第199話 英雄③
スサの支配下となった王都は、地獄だった。
人々はいつ魔族の餌となるか分からない恐怖に怯え、隣人に売られるのではないかという疑心暗鬼に陥った。
活気ある華やかな街並みは、陰惨で、至る所に血の赤黒いシミが染み込んだ暗いものへと変わっていった。
スサの支配下に入って以降、エディもリン先生も部屋から出て来なかった。
私は十二貴族の家督は継げないままではあったが、家も領地もそのままにされ、何不自由ない暮らしを送っていた。
だから、二人の引きこもりを抱えた生活も、問題なく支えることができた。
ただ、建前上の目的である子作りのために、エディが私を抱くことはなかった。
親の仇で、愛する人を奪い合い、自分の父親の亡骸を足蹴にするような女を抱きたいなどとは思わないだろう。
私だって逆の立場だったら、そんな相手はお断りだ。
それでも。
決して報われない想いでも。
私は絶対にエディを守る。
これまでエディには助けられてきた。
今度は私が守り、助ける番だ。
今は、魔族や十二貴族たちのいつ気分が変わるか分からない、非常に危険な状況だ。
彼らの気まぐれで簡単に消されてしまうのが、私たちの存在だった。
私は心の中で呟く。
それではダメだ。
それは絶対に避けなければならない。
私は弱い。
スサには傷一つつけられないし、十二貴族にも勝てないだろう。
……それどころか。
リン先生よりも。
エディよりも。
私は弱い。
今のままでは、エディを守るどころか、足を引っ張る可能性の方が高い。
努力はしてきた。
エディには劣るかもしれないが、自分なりに限界まで鍛えてきた。
このまま鍛え続ければ、五年後には十二貴族には劣らない力を身につけることができるかもしれない。
でも、それじゃ遅い。
私には、今、力が必要だった。
すぐにでも戦える力が必要だった。
もちろん、普通に鍛えても、一朝一夕では強くなれないのは分かっている。
ただ、私はすぐにでも強くなる方法を学んでいた。
拷問による魔力の増幅。
拷問を行えば、精神修行より遥かに高い効率で魔力を増幅できる。
死や後遺症と背中合わせのリスクが高い方法だが、エディに鍛えられたおかげで、自分がどこまで耐えられるかは分かっている。
表立って鍛えることは魔族や十二貴族たちへの叛逆と捉えかねられないが、家に閉じこもって自身を拷問する分には大丈夫だろう。
エディに受けた拷問は、思い出すだけでも背筋が凍るほど辛かった。
……だが。
母親を殺されたエディの苦痛は。
愛する人と無理やり引き裂かれたエディの苦痛は。
仲間に見殺しにされたローザの苦痛は。
生きたまま魔族に食べられたであろうローザの苦痛は。
きっと拷問の比ではないだろう。
私は服を脱ぎ裸になった。
エディは、私とヒナに拷問を行った際、私たちが壊れないよう気を遣ってくれていた。
発狂しないように。
体に傷痕が残らないように。
私は、傷一つない自らの体を見る。
自分で言うのもなんだが、白く透き通った肌と、均整の取れたスタイルは、まだ子供の域を脱してはいないが、なかなかのものだと思う。
だが、両親に与えられたこの美しい体には、もはや用はない。
エディと結ばれることが事実上不可能になった今、誰かに見せることもない。
エディ以上の男なんていない。
エディ以外に純潔を捧げるつもりはない。
傷痕が残ることを厭わなければ、もっと厳しい拷問を己に課せるだろう。
これで償いになるとは思えない。
それでも。
ただエディのため。
私は限界を超えて己を追い込むことにした。
そして、終わりは突然訪れる。
私が、いつまで経っても部屋へ閉じこもったままのエディを、久しぶりに外へ連れ出したちょうどその日。
エディと私が不在の家が、十二貴族の配下に襲われた。
急いで家に戻った私たちの前に現れたのは、数十人の相手を皆殺しにしたリン先生だった。
リン先生が無事だったのは嬉しい。
だが、これで十二貴族との敵対は決定的となってしまった。
私は強くはなった。
家に引きこもっている間も、必死に己を鍛え、間違いなく強くなった。
だが、スサやその配下の将軍に太刀打ちできるほどではないだろう。
今後のことを考え、悲嘆する私。
ただ、リン先生は後先考えずに暴れたわけではなかった。
血の海の中で、真っ赤に染まった状態のリン先生は、血に狂ってしまったかに見えたが、エディと私への思いやりと、そして決意に満ちていた。
そして、自身を犠牲にすることで、私たちを救うと言うリン先生。
リン先生にはもちろん死んでなんて欲しくない。
でも、エディの命とリン先生の命。
どちらかしか救えないのならば、私はエディを取る。
だから私は、リン先生の提案を受け入れようと考えていた。
だが、エディはそうじゃなかった。
「ダ、ダメです! リン先生を見殺しにするくらいなら、スサや十二貴族に戦いを挑んで殺された方がマシです!」
反射的にそう言ったエディの言葉に首を横に振るリン先生。
「エディさんには、私のことよりもっと大事な人がいるでしょう? 私なんかのために、命を捨てちゃダメです」
だが、リン先生の言葉に、エディは納得せずに首を横に振る。
「確かに俺には、今はここにいない大事な人がいます。でも、リン先生も俺にとって、大事な人なんです」
聞きたくない言葉。
私がもしリン先生と同じように死ぬと言っても。
エディは絶対に同じ反応は示さない。
「一緒にスサを倒しましょう。そうすれば、問題は全て解決です」
何で?
どうして?
私はエディを救おうとしているのに。
自分のことなんて投げ捨ててエディのために尽くそうと思っているのに。
どうして、他の人のために命を投げ捨てようとするの?
リン先生やエディがいくら強くても、スサに挑むなんて単なる自殺行為だ。
私は、そんなつもりでエディを助けたんじゃない。
ローザを見殺しにし。
ヒナを見捨て。
大好きな父の遺体を辱めたわけじゃない。
「それができないからこうやって屈辱を飲んでるんでしょう!」
思わず大きな声を出してしまう私。
違う。
私はエディを責めたいわけじゃない。
大切なエディに、死んでほしくないだけだ。
でも、そんな私を睨みつけ、非難するエディ。
母親のこと。
カレンのこと。
ヒナのこと。
ローザのこと。
それらの話で私を追い詰めるエディ。
そして、追い詰められ、言わなくてもいいことを言ってしまう私。
「……あ、貴方は私の奴隷なの。どうしても私の言うことを聞けないというのなら、契約魔法で行動を制約するわ」
違う。
そんなことをしたいわけじゃない。
私はただ、エディに死んで欲しくないだけ。
そんな私を、それならリン先生に頼んで倒すと言うエディ。
私は、胸に秘めたはずの想いを口にしてしまいそうになる。
「……エディ。私がどんな気持ちでこんな話をしているか分かるの? 私だって命に代えても貴方を守りたいと伝えたはずよ。私は貴方のことが……」
そこまで言って、私は何とか踏みとどまる。
私には資格がない。
エディのことが大事だと言う資格も。
エディのことが大好きだと言う資格も。
エディから大事な人を奪い、幸せから遠ざけた私に、そんなことを言う資格はない。
「行きましょう、リン先生。ここにいてはすぐに追っ手が来ます」
黙ってしまった私に、エディは背を向ける。
待って!
行かないで!
それらの言葉が出てこない。
エディに死んで欲しくない!
エディの無事だけが私の願いなの!
そんなことを言えるはずもない。
いう資格もない。
強くなったはずなのに。
変わろうと誓ったはずなのに。
一人取り残された私は、これまでと何も変わらない、弱くて愚かな私のままだった。
エディ……
止めどなく溢れる涙を、私は拭うこともできなかった。
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