第222話 逆襲の奴隷④

 千年俺を愛してくれた人の笑顔。

 その笑顔をもう一度見ることができた。


 本当に時間が巻き戻っている。


 リン先生が死ぬ前に戻れていたらより良かったのだが、それはさすがに欲張りすぎな願いだ。


 ミホだけでも救うチャンスがもらえたことを、感謝しなければならない。


 もう二度と見られないと思っていたミホの笑顔を見た俺は、思わずミホを抱きしめる。


「ゆ、ユーキくん。嬉しいんだけど、私、初めては結婚初夜にしたいなって思ってて……。でももちろん、ユーキくんが今したいって言うなら、ユーキくんの望み通りにするんだけど」


 とても史上最強の魔王とは思えない華奢な体を抱き締めながら、俺は改めて誓う。

 千年も俺のことを思い続けてくれた初恋の人を、絶対に助けることを。


 俺は、抱きしめる手を緩め、ミホから少し体を離して、ミホの目を見る。


「急に抱き締めたりしてごめん。俺も初めては結婚してからにしたい。それとは別でお願いがあるんだけどいいかな?」


 俺の言葉に、ミホは笑顔で頷く。


「うん。何でも言って」


 俺は、頭の中で戦略を練りながら、表情には出さないよう心がけながら口を開く。


「俺たちの結婚式には、こっちの世界でできた俺の知り合いも招待したいんだ。だから、みんなを呼びに行きたい。一生に一度の晴れ舞台。どうせならみんなに祝福されて迎えたいからね」


 俺の言葉に、ミホの表情が変わり、空気が凍りつく。

 相変わらず笑顔ではあったが、その笑顔がさっきまでとは違うのは明らかだった。


「……そんなこと言って、私から逃げようなんて考えてないよね?」


 無理矢理連れてこられたばかりの俺が、この場を離れたいと言うのであれば、逃亡を警戒するのは当然のことだ。

 俺は慎重に言葉を選びながら、返事をする。


「絶対にそんなことはしない。ミホの知ってる俺は、そんな嘘をついて逃げるようなやつなのか?」


 俺の言葉に、ミホは首を横に振る。

 だが、その表情から、懸念の色は消えない。


「もしよかったら、リカを俺に貸してくれないか? リカが側にいれば、俺が逃げようとしても捕まえられるだろ? 俺も助かるし、ミホにとっても保険になると思うんだけど」


 俺の言葉に、ミホの表情が変わる。

 ただ、その変わり方は、俺の期待していたものとは異なっていた。


「……リカってどこの女?」


 顔からは凍りついた笑みすら消え、完全に魔王の顔となったミホの問いに、慌てる俺。

 今の時間軸では、まだ俺はリカに名前をつけていないことに気付く。

 経験したことがないタイムトリップという事象だから仕方ないと言いたいところだが、あまりにも軽率な発言に、俺は迂闊な自身を呪いたくなる。


「さ、さっき背中に乗せてもらったドラゴンの名前だよ。廊下でたまたま会って、そういう話をしたんだ。ご主人に黙って勝手に名前をつけて悪いけど、名前がなくて可哀想だったからつけてあげちゃったんだ」


 俺の言葉に、頷くミホ。

 苦しい言い訳だが、通用したのだと信じたい。


「そういうことだったのね。抱き締められた時に、ユーキくんの体からあのトカゲさんのメスの匂いがプンプンしたから、後で処分しなきゃいけないかなって思ってたんだけど……。名前をつけられたのが嬉しくて発情しちゃったのかな?」


 純潔を捧げられて破瓜の血を飲み、しかも子種を授ける約束までしたことなんてとても言えない雰囲気の中、俺はさらに慌てながら言葉を続ける。


「そ、そういえば、ちょうど今、発情期だって言ってたなー。でも、俺みたいなガキはタイプじゃないみたいだからきっと大丈夫だよ!」


 俺の言葉に、首を傾げながらも、ミホは頷く。

 嘘に嘘を重ねるのは良くないのは分かっていたが、今の状況では仕方がない。

 後でリカと口裏を合わせる事を強く決意しながら、ミホの表情を伺う。


「分かったわ。千年以上生きてきて、高位の龍に発情期があるなんて話初めて聞いたけど。もし、知り合いを連れに行くのが嘘で、あのトカゲさんと逃げたりしたら、私、ちょっと怒っちゃうかもしれないからね」


 ミホの言葉に、冷や汗を流しながら、コクコクと頷く俺。


 浮気をした男はこういう気持ちなんだろうと、まだ女性経験すらない俺は、学ばなくていいことを学ぶ。


「そ、それじゃあ、リカと明日の相談したいから、ちょっと探しに行ってみるね! 結婚式、楽しみにしてる」


 ミホにそれだけ言い残すと、俺はそそくさと部屋を出た。

 明日の夕食時には、ナミが裏切り、女神もどきたちが待つ罠へ飛ばされてしまう。


 勝負はそれまでだ。


「おお、旦那様。本当に過去へ戻れるとは驚きである」


 率直な感想を述べるリカに、俺はとりあえず先程決めた事を告げる。


「リカは、名前がなくて可哀想だったから、さっき俺に名前をつけられた。そして、ドラゴンにも発情期があり、リカは今発情期だ。そういう設定で頼む」


 俺の言葉に、リカは疑問の表情を浮かべる。


「前者は分かるが、高位の龍には発情期などないぞ。強いて言うなら、我に子種を捧げてくれる約束をしてくれた旦那様に、発情していないかと言われたら、してるかもしれないが……」


 そう言って頬を赤らめ、モジモジと俺を見るリカ。


「いいから、死にたくなければそういうことにしてくれ」


 俺の言葉に、渋々と頷くリカ。


「よく分からないが、分かったのである……」


 そんなリカの様子を確認した俺は言葉を続ける。


「それじゃあ、ミホを助ける作戦について相談したい」


 俺の言葉に、力いっぱい答えるリカ。


「作戦も何もないのである。女神を宿すことになる少女をすぐに殺しに行けばよいのである」


 リカのあまりにも脳筋な提案に、俺は頭痛がしてくる。


「敵には、四魔貴族並の強さの敵が何人もいて、さっきのマナのような特別な力を持った者も、何十人もいる。二人だけで挑んでも自殺行為だ」


 俺の言葉を聞いたリカは考えるそぶりを見せる。


「それではどうするのであるか? とりあえずあのナミとかいう四魔貴族を殺しておくでよいか?」


 それも得策とはいえないだろう。

 ナミを殺せば、敵は警戒するに違いない。


「マナの話が本当なら、俺がさっきまでいた王国に、味方になりそうな戦力が集まっているはずだ。そこでまずは戦力増強して、こちらの体制を強化する」


 俺の言葉に、リカが頷く。


「さすがは旦那様である。それでは早速行くのである」


 今から? という問いを行おうとして、考え直す。

 動くなら早い方がいいかもしれない。

 仲間が増やせるなら、その仲間たちと一緒に作戦を考えて方がいいだろう。


「分かった、すぐ行こう!」


 俺は自室から刀を持ち出すと、リカと一緒に中庭へ出る。


 服を脱ぎ、ドラゴンの姿へと変貌するリカ。

 その大きな背中に俺が飛び乗ると、リカはすぐさま翼を広げて飛翔する。


「少し飛ばすのである!」


 リカはそう告げると、一気に空を駆ける。


 魔法の力のおかげで乗る者への影響はないが、そのスピードは、元の世界での航空機を想定させた。


 あっという間に魔王の城は見えなくなり、広大な森を越えてしばらくすると、見慣れた王都が目に入ってくる。


 そのまま王都へ突入するかと思ったが、直前でリカは翼を止めた。


 その理由は、聞かずとも分かった。


 王都の中心部から感じる凄まじい魔力。

 その強烈な気配に、リカは翼を止めたのだ。


「旦那様。このまま行ってもよいか?」


 リカの質問に対し、少しだけ様子を探る俺。


 王都から感じる特に巨大な魔力の二つの内、一つは覚えのあるものだった。


 アレスが死んだ要因の一つとなった四魔貴族。

 忘れもしない、スサのものだ。


 リカの言葉では、俺も四魔貴族並の力を持っているとのことだが、それでも、その魔力から、恐怖と畏怖を感じるのを止めることができなかった。


 もう一つは、感じたことのない魔力。


 だが、その魔力の気配は、スサと比べても遜色ないほど強力だ。


 まだそれなりの距離があるはずだが、その距離でも熱を感じるほどの熱く燃えたぎった魔力。

 きっとこの魔力の持ち主も、四魔貴族並の強さを持った者だろう。


 その他にも四魔貴族程ではなくても強力な気配がいくつもあった。


 マナの言葉は嘘ではなかったようだ。


 この魔力の持ち主たちが素直に従ってくれるかは分からない。

 スサに至っては、恩人の仇とも言える存在だ。


 でも、ミホを助けるためには、たとえ仇でも味方につける必要がある。


「行こう。それ以外に道はない」


 俺の言葉に、リカが同意を示す。


「心得た。前ここへ来た時は、いきなり雷を落とされたのである。またいきなり攻撃されては困るので、気配を遮断するのである。旦那様は、口を開かず魔力を抑えていただきたい」


 リカの申し出に、俺は頷く。

 すると、リカと俺が周りから遮断されるのが分かる。

 どのような手段かは分からないが、奇襲にはもってこいの能力だ。


「それでは参ろう」







 再び空を駆け、王都の中央まで来たリカは、ゆっくりと地へ舞い降りようとする。


 徐々に近づく地面を見ながら、俺は称号で仕組まれた運命を呪った。


 俺の瞳に映って離れなかったのは、嵐を体現したかのような、荒々しい魔力を纏う四魔貴族のスサでもなく。

 太陽のように輝き、燃えるような熱い魔力を発する知らない男でもなかった。


 ミホを助ける仲間を集めに来たと言う目的を、忘れてしまいそうになるくらい、俺にとってかけがえのない人たち。

 一人一人が、俺にとってなくてはならない人たち。


 俺のことを忘れてどこかへ行ったはずの、生涯を共にすると誓った最愛のパートナー。


 俺に好意を告げ、俺を助けるために命を落としたはずの恩師。


 俺のために尽くし、人生を捧げる覚悟をしてくれたのに、見捨ててしまった忠実な奴隷。


 見殺しにして魔族の餌になってしまったはずの、気高い俺の騎士。


 ……俺を取り巻く、大事な女性の全てもまた、一堂に会していた。

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