第207話 大賢者①

 私はエディさんのために全てを賭けると誓った。

 エディさんのためになら喜んで死ねると思ってた。


 だから、魔王となったミホちゃんを相手に死んでも、それは本望なはずだった。


 ……でも、それは勘違いだった。


 エディさんへの愛で狂ってしまったかのようなミホちゃん。


 狂気の愛。


 それは必ずしもエディさんを幸せにはしないだろう。

 エディさんが幸せになってくれるなら、たとえ自分が選ばれずに死んでも、受け入れられたと思う。


 でも、狂ったミホちゃん相手では、その愛ゆえにいつエディさんが殺されてしまうかも分からない。


 だから私は、自分の命全てを魔力に変えて、差し違えてでもミホちゃんを止めるつもりだった。


 ……ただ。


 結局それは無駄に終わった。

 無駄に私が死ぬだけの結果に終わった。


 命が消えるまでの時間、私を支配したのは、後悔だけだった。


 愛する人と結ばれないのは仕方ない。

 でも、愛する人が不幸になるのは嫌だ。

 それは、死ぬことより遥かに嫌だ。


 自分の力のなさが悔しい。

 エディさんを守れず、犬死するのが悔しい。


 もっと自分を鍛えていれば。

 限界を超えて鍛えていれば。


 もしかしたら相打ちには持ち込めていたかもしれない。


 そう思うと、死んでも死に切れない。


 愛に狂ったミホちゃんに、エディさんが支配される未来が浮かぶ。

 一方的な愛の名の下に、玩具のように弄ばれるエディさん。


 そんなの嫌だ。

 それでは何のために私は死ぬのか分からない。


 エディさんへの狂おしいほどの想いと。

 ミホちゃんへの抑えきれない憎悪が。


 私の胸を埋め尽くす。


 その二つが、私の中で混ざり合い、これまで感じたことのない複雑な感情を生み出していく。


 でも、その感情もすぐ消えるだろう。


 私はもうすぐ死ぬのだから。


 それは確定した未来だった。

 魔王を倒すべく、自らの命を対価とする禁忌の魔法を用いたのは、他ならぬ私なのだから。


 悔いなく死ねると思ったのに。

 悔いしか残っていなかった。


 死にたくない。

 もっと生きていたい。

 生きてエディさんを守りたい。

 エディさんを守って、エディさんと結ばれたい。


 ああ。


 これが私の本音なんだ。


 どれだけ言葉で飾っても。

 どれだけ自己犠牲を謳っても。


 私は結局、エディさんと結ばれたいだけなんだ。


 死を間近にして知る、裸の自分の心。

 今更知ったところでどうにもない想い。


 私を二度も守ってくれた大きな背中と小さな背中。

 私に教えを乞う真剣な表情。

 ごく稀に見せてくれる笑顔。


 それらを頭に浮かべながら、私は自らの人生を閉じた。




※※※※※※※※※※



 どこからか声がした。


 暗闇にどこまでも落ちていきそうな意識の中。

 誰かの声がした。


 聞き覚えのある声。

 優しく温かい声。


「……リン」


 度重なる不倫で家庭を壊したお父さんの声だった。


 死の間際で聞くのならお母さんの声がいいな、と思った私に、お父さんはいつになく真剣な声で語りかける。


「リンが死ぬのはまだ早い」


 死の間際に聞く声だから幻聴もしくは夢のようなものだと思って聞いていたが、あまりにも今の現状に合った言葉に、私は疑問を抱く。


「私は最低な父親だ。母さんに最悪な思いをさせ、リンには寂しい思いをさせた」


 反省しているようだが、今更遅い。

 私はもう死ぬだけだ。

 お詫びならお父さんも死んでから、あの世でお母さんにして欲しい。


「だから、これは父親として、せめてもの行いだ。リンが気に病む必要はないし、負い目に感じることもない」


 お父さんが何を言っているのか分からない。

 死の間際の最期の夢なら、もっと分かりやすいものがい。


「愛する娘のために死ぬ。自己満足かもしれないが、父親としてこれほど誇らしいことはない」


 私のために死ぬ?

 どういうことか分からない。

 私はもう死んでしまうのに、そんな私のためにどうやって死ぬというのだろう?


「私はダメな父親だったが、それでもリン、君を愛している。自分の命に代えても護りたいと想う程には愛しているんだ」


 お父さんが穏やかな声でそう言った。


「母さんが命に代えて守ったその命。私にも守らせて欲しい」


 まるですぐ側にいるかのようなお父さんの言葉。


「リン。愛している。願わくば、その命を大事にして、幸せになって欲しい」


 それが、お父さんの最期の言葉だった。


 私の中に魔力が流れ込んでくるのを感じる。

 お母さんがドラゴンと対峙した時に私に与えてくれたものと同じ魔力。

 私が持つ魔力より膨大な魔力。


 吹き飛んだはずの右手が生えてくる。

 枯渇していたはずの魔力が身体に漲り、死を迎えるだけだったはずの肉体が生気を取り戻す。


 禁忌の魔法『サクリファイス』。


 自らの命を贄に、他者を甦らせる魔法。


 お母さんは、その魔法を、魔力だけ渡せるようにアレンジした。

 そして私は、その魔法を自分でもアレンジし、じぶんの命を犠牲に攻撃へ転嫁できるようにした。

 そしてお父さんは、大事な人が死んだ時、自動的に発動するよう、ネックレスに魔法式を組み込むアレンジをしたのだろう。


 お父さんとは『雷公』を教えてもらった以外、ほとんど接点がなかった。

 にもかかわらず、命を賭けて私を守ってくれたその愛に、私は素直に感謝した。


 お父さんの命を犠牲にして、私は死の淵から生還したのだ。


 私は、そっと目を開く。


 お父さんとお母さん。

 二人の命を犠牲にして、私は今生きている。


 何と親不孝な娘なんだろう。

 地獄があるなら、間違いなく地獄に落ちるだろう。


 ……でも。

 それでも私には、成さねばならないことがある。


 せっかく両親にもらった命を、また無駄にすることになるかもしれない。


 お父さんもお母さんも、あの世で悲しむかもしれない。


 ……でも。

 それでも私には、助けたい人がいる。


 自分の命を犠牲にしても。

 両親の死を無駄なものにしても。

 例え世界を犠牲にしたとしても。


 幸せになって欲しい人がいる。


 そのための障害のことを思うと、気が重くなる。

 命を賭けてなお及ばなかった相手のことを思うと、立ち上がる気持ちが折れそうになる。


 だけど。


 私はもう一度立つ。


 たとえ相手が史上最強の魔王でも。

 千年もの間、誰も敵わない絶対的強者だとしても。


 私はエディさんのためなら何度だって立ち上がる。


 立ち上がった私は、自分の体を確かめた。

 右手は思うように動かせるし、その他も問題なく動く。


 体を流れる魔力は、元に戻るどころか、死にかける前より増えていた。


 それが、お父さんのおかげなのか。

 臨死体験という、拷問を超えた経験によるものなのかは分からない。


 でも、そんなのどちらでも構わない。


 もう一度、戦うチャンスと力を手に入れた。

 私にとってはその結果だけで十分であり、それが全てだ。


 とりあえず、自分が倒れた後の状況を伺おうと、私は周りを見渡す。


 当然の如く、エディさんとミホちゃんはいない。

 まず間違いなく、エディさんはミホちゃんに連れ去られたのだろう。


 それは残念ではあるが、予想の範囲内だった。


 予想だにしていなかったのは、目の前で戦う魔族とレナさんだ。


 魔族が残っている可能性は、もちろん考慮していた。

 ただ、将軍並みの魔力を持った魔族相手に、レナさんが一人で奮戦することは流石に予想できなかった。


 エディさんと出会う前のレナさんは子供としてはこれ以上ないくらい優秀だったが、あくまで子供としてはという前置きが必要だった。


 エディさんと出会ってからのレナさんは、子供の枠からは抜け出したものの、少なくとも私と別れるまでは、二つ名で呼ぶには力不足だった。


 でも、今戦っているレナさんは違う。


 二つ名どころか、人間として最高峰に近いレベルまで達していた。

 十二貴族や、剣聖賢者。

 彼らと肩を並べるところまで達しているだろう。


 私は、魔力を閉じ、気配を消して戦いの様子を見る。


 戦いの最中も、どんどん成長していくレナさん。

 将軍並みの魔力を持った相手に、喰らい付くレナさん。


 私は、その様子に震えを隠せなかった。


 レナさんは間違いなく天才だ。

 後十年、いや、五年もあればこの域まで達するだろうとは思っていた。


 それが、僅か数ヶ月の間に、人間としての最高峰に近いところまで登りつめた。


 私は、そんな彼女を育てられたことに、感動を覚える。


 もちろん私にとって、エディさんのことが全てではあったが、それでもなお、この少女の成長に少しでも役立てたことを誇りに思った。

 ただ、そんなレナさんでも、今はまだ僅かに相手に及ばないようだった。


 最上級魔法を剣に宿すという、今この時においてレナさん以外になせる者はほとんどいないだろう大技をもってしても、まだ一歩及ばない。


 でも、レナさんは可能性の塊だ。

 レナさんがいれば、エディさんを取り戻す絶望的な戦いが、ほんの僅かでも明るいものになるかもしれない。


 だから、ここで死なすわけにはいかない。


 死の危機に陥ったレナさんを救うべく、私は右手を構えた。


 お父さんのおかげで助かった命。

 この二回目の生で最初に使うのは、お母さんが生み出し、お父さんから授かったこの魔法だと決めていた。


 ただ、魔力が大幅に増えた今、私はかつて、絶対的な魔力量の不足から諦めていた改良を加える。


 エネルギーを無駄にしないように意識したガトリングガン形式のレールガン。

 それでは将軍レベルには通用しないことを私は学んでいた。


 だから、魔力のロスは大きいものの一撃の威力を上げることにしたのだ。


 右手から伸びる光のレール。

 そのレールは、オリジナルより深く長くした。

 込める魔力も、オリジナルより大幅に増やす。


 ただ、魔法の名前は変えない。

 この魔法の原型を完成させ、私のために命を散らした両親に敬意を込めて。


『雷公』


 オリジナルと同じ名前の。

 オリジナルより強力な光弾が、将軍並の魔力を持つ魔族シャラの頭部へ狙いを定める。


 お母さんが考え、お父さんがその名を知らしめ、そして私が受け継いだ最上級魔法。


 その魔法は、お父さんのおかげで大幅に増した私の魔力によって、これまでとは比べ物にならない威力と速度で放たれた。


 光弾はプラズマとなって、輝く軌跡を残しながらシャラの頭部を吹き飛ばした。


 私は内心笑みを浮かべる。


 私自身は、不意打ちとはいえ将軍並の魔力を持つ魔族を一撃で倒せる力を手に入れた。

 レナさんも、いつのまにか師団長並の力を手に入れており、この成長速度なら、将軍を倒せるようになるのも時間の問題だろう。


 さっきまでは命を賭けてさえも、賭けにすらならない絶望的な状況だったが、今は違う。


 ミホちゃんの異常さはよく分かった。

 その上で、私は将軍並の力を手に入れ、近しい力を持つ仲間も得た。


 それでもまだ宝くじに当たるより低い確率かもしれないが、可能性がゼロではなくなったと思う。


 私は手持ちの札と、自分が知りうる限りの魔族の戦力を計算し、作戦を考える。

 圧倒的な戦力差を覆す、乾坤一擲の作戦を。


 その先に待つのが地獄でも。

 どれだけ多くの屍を積み重ねようとも。


 私は必ずエディさんを助け出して見せる。


 だから待っててねエディさん。

 私が絶対に助け出して見せるから。


 たとえ魔王に汚されていても、私は気にしない。

 どんなエディさんでも、私は受け入れるから。

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