第200話 英雄④

 ひとしきり泣いた私は、それでも涙を止められぬまま、家の中へ戻る。


 血だらけの屋敷の中、私の部屋は荒らされた様子もなく、綺麗なままだった。


 私は、ベッドへ頭から飛び込む。


 枕が濡れ、嗚咽が止まらない。


 私はエディを救えなかった。

 エディを止めることができなかった。


 エディのためだけに生きようと誓ったのに。


 そのエディから拒まれてしまった。


 私は窓際に飾られた写真を見る。

 大好きなお父様とお母様と三人で撮った写真。

 

 今はもう二人ともいない。


 私の大好きな人はみんないなくなる。


 ようやく巡り会えた初恋の人も、今いなくなった。


 もうどうでもいい。

 大好きな人が誰もいない世界なんてどうでもいい。


 私は世界に絶望した。


 魔族に殺されるのも食べられるのも嫌だから、自分で死のう。


 私はそう思い、自らの命を絶つべく、剣を手に取ろうとする。


 そこで私は考える。


 どうせ死ぬなら、お父様の剣で死のう。


 私は、お父様の部屋だった空き室へ入る。


 部屋の主人が死んでから、剣を置きにきたとき以外入っていない部屋は、ひっそりとしていた。


 お父様の剣を手に取ろうとして、私はあるものにふと気付く。


 机の上に置かれた手帳。


 何気なく開いたそれは、お父様の日記だった。

 私はそれに目を通す。


 日記に書かれていたのは、ほぼ全て私に関することだった。


 その内容は、私への愛に溢れていた。

 何よりも私のことを考え、何よりも私を優先してくれていたのがよく分かった。


 読んでいるこちらが恥ずかしくなるくらい、私のことが大好きだと言うことが伝わってくる。


 お父様は、私を後継者にすることを悩んでいた。


 それは、私の能力不足ではなく、私のことを思ってのことだった。

 私に幸せになって欲しいからとの想いからだった。


 日記ではエディとカレンのことにも触れていた。


 カレンのことは嫌いではないが、それとこれとは話が別で、私がエディの妻になれば最高なのに、と言うようなことも書かれていた。


 私は知らなかった。


 お父様が親バカだったこと。

 私にベタ惚れだったこと。

 こんなにも私のことを愛し、私のことを考えてくれていたこと。


 せっかく止まったばかりの涙が再び溢れてくる。


 相手が人権のない奴隷だから法にこそ触れなかったものの、勘違いで人を殺すような馬鹿な愚かな娘でごめんなさい。


 それを真摯に反省できず、残された人への想像力が足りてなくてごめんなさい。


 人の気持ちが分からず、自分のことだけを考えてしまっていてごめんなさい。


 お父様の背中を守れるくらい強くなくてごめんなさい。


 こんなにも愛してもらっていたのに、命を無駄にしようとしてごめんなさい。


 私は、お父様の剣を持つ。


 私が使っているものより、重く長い剣。


 鞘から抜き放ったその刀身は、使い込まれているにもかかわらず、眩い輝きを放っていた。


 私の心から、もう自殺しようなどという気持ちは消えていた。


 私は弱い。

 私は愚かで最低な人間だ。


 生まれ変わったつもりで、全く生まれ変われていなかった。


 それは今もそうなのかもしれない。


 それでも私はもう一度誓う。


 エディのために生きよう。


 片想いでも。

 嫌われていても。

 決して報われない想いでも。


 私はこの剣をエディのために振おう。


 涙を拭い、私は前を向く。

 お父様の剣を腰に差し、ギュッと握りしめた。


 お父様の部屋へ礼をして外へ出た私は、エディの部屋へ行き、置かれていた刀を手に取る。


 ダインからエディに託された魂。


 私はこれをエディに届けに行かなければならなかった。


 もちろん、届けるのは刀だけではない。

 届けるのはそう、私自身。


 エディが立ち向かおうとしているのは、圧倒的な強者。


 そんなエディを私は守る。

 命に代えても守る。


 待っていなさい、エディ。

 私が貴方を守るから。


 そして私は、強力な魔族が待つであろうエディの元へ、駆け出した。






 私がエディのもとへ着いた時、すでに戦闘は開始されていた。

 エディは素手のまま、強力な魔族と対峙している。


「エディ!」


 私はエディの名を呼び、刀を投げた。


ーーガチャッーー


 刀を掴んだエディは、私の方を向く。


 もう二度と会えないと思っていたエディ。


 その姿を。

 その目を。


 私はしっかりと見据える。


「……エディ。私も戦うわ」


 そう提案する私を、追い返そうとするエディ。

 食い下がる私に、エディは告げる。


「お前はこの国に必要な人間だ。ここで死なせるわけにはいかない」


 なんて嬉しい言葉なんなだろう。

 その言葉を聞けただけでも、私はここへ来た意味があった。


 でも私は、引き返すわけにはいかない。


 国よりも。

 私はエディのために戦う。


 嬉しさと決意を隠し、軽口を叩きながら、私はエディたちと共に戦うことを告げる。


 相手は師団長一人に旅団長二人。


 かつての私しか知らないエディは、格上と戦うことになる私を心配してくれる。


 でも私は、エディが知る私より強くなっている。

 旅団長相手でも十分に戦えるはずだった。


 ……だが。


 それは敵の罠だった。


 三対三での戦いが始まるかに思えたまさにその時、私たち三人は敵の時間稼ぎに気付かず、将軍をはじめとした、二十人を超える強力な魔族に包囲された。


 三対三でもこちらが勝てるか分からない状況だったが、今は圧倒的にこちらが不利だった。


 いや。

 不利という言葉では生ぬるいほどの絶体絶命の状況。


 かつての私なら諦めていただろう。


 でも、今は違う。

 隣にエディがいる限り、私は諦めない。


 地に伏し、立ち上がれなくなろうとも、最後の最後まで、私はエディを守るために戦う。


 そしてもちろん、エディもリン先生も諦めてはいない。


 圧倒的に不利な状況の中でも、私たちは何とか戦うことができていた。


 私が強くなっていることは、エディにもリン先生にも告げない。

 私には役目があった。

 もし仮に負けそうになった時に、殿となって、エディを逃すという役目が。

 その時のために力を残す必要があった。


 全力を出せば勝てそうなら、タイミングを見て全力を出す。

 でも、全力を出しても勝てそうにないならこのまま魔力を温存し、エディを無事逃す。


 そう思いながら、戦局を見極めつつ戦っていた私。


 しかし、その行為は、結果的に無駄になった。


 突如破裂していく魔族たちの頭。


 強力な魔族たちを、抵抗すらさせずに一方的に屠っていくことなどできないはずだった。

 それはたとえ四魔貴族でも無理だろう。


 それでもそれを成し遂げる存在。


 その存在は異質だった。

 その存在は歪んでいた。


 恐怖を。

 畏怖を。


 周囲を埋め尽くすようにばら撒くそれは、もはや人とは呼べなかった。


 美しく。

 神々しく。


 全てを魅了するように微笑むそれは、もはや人とは呼べなかった。


 その存在は呟く。

 私の大切な人を見ながら呟く。


 やっと見つけた、と。


 仲間を殺された旅団長の一人がその存在に殴りかかる。

 でも、殴った方であるはずの旅団長の手首がぽきりと曲がった。


 そして、当然のように頭部を破裂させられる。


 その存在は将軍の方を向き、久しぶりね、ナツヒちゃん、と声をかけた。


 将軍相手にちゃん付けで名前を呼べるのならば、相手は格上の四魔貴族でか、同格の将軍、もしくは階級を超えた友人知人しかあり得ない。


 だが、怯える将軍を見るに、同格や友人知人ということはないだろう。

 だとすると四魔貴族だということになるが、果たしてそうなのだろうか。


 スサは確かに恐ろしかった。

 だが、目の前にいる存在は、そのスサが可愛く見えるくらいの禍々しい存在感を放っていた。


 その存在は、魔族たち跪かせると、エディへ視線を送る。

 その視線は何故か、敵へ向けるものではなく、親愛と慈しみに満ちていた。


「姿勢の問題だけじゃないわ。……あの人に傷を負わせるなんて、万死に値するわ」


 跪く魔族に向けられたこの言葉から察すると、この存在は、エディを知っているようだった。

 いや。

 知っているだけでなく、大切に想っているように聞こえた。


 その存在は、魔族たちを全員追い払うと、エディとリン先生に向かって話しかける。


「あら? 貴女はすずちゃんじゃない? 私がいない間、ユーキくんを守ってくれていたの?」


 すずちゃん?

 ユーキくん?


 初めて聞く名前に、頭の中で疑問符を浮かべる私。

 そんな私を置き去りに会話を進める三人。


 会話から分かるのは、理解できない単語のせいで具体的にどこかは分からないが、三人が同じ場所の出身で元々知り合いだったということ。

 そこではリン先生はすず、エディはユーキと名乗っていたということ。

 そして、リン先生も、この存在も、エディに想いを寄せているということ。


 しばらく会話を続けた後、その存在は、リン先生と私へ両手を向ける。


 恋愛の邪魔になる私たちを排除しようというのだろう。


 私もかつて、カレンへ同じことをした。

 その報いが今来たのかもしれない。


 四魔貴族を超える圧倒的な存在。

 その存在から向けられる無邪気な殺意を前に、私は動けない。


 そんな私たちを救うべく、エディが一歩踏み出そうとしているのが、私にも分かった。

 自分を差し出すことで、その存在に私たちを殺すのをやめさせようというのだろう。


 やはりエディは優しくて仲間想いだ。

 エディの愛する人は別にいる。

 それでも仲間のために自らを差し出そうとするエディは、私が惚れた男性なだけある。


 でも、それじゃダメだ。


 私はエディを犠牲にしてまで生き残ろうとは思わない。

 エディのためなら、自分の命なんてドブに捨てられる。


 ……そのはずなのに。


 私の体は動かない。


 四魔貴族を超える圧倒的な強者を前にした私は、身動きひとつ取れずにいた。

 恐怖と畏怖で、何もできずにいた。


 私は強くなった。

 覚悟も決めた。


 ……それなのに。


 いざという時に何もできない。

 これでは、何一つ変わっていない。


 足が地面に埋まったように動かない。

 膝がガクガクと震えている。


 なんて弱いんだ。

 なんで役立たずなんだ。


 どれだけ己を罵っても、それでも動くことができない。


 そんな私とは対照的に、リン先生は動く。


 エディに想いを告げ、そして文字通り命を捧げて絶望的な戦いに身を投じた。


 リン先生が唱えた魔法『サクリファイス』。

 神国の古代語で生贄を意味するその魔法は、その名の通り自らの命を贄に、莫大な魔力を生み、死んだ人間すら甦らせる奇跡を起こす。


 物語の中でしか聞いたことのない禁忌の魔法。


 この魔法を使ったということは、リン先生の確実な死を意味する。

 私のような口先だけの覚悟ではなく、本当に命を賭けてエディを守ろうとするリン先生。


 私は悔しさと恥ずかしさでいっぱいになる。


 リン先生は凄かった。


 見たこともない強力な魔法を用いて戦い、挑むことすら無謀に覚えたその存在の、半身を吹き飛ばすほどの攻撃を見せてくれた。


 ……だが、それだけだった。


 その存在は、何事もなかったかのように、失われた半身を復元させる。

 リン先生は自らの魔法の対価で生き絶え、そしてその亡骸は投げ捨てられた。


 ……そしてエディは、その存在のものとなった。

 私を含むエディの仲間たちの身の安全と引き換えに。


「……そういうわけで、俺はこの人の物になった。ヒナやローザが生きていても。カレンが俺を思い出したとしても。俺のことは忘れるように言ってくれ。お前も見て分かった通り、この人に勝てるやつなんてこの世に誰もいない」


 ダメ。

 そんなこと絶対に許さない。


 リン先生の次は私だ。

 死んでもエディは渡さない。


 その言葉が出てこない。


 その存在を前に、私は怯えるだけ。


 本当は私がエディを守らなければならないのに。

 逆にエディが自らを犠牲に守ろうとしている。


 その存在は、私を一瞥する。

 ゴミを見るような無機質な目で、私をチラリと見る。


「頼んだぞ」


 エディがそう言い残して私から視線を逸らすと、私に見せつけるかのように、その存在はエディの腕に抱きつく。


 そしてエディとその存在は、リン先生の亡骸と私を残し、その場から去っていった。


 私は両膝を地面につく。


 何で?


 私は自問する。


 確かにあの存在は恐ろしかった。

 あまりにも強大で、私が立ち向かったところで、蟻を踏み潰すよりも簡単に倒されてしまうだろう。


 だから何だというのだ。


 それでも立ち向かうべきだった。

 命を賭けて戦うべきだった。


 リン先生はそれを実行した。

 殺されはしたが、やるべきことはやったのだ。


 それは誇りある死だった。

 愛を証明する死だった。


 対する私は何だというのだ。


 絶望的な戦力差の前に何もできず。

 命を賭けて守ると誓った相手を、無抵抗で奪われてしまった。


 不甲斐なくて。

 情けなくて。


 どれだけ後悔してももう時は戻せない。


 それに、時を戻せたところで、あの存在に立ち向かえるとは思えなかった。

 それほどまでに恐ろしくて異質な存在だった。


 今思い返しても恐怖で背筋が凍りそうになる。


 これから私はどうすればいいというのか。


 エディを失った私に、なすべきことは何もない。


 エディを取り戻しにいく?

 あの存在を相手に?


 そうすべきだと分かっているのに。

 そうあるべきだと誓ったのに。


 私の心は折れてしまっていた。

 あの存在を前に、完膚なきまでに叩きのめされてしまっていた。


 そんな状態の私の前に、突然一人の魔族が現れる。


「クククッ。ナツヒの配下が壊滅状態だと聞いて来てみれば、まさかこんなご馳走にありつけるとは」


 私を見て舌舐めずりをする男の魔族。

 私はその魔族に見覚えがあった。


「ちょうど食いごろだな」


 魔族はあの日のように、そう言って笑みを浮かべた。

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