聖戦

第196話 亡国の都

 もはや滅んだと言っても過言でない王国の都。


 四魔貴族と、四魔貴族に媚びへつらう十二貴族によって、魔族の食事用の家畜農場と成り果てた王都。


 かつて賑わっていた通りを通る人はまばらで、道の至る所に血が染み込んだドス黒い痕が残っている。

 時折現れる人は、皆一様に暗い顔をしていた。


 いつ自分が食事にされるのも知れない日々。

 そうならない為に、魔族へ与した十二貴族たちとその配下の言われるがままに生きるしかない日々。


 そんな生活が人々の表情から笑みをなくし、街を陰惨なものに変えたていた。


 その王都にある一人の貴族の屋敷に、この王国の防衛の中枢にいた複数の人間が集まっていた。


「よく集まってくれた。ここに来たことは誰にも知られていないな?」


 そう尋ねるのは、屋敷の主人である十二貴族のノーマンだ。


 ノーマンの表情も王都に暮らす他の人々同様、暗かった。

 また、その目の下には深いクマが刻まれ、しばらくまともに寝られていないだろうことが、容易に想像がつく。


 そんなノーマンの言葉に、その場にいる全員が頷いた。


「少なくともこの屋敷近くに来てからは、尾行はないことを、私の手の者が確認しております」


 そう答えるのは、顔を覆面で隠した、『影』と呼ばれる集団の長だ。


 『影』の長の言葉に、ノーマンは頷く。


 この場に集まる者たちの顔は一様に暗い。

 だが、それもやむを得ないだろう。


 彼らが守ってきた国は、彼らと共にこの国を守ってきたはずの他の十二貴族と、一部の二つ名持ちの騎士や魔導士たちにより、魔族へ売られてしまったからだ。

 仲間だと信じていた者たちの裏切りは、彼らの心へ大きな傷と怒りを残していた。


「魔族へ降っていない有力者の中で、信頼できそうな者は見つかったか?」


 ノーマンの問いに『影』の長は、覆面の上からでもその表情が曇ったことが分かるくらい顔を曇らせて答える。


「残念ながら、有力な者で魔族へ降っていないと言い切れる者は見つかっておりません。『大神官』と『賢者』は完全に黒。『剣聖』と宮廷魔導士筆頭は灰色。『刀神』と『小賢者』は白でしょうが、片や行方知れず、片や軟禁中です。その他の二つ名持ちも、ご存知の通り、我々につきそうな者たちの多くは、既に魔族の腹の中です」


 ある程度分かっていたとはいえ、『影』の長の言葉に、ノーマンは顔を曇らせる。


「やはり、アレス様が亡くなられたのが痛すぎます」


 王国軍第一兵団長のジャンが呟く。

 その言葉を聞いたノーマンは不快そうな顔を見せる。


「その話はするな。騙されていたとはいえ、あの方が亡くなられたのは、我々の責任でもある」


 他の十二貴族の諫言にのり、彼らと共に一度はアレスを殺そうとしたノーマンにとって、ジャンの言葉は己を刺すようなものだった。


 だが、唯一四魔貴族に対抗しうる力を持っていたアレスの死は、彼らにとって余りにも大きな影響を与えていた。


「そうなると、やはり四魔貴族をはじめとする魔族や他の十二貴族たちと戦うのは苦しいか……」


 王都守護隊長のエルフィンが暗い表情で呟いた。


 戦いの場でスサと対峙した経験のあるエルフィンは、最もスサの脅威が分かっている。

 ノーマンの働きかけで、何とか魔族の食事になることを避けられた彼の存在は、スサの恐ろしさを身をもって知っている存在として、貴重だった。


 エルフィンの言葉に、その場にいた全員が俯く。


 王国の護りを支える中心人物たちの集まり。


 だが、この場の顔ぶれも以前より減っていた。


 近衛騎士団長は、十二貴族たちと共に魔族へ寝返った。

 二つ名持ちの騎士の取りまとめ的な存在だった『剛腕』は魔族の餌として連れて行かれた。

 ノーマン自らがこの場に来ないように命令した『軍師』は隣国である商国へ移ったと聞いており、わざわざ危険な王都に戻ってくるはずもない。


 ノーマンがため息をつきながら呟く。


「そもそも、アレスが死んだ今、四魔貴族相手では、王国の総力を上げても勝つ見込みは低い。そのような中で、王国主戦力の半分以上が魔族に隷属しているのだ。苦しいのは分かりきっている。だが、それにしても追加戦力なしでは反抗する気すら失せかねない」


 ノーマンの言葉に押し黙る一同。

 そんな状況の中で、恐る恐るという様子で口を開くジャン。


「ここはやはり、隣国へ救援を求めるしかないのではないでしょうか?」


 ジャンの言葉に苦い顔をするノーマン。


「それはもちろん、私も考えた。南の商国は金さえ払えば助けてくれるだろう。だが、私以外の十二貴族が魔族についている今、その金がない。借金をするという手もあるが、金に汚い商国のことだ。金など借りたら最後、魔族の家畜から、人間の奴隷になるだけにしかならないだろう」


 ノーマンは、話を続ける。


「北の帝国も同様だ。これまで長年に渡り対立してきたのだ。無条件で助けてくれるようなことはない。属国になれば助けてくれるかも知れないが、同じく奴隷のように扱われることになるだろう」


 ノーマンの言葉に、一同が頷き下を向く。


「西の神国はどうでしょうか? 神国ならば、我らを奴隷にすることもないと思われますが」


 ジャンの問いかけに、ノーマンは今までで一番苦い顔をし、はっきりと首を横に振る。


「私は、最も避けねばならないのは神国だと思っている」


 ノーマンの言葉に、全員が驚く。

 王国の深くまで根ざした神の教えを否定するのに等しい言葉だからだ。

 もしここに熱心な信者がいれば、殺されていてもおかしくない。


「彼らの思想は偏っている。神の下に人間は皆平等。だが、人間でない亜人に生きる価値はない。神は絶対の存在である。だから神のために犠牲になるのは尊いことだ。そう言って人間以外の種族を滅ぼそうとし、神のためなら笑って死んでいく彼らは、危険だと思っている」


 ノーマンの言葉に、一同は微妙な表情を浮かべた。

 それでもなお、ノーマンは言葉を続ける。


「私は、民のためなら死ねるが、神のためには死ねない。神に祈り、神に命を捧げたところで、この国は救ってもらえない。神は己の目的の為に、人間を利用しているのではないかとさえ思える」


 ノーマンの言葉を聞いてなお、ジャンは納得できなかった。


「それでも、魔族や隣国の奴隷になるよりはマシじゃないですか?」


 ノーマンは、王を除けば、この国の最高権力者者である十二貴族だ。

 本来、ジャンのように異論を唱えるのは失礼に当たるとされるのが普通だが、ノーマンは、国のためを考えた発言なら、素直な意見を述べることを認めていた。

 だから、ジャンの言葉に立腹せず、真摯に答える。


「一万人だ」


 急に告げられた人数に、一同首を傾げる。


「裏で神国へ使者を送ったところ、一万人の生贄を差し出せば救うと言われた」


 ノーマンの言葉に、全員が絶句する。


「この王都には約十万人が暮らしている。その僅か十分の一だ。このまま永久に家畜として飼われるよりはいいだろう、と」


 ノーマンは嫌悪の表情を浮かべながら言葉を続ける。


「そんなに大量の生贄を要求する神が、まともなものであるはずがない。それならまだ、生きる為に仕方なく人間を食べる魔族の方がまともにさえ思えてくる」


 ノーマンの話を聞いた一同は下を向く。


 長い目で見れば、これから先、魔族へ捧げる人間の数は一万人を遥かに超えるだろう。

 だが、犠牲の数は単純な計算ではない。

 侵略者で捕食者である魔族にやむを得ず食べられるのと、同じ人間に自ら差し出して生贄として殺されるのでは、意味合いが異なる。


「今は耐えるしかない。十二貴族がこちら側に戻ってきたり、我々の知らない勢力が反抗の狼煙をあげるかもしれない。その時、我々も共に戦えるよう、準備をしておくしかないのだ」


 話しているノーマン自身、可能性は限りなくゼロに近いと思っていた。

 それでもなお、その低い可能性に賭けるしかない現状を嘆き、全員が下を向いて悔しさに奥歯を噛み締めた。




※※※※※※※※※※




 ノーマンと、今は亡きアレスを除く、残りの十二貴族たちが集まる王城の一室。


 アレスを謀殺し、国民を魔族へ差し出すことで、魔族の支配下でも、これまでと同様かむしろそれ以上の権限を得た彼ら十二貴族たち。


 そんな彼らが円卓を囲って座るのを、さらに囲うように、二十名ほどの人間が立っている。


 円卓に座る十二貴族十人の中で、一人だけ金の装飾が施された豪華な椅子に座ったメガネの男が口を開く。


「女神様からのご指示があった」


 メガネの男の言葉に、全員が反応する。


「ここ数日のうちに魔王を討伐するから、備えておくようにとのことだ」


 その言葉に対する反応は様々だ。


「ようやくか。早く魔王と手合わせしたい」


 赤髪の男がそう語るのを呆れた目で見ながら、二十歳手前くらいの女性は呟く。


「何でもいいけど、私は早く元の世界に戻りたいわ」


 その呟きに幾人かが頷く。


「それにしても大盤振る舞いだよね。僕たちが直接倒せなくても、一緒に戦って、結果的に魔王が殺せたら願いを叶えてもらえるなんて」


 そう語るのは小太りの男。


「それだけ魔王を倒すのは女神様の悲願なのです。みなさん力を合わせて倒しましょう」


 神に仕える者が身に纏う白衣に包まれた金髪の女性が、力強くそう言った。


 魔王を倒すことに前向きな彼らに対し、浮かない顔をしているのは黒髪の女性と、チンピラ風の男、だった。


 そんな二人へメガネの男が侮蔑の混ざった目を向ける。


「お前たちはまだウジウジしているのか?」


 メガネの男の言葉に、チンピラ風の男が言葉を返す。


「ウジウジなんてしてねえよ。俺たちの誰かが王になるためとはいえ、アレスを騙して殺し、四魔貴族スサの目をここへ向けるため、大量の人間を餌として差し出すってやり方が気に食わねえだけだ」


 チンピラ風の男の言葉に、メガネの男は鼻で笑う。


「多数決で決めたことだ。今更何を言う」


 そんなメガネの男に対し、チンピラ風の男はそっぽを向きながら答える。


「だから従ってるじゃねえか」


 全く納得のいっていない様子のチンピラ風の男から、視線の向きを黒髪の女性へ変えるメガネの男。


「そっちはまだ気にしているのか? こんな世界だ。力のない奴が死ぬのは仕方がない。今回の戦いでも死ぬ奴はいるだろうが、覚悟がない奴はここに残ればいいだけだ。願いを叶えるおこぼれはないだろうが、それは自己責任。リスクなしにリターンを得ようなんて虫のいい話はない。


 メガネの男の言っていることは黒髪の女性も頭では理解できた。

 だが、だからといって、仲の良かったクラスメイトが死んでしまった黒髪の女性は納得はできなかった。


「ついでだから言っとくが、魔王にも俺たちと同じ学校の生徒が乗り移ってる。女神様によると、みんなの憧れのミホ様が魔王だとのことだ」


 ついでと言って語られた驚愕の事実に、部屋の中にいだ者のうち、事実を知らされていなかった全員が驚く。


「俺たちに同級生を殺せっていうのか?」


 チンピラ風の男の言葉に、メガネの男は歪んだ笑みを浮かべながら答える。


「そうだ。そうすれば、願いを叶えてもらえる。抵抗がある者もいるだろう。だが、考えてみたまえ」


 メガネの男は、一人一人の顔を見ながらそう語りかけた。


「君たちの手はもう汚れている。この世界の者を数え切れないくらい殺してきた。今も何の罪もない民を魔族の餌にしている。それが、あと一人殺すだけで、願いが叶うのだ!」


 両腕を開き、声高々にメガネの男は告げる。


「好きなだけ美女を抱きたいという願いも。巨万の富を築きたいという願いも。あと一人殺すだけで叶うのだ!」


 メガネの男はそれだけ言うと、いつもの冷徹な顔に戻る。


「もちろん、協力したくない者、戦うのが怖い者に強制はしない。だが、勝ち馬に乗るだけで得られる権利を得られなかったからと言って文句だけは言うなよ」


 メガネの男の言葉に、部屋にいた他の者たちは黙る。


 ある者は欲望に下卑た笑みを浮かべて。

 ある者は同級生を殺すことに抵抗を覚えて。


 魔王の力を目の当たりにした二人の女性、『賢者』と『大神官』は二人で目を合わせて、自分たちがどうすべきか考えていた。

 エディと対峙したことのあるチンピラ風の男と黒髪の女性もまた、何かを思い悩んでいた。


 だが、彼女たち四人と一部の者を除いた大多数は、魔王であるミホを殺す方向に傾いていた。


「舞台は整いつつある。あと少し。あと少しで全てが終わるんだ」


 最後は誰に言い聞かせるでもなく、自分自身へ言い聞かせるように、メガネの男は呟いた。

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