなしにプロポーズを破棄するのはルール違反だ。だからハンデをもらおう」


 そう言ったカレンは声を張り上げる。


「リン!」


 カレンに呼ばれ、リン先生が杖をクルクルと回して、臨戦態勢をとる。


「ローザ!」


 細剣を十時に切って突きの姿勢を取るローザもまた、戦いの準備を整える。


「ヒナ!」


 ヒナは準備運動をするように、長い脚をゆっくりとまわすと、少しだけ腰を落として跳躍の姿勢をとる。


「……アレスの娘」


 最後にレナが、腰に刺したアレスの剣の柄に手をかける。


「大変お強くなられたエディ様。そんなエディ様なら、私たち雑魚が何人増えようが変わりませんよね?」


 慇懃無礼な言葉を発するカレンを、俺は睨みつけた。


「カレンが言う通り、何人増えても変わらない。俺は、力を得たばかりで加減をしてやれる自信はない。無駄なことはやめるんだ」


 俺の言葉を聞いたカレンが声をあげて笑う。


「はははっ。戦う前から勝つつもりか。エディ。お前は本当に、強さとは何か分からなくなったみたいだな。これから見せるのが、俺の……俺たちの強さだ」


 そう言って魔力を高めるカレンに対し、仕方なく俺は魔力を練る。


「なるべく手加減はするけど、怪我しても知らないからな」


 力の差を見せつければ、カレンも引き下がるだろう。


 そう思いながら、俺も魔力を高める。


 そして、最も戦いたくない女性たちとの戦いが始まった。

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