第197話 英雄①

 私は愚かだ。

 私は無力だ。

 私は最低だ。


 エディと出会ってから、私は自分が嫌いになった。

 それまで持っていた自信は全て砕かれ、自分がただの凡人だと思い知らされた。


 エディと比べればゴミのような才能しかないのに。

 王国一の才能だと自惚れ、周りを見下していた過去が恥ずかしい。


 エディと比べれば遊びと言われても仕方ないくらいの努力しかしていないのに。

 誰よりも努力していると、勘違いしていた自分が恥ずかしい。


 ……ただ。


 自己嫌悪に陥り、立ち上がれなくなりそうな自分に、再び力を与えてくれたのもエディだ。

 落ち込み、塞いでいた自分に光を与えてくれたのもエディだ。


 自分より一つ年下の白髪の少年。


 その少年は、王国一の才能に恵まれているはずの自分より強く。

 王国一の環境で教育を受けていたはずの自分より賢い。

 

 そして、母親を魔族に殺されただけで誰よりも不幸だと思っていた自分より、遥かに過酷な現実を生きてきたエディは、とても一つ年下とは思えないくらいに大人びて見えた。


 そんなエディに対して、気付けば恋心を抱いてしまっていた私。

 これまで私に言い寄ってくる男は数え切れないくらいいたが、自分から誰かに恋心を抱くのは初めてだった。


 ただ、この国のトップに位置する十二貴族の娘であるというどうでもいいプライドが邪魔をして、その気持ちを自覚し、自分の気持ちに素直になることすらできなかった。


 この初恋は、私の心を惑わし、そして更なる自己嫌悪を深める要因となる。


 初恋は実らないという。


 その言葉を恨みたくなるくらい、私の初恋は厳しい戦いだった。


 一番の壁は、強く美しい魔族カレン。

 運命共同体とでも言うべき彼らの絆は深く強固だった。

 この世界では絶対的な壁となるはずの捕食者と被食者という関係でさえ、彼らにとってみれば、視界にすら入らず、たやすく砕ける薄いガラスのようだった。


 次に、尊敬すべき魔道士のリン先生。

 強く賢く、そして歳上なのに可愛らしいリン先生もまたエディへ恋心を抱いているようだった。

 私自身も憧れ大好きだったリン先生のことを、恋愛感情かどうかはさておき、エディも好きなのは間違いない。


 続いて、ウサギの獣人のヒナ。

 エディへ心も身体も魂さえも捧げているであろう彼女。

 種族の差など気にしないエディは、王国中の男が性奴隷として欲しがる美しい兎の獣人に献身を捧げられ、嫌な気はしないだろう。


 最後に姉のような存在であるローザ。

 気高い中に優しさも垣間見えるローザは、一番身近にいる目指すべき存在だった。

 鍛え抜かれた刃の様な、芯のある美しさを持った彼女は、戦いに身を置く者にとっては、男女問わず魅力的な存在だろう。


 一方の私自身には、何もなかった。


 お父様とお母様のおかげで、自分で言うのも何だが容姿だけはいい。

 その容姿と次期十二貴族候補という肩書きのおかげで、それまで異性にちやほやされていた私は、異性なんて望めば簡単に手に入るものだと思っていた。


 しかも相手は最底辺の奴隷だ。

 その気になれば簡単に手に入れられるはずだと思っていた。


 だが、それは悲しくなる程に残念な勘違いだった。


 エディは地位も肩書も気にしない。

 ライバルたちは揃って皆、私に負けないくらい容姿も整っていて、美しい。


 そうなった時、私には何も残らなかった。


 次期十二貴族候補という看板と両親譲りの整った容姿。

 それと、子供の割にはそこそこ戦えるということ。


 それだけが私の全てで、そしてそれは、エディという優れた男性を争う上では何のアドバンテージにはならないという事実が、残酷なまでに突きつけられた。


 女性としても。

 戦う者としても。


 どちらの面でも、私は他のライバルたちにどうしようもなく劣っていた。


 その事実が私を苦しめる。

 私の心を突き刺し、掻き回し、ズダズダにする。


 私には誇りがあった。


 次期十二貴族候補としての。

 王国の同世代で最も優れた者であり続けるための。


 だが、そんな誇りはいつの間にか消えていた。


 ただの重りとなった誇りは、消えた。

 霧散し、塵と成り果てた。


 私はかつての自分が嫌悪し、唾棄すべき存在だと思っていた存在になった。


 恋愛事に興じ、嫉妬に身を焦がす、愚かな女という存在に。


 エディへの恋愛という観点で、最も邪魔な存在であるカレンは、奴隷契約の魔法を利用してエディ自らの手で殺させようとした。

 結果的に殺すことはできなかったが、エディ自身の命によって、エディとの記憶を消され追放された。

 きっともう、二度と会うこともないだろう。


 魔族である点に目を瞑れば、戦力としては申し分ない存在。

 エディに心底惚れており、裏切る可能性は限りなくゼロに近い、貴重な存在。


 それを私は、嫉妬という、醜くくだらない理由で手放した。

 もしカレンが手元にいたら、その後の展開も今のように最悪なものにはなっていなかったかもしれない。


 私の嫉妬とエディへの執着は、これだけにとどまってくれなかった。


 エディを崇拝に近い想いで見つめるヒナ。

 美しく妖艶な雰囲気を漂わせるウサギの獣人は、王国貴族の間では、性欲の捌け口として扱われていた。


 エディも、思春期に差し掛かった男だ。

 多少細すぎるように思えるが、ウサギの獣人の中でも一際美しく見えるヒナ相手に、エディも劣情を抱かないとも限らない。


 だから私は、二人の間に奴隷契約を結ぶ際、子供に異性の奴隷を与える時にかける制約をかけた。

 性的な接触を禁止する制約だ。

 もしエディとヒナがそのような雰囲気になっても、この制約があれば、先には進めない。


 仮に私がそういう行為に及んだ際に、同じ制約をかけられていたとしたら、間違いなく怒り狂うだろうが、仕方なかった。


 そして、私の嫉妬は、内心で姉のように想っていたローザにまで及んでいた。


 剣一筋で、脇目も振らず己を鍛え、誰よりも自分に厳しかったローザ。

 美しく気高い彼女に憧れる男が多いことは知っていたが、彼女の異性の物差しの比較相手は、私の父である王国最高の男性だ。

 そんな彼女の眼鏡に叶う男などいるはずなく、恋を知らずに大人になろうとしていたローザ。


 そんな彼女の、恐らく初恋の相手であろうエディ。

 私は恋愛経験のないと思われる彼女を、ライバルの座から蹴落とそうとした。

 側室の座に落ち着けることで、大事な存在であるはずの彼女でさえも、正々堂々とした勝負の場から引き摺り下ろそうとした。


 結果的に、ローザの想いと意志の強さによって失敗に終わったが、今思い返しても自分が嫌になる。

 意中の男性を手に入れるため、汚い手を使うのも厭わず、ありとあらゆることをやろうとする。


 私が心底嫌悪していたはずの存在に私はなっていた。


 もし失った記憶を思い出したとしたら、カレンは私を殺そうとするだろう。

 ヒナは、心底私を憎んでいるだろう。

 ローザも、汚い手を使う私を軽蔑しているだろう。


 自分自身ですら最低だと思う自分を、彼女たちがどう思っているかなんて明白だった。


 それでも私は、エディのことが好きだ。


 私にとってのエディは、百年も一人で彷徨った寂しさを埋めてくれた家族のような存在ではない。

 家畜のように扱われ、性奴隷として死ぬより過酷な運命になるところを救ってくれた存在でもない。

 剣だけに生きてきた人生を変えるほどの、衝撃的な出会いを与えてくれた存在でもない。


 それでも私はエディのことが好きだった。


 ライバルたちほど優れた存在じゃなくても。

 誰にも負けない特別な理由などなくても。


 私は自分の心が引き裂かれそうになるくらい、エディのことが好きだった。


 命を賭けて父親を助けようというその時に、恋愛なんかで心を悩ます私は愚かだ。

 全身全霊、全てを賭けなければならない時に、どうやって恋敵たちを、蹴落とし出し抜こうとするかを考える私は、救いようのないバカだ。


 ……だからこそバチが当たったのかもしれない。


 何より優先すべき父の救出を行おうとする傍らで、自分の恋愛なんかで悩んでいた私に対する、神様の怒りが降ったのかもしれない。


 ……せっかく父を救出できたのに。


 四魔貴族に襲撃され。

 よりにもよって、仲間であるはずの同じ人間に父を殺されたのは。


 私のせいなのかもしれない。


 私はその時何もできなかった。


 四魔貴族スサが、赤ん坊の手を捻るより簡単に、人間を殺していくのを眺めていることしかできなかった。

 父がそんな四魔貴族に立ち向かっていく背中を、後ろから見守ることしかできなかった。


 もし私が、四魔貴族と戦えるくらい強ければ。

 せめて、父の背中を守れるくらいの力があれば。


 父は背中から刺されて殺されずに済んだのかもしれない。


 誰よりも父を尊敬していた。

 誰よりも父を大好きだった。


 だからこそ、父を救い出すために、エディを利用した。

 命を賭けて助けに来たはずだった。


 それなのに。


 絶望的なまでに実力差のある四魔貴族の前では、私はあまりに無力だった。

 賭けたはずの命を惜しみ、動き出すことすらできなかった。


 私は無力だ。

 私は最低の人間だ。


 裏切り者である眼鏡の十二貴族に、愛する父を後ろから刺されても、私は何もできなかった。

 信じられない出来事に思考が停止し、固まることしかできなかった。


 時間が止まったような世界の中。

 撒き散らされる血の一滴までもが視界に刻まれる、濃密な時間の中。


 私は何もできずに立ち尽くすことしかできなかった。


 誰よりも強かったお父様。

 誰よりも優しかったお父様。


 カッコよくて。

 尊敬できて。


 心の底から大好きだったお父様。


 将来はお父様のようになりたかった。

 将来はお父様のような相手と結婚したかった。


 私の生きる指針で。

 私の最も身近な存在で。


 何より、大好きだったお父様。

 心より、愛していたお父様。


 そんなお父様の命が終わろうとしている時、私は何もできなかった。


ーードサッーー


 父の体が。


 いや。

 父だったものの体が。


 音を立てて地面に触れても、私は何もできなかった。


 私を含めた全ての人が思考停止する中、声を上げてくれたのはエディだった。

 一番反応しなければならなかった私の代わりに、声を上げてくれたのはエディだった。


 エディにとって父がどのような存在だったかは分からない。


 居場所を与えてくれた恩は感じていたかもしれない。

 一方で、母親が死ぬ要因を作った憎むべき存在だった可能性もなくはない。


 ただ、いずれにしても、何より大事な存在だったわけではないのは間違いなかった。


 エディにとって何より大事だったのは、私が殺した彼の母親であり、私が殺そうとして行方知れずとなった彼の最愛の人だろう。


 それなのに。


 エディは怒ってくれた。


 絶対的な強者である四魔貴族の前で。

 圧倒的な戦力差を持つ十二貴族たちを相手にして。


 本当は、命を賭けてでも一番最初に怒らなければならなかったのは、誰よりも父を愛していたはずの私でなければならなかったはずなのに。


 私はそんなエディを見て、自分の中で何かが変わるのを感じた。


 私は、強くて優しくてカッコいい同年代の子という理由だけで、エディを好きになったつもりになっていた。


 でも、今この時。


 私は真の意味でエディに惚れた。

 異性としてだけではなく、人として惚れた。


 普段は熱い気持ちは表に出さず、黙々と己を鍛えているだけだが、身近な人が失われた時、我が身を顧みず怒ってくれる。


 しかもその対象が、私の何より大事な存在だった。

 そんな彼に、私は心の底から惚れた。


 そんな彼のために私は、これまでの甘えた自分と訣別する。


 私の愛する人のために怒ってくれた、かけがえのない存在のために、今度こそ私は、自分の全てを費やす。


 彼の大事な人を、一人は殺し、もう一人も殺そうとした私は、きっともう本当の意味で彼と結ばれることはないだろう。


 それをしっかり認識し、彼と結ばれることに執着し、大事な人たちを蹴落とそうとまでした、恥ずかしい過去の自分に別れを告げる。


 私の世界一大事な人のために憤り、誰もが立ちすくむ強大な相手へ怯まず立ち向かってくれた尊敬すべき相手に、私の全てを捧げよう。


 周りに蔑まれようとも。

 本人から嫌悪されようとも。


 今この瞬間から、私の全てはただ彼のために。


 彼と幸せになるのは他の恋敵たちに任せよう。

 私は私にできる全力をもって、この窮地を脱してみせる。


 私は地に伏してしまった大好きな父の亡骸を前にそう誓った。

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