第220話 自称神と魔王
飛び去る黒龍の姿が見えなくなった後、魔王が口を開く。
「それじゃあ始めましょうか。さっさと貴女たちを倒して、新しい男性を探さなきゃならないので」
つい先程まで、涙と鼻水で崩れていた少女の面影はかけらもなく、そこには威厳と自信に満ち溢れ、千年誰にも負けたことのない、最強の魔王の顔があった。
そんな魔王を見つめながら、女神の皮を被った悪魔が告げる。
「無様で惨めで可哀想ですわね。千年待った相手には別の好きな人がいて。そして、再会して数日で、一度も結ばれることすらなく、ここで私たちに滅ぼされる」
女神もどきの言葉を聞いた魔王は、鼻で笑う。
「千年想い続けた相手と、例えほんの一瞬でも幸せな時間を過ごすことができた。その幸福を理解できない貴女の方が可哀想よ」
魔王の言葉を聞いても、女神もどきは表情を崩さない。
「そんなことより、本当に貴女、私に歯向かうのですか? 素直に殺されてくれれば、楽に死ねますのに。神に歯向かった者の末路は悲惨ですよ」
女神もどきの言葉に、魔王はうんざりした表情を見せる。
「同じことを何度も言わせないで。私は負ける気はさらさらないわ。それより、貴女こそ楽に死ねるとは思わないで。ユーキくんとのことはさっき話した通りだけど、それでも怒ってはいるの」
言葉を終えると共に高まる魔力。
それに呼応するかのように、女神もどきの魔力も高まる。
かたや、見るだけで命を奪われそうな悍ましいまでの漆黒の魔力。
かたや、眩いばかりの神々しさと暖かさを感じる黄金の魔力。
その魔力がぶつかり合い、入り混じる。
並の者なら、その場にいるだけで死す。
だが、この場にいるのは、千年この世界に君臨した魔王を倒すために集められた者たち。
特に最前線には、魔力を浴びただけで死ぬようなやわな者はいない。
「まずは予備燃料から消しておこうかしら」
魔王はそう言うと、右手を振りかぶり大きく薙ぐ。
ーーブォンッーー
魔王を中心に発せられた、死神の鎌のような漆黒の刃が、周囲の人間の命を刈り取ろうと唸りを上げる。
『さ、聖域(サンクチュアリ)!』
言葉と共に発生した輝く壁が、その恐るべき攻撃を遮断する。
神官服を着た少女を中心に広がるその壁は、魔王の攻撃を受けるとすぐに消えた。
「……貴女もいたの。それじゃあ予備燃料は後回しね」
おそらく称号によるものであろうその壁は、魔王の力を持ってしても、数ヶ月破れなかった。
大魔王の資格を取り戻した後なら分からないが、今は打開策がないため、やむを得ず魔王はそう判断する。
「これはどう?」
魔王はそう言うと、今度は左手を下から上に振り上げる。
ーーズサズサッーー
針地獄のように地面から突き出る無数の土の槍。
千を超える槍に、多くの者が串刺しにされる。
だが、女神もどきをはじめ、四魔貴族並みの力を持つ者や、その他の強者と思われるものは、皆その攻撃を回避していた。
数百人単位の者が一瞬で死に絶えたが、大勢には影響がない。
それでも魔王は態度を変えなかった。
「予想通りってところね。これで一旦の検証は終わり。それじゃあそろそろ戦いを始めましょうか」
そう呟く魔王に、女神もどきはニヤリと笑う。
「そちらばかり一方的に検証、というのはズルいので、こちらも少しばかり試させていただきましょうか。次期王様。頼みますね」
女神もどきの言葉を受けた、眼鏡の男が前に出る。
「……戦う前に。お前が俺の女になるなら、女神様に頼んで、しばらくは生かしてやってもいい」
男の言葉を聞いた魔王が吹き出す。
「面白い冗談ね。せめてユーキくんの半分は魅力的な男になってから出直してきて」
魔王の言葉を聞いた眼鏡の男が表情を変えずに告げる。
「残念だ。お前はいい女だが、男を見る目がないのが欠点だ」
眼鏡の男はそう呟くと、後ろへ向かって叫ぶ。
「あいつを前に出せ!」
男の言葉に、目隠しされた肥満体型の男が前に出される。
男は首を左右に振りながら口を開く。
「ぜ、絶世の美女というのはどこ? これだけ手の込んだことをして、大したことなかったら許さないぞ」
眼鏡の男は、汚らしいものを見る目を肥満体型の男に向けながら告げる。
「ああ。世界一の美女が目の前にいる。だからさっさとしろ」
眼鏡の男の言葉を聞いた肥満体型の男が答える。
「わ、分かった。ち、ちゃんと一番最初にやらせるんだぞ!」
男がそう言った次の瞬間、男の半径数十メートルから、魔力が消えた。
流石に戸惑う魔王に対し、眼鏡の男が告げる。
「放て!」
魔王へ向かって一斉に放たれる大量の矢や投石。
魔力が使えれば、魔法障壁すら張らずに凌げる攻撃。
そんな攻撃に、魔力の使えない魔王は、完全には対処しきれない。
急所に迫る攻撃は、手足で撃ち落としたり、回避したりで凌いだものの、千を遥かに超える止まない攻撃を、魔力無しでは無傷で受け切れない。
すぐさま手足から無数の矢を生やす魔王。
称号の力によるものだと判断した魔王は、目隠しされたままの肥満体型の男に狙いを定める。
気絶させただけではこの事象が止まるか判断できない魔王は、その男がおそらく元クラスメートだと気づきながらも、一歩でその眼前へ迫り、その心臓を手動で貫く。
「ゴプッ」
言葉すら吐けずに倒れる肥満体型の男。
男が生き絶えると共に魔力が使えるようになったことを確認した魔王は、身体中の矢を無理やり引き抜くと、すぐに魔力で回復する。
「仲間を……クラスメートを捨て駒にするなんて、とても血の通った作戦ね」
魔王の皮肉に、眼鏡の男は表情を変えない。
「こんな下卑た輩を仲間だと思ったことはない。たまたま同じクラスだっただけ。こんなクズが、千年無敗の魔王に手傷を負わせられたんだ。この最底辺の男に役割を与えてやっただけ、感謝されてもいいくらいだ」
眼鏡の男の言葉に肩をすくめながらも、警戒を怠らない魔王。
純粋な戦闘力では、この状況でも魔王は負けるとは思っていなかった。
数的な不利も、女神もどきの力も、厳しくはあるが、絶対的なものではない。
千年備えてきた魔王にとっては超えられない壁ではなかった。
だが、称号の力は違う。
己の全力をもってしても破れない光の壁。
恐らくお互いが一切魔力を使えなくする肥満の男の能力。
どちらも、使い方次第では魔王を殺しうるのに十分だ。
もし先程の肥満の男が、それなりの戦闘力を持っていたら。
男を倒すのに手間取っている間に、魔王はハリネズミとなり、その一手だけでこの戦いは終わっていただろう。
ただ、称号の力も万能ではない。
強力な力には、厳しい制約があるだろうし、ヨミや先程の肥満の男のような能力は、相手だけでなく自分にもその能力は影響する。
どんな強力な称号の力相手でも、打開策は必ずある。
魔王はそう自分に言い聞かせながら、次の攻撃に備えた。
女神もどきの次の一手は、物量に任せた魔法。
だが、次々と襲いくる魔法も、魔王にとっては屁でもなかった。
炎も。
水も。
雷も。
氷も。
土も。
風も。
全てが己より遥かに劣る攻撃。
魔法障壁すら必要なかった。
通常の魔法攻撃が無駄だと悟ると、今度は称号の力によるであろう攻撃が続く。
「ボクの奴隷にしてやるよ」
そう言って、整った顔を下卑た笑みで覆い尽くす男。
次の瞬間、魔王を劣情が襲う。
軽蔑したはずの下卑た笑みの男に対する好意が湧き上がってくる。
その美しい金髪と整った顔が、愛しくてたまらなくなってくる。
「こっちへ来い」
己の力に魔王が堕ちたと判断した男は、魔王を自分の方へ呼ぶ。
素直に従い、男の元へ歩み寄る魔王。
「くくくっ。チョロいな。ボクの魅了にかかれば、どんな女でも俺の思うがままだ」
虚ろな目をしたまま、右手を男の頬へ伸ばす魔王。
そして、右手が頬へ触れると……
その爪で男の頬を切り裂いた。
「ぐわっ! ボ、ボクの美しい顔が!」
醜く叫ぶ男の股間を蹴り上げる魔王。
ーーグチャッーー
何かが潰れる音がして、蹲る男。
「な、なんでボクの魅了が効かないんだ……」
そう言った後、痛みで気を失った男には目もくれず、ミホは女神もどきの方を向く。
「……次は?」
そう尋ねるミホの前に、この場にいるはずのない人物が立ち塞がった。
「ユ、ユーキくん……」
白髪の少年は、魔王の方へ歩み寄る。
その顔も。
その眼も。
その魔力も。
間違いなく己の愛する少年のものだとミホは感じていた。
「ミホ。もう終わりにしよう。女神様からお許しが出たんだ。ミホが魔王を辞めるなら、俺が死ぬまでは一緒に生きていいって。ミホの寿命は縮めちゃうけど、その分俺が幸せにするから、戦うのはやめて、二人で生きよう」
逃げたはずの少年が、なぜここにいるのかは分からない。
リカが捕まり、連れ戻されたのだろうか。
魔王はぼんやりとした頭で考える。
「さあ、ミホ。魔力を解いてこっちへ来てくれ。そんな魔力を発せられたら、俺はミホを抱きしめることもできない」
両手を広げ、魔王を迎え入れようとする少年の元へ、フラフラと歩み寄る魔王。
……そして。
魔王は笑顔を向ける少年の顔を、右手で切り裂いた。
「な、何をするんだ!」
血だらけの顔を抑える少年の顔が、ボヤけて中年の男のものとなる。
ぼんやりとしていた魔王の頭がスッキリと晴れた。
「ユーキくんなら、私と一緒に生きようなんて言わない。死ぬのを覚悟で、私と一緒に戦ってくれる。それがユーキくんよ」
それだけ言うと、顔を押さえる男を、蹴り飛ばした。
魅了も幻惑も、強力な能力だ。
だが、魔王はあらゆる能力を想定して、この千年備えてきた。
精神に魔力でプロテクトをかけ、己を守る手段も用意していた。
そうでなければ、二人のどちらかの能力で、破れていただろう。
魔王は、女神もどきの顔を見る。
確かに称号の力は強力だ。
だが、決して抗えないものではない。
強力な能力には代償か、厳しい条件のクリアが必要で、そうではないものなら、今の二人のように対処のしようがあった。
魔王は仁王立ちしながら女神もどきへ告げる。
「あと何人、称号の力を持つ人がいるのか分からないけど、さっさと使ってきなさい。一人残らず返り討ちにしてあげる」
魔王の言葉を聞いた女神もどきは、一瞬目を丸くした後、声をあげて笑い出す。
「ぷっ。うふふ、あーっはっはつ」
突然の女神もどきの醜態に、魔王は眉を顰める。
「……何がおかしいの?」
不機嫌さを隠さない魔王の周囲の空気が、さらに濃くなった魔力で歪む。
そんな魔王を意に介さずに、女神もどきは笑いながら告げる。
「だって貴女、捨て駒に過ぎない相手をたった三人倒しただけで、勝てるつもりでいんですもの」
女神もどきはそう言うと、笑みをやめる。
「自分の欲望を満たすためにしか称号の力を使えない、残念な子たち。そんな子たちを処分しただけですよ。それなのに貴女ったら、勝てる気になっちゃって」
女神もどきはそう言ってまた、ぷふふと笑う。
「確かに貴女は強いし、千年もの間、あらゆる事態に備えて準備してきたのでしょう。まともに戦えば、称号の力を使っても、こちらは大勢死ぬでしょうし、私ですら絶対勝てるとは言い切れません」
魔王には、女神もどきの言葉の意図が分からない。
それならば、己の考えは間違っていないではないか、と魔王は思う。
だが、そんな魔王の想いは次の言葉で打ち砕かれる。
「でも、貴女には明確な弱点があります。どうしようもないほどに、決定的な弱点が」
女神もどきはそう言うと、その美し過ぎる顔を、醜い笑みで覆う。
「さっき黒いドラゴンと一緒に逃げた男の子。あの子がいる限り、貴女に勝ちはないのです」
女神もどきがそう言うと、暗い雰囲気の、黒髪に眼鏡をかけた少女が、女神もどきの横に出てくる。
「例えばこの子の称号の力は、運命を捻じ曲げることができます。もちろん限度があって、この子より遥かに強い貴女を殺すような使い方はできません。せいぜい、貴女に味方しそうな強力な魔族たちを、この場に来させないよう、人間の国へ向かわせる程度です」
女神もどきの言葉の意図が、魔王には分からない。
「でも、弱い人間なら話は別です」
女神もどきの言葉に、魔王はピクリと反応する。
「例えば、空を飛ぶ龍の背中から、誤って落っこちる、なんてこともできてしまいます。どんな強い護衛をつけても、無駄なのです」
女神もどきの言葉に、魔王はようやくその意図を悟る。
「あの子を殺されたくなければ、負けを認めなさい。ただ、素直に降伏せずに逆らった分、罰を与えます。死んだ方が良かったと思える程の苦痛を与え、貴女を犯したくて仕方ない貴女のクラスメートたちに凌辱させます」
女神もどきはそこまで言うと、いやらしく笑う。
「貴女の千年は無駄だったのです。あの奴隷に惚れた時点で貴女は終わっていたのです」
女神もどきは勝ち誇ったように笑いながら、魔王のそばまで歩み寄る。
「もっとも、我が身可愛さに、あの奴隷を見捨てて、私たちと戦うと言うのなら、今ここで私を攻撃すればいいでしょう。その瞬間、仮に私を倒せたとしても、あの奴隷は死ぬことになりますが」
女神もどきの言葉に、魔王は何も言い返せない。
彼が弱点になるのは分かっていた。
だからこそ、強力な護衛をつけてこの場から逃した。
この女神もどきの言葉が、本当かどうかは魔王には分からない。
でも、本質はそこではない。
嘘やハッタリである可能性の方が高くても、魔王は手が出せなくなった。
それ程、魔王にとっての彼の存在は特別だった。
たとえ僅かな可能性だったとしても、彼に危害が及ぶリスクがあるのなら。
魔王にはもう、何もすることができなかった。
悔しいが、女神もどきの言う通りだと魔王は思う。
彼に惚れた瞬間から、魔王はもう、この女には勝てなくなっていたのだ。
「……一つだけ約束して。ユーキくんには絶対に手出しをしないって。もし約束を破ったら、たとえ死んでも、地獄の底から貴女を殺しにくるから」
魔王の言葉に、女神もどきは、慈悲深さの仮面を被った笑顔を見せる。
「もちろん、神として約束は守ります。ただ、それは貴女が、この後の苦痛と恥辱に耐え切ったら、ですが」
女神もどきの言葉に、しばらく魔王は目を閉じて、そして目を開くと、全てを諦めた表情で静かに頷いた。
……こうして、千年続いた魔王の時代は、魔王の敗北によって一旦の終わりを迎えた。
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