第211話 大賢者⑤

 巨大な炎の竜巻がスサを飲み込む。


 いくら四魔貴族でも、この魔法を受けて無事では済まないはず。


 祈るような気持ちで見つめる私の耳に、ジュウッという音が聞こえた。


 肉が焼ける音の割には、大きく、しかもいつまでも止まずに鳴り続ける音に、私は違和感を覚える。


 そして時が経つごとに、その違和感は、確信へと変わっていった。


 私の放った炎の勢いが衰えるにつれ、中から白い蒸気が立ち上っていることに気付く。

 濛々と立ち上る白い蒸気。


 私はその正体が分からない。

 なぜそこから蒸気が立ち上るのか分からない。


 だって魔族は、瞳の色以外の属性の魔法はほとんど使えないはずだから。

 多少は使えても、四魔貴族の魔法を餌に大きく育った凶悪な魔法を防げるほどのレベルで使えるはずがないから。


 だから、炎が消えて、私の目に映る、巨大な水の渦がなんなのか分からない。


 炎が完全に消えるのを確認したスサは、自らの身を守るように渦巻く水を消す。


 そこから現れたスサは、思い切り顔を顰めていた。


「……屈辱だ。家畜ごときに本気を出させられるとは。このような恥はアレスに騙された時以来だ」


 悔しそうに呟くスサを、私は呆然と眺めるしかなかった。


 そんな私をスサが見る。

 新緑の右目と、蒼穹のような青い左目で。


 魔族は、瞳の色以外の属性の魔法はほとんど使えない。

 一方で、瞳の色の属性なら、非常に強力な魔法が使える。


 風の魔法が得意な緑の瞳。

 水の魔法が得意な青の瞳。


 両方の瞳を持ったオッドアイの魔族なら。

 両方の魔法を使えるのだろう。


 目の前にいるスサのように。


「左目の封印が弾け飛んでしまった。テラ兄以外に水の魔法は使うつもりがなかったのに」


 スサはそう言いながら、私へ右手を向ける。


「安心しろ。私に本気を出させたのだ。すぐに殺すのはやめだ。お前ほどの人間は数百年生きて初めてだからな。両腕両脚を切り落とした上で、繁殖用の家畜として飼ってやる」


 スサの右手に魔力が集まり、風が右手の周りに渦巻き始めた。


 私は必死に考える。


 魔力はほぼ枯渇していた。

 考えうる手は一つしか思いつかない。


 サクリファイスの応用からのデストラクション。


 自らの命を贄に魔力を増し、その魔力を破壊に変える以外に、この四魔貴族を倒す術は浮かばない。


 スサを倒して終わりならそれでもいいだろう。

 でも、私はスサを倒した後、魔王であるミホちゃんの手からエディさんを取り戻さなければならない。


 死ぬわけにはいかない。

 でも、命を犠牲にする以外に、打開策が思いつかない。


 先程の『炎帝』のような、魔法の乗っ取りは初見の相手にしか使えない一か八かの賭けだ。

 スサが制御を手放さなければ、魔力による、スサとの綱引きになる。

 万全の状態でも無理なのに、魔力が枯渇した今、それができるわけがない。


 そして、極め付けはオッドアイにより、スサは二属性の魔法を使えることだ。

 風だけでも厄介極まりないのに、さらに水まで使えるスサ相手に、付け入る隙が見出せない。


 選択肢は二つ。


 自らの命を犠牲に、ここでスサを倒すか。

 もしくは、手足を生やせるほど異次元レベルの回復魔法持ちの人が、私を助け出してくれるのを待ちながら、繁殖用の家畜としてスサに飼われるか。


 どちらも望ましい未来ではない。


 本当にそれだけしかないのか。

 もう手の打ちようがないのか。


 私は考え続ける。

 スサが魔法を放つその瞬間まで考え続ける。


 私にはそれしかできないから。


 考えろ。

 考えろ。

 考えろ。


 頭をフル回転させて打開策を考える私。

 限られた魔力で自分にできることを思考回路が焼き切れそうになるまで考える。


 でも、そんな私の思考が止まる。


ーーバキッーー


 スサが魔法を放つのをやめ、右手で何かを受け止めたからだ。

 その手の先には、突然現れた黒い覆面の男の短剣があった。


 スサに攻撃が止められたのを見ると、すぐさま後ろへ飛んで離れる黒い覆面の男。


 そんな男へ、魔法を放とうとするスサ。

 しかし、その魔法は放たれない。


「撃て!」


 合図とともに降り注ぐ魔法の矢。


 もちろん、その矢がスサに届くことはない。

 スサの周りを渦巻く風によって、一本残らず弾き飛ばされる。


 ただ、おかげで私の命は救われた。


「遅くなったな」


 そう言って私の前に現れたのは、確かノーマンという名前の十二貴族だ。


「……なぜここへ?」


 私の疑問にノーマンは微笑みを浮かべて答える。


「先程の演説で呼ばれたからに決まっているだろ」


 私が聞きたかったのは、大人しくしていれば命と地位が保障されているはずの十二貴族がここに来た理由だったが、今はそんな話をしている余裕はないので、それ以上は尋ねない。


 辺りを見回すと、そこには百名ほどの騎士や魔導士たちが、私たちを取り囲むように立っていた。


「申し訳ないが、これだけしか連れてこれなかった。信用できる者しか声をかけれなかったからな」


 ノーマンさんは本当に申し訳なさそうな顔をしてそう言う。


「助けはありがとうございます。でも、今すぐ逃げてください。私はもう魔力が尽きていて戦えません。貴方を含めた周りの皆様も、失礼ながら四魔貴族を相手にするには力不足です。私たちが呼びかけておいて申し訳ありませんが、戦っても瞬殺されるだけです」


 せっかく助けに来てくれた人に向けていいはずのない冷たく失礼な言葉。


 それでもノーマンさんは笑って答える。


「我々だけでは力不足なのは分かっている。でも、君たちなら可能性があるんだろ?」


 そうノーマンが言うと、ノーマンの後ろに控えていた、神官服を着た男性が私へ笑顔を向ける。


「ぜひ私たちの国を。家族を。魔族の手から救ってください」


 突然の言葉に、私がなんと答えていいか迷っていると、神官服の男性が呪文を唱える。


『サクリファイス』


 男性がそう唱えた瞬間、私の中へ大量の魔力が流れ込んでくる。


「頼み……ますよ」


 男性は笑顔のままそう言うと、膝をついて前のめりに倒れ、動かなくなった。


「お前の死は無駄にしない」


 そう言って膝をついて男性に礼をしたノーマンは、視線を横にやる。


 ノーマンの視線の先を見ると、瀕死のレナさんの横にも同じように神官服の男性がいて、同じように前のめりに倒れた。


 倒れた男性と入れ替わるように、血だらけのレナさんが立ち上がる。


「残念ながら、この中で禁術を使えるのは、今天に召されたこの二名だけだ。他の者は、この禁術が命だけでなく、魔力の補充もできることどころか、その存在すら知らなかった。もうこれ以上は使えない」


 私には分からない。


 見ず知らずの私のために命を投げ出した人の気持ちが。


「考えるのは後にしたまえ。今は目の前にいるあの化け物をどうにかすることだけ考えるんだ」


 ノーマンの視線の先には、不機嫌さを全く隠そうとしないスサの姿があった。


「雑魚が羽虫のようにわらわらと……」


 スサの放つ圧が高まる。


 そんなスサを見つめる私の横へ、血塗れのレナさんが歩いてきた。


「リン先生……。今の状況は?」


 私はスサから視線を外さないまま状況を伝える。


「私のために命を捧げてくれた……」


 レナさんは拳をギュッと握り締めながら、地に伏す神官服の男性を、哀しげな表情で見た。

 私はそんなレナさんに告げる。


「彼らの死に報いるためにも、スサを倒し、この国を人間の手に取り戻すことです。水の魔法まで使えるのは想定外ですが、レナさんの演説のおかげで、先程よりは条件は改善しました」


 私は、ノーマンを始めとする新たに駆けつけてくれたメンバーを見渡す。

 四魔貴族や将軍と戦うには心許ないが、何人かは二つ名持ち並の力を持っていそうだ。


 私とレナさんの二人だけで戦うよりは、間違いなく作戦の幅が広がる。


 私が『観察者』の称号の力で、ざっと戦力を測り、素早く練った作戦を告げようとしたその時だった。


「スサ様、遅くなりました」


 突然聞こえる見知らぬ声。


 私の背筋が凍る。


 こちらはノーマンたちの応援があって、ようやくなんとか戦おうとしていたところ。


 そこに現れた異質な存在。

 私たちに気配すら気付かせなかったにもかかわらず、強大な魔力を持った存在。


 その存在である青色の瞳の美形の男性がスサへそう告げた。


「遅い! 私が来てからどれだけ経ったと思っている?」


 スサの言葉に、美形の男性はその長い脚を折って膝をつく。


「申し訳ございません。言い訳でございますが、そこの馬鹿が、準備に手間取りまして」


 すると、同じくいつの間にかスサの逆の隣に現れた茶色の瞳の女性が声を荒げる。


「だ、誰が馬鹿よ! ウチが全力で戦うには準備がいるのを知ってるでしょ!」


 そんな二人を冷めた目で見ながらスサが告げる。


「まあいい。私たちに楯突こうとする馬鹿な家畜が目の前にいる。お前たちには、この馬鹿な家畜の殲滅を命ずる。……いや。目の前にいるガキ二人は殺すな。繁殖用の家畜として飼うからな」


 青い瞳と茶色の瞳の男女が、揃って私とレナさんへ視線を向ける。


 どうやって現れたか分からない。


 でも、それ以上に問題なのは、二人の魔力量だ。


 二人とも、ナツヒと同じくらいの魔力量を秘めている。

 いや。

 青い瞳の男性に至っては、ナツヒよりも魔力量が多い。


 スサの言葉を受け、茶色の瞳の女性がポリポリと頭をかく。


「ウチ、加減するの苦手なんよね。殺さずにっていうの難しいから、その二人はクラムが倒してよ。ウチは残りの雑魚を全部片付けてあげるから」


 茶色の瞳の女性の言葉に、クラムと呼ばれた青い瞳の男性はため息をつく。


「なぜ私が君の指図を受けねばならない? イアもたまには働きたまえ」


 イアと呼ばれた茶色の瞳の女性の言葉に、クラムは不機嫌そうな顔をする。


「ウチだっていつもちゃんと働いてるし! 面倒な方を私に押し付けようとするなら、筆頭将軍の座をウチに譲ってよ。そしてら、面倒ごともウチが全部やってあげるから」


 イアの言葉にクラムが何か答えようとしたところで、スサが二人を睨みつける。


「いいからさっさと片付けろ。ちなみにその魔道士のチビは、私に水の魔法まで使わせた。家畜相手とはいえ、舐めるのではないぞ」


 スサの言葉に、クラムとイアは揃って驚きの表情を見せた後、表情を引き締めた。


「クラム。手伝って欲しいなら、土下座してくれれば考えるよ」


 そんなクシナの言葉に、クラムは顔を顰める。


「馬鹿を言うな。私一人で十分だ」


 そんな二人に向かって、声を上げる人物が一人。


「えーと。私と私の配下もいるんだけど」


 声の主は、先程までレナさんと戦っていたナツヒ。


 そんなナツヒへ冷たい視線を向けるクラムとイア。


「数多くの配下を失っておきながらよくもそんなことが言えたな。君がしっかり役目を果たせていたら、こんなことにはなっていない」


「ウチも、役立たずはいらないかな。足手まといに足引っ張られても嫌だし」


 辛辣な言葉に対し、全く動じず、ナツヒが答える。


「醜態を晒したのは否定しない。でも、スサ様が水の魔法まで使ったことからも分かる通り、こいつらはただの家畜じゃない。お前たちでも油断すれば万が一が無いとは言えない相手だ。ただ、油断しなければ問題ない。三人で一匹ずつ、確実に狩ればいい」


 ナツヒの言葉を聞いたクラムが頷く。


「そうか。それなら配下を戦わせるのは、やめておいた方がいいかな。誰かさんのせいでスサ様の配下は大きく減っているし」


 そう言ってクラムが目を向けた先には、いつの間にか現れた何十人もの魔族がいる。

 それぞれがそれなりに多くの魔力を持っており、一筋縄ではないのは明らかだった。


 敵の増援が来たことで、状況としては大きく悪化している。


 ノーマンたちでは、将軍には及ばない。

 私とレナさんが一人ずつ将軍級の魔族を引き受けるとして、一人余る。


 さらには、魔力と体力を残しておかなければ、最も厄介な敵であるスサと戦うことはできない。


 もう一度スサを煽るのも手だが、風と水両方を操るスサを破る策は、まだ思い付いていなかった。

 煽ったが最後、本気を出したスサにそのままこちらが倒されることになりかねない。


 どう計算してもピースが足りなかった。

 三人の将軍を倒しても、スサや、クラムとイアの配下に対する備えが残らない。

 スサや、クラムとイアの配下に対する備えのために余力を残そうとすると、三人の将軍とナツヒの配下を倒しきれない。


 あと二人。


 私やレナさん並の戦力がいれば手の打ち用はあるのだが。


 ……無い物ねだりをしても始まらない。

 ノーマンたちが来てくれただけでもよしとするしかない。


 計算違いの連続。


 どこまでいっても、私の思うようにはならない。

 考えても考えても、考え抜いた答えが正解かは分からない。


 仮に、その時は正解だったとしても、少しでも変化があれば、その答えがすぐに間違いに変わってしまう。

 先程のスサとの戦いのように。


 それでも私は再度考える。

 この圧倒的に不利な状況を覆す策を。


 そんな私を見て、イアが嘲るように笑う。


「あはっ。お前、まだウチらに勝とうとしてるの? お前とそこのガキは確かに人間にしては魔力があるのは分かるけど、それだけでしょ。ナツヒ一人ならともかく、ウチとクラムも入れた三人を相手にして、しかも後ろにはスサ様と私たちの配下の精鋭が控えてるのに、どうやって勝つつもりなの?」


 イアの言葉はもっともだ。

 イアがこちらを嘲るのは、至極当たり前だ。


 でも私は屈しない。

 諦めはしない。


 私はこれまで二回。

 自分の人生を諦めたことがある。


 元の世界でいじめられて、気持ちの悪い同級生に犯されそうになった時。

 そして、こちらの世界で変態貴族に犯されそうになった時。


 その両方で私を助けてくれたエディさん。


 そのエディさんは魔王であるミホちゃんの手の中。

 決して今度は助けてくれない。


 私はエディさんに助けられた時の歓喜と幸せを思い出して、笑みを浮かべる。


 そんな私を見たイアが、眉を顰める。


「気でも触れたの? お前には質の良い食事を産んでもらわないといけないから、狂って死なれちゃうと困るんだけど」


 私はそんなイアの言葉に笑顔で答える。


「貴女こそ、もしかして勝った気でいるんですか? 相手の力をちゃんと測りもせずに、戦う前から勝った気でいるなんて、魔族の将軍っていうのは、魔力さえあればバカでもなれるものなんですね」


 私の言葉に、みるみる顔を紅潮させていくイア。


「家畜が! お前はウチが殺す!」


 私はそんなイアを鼻で笑う。


「やっぱりバカなんですね。私のことは殺すなって言われてたのに。飼い主の命令も聞けないなんて、動物以下ですよ」


 私の言葉に、激昂するイア。


「黙れ! お前のことは死ぬより辛い目に合わせてやる!」


 私はそんなイアのことを表面上で笑いながら、作戦を考え続ける。


 どう考えても戦力が足りないのはどうしようもない。


 イアが楽観的になるのも当たり前なほど戦力に開きがある。


 恐らく、将軍とまともに戦えるのは私とレナさんのみ。

 ノーマンや二つ名持ちはともかく、他の人たちは、紙屑のように蹴散らされるだけだろう。

 そして、レナさんですら、将軍を倒すのは困難だ。


 それでもやるしかない。


「将軍三人は私とレナさんが倒します。他の皆さんはスサと配下の魔族に備えて力を蓄えていてください」


 私の言葉を聞いたクラムが、真顔のまま私へ尋ねる。


「本気で言っているのか? たった二人で将軍たる私たちを倒すと?」


 私はクラムの言葉に笑顔を貼り付けたまま答える。


「ええ。貴方たちを倒して、そのあとスサも倒して、レナさんは英雄に。私は大賢者になります」


 私はそこまで話した後、右手を前に出して言葉を紡ぐ。


「我が名はリン。宮廷魔術師筆頭『光弾』の娘にして、救国の英雄となるレナ様の魔法の師である。我が戦い、見届けるがいい」


 そして戦いが再開した。

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