第218話 逆襲の奴隷①
「降ろせ!」
俺の叫ぶ声が、中空で虚しく響く。
俺を掴む黒龍の巨大な手は少しも緩むことなく、ガッチリと固められている。
千年俺を想い続けてくれた初恋の女性。
そんな女性をたった一人、神を自称する女を含む数万の敵の中に置き去りにし、逃げ去っている自分。
あの場に残っても何もできないのは分かっている。
それどころか足を引っ張るだけになるのも分かっている。
それでも、俺はあの場に残りたかった。
残って、ミホと共に死ぬまで戦いたかった。
それが、ミホへのせめてもの償いであり恩返しであると思っているから。
自分が最低な男だという自覚はある。
初恋の相手のことを忘れ、別の相手と将来を誓い、今度は将来を誓った相手を残し、初恋の相手と一緒に死のうとする。
俺なんかに好意を寄せてくれた人全てに、唾を吐きかけるような行為。
……それでも俺は、ミホを見捨てられない。
しばらく飛び続けた後、漆黒の龍リカが、ゆっくりと地に降り、俺を地面に降ろすと、その姿を龍から人へと変えていく。
褐色の美し裸体を晒す彼女に対し、普段の俺なら照れて顔を背けるところだが、今の俺は、そんなことを気にする余裕がなかった。
「俺を今すぐあの場へ戻せ!」
そんな俺の言葉に対し、冷めた視線を返すリカ。
「旦那様のような弱者があの場に戻っても何もできないのである。それどころか魔王様の気が散り、ただでさえ皆無に近い勝率が更に下がる」
リカが言うことは間違っていない。
客観的に見れば間違いない事実だ。
それでも俺は、ミホを見捨てられない。
千年。
たった一人で俺のことを想い続け、自分のことを愛してもいない俺の為に、自らを犠牲にしようとする彼女。
彼女のことを思うと、何もせずにはいられない。
愛ではないのかもしれない。
でも、命を賭けられるだけの情はある。
俺は、両膝をつき、懇願する。
「頼む……お願いします。俺はどうしてもミホを助けたい。ここでミホを見捨てたら、俺に生きる価値はない」
そんな俺を見下ろしながら、リカは尋ねてくる。
「旦那様には他に惚れた女がいるのであろう? 魔王様のことは忘れ、その者と暮らせば良いではないか」
リカの言葉が俺を刺す。
確かに、このまま逃げてカレンと過ごす未来は選択肢としてはある。
でも、ミホを見捨てた俺は、カレンとの生活を楽しめることができるのだろうか。
ミホの死を忘れ、カレンに笑いかけることができるのだろうか。
それは否だ。
「ここでミホを見捨てた俺に、カレンと結ばれる資格はない」
そう告げる俺を見つめながら、リカは語る。
「何度も申し上げるが、旦那様が行っても邪魔になるだけだし、すぐに死ぬ。魔王様に仕える身として、今の旦那様を連れて行くわけにはいかないのである」
リカの言葉に、俺はなおも懇願する。
「それでも連れて行ってくれ。たとえ足を引っ張ることになっても、犬死することになっても、せめて一緒に死んでやりたい」
俺の言葉に、ようやく考える素振りを見せてくれるリカ。
そして、リカは答える。
「旦那様。貴方の願いを聞くには条件があるのである」
リカの言葉に、俺は自分の目が輝くのが分かる。
「条件を教えてくれ! 俺にできることなら何でもやる」
リカは俺の目を見ながら答える。
「一つは、我に力を示すこと。我は旦那様の力が分からぬ。魔力量を見る限りでは厳しい気がするが、最低限の力があるかは確認したい。そしてもう一つは……」
そう言ってリカは笑顔を作る。
「それを話すかは旦那様の力次第だ。旦那様の力が我の目に敵うものだった時、改めて話そう」
リカの二つ目の条件というのが何かは分からない。
それでも俺は、リカの提案に縋るしかない。
「分かった。俺の力を見てくれ」
俺の言葉に頷くリカ。
「さあ、来るがよい」
そう告げるリカが、魔力を高める。
リカを中心に渦巻く魔力。
その漆黒の魔力はミホのものに酷似していた。
でも、ミホほどの禍々しさも威圧感もなかった。
俺より遥かに強いのは間違いないが、魔力を浴びただけで死を覚悟するほどではない。
リカに対抗するように、俺も自らの魔力を高める。
そんな俺を見たリカが顔を顰めた。
「旦那様。本気を出すがよい。その程度の魔力では、我の攻撃の前に、ただの一撃すら耐えられぬ」
俺はもちろん本気を出していないわけではない。
リカと俺の実力の差が開きすぎているために、本気を出しているのが伝わらないだけだ。
「ふぅ……」
リカの言葉を受けても、特に変わった様子を示せない俺を見て、ため息をつくリカ。
このままでは、リカに対して実力を示すことすらできずに終わってしまう。
俺は右手をリカへ向け、魔法を放つ。
『劫火(ごうか)!』
燃え盛る火炎がリカを襲う。
でも……。
「ふっ!」
リカが軽く息を吐き出すと、その口から、俺の魔法を遥かに凌ぐ、高温の炎が吐き出される。
オリジナルには劣るとはいえ、最上級魔法を名乗るに恥ずかしくないはずの俺の魔法は、あっという間にリカの炎へ飲み込まれて消えた。
逆に、リカの放った炎は猛り狂いながら俺を襲う。
慌てて退避する俺に、リカが追撃を加える。
右手を振りかぶり、そしてただ振り下ろすだけの攻撃。
その速度が魔力を込めた目をもってしても追いきれないと言うだけで。
リカとの距離は十分離れている。
だが俺は、反射的にありったけの魔力を注ぎ込んで魔法障壁を作った。
ーーザクッーー
リカの右手から放たれた飛ぶ斬撃が、まるで巨大なドラゴンの爪のように、俺の魔法障壁を、簡単に切り裂く。
ただ、完全な防御は出来なかったものの、斬撃の軌道が見えたのと、ほんの僅かに速度を弱めてくれたことで、俺はなんとか回避した。
そんな俺に対し、リカは子供に一桁の足し算を教える大人のように、遥か高みから言葉をかける。
「今の判断も反射も悪くない。五階位か、もしかすると四階位の龍相手であれば一人でも戦えるであろう。だが……」
そう話すリカの魔力がさらに一段上がる。
「ここまでだとすると、神を語る女どころか四魔貴族にすらなす術なく殺されるのである」
そう言ってこちらへ向ける右手に、高出力の魔力を集約するリカ。
何をするつもりかは分からないが、小手調に終止符を打とうとしているのは間違いないだろう。
今の俺では、リカに対抗する手段がないのは明白だった。
魔法は全く通用しないし、近接戦闘では先程の爪のような攻撃を防ぐ手段がない。
俺は目を閉じる。
俺に残された手段は『とっておき』だけだ。
いざという時のためにとっておいた、俺の切り札。
効果も大きいが代償も大きい。
ここで使ってしまうと、間違いなく後に支障が出る。
俺は腹を括る。
後のことも大事だが、今ここを乗り切らなければ先はない。
味方であるはずのリカ相手に『とっておき』を使うのは、無駄以外の何ものでもなかった。
それでも俺は、この漆黒のドラゴンに力を認めさせるため、全力を尽くすしかない。
俺は頭の中に、俺が知る限り最も複雑な式を描く。
脳が焼き切れそうなほどに頭を使いながら、体を巡る魔力も高める。
十二貴族家に伝わる、一子相伝の秘術。
アレスに託された、大切な魔法。
将来の魔力を前借りし、己の限界を超えた能力を生み出す魔法。
身の程を超えた魔力は体に負担が大きく、しばらく魔力が使えなくなる代償を負うが、一時的に何倍もの魔力が使えるようになる『とっておき』。
『龍血(りゅうけつ)』
初めてカレンに魔力を流してもらった時のように、大量の魔力が体を巡ることで、血管が破裂するかのような痛みが全身に走る。
「これが俺の本気だ、リカ」
血が煮えたぎるような感覚の中、そう告げた俺を見て、リカは一瞬呆けたような顔をして固まった後、何故か大声で笑い出す。
「ふふふっ……ハッハッハッハ」
突然のリカの笑いに、俺は反応に困る。
これが、俺の油断を誘うための陽動なら、俺はまんまと引っかかったことになるが、そうではなかった。
一通り笑ったリカは告げる。
「合格だ、旦那様。その魔法を解くが良い」
まだ何の力も示ていなかったし、魔力が高まったとはいえ、四魔貴族やリカには程遠かったので、戦う必要があると思っていた俺は戸惑う。
だが、本人がいいと言うのなら、俺としてはこれ以上体に負担をかけずに済むので、特に断る理由もなく魔法を解く。
「その魔法はどうやって使えるようになったのであるか、旦那様?」
リカの問いかけに俺は素直に答える。
「王国のある十二貴族家に伝わる一子相伝の魔法を、ある事情から俺が引き継いだ」
俺の返事を聞いたリカは、満足そうに頷く。
「そうであるか。人間というのは実に面白い生き物であるな」
リカの言葉の真意が分からない俺は、どう答えたものか分からない。
そんな俺のことはお構いなしに、リカは話を続ける。
「その魔法を使えるのであれば、旦那様は資格十分である。ただ、二つ目の条件を話す前に、旦那様に確認せねばならぬ事がある」
俺は頷く。
「その確認内容は何だ?」
一刻も早くミホを助けにいきたい俺は、急かすようにリカへ尋ねた。
そんな俺へリカは少しだけ真顔になって答える。
「旦那様は、魔王様のため、人間を捨てる覚悟はおありか?」
俺はリカの言葉の意味が分からない。
正確に言うと、言葉自体はもちろん分かるが、その真意が分からない。
そんな俺を見たリカが言葉を重ねる。
「旦那様の先ほどの魔法は、我の力だ。我がかつて血を与えた人間。その人間が、我の血の力を、魔法式に落とし込んだのであろう。まさかそのような方法で、我の力を再現するとは、考えてもみなかった」
リカの言葉で、この魔法の正体は分かったが、それでもまだリカの言葉の真意は分からない。
リカは言葉を続ける。
「人間と魔族。同じ人の身を持ちながら、それらを分けるのは何か?」
リカの問いかけに、俺は答えることができない。
だが、そんなことはお構いなしにリカは言葉を続ける。
「それは血である。魔力は血に宿る。その血が入れ替われば、人は魔族にもなるし、人間にもなる」
初めて聞く知識。
そんな知識聞いたこともない。
元の体の持ち主の知識はもちろん、リン先生に教えてもらったこともない。
「魔族は人間の血を得ることで、人の形を維持し、その魔力を保ち、増すことができる。逆に人が魔族の血を得れば、魔に近づく事ができる。そしてそれは、人間と龍にも通じる」
リカはそう言って俺の目を見る。
「我の血を少しでも得れば、人間は龍の力の一部を得る。そして、心の臓や脳のような替えの効かないものを食せば、人間は龍に近づける」
リカは真剣な眼差しで重々しく言葉を続ける。
「ただ、魔族の血や龍の血は、基本的には人間の体には毒である。少量でも百に九十九はその命を失う。その身を魔や龍に近づける程の重要な部位を食して生き残った人間は、我が生きた数千年で数人しか聞いたことはない。だが……」
そう言ってリカはニヤリと笑う。
「旦那様は、魔法式に落とし込んだ我の血の力を使える。我の血に耐え得る体を持っておられる。我は死ぬわけにはいかぬ故に、心の臓や脳は授けられぬが、我の血を摂れば、旦那様は、龍の力を安定的に使えるようになり、間違いなく今より上の強さを得られるであろう」
メリットしかないように感じられる話。
リカが血を与えてくれるなら、断る理由はない。
「……その代わり」
リカが、ジロリと俺を見る。
「旦那様の体は人間から程遠くなり、龍に近しい存在となる。人間と同じ時の流れを歩む事ができなくなり、悠久に近い時を生きることを余儀なくされるであろう。我の両親はその時の長さに飽き、共に自死した。旦那様に訪れるのは恐らく同じ未来である。それでも構わないのなら、我の血を飲んでいただくが良い」
俺の愛する相手も。
俺がこれから助けようとしている相手も。
どちらも魔族だ。
今更人間の身にこだわりはない。
長い時を生きる苦痛は分からないが、その苦痛はミホもカレンも持つものだ。
彼女たちと同じ苦痛を味わうことに、抵抗などあるはずもない。
何より、今より強くなれるのだ。
望みはすれど断る理由はない。
「リカの血を飲ませてくれ。俺は何を犠牲にしても、何になったとしても、強くならなければならない」
俺の返事を聞いたリカが微笑む。
嬉しそうに。
そして、なぜか妖艶かつ恍惚に。
「それでは二つ目の条件を述べるのである。……我に子種を授けて欲しい」
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