第217話 王の器
少年は有力な政治家の子供として産まれた。
ただ、母親は政治家である父の愛人で、少年の家庭内での地位は低かった。
少年の立場は、正妻の子である長男の引き立て役。
容姿も決して整ってはおらず、頭も特に切れるわけでもなく、運動も並。
そんな長男が周囲から尊敬されるよう補佐するのが少年の役目だった。
出来がいいとは言いづらい長男とは違い、少年は優れていた。
母親譲りの整った容姿。
勉学も運動も、同世代では常にトップだった。
「この子が正妻の子ならよかったのに」
そんな言葉が耳に入る度、少年は鼻で笑う。
どれだけ優れていても、自分はあくまで補佐役。
自分が主役になることはない、と。
父親の愛も常に出来の悪い長男の方へ向かい、テストで満点を取っても、運動会で一位になっても、父親の笑顔が向けられることはなかった。
そんな少年に対し、出来の悪い長男がよく思うわけがなかった。
だが、五つ年上の長男が中学三年になり、周りからロクでもない知識を授けられるようになった時、ただでさえ恵まれているとは言いづらい少年の生活が、さらに悪い方へと一変する。
「おい、服を脱げ」
豪邸と言って差し支えない広い家の一室で、二人きりになった時、少年は長男から命じられた。
少年は、男の裸なんて見て何が楽しいのか分からないままに、命じられた通り服を脱ぐ。
「四つん這いになって向こうを向け」
少年は長男が何をしたいのかも分からないまま、四つん這いになって向こうを向き、そして自分の行動を後悔する。
カチャカチャとベルトを外した長男を怪訝に思った少年は、次の瞬間、肛門に走る激痛に白目を剥きそうになる。
少年の呻き声を無視して腰を動かし続ける長男。
少年は気持ち悪さに吐きそうになるのを我慢し、そのまま耐え続けた。
その日以来、長男は性欲の捌け口として少年を利用するようになった。
長男が何かを失敗するたびに、フラストレーションの捌け口として、少年を犯した。
少年は絶望した。
親に告げ口しても、きっと悪いのは自分ということになる。
抵抗しようにも、中三と小四では、圧倒的な力の差がある。
毎日のように犯される日々は、少年の心を変貌させる。
「兄さん。いつも同じプレイも飽きると思うので、今日は別なプレイを試してみませんか?」
いつものように密室に連れ込まれた少年は、長男へ提案する。
「お前から提案するなんて珍しいな。ようやく俺の調教が効いてきたか」
下卑た笑みを浮かべる長男へ、作り笑いを浮かべながら少年は長男へ目隠しをする。
長男の手を後ろ手に縛り、ズボンを脱がせ、股間にある汚物を優しく握る。
「へへへ。お前も分かってきたな」
そう言って醜い笑顔を向ける長男に唾を吐きかけた後、汚物を握る手に力を込める。
「お、お前……」
そう叫びかけた長男の汚物は、もう片方の手に持った鋭いナイフで切り落とされた。
「ぎ、ぎゃあああ!」
耳障りな声を上げる長男を冷めた目で見ながら、少年は笑う。
「兄さん。僕を犯すために防音性の高い部屋を選んでるんだから、誰にも聞こえないよ」
少年はそう言うと、ナイフで長男の右腿を突き刺す。
「ぐわあああっ!」
悲鳴をあげる長男を見て少年は笑う。
「ふふふ。面白い悲鳴をあげるね。初めて兄さんをかわいいと思ったよ」
少年は呻き声を上げ続ける長男を後ろから蹴って倒し、そのズボンを脱がせる。
「まだ死なないでね。兄さんにも僕の痛みを味わってもらわなければならないから」
少年はそう言うと、金属バットほどの太さのある棒を、長男の肛門から突き刺した。
声にならない声を上げる長男。
そんな長男を見て笑いながら、少年は長男の首を掻き切る。
血を撒き散らしながら事切れていく長男を冷めた目で見ながら少年は目を閉じた。
少年が犯した殺人は、簡単に揉み消された。
政治家の長男が、腹違いの弟を毎日のように犯し、それに抵抗した弟によって殺されたなど、公表できるわけがない。
問題は少年の扱いだった。
公にはならなかったとはいえ、人一人を殺した者の扱いは、政治家の家の中で揉めに揉めた。
「殺しましょう。生かしておけばまた何を起こすか分かりません」
一番過激な秘書が提案する。
そんな秘書へ、政治家は首を横に振った。
「軟禁するか、どこか遠くへ送りましょう」
別の秘書の提案にも、政治家は首を横に振る。
そして、政治家本人が口を開く。
「ワシの後継者にしよう。ワシの地盤を他人にやるつもりはない。だから養子を取るつもりはないし、この年からもう一人子を作るのもしんどい。こいつなら能力は申し分ないし、ワシの血が直接繋がる者はこの子だけだ」
政治家の決定に、誰も口を挟めない。
確かに、長兄と比べて少年の能力は高い。
だが、人殺しを政治家として育てていいのかという葛藤が秘書たちにはあった。
ただ、結局は政治家の意見に従うしかない秘書たちはそれ以上何も言えなかった。
……結果として、少年は全てを手に入れた。
自由も。
父親の地盤と愛も。
これまで虐げられていたのが嘘かのように、少年は周りの注目を集め、チヤホヤされるようになった。
未来の国政を背負う将来が約束された人生。
望むものが全て手に入る人生。
それが手に入ったと少年は確信した。
少年は今回、こう学んだ。
欲しいものを手に入れるには、邪魔なものを排除し、奪えばいいと。
少年は順調に成長を続け、勉学も運動もトップを維持しながら、欲しいものは奪い続ける生活を続けた。
地位と金に加えて、外見もよく、能力も高い。
そんな彼は、高校に入るまでに、手に入れられないものはなかった。
気に入った女がいれば、たとえ相手に恋人がいたとしても、時に権力で脅し、時に金で買収し、己のものとした。
全てが思うがままの人生。
その人生に変化が訪れたのは高校の時だった。
それまで常にトップだった彼の人生に、立ち塞がる者が二人も現れた。
一人は勉強も運動も己より優れ、その容姿は並の芸能人では敵わないほどの美しさを誇る少女ミホ。
それはまだいい。
自分のものにすれば、それはそれで己を飾ることができるからだ。
問題はもう一人の少年ユーキ。
エリート揃いの高校の中で、特待生として入学してきた貧乏人。
脅しにも懐柔にも応じない芯の強さを持ったユーキは、少年を苛立たせた。
同じく彼を気に食わない者たちと共に、苛烈ないじめを加えても屈しないユーキ。
極め付けは、いずれものにしようと思っていた少女ミホが、ユーキへ優しくし始めたことだ。
初めのうちは誰にでも優しいミホの慈悲だと思っていたが、ミホのユーキへの眼差しは恋する乙女のものへと変わっていった。
少年の苛立ちは募っていく。
世界は思い通りになるはずだった。
普通にやって手に入らないものは、奪えばいいはずだった。
だが、ミホという少女の恋心も、ユーキという少年の服従も、少年は手にできない。
ミホには政治家の息子という権力を用いてでもどうにもならないバックがいるから。
ユーキは何をしても折れない強い心を持っているから。
少年のフラストレーションが臨界点に差し迫った時、それは起きた。
女神の格好をした女に、異世界へ転生させられたのだ。
少年が思い通りにできなかった二人は、女神の格好をした女によって生きるのも難しい過酷な運命を与えられたという。
一方で少年は王国でトップに位置する十二貴族なるものの息子にされた。
そんな少年へ、転生する直前、女神の格好をした女が、そっと囁く。
「全てを奪い、王になってください。何をしても私が許しますし、もし欲しいなら、貴方が手に入れられなかったミホちゃんもプレゼントしてあげましょう」
少年には女神の格好をした女の意図は分からない。
それに、ミホは過酷な身分で死ぬかもしれないのではなかったのか。
しかし、少年はそれ以上考えるのをやめた。
神と思しき女から、全てを許されると言われたのだ。
少年は思うがままに生きることにした。
ただ、少年がやることは元の世界にいた時と大きく変わらない。
地位と金を利用し、己の容姿や能力さえも利用し、欲しいものを手に入れる。
奪ってでも手に入れる。
それだけだ。
まず初めに、少年は兄弟を皆殺しにした。
家督を継ぐのに邪魔になるからだ。
もちろん、この世界でも殺人は罪だ。
人権のない奴隷ならともかく、青い血を引く貴族を殺すのは、同じ貴族といえど、極刑に処されることもある重罪だ。
だが、少年は裁かれなかった。
醜聞と家を失うのを恐れた両親が、必死に隠蔽したからだ。
この世界での彼の両親は、己の欲望のために兄弟を皆殺しにする危険人物がこの国のトップになるリスクより、家と己のメンツを守った。
少年はそんな愚かな両親を軽蔑しながらも、殺しはしなかった。
彼らは、少年が成人する時に、家督を譲ると約束したからだ。
少年は快楽殺人者ではない。
奪うために必要であれば殺すのを躊躇わないが、必要なものを提供してくれて、かつ少年の身に害を及ぼさないのであれば、殺さず利用する。
両親には、少年を法で裁かなかった負い目があるはずで、利用する価値があると判断したから生かした。
少年は女神の格好をした女の言を信じることにし、王を目指す。
魔王を倒し、更なる欲望を叶えるために。
少年は、自らが成人となり、十二貴族になったタイミングで仕掛けることを決める。
まず手始めに王となるためには、王選を勝ち抜く必要がある。
数年に一度、十二貴族の中から、最も優れた者を神が王に選ぶというのが王選だ。
ここでいう神が女神の格好をした女と同一人物かは分からない。
だから、神の不正に期待し王に選ばれるのを待つだけではリスクが高いと判断し、自力で最も優れた者になることを選んだ。
もともと容姿も頭脳も運動も優れていた彼は、こちらの世界ではさらにそれに磨きがかかっていた。
加えて、彼に与えられた称号の力を使えば、難なく最も優れた者になれると思っていた。
ある男に会うまでは。
史上最強の人間アレス。
その強さも。
人間性も。
領地の経営手腕も。
カリスマ性も。
全てにおいて優れた人間。
かつての世界のミホを思い出させる規格外の人間。
そんな男が十二貴族の中にいた。
他の十二貴族は、殆どが元の世界から転生してきた人間で、既に懐柔済。
ノーマンだけはよく分からなかったが、彼の障害になるほどの人物ではなかった。
彼は確信する。
このアレスをどうにかしなければ自らが王になることはない、と。
彼は決断する。
アレスを排除することを。
元の世界から付き合いのある者たちには甘い汁をちらつかせ、気弱な者たちは脅し、ノーマンのような正義感ある者たちは騙し、彼は計画を進める。
アレスを反逆者に仕立て上げ、自らが王になるために。
人を操る術は政治家である元の世界の父親からしっかりと学んでいた。
政治家に必要なのは、信念でも頭の良さでもなく、いかに人を上手く操れるかだ。
人望?
カリスマ性?
そんなものは愚かな人間を操るためのスキルに他ならない。
もちろん、従わない者はいる。
表立って反抗してくる者は、全て徹底的に排除した。
内心納得していない者は、報酬と恐怖をうまく用いて抑え込んだ。
特に優秀な能力や称号を持つ者は優遇し、盤石な体制を整えていく。
計画は概ね順調だった。
計画のメインであるアレス襲撃も、大成功とまでは言えないが、何とか果たした。
襲撃時、小賢者リンの予想を上回る抵抗で、元の世界の同級生を含めた大量の配下が殺されたが、大勢には影響ないはずだった。
邪魔をしたリンは、同級生からキモ豚と呼ばれていた者へあてがって人格を壊し、奴隷と共に逃げ出したアレスの娘を殺すか自分の女にすれば、予定通り王になれるはずだった。
だが、物事はうまく運ばない。
アレスの娘と共に逃げ出した奴隷によるアレスの奪還。
四魔貴族の出現。
予定外の出来事が次々と起こる。
それでも彼は焦らない。
計画に不足の事態はつきものだ。
起きた事象に的確に対処すれば大抵の出来事はどうにかなる。
四魔貴族スサが王国の騎士や魔導士を蹂躙しているとの報告が入る。
逃げ出したはずのアレスが、スサの元へ向かっているということも。
その報告を聞いて彼はニヤリと微笑む。
これはチャンスだ。
彼の能力を最大限活かせば、今回の出来事はマイナスどころか、自分にとっては大きなプラスになる。
彼は城の中にいる十二貴族を呼ぶ。
「四魔貴族スサの元へ行く。お前とお前とお前とお前。着いてこい」
呼ばれた者の一人である『旅行者』の称号を持った者が、緊張した顔で質問する。
「わ、私は戦う能力はありません。案内した後は、避難してもよろしいでしょうか?」
同級生で同じ十二貴族にもかかわらず怯えながら敬語で話す彼女を見下しながら、彼は返事をする。
「戦うつもりはない。もし戦いになるなら全員で退避する」
そしてその言葉通り、彼は『旅行者』の称号の力でスサの元へ赴くと、アレスを殺し、スサに取り入った。
奴隷が何か吠えていたが、彼には関係ない。
王にはなれなかったが、スサの下で王国の統治の責任者に命じられたことで、実質王になったようなものだ。
王国の人間がどうなろうが知ったことではない。
彼にとって大事なのは、彼自身の地位と安全、そして自由に生きられるかどうかだ。
人間のことを見下しているスサを始めとする魔族配下たちには、食事さえ満足に与えておけば問題ない。
女神の格好をした女には悪いが、このまま好きに生きさせてもらおう、彼がそう思い始めた時だった。
人間至上主義で、亜人種全てを排除するという過激な思想を持つ、この大陸の宗教の総本山である西の神国。
その聖女を名乗る者が、手紙を送ってきた。
会って話をしたいというその手紙について不審に思いながらも、彼は『旅行者』に命ずる。
「西の神国の聖女のもとまで」
彼の言葉に、『旅行者』は首を横に振る。
「聖女さんには会ったことがないですし、神国も大聖堂しか場所が分かりません」
彼は命じる。
「ならば大聖堂まで」
彼の命令に、『旅行者』は渋々頷く。
次の瞬間には、彼ら二人は神国の中心にある大聖堂の中にいた。
元の世界のヨーロッパの歴史的な大聖堂を彷彿とさせる荘厳な建物の中、その女性はいた。
本物の黄金より輝くブランドの髪に、どんな絵画より美しい造形の顔と、透き通るような真っ白の肌。
芸術品よりなお、美しい肢体を持った女性が、その裸体を晒し、神へ祈りを捧げていた。
彼だけでなく、同じ女性である『旅行者』ですら息を呑み、見惚れてしまう中、女性が口を開く。
「お見苦しいものをお見せしてしまい申し訳ございません。お二人をお待ちしておりました」
傍にあった純白の衣を見に纏いながら、女性がそう告げる。
「スガワラくん……いえ。『簒奪者(さんだつしゃ)』さん」
女性の言葉に、彼はピクリと反応する。
「これからの世界についてお話しましょう」
女性は微笑みながらそう告げると、彼へ話し始める。
美の女神のような笑顔で、悪魔のような提案を。
女性の言葉に、みるみる顔を醜い笑みで歪ませていく彼。
その日、聖なる地であるはずの神国の大聖堂で、最悪と最悪が出会った。
この時点でそのことを知るのは、神を自称する女神の格好をした女性と、旅をすることだけが取り柄の『旅行者』のみ……。
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