第201話 英雄⑤

 私が魔族を憎悪するようになったあの日。


 その光景は今も鮮明に覚えている。


 大好きな。

 心の底から大好きなお母様が殺されたあの日。


 お母様と二人残された馬車の中で、目の前の魔族にお母様が食べられていく光景。


 心臓を抜き取られ。

 痙攣する体を咀嚼されていくお母様。


 滴る血が。

 徐々に減っていくその肉が。

 思い出すだけでも吐き気を怯えるその光景が。

 私の脳裏に刻まれたその記憶が。


 今はっきりと蘇ってくる。


 殺したくて。

 殺したくて。

 殺したくて。


 殺したくて仕方のなかった敵が目の前に現れた。


「お前の母親はうまかった。父親もいつか殺して食ってやりたかったが、残念ながら間に合わなかった。それが……」


 魔族はそう言ってまたクククッと笑う。


「マジでついてやがる。スサ様のおかげで好き放題人間が食えるようになっただけじゃなく。何年も前から食おうと決めていた人間が、一匹で俺の前に現れてくれるなんて」


 魔族はそう言うと挑発するように両手を広げる。


「ほら。親の仇が目の前に現れたんだぞ。怒り狂って挑んで来いよ。そんな人間を返り討ちにして食うのが最高にいいスパイスなんだ」


 ちょっと前の私なら、挑発に乗るまでもなく、この魔族へ戦いを挑んでいただろう。


 将軍ナツヒと同等の魔力を秘めた相手。


 でも、そんなのは関係ない。

 たとえ敗れようとも、お母様の敵討ちに命を賭けただろう。


 だが……。


「おいおい。もっとやる気出せよ。そんなんじゃせっかくのご馳走が台無しだぜ」


 ずっと殺したかった相手のそんな言葉にも、私の心は反応しない。


 エディを連れ去った存在に立ち向かえなかった自分。

 命を賭けて守ろうとした大切な人を無抵抗で奪われた自分。


 生きる目的を失った私は、お母様の仇を目の前にしても、心を燃やすことができなかった。


「……つまんねえな」


 魔族はそう言うと、私の顔を掴む。

 無抵抗の私は、なされるがままに、顔を掴まれ、魔族の顔を見た。


「今から俺はお前を犯す。犯しながらお前を食う。親の仇に犯されながら食われるんだ。泣いてもいい。感じてもいい。何年も食うのを楽しみにしてたんだ。ちょっとは反応して楽しませてくれよ」


 魔族の手が、私の胸元へ伸びる。


 思い出されるのは、エディと結ばれたいと思っていた過去。

 初めては好きな相手としたいと思っていた。


 でも、それは無理だ。


 全ては自業自得。

 自らの蒔いた種で、エディには嫌われ。

 そしてエディはあの存在に奪われた。


 もうどうでもいい。

 どうせ生きてても何もない。


 親の仇に犯され、殺される。


 それもいいのかもしれない。


 弱くて。

 愚かで。

 最低な。


 私の末路としてはふさわしいのかもしれない。


 そう思って全てを諦めた私。


 魔族の手が私の胸に触れる。


 その時だった。


『雷公』


 その呟きと共に、凄まじいまでの熱量を込めた光の弾丸が、私の横を掠め、私を犯そうとしていた魔族を襲う。


「くっ……」


 超速の光弾が頭部に触れる寸前。


 ギリギリのタイミングで魔法障壁を張る魔族。

 だが、その威力は殺しきれず、私を置き去りに数メートル後ろへ後退した。


 私は光弾が飛んできた方向を見る。


 そこには、よく見知った顔があった。


「私の大切な教え後に、汚い手で触るのはやめてもらえませんか?」


 そう呟く、小柄で可愛らしい女性。


 エディを救うために、あの悍ましい存在と戦い、その命を散らしてしまったはずの、私の恩師。


「リン先生……」


 私の呟きに対し、リン先生は微笑みを見せる。


「ごめんなさい、レナさん。起きるのが少し遅れちゃいました」



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 遡ること少し前。

 半分魔族の住処となった王城の一室。


 宮廷魔導士筆頭で『光弾』と呼ばれるリンの父は、静かに目を閉じて座っていた。

 歳を重ねても衰えを知らなかったその整った容姿も、魔族の支配下となったことで、一気に老けた。


 だが、それも仕方ないだろう。


 自らの力が全く通用しなかった四魔貴族スサ。

 自身の過去の功績と、十二貴族たちに服従を示すことで、今の所は魔族の餌にはなっていなかったが、いつ餌となるとも分からない現状。


 何より、妻を失い、唯一の肉親となった娘のリンが、生き延びるためとはいえ、子作りの道具として素性の知れない男に、毎晩犯されているだろう事実。


 それらが『光弾』を苦しめていた。


 娘のリンがまだ生きてくれているだけでも、最低の事態ではないということは、彼も頭では分かっている。

 だが、それに感情が伴うかどうかは別問題だ。


 数多くの女性を相手に遊んできた『光弾』である。

 世の中の多くの貴族の令嬢のように、結婚まで貞操を守るのが絶対とまでは思っていなかった。


 しかし、だからと言って、生きるためとはいえ、恋愛感情のカケラも持っていない相手に、愛する娘が弄ばれるのは耐えがたいことだった。


 ただ、『光弾』には、どうすることもできない。


 娘を取り戻すには、四魔貴族とその配下を一掃し、十二貴族とその配下もどうにかしなければならなかった。


 個人の実力では十二貴族相手でも十分戦えると思っていた。

 こと魔法戦闘においては、『賢者』相手でも引けを取らない自信もあった。


 だが、十二貴族複数人を相手に勝てるとは思っていない。

 ましてや、四魔貴族相手となると、たとえ自分と同じ強さの者が複数人いても勝負にすらならないと思っていた。


 『光弾』は、四魔貴族スサと対峙した時のことを思い出す。


 今思い出しても背筋が凍る思いが蘇った。


 精鋭であるはずの仲間たちが、なす術なく木の葉のように舞い、地面に叩きつけられる姿。

 自分の渾身の最上級魔法が当たっても、砂粒が当たったかの程度しかダメージを受けない姿。


 脳裏に焼き付くどちらの映像も、『光弾』の心を砕くには十分だった。


 王国を守る役目もある宮廷魔道士としては、たとえ命を失うことになろうとも、四魔貴族スサや十二貴族たちと戦うべきなのだろう。


 だが、もはや『光弾』の心は折れていた。


 ほんの僅かでも可能性があるのなら、国のため、愛する娘のために、戦うという選択肢もある。


 しかし、『光弾』は、四魔貴族スサ相手では、天と地がひっくり返っても勝てないと思っていた。

 スサ相手に戦うなら、魔法なしでドラゴンに挑んだ方がマシだと思っていた。


 だから。


 と『光弾』は思う。


 せめて自分は生き残らなければならない。

 自分が生き続けることで、国は救えずとも娘は救えるかもしれない。


 『光弾』はそう思いながら、胸元に手をやった。


 その手のなかにあるのは、光り輝く美しい宝石。


 宮廷魔道士筆頭である彼は、王城内にある禁書全てに目を通していた。


 その中には、明らかに現代の魔法知識を凌駕した内容の魔法が幾つも記されている。


 もちろん、並の魔道士にはその内容を読み解くことすらできない。

 超一流と言って過言でない『光弾』を持ってしても、理解できるのはごく一部だけだ。


 魔法の種類は大きく二つに分けられる。

 禁書もそれに伴い、二つに分類できた。


 自然の現象に魔力で干渉し、その現象を増幅するもの。  

 そしめ、魔力や生命エネルギーを代償にし、時に自然の法則すら捻じ曲げるもの。


 自らの代名詞である『光弾』の由来となる魔法は前者で、神国が神の奇蹟とする魔法の多くは後者だ。


 最愛の妻が、娘のために命を引き換えに行使した魔法サクリファイス。

 神国に伝わる古代語で、生贄を意味するらしいその魔法。


 公にはできない禁忌の魔法だ。


 実は、その禁忌の魔法を基に、妻にすら伝えていなかった魔法を、『光弾』は考案していた。


 その魔法を発動するためには、『光弾』は今死ぬわけにはいかない。

 本当は国のために使わなければならない命を、娘のために使う。


 最愛の妻のために使えなかった命。

 せめて愛する娘のために。


 最低な夫で、最低な父親だったが、最期くらいは家族のために尽くしたい。


 宮廷魔道士としては失格だが、一人の人間として誤りのない選択を。


 『光弾』はそう誓い、胸元で光る首飾りをギュッと握りしめた。


 サクリファイスの応用。


 対となる石の持ち主の命が尽きた時、自らの命を生贄に、相手の命を復活させる魔法。


 間違いなく自然法則を超えた禁忌の魔法。


 もともとは妻のために作った魔法だったが、今、対となる石は愛する娘の手の中にあった。


 『光弾』には確信に近い想いがある。


 近い将来に、娘は命を落とすだろうと。


 自分を相手に、最上級魔法の術式を教えるよう交渉を持ちかけてきた時のことを思い出す。

 我が娘ながら末恐ろしいと感じた。


 そんな娘が今の状況下、おとなしくしているとは思えなかった。


 娘が自分なんかよりはるかに優れた才能を持っていることは、『光弾』にも分かっている。


 だが、どれだけ優れていても四魔貴族には敵わない。

 刃向かえば最後、命を落とすのは確実だ。


 『光弾』はそう考えていた。


 ……そんな時だった。


 『光弾』は近くで膨大な魔力の奔流を感じる。


 四魔貴族のスサは不在のはずだったが、その魔力はあまりに強大で、四魔貴族のものとしか思えなかった。


 その魔力を感じた時、『光弾』は己の生を終えるための心の準備をした。


 今、この国で四魔貴族には向かう勢力は限られている。

 娘が戦っている可能性はかなり高いと推測した。


 ……そして、その推測は当たっていた。


 相手が四魔貴族ではなく、より強大な魔王であったというだけで。


 『光弾』は残されたわずかな時間、自身の人生を振り返る。


 最愛の妻との出会い。

 何よりも可愛い娘の誕生。


 そんな家族の幸せをぶち壊したのは、己の欲望と自制心のなさだった。


 過去に戻れるなら戻りたい。

 戻って、不倫に身を染める自分を殴り飛ばし、家族のためだけにその全てを捧げさせたい。


 死んであの世に行ったならば、まずは妻へ謝ろう。

 謝った上で、娘の命だけは何とか守ったことを報告しよう。

 娘のために命を散らした妻へ、自信も同じことができたことを、それだけは誇ろう。


 そして、都合のいい願いだが、あの世で一から妻との関係を築き直そう。

 それは、四魔貴族を倒すことより険しい道かもしれないが。


 『光弾』は願う。


 己の命と引き換えに娘の命を救った後、誰かが娘を守ってくれることを。


 そういえば、娘は誰かに恋をしていたようだと、『光弾』は思い出す。

 その誰かが、救ってくれればいいのだが。


ーーピキッーー


 そう思った時、胸元の石がひび割れる。


 それを見た『光弾』は微笑む。


 家族のために何もできなかった自分だったが、最期に大きな仕事をやり遂げられる。


 リン。

 愛している。


 リン。

 君は私の宝物だ。


 リン。

 命は大事にすること。


 リン。

 幸せになるんだぞ。


 宝石に刻まれた魔法式が発動する。


 『光弾』の体が光り輝き、命が魔力へ変換されていく。

 対となった宝石を媒介し、娘のもとへと流れていく。

 娘のために死ねることを誇り。

 これ以上ない笑みを浮かべて。


 宮廷魔術師筆頭『光弾』は、妻の元へと旅立った。

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