第219話 逆襲の奴隷②

 リカの突然の言葉に戸惑う俺。


「龍は一階位差以内の相手の子しか産めぬ。第一階位の龍は行方しれずで、第二階位は我しかおらず、第三階位の龍は女だ。だから我は子を産む事ができぬ。だが、旦那様が我の血を飲み、我に近づけば、我は子を孕む事ができるかもしれぬのだ」


 子供を産むチャンスすら得られないリカのことは、確かに不憫に思う。


 だが、俺はすぐに頷くわけにはいかない。


「リカはミホの配下なんだろ? ご主人様がいなくなった途端、ご主人様の未来の夫の子種を欲しがるというのは、許されないと思うけど。浮気や寝取りみたいなことを提案してくるやつを、俺は信用できない」


 リカは、俺の言葉が理解できないという顔をする。


「旦那様は何を言っているのであるか?」


 リカは心底分からないという顔で尋ねてくる。


「浮気? 寝取り? そんな言葉は意味のないものである。優れた男子には、その優秀な血を、より多く、より永く広める義務があるのである」


 リカは真面目な顔で詰め寄る。


「より強く、より優れた種を求めるのは、生物として当然のこと。もちろん我は、旦那様の正妻になろうとはかけらも思っておらぬ。お情けだけいただければ良いのである。我が孕むまで、存分に精だけ注いでくれれば良いのである。魔王様には及ばぬが、我のこの容姿は、そう悪くないものだと思っている。だが、気に入らぬというのなら、我は姿を変えることができる。魔王様には及ばぬとも、旦那様の望む姿となろう」


 リカは俺の耳元で囁く。


「だから我に旦那様の子種を授けて欲しい。我には旦那様しかおらぬのだ。何千年も待ちわびて、ようやく出会えたのだ」


 懇願するようなリカの声に、俺はなんと答えたものか悩む。


 確かにリカは美しい。


 カレンやミホという存在がなければ、俺は頷いていたかもしれない。


 でも、俺は彼女たちを裏切れない。

 たとえリカ本人がよくとも、リカを抱くことなんてできない。


 だが、もし断ったらリカは俺に血を与えてはくれないだろう。

 そして、ミホの元へ連れて行ってもくれないだろう。


 それは困る。


 現代日本に生きていた身からすると想像が難しいが、王や貴族がその血を絶やさないために、後宮や大奥が存在し、側室や妾を当然のように設けていた時代があることは、知識では知っている。


 自然界でも、一匹のオスが、たくさんのメスを養っている例は、数え切れないほどある。


 でも、自分が割り切れるかどうかは別だ。


 一人の女性を愛し、生涯その女性のためだけに生きる。


 それが俺の思う愛の形だ。


 何人もの側室や愛人を設け、体の関係を持つのは、俺の考えとはそぐわない。


 考え込む俺に、リカが迫る。


「もちろん、旦那様は魔王様を最優先で愛せばよい。我には、魔王様に月のものが来た時や、魔王様が不在の時に精を注いでくれればよい」


 それでも俺は頷けない。

 男としては都合の良すぎる提案かもしれないが、俺はそれを受け入れられない。


 そんな俺に、リカがトドメを刺す。


「……旦那様は、ご自身のよく分からない貞操観念と、魔王様のお命、どちらが大事なのであるか?」


 リカの言葉に、俺はどきりとする。


「仮に魔王様が旦那様と同じよく分からない貞操観念をお持ちだとして、それを理由に魔王様から旦那様が恨まれたとして、何か問題があるのであるか? 旦那様は命を賭けて魔王様を救うと決めたのだと思っていたのであるが、命より、魔王様を助けに行くことより、そのよく分からない貞操観念の方が重いのであるか?」


 俺はリカの言葉に、返す言葉がない。


 俺の貞操観念と、俺がミホやカレンに悪く思われるかもしれないこと。


 その二つを犠牲にするだけでミホを助けにいけると言うのなら、何を迷う必要があるのだろうか。


 リカが言う通りなのかもしれない。


「……分かった。ミホを無事救い出せたら、リカにその……子種を授けるよ」


 俺の言葉を聞いたリカが、満面の笑みを浮かべる。

 

「交渉成立であるな。血を用意するから少し待つのである」


 リカはそう言うと、この場を離れ、木の影へと隠れるように、俺の前から姿を隠した。


 血を用意するのになぜ隠れる必要があるのか分からなかったが、特に問題にすることでもないので、俺はその場で待ち続けた。






 しばらくすると、リカがその手に、木の器に入った血を持って帰ってきた。


 少し苦痛に満ちた表情のリカ。


 表情から察するに、ドラゴンは痛みに弱いのだろうか。

 普段傷つけられることのない者が痛みに弱いのはあり得る話だ。

 もしかすると痛みに苦しむ姿を見せたくなかったのかもしれない。


 そんなことを考えていた俺に、リカが血の入った器を差し出す。


「我が血である。旦那様であれば大丈夫であるとは思うが、命の危険は皆無ではないのである。覚悟の上飲んで欲しい」


 リカの言葉に俺は俺は頷く。


 安易な強さを求めるのに、リスクがないわけがない。


 カレンから魔力を得るのにも三割しか成功しないリスクがあった。


 ましてや今回はそれ以上の力を得るのだ。

 リカの言葉では、成功する可能性が高いとのことだったが、それもどこまで信頼できるか分からなかった。


 どれだけ望んでも手に入らなかった力が、この血を飲むだけで手に入るかもしれない。


 真面目な努力を嘲笑う行為。


 その賭けの対象が、命だというのなら、俺にはベットする以外の、選択肢はない。


 ここで死んでしまうことも覚悟の上で、俺はこの血を飲むべきだろう。


 俺はリカの手から器を受け取る。


 器の中の血は、人の血より遥かに赤く見えた。

 その血からは、神々しく濃厚な何かを感じる。


 俺は一瞬躊躇いそうになる気持ちを抑え、器に口をつけた。


 血を啜りながら、ふと前を見ると、そんな俺の様子を見つめるリカと目が合った。


 リカの表情に笑みが浮かぶ。


 その笑みは段々と顔全体に広がり……。


 獰猛なドラゴンそのものとなった。


 器の血を飲み干し、そんなリカに笑みの理由を問いただそうとしたその時だった。


ーードクンーー


 突然心臓が焼けるように熱くなった。


 いや。

 心臓だけではない。

 全身の血管が燃えるように熱くなる。


 血管に沸騰した水を流されたかのような感覚。


 熱くて熱くて熱くて。


 地面をのたうちまわりたくなる感覚。


 カレンに魔力を流してもらった時も苦しかったが、今はそれ以上に辛い。


 心臓が脈打つたびに、全身を焼けるような熱さが駆け巡る。


 立っているのもままならず、膝をつき、地に伏せ、地面を掴む。

 それでも熱さはおさまらず、むしろ俺の体を蝕んでいく。


 その熱さは血管に留まらず、細胞の一つ一つにまで広がる。

 全ての細胞が熱で溶かされているかのような感覚。


 痛みとも熱さとも分からないその感覚で、意識が混濁する。


 人間としての俺が死に、新たな生物として生まれ変わっていく。

 そんな感覚。


 どれだけの時、苦しんでいたかは分からない。


 途中からは、あまりの熱さに、記憶も曖昧だ。


 ふと気付くと、俺の目に、まるで愛しい我が子を見つめるような優しい視線で俺を見つめるリカの瞳が映る。


 いつの間にか意識を失い、リカの膝の上で眠っていたようだ。


「……目が覚めたであるか」


 俺に向けられたリカの声も、心なしか優しく感じる。


 俺は軋む体を無理やり起こそうとするが、そんな俺を、リカは押し留める。


「人間から、半分龍になったのである。まだ無理はしないほうが良い」


 自分が半分龍になった実感は、正直なかった。

 体がまだ機能していないせいかもしれないが、力が漲るわけでも、溢れる魔力が感じられるわけでもなかったからだ。


 だが、一つ確実に変わったものがある。


 それは、リカが俺へ向ける視線だ。


 リカの血を飲むまでは、ミホという存在を通じてしか見ていなかったはずの俺を、ちゃんと真っ直ぐに見てくれている。

 俺と言う存在をしっかりと認めて見ている。


 俺の勘違いでなければであるが、その視線に幾らかの愛情と劣情を乗せて。


 リカの右手が俺の頭をそっと撫でる。


「やっと……やっと会えた。我の番(つがい)となる相手に」


 リカの目から溢れる透明な液体が、俺の頬に落ちる。


 リカがどれ程相手を待ち侘びたのかは分からない。

 だが、俺はリカを利用しただけだ。

 考えたくもない程最低な形で。


「悪いが、番いにはなれない。約束だから子供を産む手伝いはするが、俺はリカを幸せにはできない」


 俺の言葉を聞いたリカは、これまで見たことのないくらい柔らかい表情で微笑む。


「もとよりそれは承知の上である。それでも我は嬉しい。もはや叶わぬと思っていた子を成す夢が、旦那様のおかげで叶う可能性があるのだから」


 リカはそう言うと、ゆっくりと俺の体を起こす。


「体調はいかがであるか?」


 俺は何とか自分の力で座りながら、リカの質問に答える。


「正直、想像していたよりきつかったが、何とかなりそうだ。魔法式で土台ができていてもこれだとすると、普通の人間ならほぼ死ぬというのがよく分かった」


 俺の言葉にリカが曖昧な笑みを浮かべる。


「ははは。血は血でも我がジュンケツの代償であるからな。並の血であればここまでの影響はないであろうが、得られる力も限られる。賭けではあったが、さすがは旦那様。よくぞ耐えられた。魔王様が旦那様に選ぶ男性だけのことはある。正直、我の旦那様への評価があまりにも低かったことを思い知ったのである」


 ジュンケツという言葉が理解できない。


 純粋な血液のことか?

 それとも、血液にも、筋肉のように部位によって名前があったりするのだろうか?


 疑問符を浮かべる俺に、リカがさもこともなげに、笑顔で告げる。


「ああ。旦那様に飲んでいただいたのは、我が数千年の間、誰にも捧げられずにいた純潔、つまり、処女膜を破ったことによる破瓜の血である。心臓ほどではないかもしれないが、それなりの神性は宿っているはず。旦那様の今の力は我に大きく近づき、四魔貴族にも匹敵するであろう」


 リカの言葉に、俺は思わず立ち上がり、リカを見つめる。


 さもこともなげにリカが告げた言葉に、俺は理解が追いつかない。


 この龍は、自ら処女膜を破り、そこから出た血を俺に飲ませたというのか?

 数千年も守り抜いた純潔を、こんな簡単に?


「……リカはこんな形で処女を散らして後悔はないのか?」


 俺のストレートな質問に、今度はリカが疑問符を浮かべる。


「後悔? 旦那様が我の最初で最後の相手になってくれるのであろう? その旦那様に純潔を捧げることのどこに後悔があるというのか?」


 そこまで言ってから、リカは、分かったという顔をする。


「そうか。旦那様は己の手で我の初めてを奪いたかったのであろう。その期待を裏切ったことによる後悔であるか?」


 完全に間違ったリカの言葉に、俺は返事をする気力も失せる。


 俺は会話を諦め、改めてリカを見た。


 正直、ミホを助けに行って、生き残れる可能性はないと思っている。

 だから、リカとの約束は果たされることはないと思っていた。


 でも、この突拍子もないリカの行動を受けて、俺は考え直す。


 離れ離れになっただけで初恋の人のことを忘れ。

 他の女性を助けるために、生涯を誓った相手との再会を諦める。


 そんな不誠実な俺。

 もはや最低な男である事実は覆せない。


 それでも、数千年も守った純潔を捧げてくれた相手に対し、少しでも真摯でありたかった。


 ミホにとっても。

 カレンにとっても。


 俺は相応しい男にはなれなかった。


 これは単なるエゴで、褒められたものでも何でもない。


 ただ、お互いたとえ愛はなくても。

 自分に純潔を捧げてくれた初めての相手に、真剣に向き合うことは、俺の人としての最低限の思いだった。


「リカ」


 俺の言葉に、リカが真っ直ぐ俺の目を見る。


 俺はリカのことを何も知らない。


 数千年を生き、最近ミホの僕となったばかりの、第二階位のドラゴン。

 数千年守り続けた純潔をたった今俺に捧げてくれた女性。


 それが俺の知るリカの全てだ。


 愛してなどいない。

 好きかどうかを語るほど相手を知らない。


 それでも俺は告げる。

 本当に愛した人一人としか結ばれないという、これまでの己の信念を曲げて告げる。


「ミホを助けに行こう。そして、無事ミホを助け出せたら、俺の子を産んでくれ」


 カレン、本当にごめん。


 心の中で土下座して告げる。


 俺は最低の男だ。

 決して許されない、地獄行き間違いなしの男だ。


 それでも、千年自分を愛してくれた人も。

 数千年守った純潔を捧げてくれた相手も。


 俺は見捨てることができない。


 今もカレンのことを、心の底から愛している。

 それでも、カレンへの愛だけに真摯になり、それ以外の全てを捨てることができなかった。


 俺の言葉を聞いたリカが微笑む。


「ようやく覚悟を決めてくださったか。純潔を散らした甲斐があったというものである」


 そんなリカの笑顔に胸を痛めつつ、俺は笑みを返す。


 地獄になら行ってやる。

 その代わり、ミホのことは助け出す。


 立ち上がったリカの内腿を血が流れる。


「まだ血が残っていたか。旦那様、まだ飲むか?」


 そう言って俺を揶揄うように笑うリカを睨んだ後、胴体だけを布で覆っているリカの長い脚から目を背けつつ、俺は告げる。


「血はもう十分だ。一刻も早くミホを助けに行こう。ミホが簡単にやられるとは思わないが、いつまでも一人で戦わせるわけにはいかない」


 俺の言葉に頷いたリカは頷く。


「それでは我が背に乗るが良い」


 そう言って布を外し、その体を龍へと変貌させようとするリカ。


 そんなリカの美しい裸体から目を逸らそうとした俺の視界に、見覚えのある空間の歪みが映る。


 アレスが殺された時に見た歪み。

 ミホと一緒に女神の格好をした女の罠に嵌められた時に俺たちを飲み込んだ歪み。


 その歪みが空間を裂き、二人の女性がその場に姿を現す。


 一人は見覚えのある女性。

 アレスが殺された時に、スサへ寝返った十二貴族たち五人の中の一人だ。


 旅人のようなマントを身に付けたその女性の横に立つのは、記憶にない女性。

 黒のローブに身を包み、巨大な宝石の付いた古めかしい木の杖を持つその女性は、おそらく魔法使いだろう。


 突然現れた二人に、リカと俺は反射的に臨戦態勢を取る。


 そんな俺たちへ、魔法使い風の女性が口を開く。


「私たちに戦う意思はありません。貴方たちにお願いがあって参りました」


 俺はそう告げる女性へ言葉を返す。


「あんたたちに戦うつもりがなくても、俺たちにはある。あんたたちはミホ……魔王を襲った奴らの仲間だろ? 俺たちはこれからミホを助けに行く。だからお前たちは俺たちの敵だ。後で後ろから刺されても困るから、敵である限り、戦って倒すしかない」


 俺の言葉を聞いた二人は顔を見合わせる。


「魔王……ミホちゃんならもう、女神様に敗れました。今はまだ生かされていますが、もうすぐ殺されます。千年に渡り、女神様が思う世界を作るのを妨げた罪で。これから考えうる限りの苦痛を与え、私たちのクラスメートたちから凌辱の限りを尽くされた上で」


 俺は込み上げる怒りを何とか抑えながら、二人を睨む。


「……それならなおのこと、助けに行くまでだ」


 俺の言葉に、二人は申し訳なさそうな顔をする。


「それは無理です。ミホちゃんの近くには、常に女神様が控え、四魔貴族や四魔貴族並みの力を持った方々も、常に数人一緒にいるときいてます」


 俺は二人の立ち位置を計りかね、二人へ質問する。


「あんたたちは結局何がしたいんだ? 俺たちと戦いたいわけでもなく、かと言ってミホを助けるために手を貸してくれるわけでもない。ミホのことを知っているから恐らくクラスメートなんだろうけど、あんたたちの目的が分からない」


 俺の言葉に、二人は顔を見合わせた後、魔法使い風の女性が返事をする。


「私たちは女神様の指示で貴方を迎えに来ました。凌辱する時、貴方に見られていた方が、より屈辱が増すだろうからと」


 ……本当に最低なことを考える。

 今すぐにでも殺しに行きたい気持ちを押し殺して、続きを聞く。


「……でも、私たちにはそれは耐えられない。元クラスメートが好きな人の前で凌辱されるのを、黙ってみていることなんてできない」


 二人の目が嘘を言っているようには見えなかった。

 完全には信用できないが、敵だと断じて倒す必要があるとまでは思えなくなった。


「でも、助け出すことはできない。この子の称号の力で近づくことはできても、その後の脱出は他の人の力で移動が封じられる。戦って倒すには、相手の力が強過ぎる。だから私たちにできるのは一つだけ」


 そう言って口籠る魔法使い風の女性に代わり、マントの女性が続ける。


「ミホちゃんを殺してあげてください。どうせ助けられないなら、苦しませずに死なせてあげたい。貴方なら、先程の女神様の指示のおかげで近付けます。貴方に殺されるなら、ミホちゃんも受け入れてくれると思います。できるのは貴方だけなんです」

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