第208話 大賢者②

 私は考える。


 いくら私とレナさんが強くなったとはいえ、魔王率いる魔族の軍とたった二人で戦うのは無理だ。


 魔王の側にいつもいるという二人の四魔貴族は、できれば各個撃破し、その他の軍と戦うのは避けたい。

 そのために、魔族の軍には私たち以外の相手と戦ってもらわなければならない。


 でも、魔族の軍と戦って勝算がある軍は、この大陸には存在しない。

 そんな軍がいれば、今頃大陸に、人肉を貪る魔族などこんなに多く存在していないだろう。


 だから、魔族と戦う者たちには、苦戦する前提で戦ってもらうしかない。


 命を捨てるつもりで戦う覚悟。

 そして、魔族を引きつけ、足止めできるだけの実力。


 その両方を持つ者は限られている。


 商国の傭兵。


 彼らの命に見合うだけの額を払えれば、払った分だけの仕事は必ず行うと評判の彼らなら、十分役目を果たしてくれるだろう。

 でも、魔族の軍と戦えるだけの戦力となると、スサの支配で困窮しているだろう王国の国庫を空にしたとしても足りないに違いない。


 神国の聖騎士団。


 神のためなら喜んで命を差し出す狂信者の彼らなら、自らの命を犠牲にしてでも、必ず足止めを果たしてくれるだろう。

 ただ、神と、その神から神託を受けているという聖女の言葉以外聞かない彼らは、例え神敵である魔族相手でも、信徒ですらない私の言葉では動かないに違いない。


 帝国の重騎士団。


 鉄の掟と鉄の団結で、何度も王国を脅かしてきた、人間最高の軍と呼び声高い彼ら。

 王国の敵である彼らが、王国民である私の言うことに耳を傾けてくれるとは思えない。


 そうなると、残るは自分たちの国、王国しかない。


 最強の人間アレスさんが健在で、十二貴族も共に戦ってくれたなら、時間稼ぎどころか魔族の一軍相手でも、十分戦えたであろう王国軍。


 でも、スサ率いる魔族たちに、文字通り食い荒らされた今の王国は、近隣四カ国の中で、最も力のない国だろう。


 今残っているのは、十二貴族に従った裏切り者か、食べられるのを待つだけの生を送る弱者のみだ。


 ……本当にそうだろうか。


 屈辱を耐え忍び、その爪と牙を隠して、機会を待っている者たちは、いないのだろうか。


 私はいると思っている。


 どんなに苦しい状況でも、心を折らずに、陰で戦い続ける人はいるはずだ。


 私は決めた。


 その人たちを利用しよう。

 この国を支配するスサを倒し、諸悪の根源たる魔王を倒すと宣言し、隠れた勇士たちを引き摺り出す。


 ……我ながらなんて最低な考えなんだと思う。


 これでは、アレス様を裏切り、魔族に寝返った他のクラスメイトたちのことを悪くは言えない。

 エディさんのために魔王となり、世界をエディさんのためのものだと考えているミホちゃんと変わらない。


 確かに私は、エディさんのために全てを捧げると誓った。


 でも、その全てに、自分以外の命も含めていいのだろうか。

 自分の目的のために、他の人の命を使ってもいいのだろうか。


 たった一人の自由と、大勢の命。


 数の論理ではその天秤は後者に傾くだろう。

 でも、そこに私の主観が入ると、傾きは逆転する。


 私は悪だ。

 この国にとっての害悪だ。


 それを理解した上で、私は見ず知らずの大勢の命より、愛する人の自由を選ぶ。

 例えその人がそれを望まずとも、私は彼の自由と幸せを選ぶ。


 私のために命を捧げてくれた両親は、きっとこんなことを望んではいないだろう。

 王都の民の命を無駄に散らせるために死んだわけではなく、私自身にも命を大事に、幸せになってほしいからこそその命を捧げてくれたのだろう。


 でも、私には選べない。


 私自身の安全だけ考えるなら、隣国へ亡命するという選択肢も取れるだろう。

 そこでエディさん以外の誰かと結婚し、普通の生活を送るという選択肢もあるだろう。


 でも、私にはそんな生活選べない。


 どんな犠牲も厭わず、愛する人のために殉ずる。


 そんな人生しか選べない。


 そのために私は他人を利用する。


 運良く見つけた魔族と戦うための武器。

 その少女をその気にさせるために持ち上げる。


 その少女と自らの関係性を利用し。

 美辞麗句を並べて。


 同じ少年を愛するその少女を、英雄に仕立て上げる。


 私の言葉によって作られた、仮初の英雄。

 足りないところは私がサポートしながら、彼女には魔族から人間を救う英雄になってもらう。

 四魔貴族を倒し、魔王に挑む人間の英雄になってもらう。


 レナさんを乗せるのは簡単だった。


 私の特別な目には、彼女の人となりがよく見えていたから。

 彼女を動かすためには、私が何を言い、何を行えばいいかが、分かっているから。


 それさえ分かっていれば、あとは誇張を織り交ぜながらも、嘘は付かず、真摯な言葉で語るのみ。


 レナさんは私の言葉を受けて、すぐに英雄になる覚悟を決めてくれた。


 覚悟さえ決まれば、あとは私の魔法で、王都中に彼女の声を届け、扇動するのみ。


 音とは空気の振動だ。

 その振動に魔力を乗せることで、その振動を維持し、遠くまで届けることができる。


 レナさんの言葉は、私の想像を超えていた。


 彼女の言葉次第では、私がフォローの言葉を続けるつもりだった。

 でも、それが不必要になるくらいに、レナさんの言葉には人を動かす熱が籠っていた。


 私は感心すると共に罪悪感に苛まれる。


 レナさんは掛け値なしに英雄の器だ。


 あと数年もすれば、誇張なしに英雄となり、ミホちゃん相手は無理でも、四魔貴族は倒しうる存在になれるかもしれない。


 その才能を私は使い潰そうとしている。


 それでも私は己の道を突き進む。

 英雄の器を使い潰し、数え切れないほどの屍の山を築き上げようとも、私は魔王の手からエディさんを取り戻す。


 先程のレナさんの演説のおかげで、間違いなく戦力は集まるだろう。


 数多くの騎士や魔導士が寝返り、または殺されただろうが、それでもまだ多くの仲間がいるはずだ。


 あとは、スサやスサの配下が戻ってくるのと、仲間が集まるのと、どちらが早いかだったが……そこは私たちに運がなかった。


 先に現れたのは、スサの配下の将軍ナツヒだ。


 スサ本人でないだけ、まだマシだったと思うことにした。


 ナツヒの魔力量はシャラと変わらないが、その総合的な実力は明らかにナツヒの方が上。

 それでも私は、一対一ならナツヒにも負けない自信があったが、ナツヒはかなりの実力を持った配下を数名連れている。


 楽に勝てる相手ではないだろう。


 私が戦術を組み立てていると、レナさんが口を開く。


「リン先生は配下を。私は将軍ナツヒを討ちます」


 予想外の言葉に、私は驚いてしまう。


「見て分かる通り、あの相手は、さっきの魔族とは比べ物にならないくらい強いですよ」


 そんな私の言葉に力強く頷くレナさん。


「はい。だからこそ私が倒します」


 それができるなら確かに戦術的には楽だ。


 でも、今のレナさんの実力では間違いなく勝てない。

 レナさんには、魔族討伐の旗頭になってもらわなければならない。

 万が一にもここで失ってしまってはならない。


 でも、もしレナさんが成長し、一人で将軍を倒せるようになったとしたら。


 四魔貴族討伐。

 エディさん奪還。


 この二つが、ただの夢物語から、可能性は低いが、作戦と呼べるほどには進化する。


「分かりました。無理そうならお早めに声をかけてください。エディさんを助けるまで、まだまだ先は長いですから」


 無謀な賭けかもしれない。


 でも、そもそも、人間の歴史上、誰も倒したことのない四魔貴族を倒し、そんな四魔貴族が可愛く見えるほど強力な魔王の手からエディさんを救おうとすること自体、自殺と言われても反論できないほど無謀な賭けだ。


 私はレナさんに賭けてみることにした。


 最悪、せっかく育った戦力を失うことになるかもしれないが、リスクの高い賭けなしに、最強の魔王であるミホちゃんに挑めるわけがない。


 ナツヒをレナさんに任せることで、私の相手は配下の魔族のみとなった。


 もちろん相手は雑魚ではない。

 ただ、今の私の敵ではなかった。

 倒すだけなら余裕で倒せるだろう。


 問題は、私の敵はこの場にいる相手だけではないということだ。


 将軍ナツヒを倒した後は、四魔貴族スサや、その配下である他の将軍も倒さなければならない。

 さらにその後は、魔王であるミホちゃんを守る二人の四魔貴族を倒し、ミホちゃん自身の手からエディさんを取り戻さなければならない。


 ここで無駄な魔力を使うわけにはいかなかった。


 魔力を節約した上での勝利。

 それが私に課された制約だ。


 魔力をケチったせいで死んでしまっては元も子もないが、無駄遣いすれば、結局後で死んでしまうだけだ。


 相手と対峙しながら、私は戦術を考え続ける。


 技を小出しにして結局倒せなかった場合が最悪だ。

 一番無駄に魔力を浪費する。


 相手を倒せるギリギリを狙うのがベストだ。


 幸い、私には他者にはない強みがある。


 『観察者』の称号。


 相手をよく見れば見るほど、相手のことがよく分かるようになるこの力をうまく使えば、どうにかなるかもしれない。

 短時間では見えるものは限られるが、できる限り相手を見る時間を増やせれば、それだけ精度は高くなる。

 先ほどレナさんの成長に気付けなかったように、ちゃんと見なければその能力は発揮できない。

 私は集中して相手をじっと見つめる必要がある。


 それに、先ほどのレナさんの言葉で、集まってくるこちらの仲間たちもいるはずだ。

 スサも来てしまうかもしれないというリスクは当然あるが、それよりは近くにいる人間の方が早いはず。


 戦闘開始を引き延ばすのが、良策だろう。


 私は身構える魔族を見る。


 魔族には珍しく、私のことを舐めた様子はない。

 私は時間を稼ぐべく口を開く。


「もしよかったらあちらの二人の戦闘を見ませんか?」


 私の提案に、魔族の一人が答える。


「黙れニンゲン。一刻も早く貴様を倒し、ナツヒ様のもとへ向かうのが我らの使命。のんびり観戦などもってのほかだ」


 間違いなく正しい魔族の言葉を、私は敢えて否定する。


「そうですか。貴方方は将軍である彼女を信頼できないんですね。人間の子供相手に、不覚をとる可能性があると。自分たちが行かなければ不安だとおっしゃるんですね」


 明確な挑発。


 見下しているはずの人間に煽らた相手の反応を見る。


「勝負に絶対はない。たとえ蟻が相手でも油断はしない。それがナツヒ様の配下たる我々の役目だ」


 相手は冷静に答えた。


 私は今のやり取りと、目で見て得た情報から、相手について考察する。


 侮辱に近い挑発を聞き流し、己の職務を全うする堅実さ。

 そして、格下であると思っているはずの人間相手でも警戒を怠らない用心深さ。


 戦えば厄介なことは間違いなかった。

 魔力量が増す前の私なら苦戦必至だっただろう。


 ただ、今はこの相手の性格は好都合だ。


 慎重故に、私の対応次第では、迂闊に手は出してこないように仕向けることができるはず。


 基本的に、魔族は相手の強さを魔力量で測る。

 だから、私の秘めている魔力が大量だと思わせれば、私が強者だということを知らしめられるだろう。


 私は、外に放出しないように、体内で魔力を練る。

 外に出さず、内で循環させている分には魔力は減らない。

 そして、相手が魔力を感じることすらできない雑魚なら別だが、慎重で強力な魔族なら、きっと私の魔力に気付く。


 普段なら自分の力は隠すに越したことはないのだが、時間稼ぎのための威嚇が目的である今は話は別だ。


 私の魔力に気付いた相手の魔族の顔が緊張に包まれた。


 下手に手を出さずに、寧ろナツヒがレナさんを倒すのを待った方がいいのではないかと悩ませる。

 その私の狙いに、相手はまんまとハマってしまった。


 あとは、どれだけ粘るかだ。


 そんなことはないと信じたいが、いくら待っても誰も援護に来ないという可能性はある。

 その一方で、スサやその配下が先に駆けつけるというリスクもある。


 どこまで時間稼ぎに徹し、どのタイミングで攻撃に転じるか。

 その判断が重要だ。


 相手が動こうとするタイミングで、私は魔力の量を調整して威嚇し、牽制する。

 私の目がそれを可能にする。


 慎重な彼らを牽制するのは簡単だった。


 一方で、将軍ナツヒとレナさんの戦いは熾烈を極めていた。


 圧倒的な魔力量。

 無詠唱の強力な魔法。

 経験に裏打ちされた高度な武技。


 ナツヒは将軍の名に恥じない高度な戦闘能力を誇っていた。


 ……ただ。


 魔力量で劣り。

 魔法を放つにも時間を要し。

 剣の腕でも劣りながらも。


 それでもナツヒへ食らいつく少女。


 勝てる要素など見当たらず。

 瞬殺されてもおかしくない実力差の中で。


 レナさんは何とか戦えていた。


 そして、驚愕すべきは、時間が経つごとにナツヒへと肉薄していく成長の速さだ。


 最強の人間の血を継ぎ。

 刀神ダインや私をはじめとする、人間でも上位に位置する者たちの教えを吸収し。

 エディさんという最高のライバルに巡り合い。

 研ぎ澄まされてきた才能。


 その才能がシャラとナツヒという格上の強敵と巡り合ったことで、ついに開花した。


 実戦経験の乏しさからくる経験不足は否めない。

 恐らく数百年戦いに明け暮れてきたであろうナツヒはもちろん、魔物狩りで実戦経験を積んだ私とも比較にならないほど少ないであろう実戦経験。


 その経験不足が、命の危機に瀕することで。

 一瞬の判断ミスが即死に繋がる状況の中で。


 覚醒していく。


 目の前の敵に集中しなければならないのに。

 よそ見をしている余裕などかけらも無いのに。


 私の関心を引いてやまない。

 

「よそ見とは余裕だな」


 だから私は気付かなかった。


ーーゴウッーー


 私へ襲いかかる業火。


ーーズザザザッー


 雨のように降る氷の矢。


ーーバリバリッーー


 雷のような電撃。


 気付けなかったのは目の前の魔族によるこれらの攻撃ではない。

 相対していた魔族の攻撃は、最小限の魔力で対処し、しっかりと受け止めている。


 私が気付けなかったものは、もっと劇的にこの戦局を左右するものだ。


 音も。

 魔力も。

 気配すらも。


 何も感じさせずにそれは現れた。


 突風とともに現れた彼女は、真っ直ぐにレナさんを目指す。


「レナさん!!」


 声を上げることができたのは、彼女がレナさんへ近づく直前。


 それは致命的に遅く。

 決定的に間に合わなかった。


「あっ……」


 レナさんにできたのは、そう声を上げることだけだった。

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