第195話 魔王の奴隷⑦

「これも称号の力かしら? 反則級の力ね」


 ミホの呟きに、ナミが笑う。


「ふふふっ。あははっ。一番反則的な称号を持っているお前が言うな。まあ、どれだけ凄い力を持っていても、使えなければ意味がないけど」


 ナミの言葉に、ミホは依然余裕を崩さないまま答える。


「それで? 数だけ揃えたところでどうにかなるとでも? それなりに使えそうな子は何人かいるみたいだけど、さっきも言ったでしょう?」


 ミホはそう言うと、抑えていた魔力を噴出させる。

 ナミの魔力もかなりのものだったが、明らかに格の違いを見せつけるような圧倒的な魔力。


 溢れ出る魔力は洪水のように空間を飲み込み、胸を締め付けられるような嫌悪感と、体を蝕むような不快感がその場を覆う。

 耐性のない者なら、この魔力を浴びるだけで息絶えてしまうであろう、文字通り殺人級の強力な魔力。


 あまりにも濃密な魔力に、俺は気を失いそうになるのをなんとか堪えた。


「貴女たちが何人いたところで私には勝てっこないわ。それどころか、こんなにたくさんの人間を集めて、私に魔力の源を与えてくれたようなものよ」


 ただ、その強力な魔力を浴びても、ナミの表情は変わらない。


「確かに貴女の言う通りでしょう」


 この場に来て少しだけ冷静さを取り戻したのか、口調を元に戻して話すナミ。


「でも、申し上げましたよね? 貴女に勝てる人を用意したって」


 ナミがそう言うと、一人の少女が前に出てくる。


 ミホと同じくらい美しい、色白で金髪の少女。

 教会で飾られる真っ白な像を思い浮かばせる芸術品のような少女は、美しい女性は見慣れているはずの俺ですら、思わず見惚れされた。


 その光り輝く姿は、ミホ同様、神々しさを感じさせる。


 そして、ナミやヨミに負けないくらいの魔力を発していた。


「ようやくこの時が来ました」


 少女が呟いた。


 そんな少女をミホは睨みつける。


「もしかしてこの子が私に勝てる存在だとでも言いたいの? 確かに人間の身で四魔貴族並の魔力を持っているのは驚きだけど、それだけじゃ私には勝てないわ」


 ミホの言葉を無視して、少女は言葉を続ける。


「一万人の命を犠牲にしてでも、四魔貴族にすら届きませんでした。だから千年かけて百万人分の魔力を貯めました」


 少女はまるで自分に言い聞かせるかのように語る。


「魔族の力を分析するために、何度も貴女たちへ戦争を仕掛け、その力の仕組みを丸裸にしました」


 少女は懐かしむようにそう語る。


「転生させた人間たちが、自分の力を十分に発揮できるようにした上で今日この場に集えるよう、運命への仕掛けも行いました」


 少女は周りにいる数十名の人間たちの顔を見る。

 その中には、よく見知った十二貴族の人間たちも含まれていた。


「何より、貴女の称号の力を奪うため、その男をうまく活用させてもらいました」


 少女はそう語りながら、俺の目を見て微笑む。

 美しいはずのその笑顔に、俺はゾッとした。


「全ては今日、貴女を滅ぼすために」


 少女はそう言うと、ミホの方を向く。


「私という存在は消えますけど」


 少女の体がより光り輝く。


「貴女が滅ぶ瞬間は見れませんけど」


 少女の体が眩い光に包まれ見えなくなる。


「最悪の魔王は今日滅ぶ」


 少女がその美しい表情をニヤリと歪ませてそう言うと、光が収まり、再び少女の姿が見えるようになった。

 ……だが、その表情と存在感は、光り出す前と全く異なっていた。


 もともと神々しいと思っていたが、今はその比ではない。


 まるで本物の神様がその場にいるかのような存在感。

 一度だけ感じたことのある、圧倒的な存在感。


 その少女の姿を見て、数万人の人間たちが一斉に跪く。

 まるで神の前に平伏すかのように。


「くくくっ。あははっ」


 少女は笑う。


「何千年ぶりでしょう。肉体を持つのは」


 少女は先ほどと変わらない声に、先ほどとは全く異なり、心を鷲掴みするような響きを纏わせながら話す。


「ミホちゃん。いいえ、魔王よ。信徒の声に従い、この世界の神である私が直接滅ぼしてあげましょう」


 このセリフで俺は悟る。


 俺たちをこの世界へ飛ばした元凶。

 その女が今、目の前に現れたことを。


「神様が下界のことに干渉するのは反則じゃないかしら?」


 ミホが表情を変えずにそう尋ねる。

 ただ、そのこめかみを流れる汗は隠せずに。


 ミホの言葉を聞いた女は女神の顔で悪魔のように笑う。


「本来、神は直接下界に干渉できません。でも、この子の称号『聖女』は、膨大な魔力と自らの命を引き換えに、神をその身に宿すことができる能力。まあ、その為にこの称号を与えたのですけどね」


 命を引き換えにと簡単に言う女に対して、十二貴族の一人が口を開く。


「女神様。貴女が直接魔王を倒しても、ちゃんと俺らの願いは聞いてくださるんですよね?」


 女は慈悲が溢れたように見える笑顔で答える。


「もちろんですよ。そうでないとこの子の犠牲も報われないでしょうから」


 女の返答を聞き、下卑た笑いを浮かべる十二貴族。

 そんな十二貴族を、可愛い赤ん坊でも見るような慈愛に満ちたように見える表情で眺める女。

 しばらくそのままの表情で十二貴族を眺めた後、女はミホへ視線を戻す。


「魔王よ。素直に滅されるなら、楽に殺してあげましょう。抵抗するなら、この世の全ての苦痛を与えた上で殺すことになります」


 女の言葉に、ミホは笑う。

 馬鹿にしたように笑う。


「その程度の魔力で私に勝てると思ってるの? 神様のくせに、頭が悪いのかしら? 何度も言わせないで。貴女たち程度の人が何人集まっても私には勝てない」


 ミホの言葉に、憐れむような視線を向ける女。


「哀れな子羊よ。神である私が、勝算もなしにこの場に現れるわけがないでしょう」


 女は余裕の笑みを浮かべる。

 嘲るように笑みを浮かべる。


 その笑顔はとても女神が浮かべるようなものではなかった。

 俺に嫌がらせをして楽しんでいた者たちのような。

 奴隷を痛ぶって悦に浸っていた貴族のような。


 下卑た笑顔だった。


 笑顔のまま急速に高まっていく女の魔力。

 その魔力は、ミホのもののように圧を感じるものではなく、むしろ心地よさを与えてくれた。


 ただ、その心地よさは、なぜかミホの魔力以上の不快感を俺に与えた。


 ミホに匹敵する魔力量を持った女が口を開く。


「八十万人分の魔力ではこれが限界ですね。ただ、これで貴女の魔力量に追いつきました。それに加えて、この場には大勢の称号持ちがいます。称号の恐ろしさは貴女もよくご存知ですよね?」


 そう言って微笑む女の笑顔は、勝ちを確信し、ミホを見下したものだった。


「貴女の負けは、『大魔王』の称号を手放した時から……いいえ。そこの奴隷に惚れてしまった時から確定していたのです」


 女の言葉に、返す言葉もなく、拳を握りしめることしかできない俺。


 確かに今の百倍の力があったというのなら、ミホはたとえ神様相手でも負けない存在だっただろう。

 俺のせいでその力を手放したのだから、俺と出会わなければ、負けることもなかったのだろう。


 悔しさと惨めさで俯きそうになる俺とは対照的に、ミホは笑った。


「ふふふっ。ユーキくんに惚れたせいで私が負けるって? 神様って面白い冗談を言うのね」


 ミホは俯きそうな俺に微笑みかける。


「今の私があるのはユーキくんのおかげ。ユーキくんがいたから強くなれた。ユーキくんがいたから生きてこられた」


 ミホはそれだけ言うと、女の方を向く。


「それに、魔力量が追いついたからって何? 仲間が多いからって勝ったつもりなの?」


 ミホはまるで劣勢にいるなどと感じさせない、余裕たっぷりの笑顔で言葉を続ける。


「舐めないで欲しいわ。私は史上最強の魔王だった女。どれだけ多勢に無勢でも。例え相手が神様でも。私は負けない。それだけの備えはこの千年でやってきた。全員滅ぼして、私が望む世界の礎にしてあげる」


 言葉と同時に、ミホの魔力が、突風のように辺りへ吹き荒れた。

 ミホの言葉と魔力に、圧倒的に優勢なはずの神を名乗る女の仲間たちの方が怯む。


 ただ、女は怯まない。


「さすがは魔王ですね。その傲慢さには神である私ですら驚きを隠せません。ただ、なぜわざわざ私が下界に降りてきたか分からないようですね」


 そう言ってニヤリと下卑た笑いを浮かべる女。


「私は神。私は貴女がナミちゃんにかけたままの奴隷魔法も簡単に解けます。なぜならこの奇跡を始めた聖なる魔法は、私がこの世界に与えたものですから」


 女がそう言ってナミを見ると、ナミの額が光り、そして浮かび上がった文様がすうっと消えていった。


「私を信じる者たちに力を与え、闇を打ち砕く力を与えることができます」


 女がそう言って両手を広げると、数万人の人間が輝きだし、その魔力が増した。


「そして、仮に危険が訪れたとしても、私を信じるこの子たちを天に召し、サクリファイスなんていう面倒な魔法を使わずとも、その命と信心を魔力に変えることができます」


 女はそう言って勝ち誇ったように笑う。


「貴女の勝ち目はゼロなのです。お望み通り、跡形もなく滅してあげましょう」


 女の言葉に対して、全く動揺を見せずに、笑顔のままのミホ。

 そんなミホが突然俺の方を向く。


「私はユーキくんのことが好き。世界中の誰よりも好き」


 そう言って少しだけ寂しそうな笑顔を浮かべる。


「例えユーキくんがもう、私のことなんて何とも思ってなくても好き」


 ミホの言葉に、俺の心は抉られる。


「ユーキくんともう一度会うのが願いだった。ユーキくんと幸せに過ごすのが夢だった。ユーキくんが私の全てだった」


 ミホは笑顔のまま言葉を続ける。


「私はユーキくんと再会するまで、生きるために、数え切れないほどの人間を食べた。ユーキくんとの幸せな世界を築くために、数え切れない程の同族を殺した」


 ミホの笑顔に影が差す。


「私の手は汚れていて。私の心は穢れていて。ユーキくんには相応しくないと思う」


 ミホが笑顔を維持しようと頑張っているのが分かる。


「それでもやっぱりユーキくんが好きなの。ユーキくんと結ばれたいと思ってしまったの」


 ミホの笑顔がついに崩れ、その表情が悲痛なものへ変わる。


「ユーキくんと結ばれて。ユーキくんと私が二人で幸せに過ごすのが一番だった。でも……」


 ミホがもう一度笑顔を作ろうと苦戦する。


「この数日で、ユーキくんにとってはそれが一番じゃないことがよく分かった」


 さっきナミに向けて話したのとほぼ同じ内容だ。

 だからきっとこの先の話も同じだ。


 一緒に暮らそう。

 そうすれば私のことを一番にさせて見せる。


 ミホはそのように告げるはずだ。


 ……そう思いたいのに。


 ミホの表情がそうではないことを、暗に俺へ告げていた。


「だからユーキくんと私が一緒に過ごすのは今この時まで」


 ミホはもう一度笑顔を作ってそう言った。


「これから先、ユーキくんと私は関係のない赤の他人。私はこれから、神を名乗る不届き者と、その偽物を盲信する愚かな信者を退治するけど、ユーキくんは無関係」


 ミホは微笑みながらそう告げる。


「ユーキくんはユーキくんの一番大事な人と一緒に幸せになって」


 それだけ言ったミホは、くるりと俺に背を向ける。


「第二階位の龍にして、我が忠実な僕リカよ。元魔王たる我が名の下において命ずる」


 ミホは背中を見せながらそう言った。


「ユーキくんを連れて安全な場所まで行きなさい」


 ミホの真意が分かった。


 俺を関係ないことにして。

 俺に害が及ばないようにして。


 ……自分はここで死ぬつもりだ。


 神を名乗る女たちの戦力は非常に強力だ。

 同じだけの魔力を持った者を相手にしながら、反則級の効果がある称号の力も警戒しないとならないというのは、ミホがどれだけ強くても苦戦必至だ。


 いくらミホが強くても。

 このまま戦えばミホの命はないだろう。


 そんなミホに俺は反論する。


「ふざけるな! 俺も一緒に戦う。確かに俺の力なんて、この場にいる相手と比べれば、焼け石に水なのかもしれない。だけど、それでも囮でも壁にでもなるし、一緒に死んでやることくらいならできる!」


 そう叫ぶ俺の言葉を聞いても、ミホは振り返らない。


 その強さの割に小さな背中を少しだけ振るわせたように見せながら、ミホは答える。


「気持ちはありがとう。ユーキくんにそう言ってもらえて嬉しいわ。でも……」


 ミホは背中を見せながら少しだけ言い淀む。


「ユーキくんがこの場にいると邪魔なの。ユーキくんを守りながらだと、勝てるものも勝てなくなっちゃう。だからユーキくんはここから去って」


 思わぬ拒絶の言葉に、俺は次の言葉を紡げない。


「私の前に立ち塞がる不届き者たちを倒した後は、ユーキくん以外の相手を探すことにするわ。ユーキくんほどの人はいなくても、私の強さと美貌があれば、きっとものにして見せるから大丈夫。私も幸せに暮らすわ」


 ミホはそう言葉を続ける。

 涙を拭わず、鼻水すら啜らずに、背中を向けたまま言葉を続ける。


「だ、だから……」


 ぐすっ。


 初めて聞くミホの泣き声。


「ユーキくんも幸せになって」


 ぐすっ。


 震えた声でそう告げるミホ。


「私のことなんて忘れて、幸せになって」


 ミホの言葉に従い、漆黒の竜の姿になったリカの巨大な手が俺の体を掴む。


「離せ!」


 俺の言葉を無視し、リカは俺を掴む手に、ガッチリと力を入れると、その巨大な翼を広げる。


 そんな俺たちを、神を名乗る女たちは、無言のまま見続けていた。


 俺はともかく、リカは四魔貴族以上の力を秘めた強敵だ。

 そのリカが勝手に離れてくれるというのだから当然かもしれない。


 俺を掴んだまま、リカがフワッと浮かび上がる。


 その段になって、ミホが振り返った。

 そのどんな芸術品でも敵わない美しい顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら振り返った。


「ユーキくん。大好きだったよ」


 その言葉が合図だったかのように、リカは空へと舞い上がった。


「ミホーッ!」


 俺は、心の底から己を愛してくれた、初恋の人の名前を叫ぶ。


「俺はミホのことを……」


 俺の言葉は、猛スピードで空を駆けるリカの翼の音にかき消され、俺自身にも聞こえなかった。

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