第202話 英雄⑥

 私は改めてリン先生の方を向く。


 そこに立っているのは、小柄で可愛らしい、私が尊敬する数少ない存在の一人、リン先生で間違いなかった。


 リン先生は先程死んだはずだった。

 あの存在と戦い、自らの魔法の対価として命を捧げて死んだはずだった。


 リン先生は以前と変わらない表情で私へ微笑みかける。


「なんて顔してるんですか。それじゃあ今死んだばっかりの私より死人のような顔してますよ」


 リン先生の言葉に、私は何も言い返すことができない。


 リン先生が言う通り、私は死人も同然だ。

 体は生きているが、心はもう死んでいる。


「……私は。エディのために生きると決めてました。エディのために命を捧げると誓ってました。それなのに……」


 しゃべりながら溢れてくる感情を、私は抑えることができない。


「私は動けませんでした。あの存在を前に、私は恐れて何もできませんでした。変わろうと決めたのに。決意を固めたはずなのに。私は世界で一番大事なものを守るために、何もすることができませんでした」


 止めどなく溢れる涙を垂れ流す私の頭を、リン先生が優しく撫でる。


「人間誰しも、弱いものです。どれだけその人のために尽くそうと思っても。恩返ししようと思っていても。簡単には動けないものです。私もそうでしたから」


 どこか遠い目をして話すリン先生に、私は食ってかかる。


「リン先生に分かるわけがありません! あんな……あんなに悍ましい存在に、命を賭けて挑めるリン先生に、私みたいな弱い人間の気持ちが分かるわけない!」


 幼児のように喚く私を、リン先生は、それでも優しく受け入れてくれる。


「私は、昔、いじめられていました。死にたくなるくらいのいじめ。そんないじめの中で、女性にとって一番大事なものが踏み躙られそうになった時、私を絶望の淵から救ってくださったのがエディさんです」


 リン先生がなぜあれ程までにエディに好意を寄せるようになったのか、その一端が分かった。

 

「ただ、その結果、エディさんが代わりにいじめられるようになりました。私のせいにもかかわらず、私を恨むことなく耐え続けるエディさん。そんなエディさんを、今度は私が救おうと思いました。でも……」


 そこまで話して、リン先生の表情が暗くなる。


「私は何もできなかった」


 リン先生は、じっと私の目を見る。


「十年」


 リン先生はその時の長さを噛み締めるようにそう告げる。


「それが、私がエディさんのために命を賭けられるようになるまでに必要だった年月です。だからレナさん。今恐れることを恥に思う必要はありません。ただ、常に大切な人のためになれるよう想い続けること。そうすることで、きっとなりたい自分になれるはずです」


 リン先生の言葉で、私の中で燻っていた想いがスッと抜け落ちる。


「ごちゃごちゃうるせえな」


 リン先生の魔法で弾き飛ばされた魔族がこちらを睨みつけながら、苛立った様子で見ている。


「ん? お前も美味そうだな。ご馳走が自分から食べられにくるとは。お前ならいい声で鳴いてくれそうだ」


 魔族はそう言ってケタケタと笑う。


 そんな魔族を見たリン先生は真面目な顔を見せる。


「レナさん。あの魔族、品性はありませんが、魔力は将軍並です。私が万全ならなんとかしますが、残念ながら今の私には、魔力がほとんど残っていません。お父様のおかげで生き返りはしましたが、魔力は回復しなかったようです」


 リン先生がどうやって生き返れたのかは分からない。

 宮廷魔術師筆頭であるリン先生のお父様なら、私なんかでは思いもつかない高等な魔法を使えるのであろう。

 それだけでも十分奇跡だ。

 それ以上を求めるのは望み過ぎというものだ。


「本当はエディさんを連れ去った魔王のために取っておきたいんですが、今から私は、寿命を魔力に変換してあいつを倒します。恐らく大丈夫だと思いますが、もし足りなかった場合のために、レナさんはこの場から離れてください」


 魔王。

 エディを連れ去った存在の呼称。


 あれだけの差を見せつけられて。

 それでもなお、もう一度挑もうとするリン先生。


 なんですごい人なんだろう。

 物語の中に出てくるどんな英雄より、私はリン先生のことをすごいと思う。


 そんなリン先生の命を、こんなところで無駄遣いさせるわけにはいかない。


「大丈夫です、リン先生。先程助けていただいただけで十分です。あいつは私のお母様の仇。娘である私が倒します」


 私の言葉に目を大きく開けて驚くリン先生。


「レナさん。いくらレナさんでも将軍クラス相手に一人で戦えるとは……」


 リン先生の言葉に、私は涙を拭い、笑顔を返す。


「戦えるか戦えないかじゃありません。倒すんです」


 私は表情を引き締め、リン先生の目を見る。


「リン先生。私はリン先生にちゃんと伝えておかなければならないことがあります」


 私の言葉を聞いたリン先生も、真っ直ぐ私の目を見る。


「何でしょうか?」


 尋ねるリン先生に対し、私は真摯に言葉を紡ぐ。


「私もエディのことが好きです。私はエディに嫌われているので、結ばれることはないかもしれません。それでも、命を賭けて彼のために尽くしたいと思える程には彼のことが好きです」


 私の言葉を聞いたリン先生は微笑む。


「お互い険しい道を選んじゃいましたね。ライバルはみんな魅力的で強力です。本命のカレンさんはもちろん、歴史上最強の魔王まで相手ですから」


 リン先生の言葉に苦笑する。


「はい。それでも私は諦めないことにしました。命を賭けることにしました。だからまずは……」


 私はそう言って視線を魔族は戻す。


「あの魔族を始末しましょう」


 私の言葉を聞いた魔族は、怒るでもなく裂けんばかりに口を開いて笑みを浮かべた。


「いいぞお前! その決意に満ちた表情を失意に変えてから食うのが最高にうまいんだ。楽しませてくれよ」


 魔族の言葉には答えず、代わりに剣を構えた。


 お父様の想いが籠った剣。

 輝くその剣は、お母様の仇を打つのに最適だろう。


「私は英雄アレスの娘、レナ。お前を滅ぼす者の名だ」


 私の言葉を聞いた魔族は笑みを浮かべたまま答える。


「クククッ。俺の名はシャサ。お前のその顔を絶望に変え、犯しながら食べるやつさ」


 私は構えた剣に魔力を流す。


 私は弱い。


 力も。

 心も。


 これからだって何度も間違うし、失敗するのかもしれない。

 決意が揺らぎ、戦えなくなる日も、また訪れるのかもしれない。


 それでも、その都度もう一度立って戦おう。


 凡人には凡人の。

 弱者には弱者なりの。

 愚者には愚者としての。


 矜持と戦い方がある。

 想いと譲れないものがある。


 私は、剣も魔法もエディには敵わない。

 魔力量だけは拷問によって追いついたかもしれないが、それだけではまだ、エディには勝てないだろう。


 でも、将来はともかく、今のエディにはできなくて、私にはできる戦い方がある。


 魔族の家畜となっている間に考えた結論。


 それを今ぶつける。


 相手に不足はない。

 むしろ、抱え切れないほどのお釣りが来るだろう。


 だからこそ試す意義がある。


 ただ、初めから切り札は使わない。

 勝負は駆け引きだ。


 相手は格上の将軍クラスの魔族。

 こちらを搾取の対象にしか見ていない圧倒的な強者。


 だからこその戦い方がある。


 姑息で卑怯という見方もある。

 私の憧れた戦い方ではない。


 でも、どれほど王道に基づいた戦い方でも、負ければ意味がない。

 勝つことこそ全て。


 世の中、綺麗事では回らないことを、この数ヶ月で私は学んだ。


 剣に込めるのは、一ヶ月前の私の全力くらいの魔力。


「まあ、粋がるだけの魔力はあるな。ただ、あくまで人間のガキにしては、だけどな」


 私は、そんな魔族の言葉には答えず、斬りかかる。


「言っているがいい。はぁっ!」


 基本に忠実に基づいた上段からの斬り込み。


 そんな私の攻撃を、魔族はあくびでも出そうな様子で、右腕を上に構えて止める。


「クククッ。そんなんじゃ俺の髪の毛一本も切れないぞ」


 魔族の言葉に、私は顔を歪ませる。

 内心では冷静に次の一手を考えながら。


 魔族でいうなら大隊長クラスの魔力量。

 それが一ヶ月前の私の魔力量だ。


 単純な魔力の量任せで戦闘をする魔族と違い、人間は魔法式を用いることで効率化を図り、一階級上の魔族となら渡り合える。

 相性やその時の環境、本人の資質次第では、二階級上とも戦えるだろう。


 でも、将軍と大隊長では四階級差。


 眠っていても勝てる。

 ……相手にそう思わせる。


『窮奇(きゅうき)!』


 風の上級魔法を無詠唱で放つ。


「ふんっ!」


 人間なら切り刻まれて挽肉になるだろう魔法も、将軍クラスの魔族にとっては、そよ風に毛が生えたようなものだ。

 体に纏わせた魔力だけで私の魔法は霧散した。


 私はそれに慌てたふりをしつつ、魔法の詠唱を始める。


 そんな私を邪魔することもなくニヤニヤと笑いながら、私が詠唱を終えるのを待つシャラ。


 私の魔力を糧に、上空で雲が成長していく。

 私が唱えているのは、後ろで見守る恩師に授けられた最上級魔法。


『火雷(ほのいかづち)』


 雷がシャラの上に降り注ぐ。


 だが……


ーーバリバリッーー


 人間なら消し炭になるはずのその雷は、シャラの魔法障壁によって完璧に防がれた。


「クククッ。人間にしてはなかなかやるが……それだけだ」


 余裕の笑みを浮かべるシャラ。


 私は、驚嘆した顔を作る。

 自らのとっておきが全く通用しないことに、驚き、絶望した人間を演じる。


 そんな私を見て喜ぶシャラ。


「もっとだ。もっと絶望しろ。そして、絶望し切ったところで、俺が食ってやる」


 手に持つ剣を小刻みに振るわせ、剣先が真っ直ぐシャラへ向かないようにする私。

 私を追い詰めた気になり、どう味わうか下卑た笑みの裏で考えているだろうシャラ。


 全力を出し、それでもなお届かない実力差にやぶれかぶれになった人間の子供。


 その土台はできた。


「う、うわぁぁっ!」


 私は大声で叫びながら、剣に魔力を込めてシャラへ斬りかかる。


 完全に舐めた様子で、シャラは右腕を上にあげた。

 そしてそれが、私の狙いでもあった。


 上段から斬りかかりながら、私は上空に止まったままにしておいた雲へ、再度魔力を流す。


 雲の中で帯電していた電気が、飽和状態になり、再び地上へ降り注ぐ。


 ただし、降り注ぐ先はシャラではない。


 上空へ掲げられた金属。

 つまり、私が持つお父様の形見の剣だ。


 先ほどまでの攻撃の目的は二つ。


 一つは相手を油断させること。

 もう一つは最上級魔法を、生身で受けるか、魔法障壁で受けるかを確認すること。


 生身で受けたのだとすると、私に打つ手はない。

 今現在、それ以上の威力を持つ攻撃手段が、私にはないからだ。


 でも、シャラは魔法障壁で受けた。


 つまり、生身で受ければ大なり小なりダメージを受けるということだ。


 私は、剣に落ちた雷を、魔力で剣に固定する。


 ぶっつけ本番の大技。

 強大な雷の力を制御するには、膨大な魔力と、精緻な魔力制御が必要だった。


 今の私には、僅かな時間だけであればそれを為せるだけの魔力と、私が唯一エディに優っている魔法剣の制御技術がある。


 魔法はリン先生、剣はダインに師事していたエディ。


 でも、魔法剣は誰にも教わっていないので、エディはまともに使えない。


 私はお父様に仕える騎士から教わったので、基礎は分かっている。

 だから、もともとエディたちと出会う前から中級の魔法剣までは使えていた。


 魔法剣は使い手が少ない。


 魔法と剣。

 両方について実力を磨かなければ真価を発揮できないからだ。


 片方だけでも、一流の域まで鍛えるには険しい道が待っている。

 その両方を極めるのは並大抵の努力では無理だ。


 刀神ダインも、小賢者リン先生も、剣と魔法両方は使えない。

 両方を超一流の域で使える人物は、お父様以外に知らない。


 そして私は、その超一流が使う魔法剣を見たことのある数少ない人間だ。

 スサがお父様を警戒していたのもきっとそこだろう。


 使い手が少ないからこそ、対策も少ない魔法剣という技術。

 魔法を剣に留め続け、斬撃の威力を乗せるという高等技術。


 最上級魔法でそれを試すのはもちろん初めてだ。

 でも、成功させれば、相手の魔族も初見で対応で来るとは思えなかった。


 一か八かの賭けではある。

 でも、命をかける意味のある賭けだと私は思う。


 荒れ狂う魔力の奔流。

 迸る雷光を刀身に纏いながら、私は全力で剣を振るう。


 お父様が使うのを一度だけ見たことのある、その魔法剣の名前を借りよう。


『雷霆(らいてい)』


 今の私の全てを注ぎ込んだ一撃が、シャラを襲った。

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