第194話 魔王の奴隷⑥

 全員が予想もしていなかった言葉に、ナミですら固まる。


「う、嘘を言わないで」


 先ほどまで調子良く話していたナミが、そう口を開く。


「知っていたなら、そんなに冷静でいられるはずがない。笑顔で接することなんて、できるはずがない。貴女がどれだけこの男を愛し、この男に会うのを楽しみにしていたのか、私が一番よく知っているから」


 俺もナミに同感だった。

 だからこそ俺は、すぐに真実を告げることができず、悩み続けていたのだ。


 ナミの言葉に、ミホは笑みを浮かべたまま答える。


「ええ。世界の誰よりもユーキくんを愛し、世界よりもユーキくんを大事に想っているわ。そして、再会できる日を、心の底から楽しみに待ち侘びていた」


 ミホの言葉に、動揺を隠せないままナミが笑みを忘れて質問する。


「……それなら何でそんなに平静を保っていられるの?」


 ミホは笑顔のまま俺を見る。

 先ほどまでと変わらない、俺への慈しみを感じる笑顔のままで。


「千年前は、私とユーキくんが一緒に幸せになるのが夢だった。千年前なら、ユーキくんに別の好きな人ができていたら、とても耐えられなかったと思う。それどころか、ユーキくんや相手を恨んで、荒れてしまったかもしれない。ううん。千年前どころか、ユーキくんと再会するまでは、そうだった」


 ミホはそう言うと、少し遠い目をする。


「でも、すずちゃんが死んじゃって、ユーキくんを連れ帰ってきて、ユーキくんと一緒の時間を過ごして、変わったの」


 ミホは、見る者全てを魅了するその瞳を、俺だけに向けて言葉を続ける。


「私は、何よりもユーキくんが大事だって。私と一緒じゃなくても、ユーキくんが幸せならそれでいいって。そう思うようになったの」


 思わず恋に落ちてしまいそうな、とびきりの笑顔で俺を見るミホ。


「私は、私と一緒に過ごすのがユーキくんにとって一番幸せだと思ってる。私ほどユーキくんを愛している人はいないし、私ほどユーキくんのために最高の環境を用意できる人はいないと思ってる。だから、結婚したいって気持ちは嘘じゃないし、私と一緒にいるべきだと思ってる。でも……」


 あいかわらずの笑顔のままだが、その瞳に寂しさの色が灯る。


「一日ユーキくんと過ごしてみてよく分かった。ユーキくんの心の中に私はいない。私と一緒にいてもユーキくんは心の底からは幸せを感じない」


 ミホは視線をナミへ戻す。


「それが分かっているから冷静でいられるの。それが今の私の立ち位置だから」


 ミホはそう言うと、もう一度俺へ視線を戻す。


「でもね、ユーキくん。私はユーキくんを諦めたわけじゃないから。今は結婚は無理って言うなら結婚は延期してもいいけど、ユーキくんの側にいて、ユーキくんをもう一回私に向かせてやろうと思ってるんだから」


 ミホはそう言って微笑んだ。


 俺は改めてミホを見る。


 俺はなんて幸せな男なんだろう。

 こんなにも誰かに愛してもらえるなんて。


 俺はなんて最低な男なんだろう。

 こんなにも自分を愛してるれる人に不誠実なことをして。


「ふざ……けるな」


 そんなミホを見て、ナミが呟く。


「ふざけるな!」


 ナミからドス黒い魔力が溢れ出す。

 今まで感じたことのない、純粋な悪意に満ちた魔力。


 怒り。

 恨み。

 妬み。


 それらの負の感情が凝縮したかのような魔力。

 思わず吐き気を催すような魔力がこの空間を埋め尽くした。


「人の人生をぶち壊しといて。私の全てをグチャグチャにしといて。挙げ句の果てにそのクズ男が幸せになればいいだと? お前が何が何でもその男を手に入れようと言うのなら、まだ救いがあったのに……」


 ナミが今までで一番憎悪のこもった目でミホを睨む。


「お前は殺す。もっとも恥辱的で屈辱的な形で殺す」


 そんなナミを見ても、ミホは余裕を崩さずに微笑む。


「私を殺す? 私の力を一番よく分かっているのは貴女でしょう? たとえ百分の一の力になった今でも、私は貴女なんかには殺されない。もちろんヨミにもね」


 ミホは哀れなものを見るようにナミを見下す。


「それにここにはナギとリカもいる。どう転んでも貴女たちに勝ち目はないわ」


 ミホの言葉を聞いたナミは、なぜか不敵な笑みを浮かべる。


「もちろんお前の力は誰よりも分かっている。その上で、お前を殺す策を用意してきた」


 そんなナミの言葉をミホは鼻で笑う。


「それはユーキくんが大事に懐にしまってあるもののことかしら? ユーキくんが私を殺すって言うなら、私は黙って殺されるけど、果たしてユーキくんがそんなことをするかしら」


 突然自分の名が出てきてどきりとするが、俺は平静を保ったフリをして、ナミの方を向く。


「悪いが、俺にミホは殺せない」


 俺の言葉を聞いたナミは、汚物を見るような目で俺を見ながら吐き捨てる。


「お前みたいな優柔不断な男には鼻から期待していない。もし刺してくれればラッキーくらいにしか思ってなかった」


 ナミの言葉に、ミホが首を傾げる。


「それならどうやって私を殺すのかしら? 私一人でも負けっこないのに、ユーキくんを除いても二対三でどうするっていうの?」


 ミホの言葉に、ナミが不敵な笑みを浮かべる。


「それなんだが、もう二対二になった」


 今まで黙っていたヨミが口を開くと、少し遅れて生暖かい真っ赤な雨が部屋に降り注ぐ。


ーープシャッーー


 ヨミへ視線を送ると、いつの間にかその右手には血濡れた刀身の刀が握られていた。


ーードシャッーー


 さっきまでナギだったものの頭部が落ちる。


ーーバタンッーー


 続いて胴体も倒れた。


「なっ……」


 何が起こったか分からず呆然とするリカと俺。

 だが、ミホは平然としている。


「ヨミの称号の力ね……。正体を知らないと、魔法戦闘特化のナギじゃ防げないか。それにしても、千年連れ添った夫を殺させるなんて、冷たいわね」


 ナミを睨みながらそう語るミホは、ナギの死体へ哀れみの目を向けながらそう言った。


「別の女の血で興奮した後、別の女の名を叫びながら、突っ込むものだけ突っ込んで、出すものだけ出した後、さっさと部屋を出ていくような男を夫だと思ったことは一度もない」


 同じようにミホを睨みながらそう答えるナミ。

 ナミの言葉に、少しだけ申し訳なさそうな顔をするミホ。


「それは悪かったわね。私を殺したいのはそれが原因かしら?」


 そう尋ねるミホを、ナミは鼻で笑う。


「相変わらず、その男のこと以外、何も分かってない。だからここで死ぬことになるんだ」


 ナミの言葉に、ミホはため息をつく。


「ヨミの手の内を知っている私や、人の姿をしていても刀で切れるか分からない龍であるリカを狙わなかったのはさすがだわ。でも、ナギが死んだところで、戦力差は変わらない」


 ミホは、ヨミの方もチラリと見ながらそう言った。


「ヨミも分かるでしょう? 貴女と戦ってから、私は剣の腕も磨いたの。貴女の称号の力はすごい。でも、魔法戦闘に特化したナギは倒せても、私は倒せない」


 ヨミは肩をすくめる。


「私も腕を磨いたつもりだが……。残念ながらそのようだな。だが、私は勝てなくても、私たちは勝てる」


 自信を隠さないヨミに、ミホは首を傾げる。


「どこからそんな自信が来るか分からないけど、私、怒ってるの。ユーキくんを侮辱されたのもそうだし、千年以上連れ添ってくれた一番の配下を殺されたのもそう。二人とも楽に死ねるとは思わないことね」


 ミホの言葉に、逆にヨミが怒りを隠さずに返事する。


「お前が怒る? 怒っているのは私の方だ。名前による理不尽な縛りで人の人生をねじ曲げ、何百年もの間、己の正義に反する生き方を強制された私の気持ちが分かるか?」


 ヨミの言葉を聞き、少しだけ間を置いて返事をするミホ。


「ヨミも。ナミも。貴女たちが私を憎む理由は分からなくはないわ。でも、先に私を殺そうとしたのは貴女たちよ。貴女たちを利用したことに悔いる気持ちはないし、謝ってあげるつもりもない。たとえ元の世界での知り合いでも、私はユーキくんのためなら何を犠牲にするのも厭わないし、後悔もしない」


 ミホの言葉に、ナミが反応する。


「それならそのくだらない愛に死ねばいい。どれだけ言葉を交わしたところで、そんな男相手に狂ったお前と私たちで通じ合うことなどない」


 ナミの言葉に、ミホが相槌を打つ。


「そこは貴女が言う通りね。これ以上貴女たちと会話しても意味がない。戦うならさっさと戦いましょう。もっとも、二対二で勝てると思っているならだけど」


 ミホの言葉に、なぜかナミがニヤリと笑う。


「さすがにそこまで無謀じゃない」


 ナミがそう言うと、死んだはずのナギの体が、突然起き上がり、床に転がる自らの首を拾って、もともと首があった場所に乗せる。


 その異様な光景に、リカと俺は思わずギョッとする。


 そんな俺たちのことなど意に介さず、ナギは傷口へ魔力を流すと、その傷口が繋がり、元の姿に戻った。

 その目に、生気と意思が感じられないことを除けば、という但し書きがつくが。


「これでまず三対二」


 ナミは笑顔のままそう言った。


 間違いなく、先ほどまでミホへ忠誠を誓っていたはずの四魔貴族ナギは、虚ろな目のまま、その妻であるナミの横へと立った。


 ただ、死んだ者が生き返るという信じ難い事象を目にしても、ミホは余裕を崩さない。


「それで? 貴女たちが三人になろうが十人になろうが、私の勝ちは揺るがないわ。それとも、千年私に仕えてくれたナギを操ることで、私に精神的な負担をかけるという作戦かしら?」


 ミホの言葉を受けても、ナミは笑顔のまま答える。


「お前が言う通り。これで勝てると思うほど、私は自惚れてはいない」


 笑顔のままのナミを怪訝に思う俺。

 そしてそれは、ミホも同じようだった。


 そんな俺たちへ答えを示すかのように、ナミが告げる。

 勝ち誇ったような笑顔で告げる。


「だから、殺せる力を持った方に殺してもらう。自分の手で殺したいのは山々だけど、お前が死ぬことを優先する」


 ナミは耳元まで裂けるかと思うくらいに笑みを浮かべると、一言告げる。


「お願いします」








 次の瞬間、魔王の城の食堂にいたはずの俺たちは、広大な荒野の真ん中にいた。


 ……数万人はいると思われる大勢の人間に囲まれて。


「さあ、千年もの間、悪の限りを尽くした魔王の処刑の始まりよ」


 何が起きたかわからない俺たちをよそに、嬉しそうにそう言うナミの言葉が、ここにきてようやく信憑性を帯びてきた。

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