第190話 魔王の奴隷②

 翌朝、さすがにうとうとしていると、枕元で俺の顔を覗き込んでいる人物に気付く。


「おはよう」


 そう言って微笑むのは、おそらくこの世界で最も美しく、最も強いであろう存在だった。


「おはよう、ミホ」


 俺がうとうとしていたとはいえ、部屋に入ってきたことすら気付かせないミホの実力に驚きつつも、そんな素振りは見せないよう、笑顔を作る。


 ミホも俺に笑顔を返す。


「ユーキ君の寝顔、可愛いな。早く隣でその寝顔を見られるようになればいいのに」


 俺はそんなミホに、作り笑顔を返す。


「俺もミホの寝顔が見たいな」


 違和感がないよう、ぎこちなくないよう笑顔を作りながら伝えた俺の言葉。

 そんな言葉に、ミホは照れた表情を見せる。


「えー。やっぱり今日の夜から一緒に寝ようかな……」


 そう言って俺の横たわるベッドへ座るミホ。

 微かに触れた手に、俺はどきりとする。


 それはミホも同様だったようで、顔を赤らめた。


「えへへ。なんだかドキッとしちゃった」


 俺はそんなミホの顔を見て胸が締め付けられる。


 思わせぶりな態度を示す自分が許せない。

 自分で自分が嫌になる。


 それでも、ミホに真実を告げることすらできない。


 ミホがポンと立ち上がる。


「ユーキ君、朝ごはんにしよう。結婚したら毎朝作ってあげたいんだけど、とりあえず今日は、食堂で食べよう」


 ミホに促されるまま立ち上がった俺は、寝巻きのままミホに連れられて食堂へと向かう。


 重々しそうな扉を開くと小学校の体育館くらいの広さはある広い部屋の数十人は座れそうな細長い机に、真っ白なテーブルクロスがかけられていた。


 俺たちより先に席に座っているのは四人。

 机の誕生席に当たるところへ二つの椅子があり、その両脇を囲うように二人ずつ座っている。


 ミホに促されるまま、俺は誕生席の片方に座る。

 もう片方の席には当然の如くミホが座った。


 俺の斜め隣に座るのは、ナミ。

 昨日の話はまるでなかったの如く、澄ました笑みを俺に向ける。


 そのさらに隣に座るのは、浴衣のような服を身に纏い、鋭い目をした、鋭利な刃物のような女性。

 その佇まいは研ぎ澄まされた日本刀を思わせる。


 その女性は、俺を見るとにこりと笑った。

 初見にもかかわらず、飼い主に会って喜ぶ子犬のような素振りを見せるその女性に、俺は戸惑う。


 目を逸らすように反対側を見ると、そこには視線で俺を殺すかの如く睨みつける、神経質そうな男がいた。

 もちろんこの男とも初見で、恨まれる覚えなどない俺は、別の意味で戸惑う。

 この神経質そうな男を除き、みんなそれなりにラフな格好だから、寝巻きで食事に来たマナーの悪さを怒っているわけではないだろう。


 その隣に座るのは、褐色の肌をした美しい女性。

 物珍しそうに部屋の中をキョロキョロと見ているその素振りは、初めて都会に出てきた、田舎の少女を思わせる。

 その女性は、俺と目が合うと、まるで遅れてきた友達と出会って安心したかのように笑顔で手を振る。

 ……俺がこの女性と会うのは初めてだが。


 個性的な面々ではあるが、俺を除く全員に共通している点が一つだけある。

 全員が圧倒的な強者であるという点だ。


 食事の場ということで、魔力は抑えているようだが、身の内から溢れる、その存在感は、ただそこにいるだけで、全てをひれ伏せさせるほどに強い。


 全員がスサと同じくらいの強さがあるのではないだろうか。

 考えるだけでも恐ろしい。


 そんな強者だらけの空間でさえ、一際際立った存在感を放つのはミホだ。

 ミホの異常さを、改めて実感する。


 そんなミホが口を開く。


「あら? 久しぶりね、ヨミ。何十年ぶりかしら? 今日はどうしたの?」


 ミホに話しかけられ、浴衣を着た女性が笑顔を返す。


「お久しぶりです、魔王様。ついに旦那様と再会されたとナミより聞き、馳せ参じました。お二人に仕え、お二人の幸せのために尽くすことが、私の全てですので」


 ヨミはそう言うと、抜き身の刀のような雰囲気を消し、柔らかい雰囲気を醸し出した。


 俺はヨミと呼ばれた浴衣の女性をじっと見る。

 彼女が発した言葉に嘘は感じられない。

 この女性が、ミホを殺すことになるなど俄には信じられなかった。


 ヨミの言葉を聞いたミホは嬉しそうに微笑む。


「旦那様だなんて。ユーキ君と結婚するのは明々後日だから、今はまだ違うわよ」


 口ではそう言いながらも、明らかに満更でもない様子のミホへ、神経質そうな男が口を開く。


「魔王様。本当にこのような男と結婚するおつもりですか? 正直申し上げて、この程度の男と結婚するくらいなら、私の方がまだ貴女に相応しいかと」


 男の言葉に、目に見えて機嫌を害すミホ。

 周りの空気が緊張していくのが肌で感じられる。


「……ナギ。ユーキ君は世界一素晴らしい男性なの。貴方なんかとは比べならない程にね。これ以上ユーキ君を侮辱するなら貴方といえども許さないわ」


 ミホはそう言うと、ナギと呼ばれた神経質そうな男の頭を優しく撫でる。


「大丈夫。ユーキ君と結婚しても、ちゃんとアレはあげるから」


 一瞬、ミホがらしくない妖艶な目をしてそう言うと、ナギは、俺に向けていた刺すような目線を弱めた。

 何の話かは分からないが、彼は、俺の存在によって何かしらの物が貰えなくなることを気にしていたのだろうか。

 そんな二人のやりとりを冷たい目で見ているナミの様子も気になったが、とりあえず俺は黙っていることにした。


「ところで魔王様。旦那様は分かるのですが、この女性は誰ですか?」


 ヨミの目が褐色の肌の女性に向けられる。


「私も気になっておりました。当然の如く、魔王様の側近しか同席することを許されないこの場に入ってきましたが」


 ナギも興味深そうに褐色の肌の女性を見る。


「あら? 私もその子のことは知らないわ。貴方かナミが連れてきたわけじゃないの?」


 ミホの言葉にナミも首を横に振る。


「この城の中には関係者以外は入れませんし、敵意もなかったから特に疑いませんでしたが、この者は魔王様の一の僕だと申しておりましたが……」


 全員の視線が褐色の肌の女性へ向けられる。


「ん? 飯はまだであるか?」


 今までの会話は無かったの如く、そう呟く褐色の肌の女性。


「いや、貴女が誰なのか、と言う話をしていたのだが」


 呆れるナギの言葉に、納得した様子の褐色の肌の女性。


「おお、すまぬな。人の鳴き声は、ちゃんと聞いていないと何と言っているのか分からなくてな」


 人の見た目をした女性は、まるで自分が人ではないかの如くそう語る。


「我は龍である。魔王様に忠誠を誓い、この場にいる。城の中は我が暮らすには狭いので、今は人の姿を借りてみた」


 龍と聞いて、ミホがあっと手を叩く。


「貴女、トカゲさん? 声が掠れてたからオスかと思ってたらメスだったのね」


 ミホの言葉に龍を名乗る女性は顔を顰める。


「魔王様。龍の声帯で人の声を出すのは難しいのだ。それと、トカゲはやめて欲しい」


 龍を名乗る女性の苦情に、ミホは肩をすくめる。


「それなら、貴女のお名前は何というの?」


 ミホの質問に龍を名乗るは胸を張る。


「我は二階位の龍だ。偉大なる一階位の龍は神になったと聞き、我ですら千年以上あっていない。つまり、今この時において、龍という名は我を指す言葉である」


 龍を名乗る女性の言葉に、ミホは首を横に傾げる。


「つまり、貴女は名前がないのね」


 ミホの言葉に、龍を名乗る女性は口籠る。


「いや、我こそは龍であり、我自身を指す固有の名というのは……」


 そんな女性の言葉を最後までは聞かず、ミホは俺の顔を見る。


「ユーキ君。この子のお名前何にしようか? ドラゴンだからドラちゃんとかかな?」


 いきなり振られた俺は戸惑ってしまうが、さすがにドラちゃんは可哀想だと思い、真剣に考える。

 だが、当然、ドラゴンに名前をつけた経験などない。


 ヒナに名前をつけたときのように、何かから名前をあやかることにしたが、龍やドラゴンの名前でピンとくるものはなかなかない。


 パッと思いついたのは、八岐大蛇や九頭龍だが、オロチやクズはさらに可哀想すぎる。


 四海竜王のうち確か北海竜王が黒竜だったから、その名前にあやかるか。

 敖順(ゴウジュン)という名だったはずだから、そこからもらおうと思ったが、ゴウではどう考えても男だし、ジュンという感じでもない。


 あと思いつくのは、倶利伽羅龍王くらいか。

 クリカラの間からとってリカ。

 これでいこう。


「リカはどうかな?」


 俺の言葉にミホが考える素振りすら見せずに即答で頷く。


「それにしましょう。貴女の名前はリカ。今日からリカは、私とユーキ君の飼いドラゴンよ。私だけじゃなくて、ちゃんとユーキ君のいうことも聞くように」


 俺の案が通り、リカと名付けられた黒龍は、特に不満を言うでもなく頷いた。


「我はこの世に生を受けて数千年経つが、初めて名前というものを得た。うむ。悪い気分ではないし、何だか力が溢れてくるように感じるな」


 その言葉を聞いて、ミホがふふふと笑う。


「力が湧いているように感じているのは、本当に強くなっているからよ。私が名前を与えたことで、貴女は私の眷属になった。眷属は、多少の制約は受けるけど、その代わりに私から力を得られるの」


 ミホの言葉にリカは驚く。


「何と。人の身にして眷属に力を与えられるのか。さすが我が主人。龍でも眷属を持てるのは我と三階位の者くらい。魔族とはいえ人の身で眷属まで持てるとは、つくづく魔王様には驚かされるばかりだ」


 感心するリカの正体が分かったところで、全員の視線が俺に向く。


「最後になりましたが、旦那様についても教えていただいてよろしいでしょうか?」


 恐らくこの世界で最も強い者たちが集うこの場で、場違いな存在である俺は、口を開くのを躊躇する。

 この場の誰もが、俺を殺すのに大した労力を要しないだろう。

 ナギの質問に対し、迂闊なことを話していいのか戸惑っていると、代わりにミホが口を開く。


「ユーキ君はユーキ君よ。この世界で最も素晴らしい男性。頭が良くて、カッコよくて、強くて、優しくて、折れない意志を持っている。私が千年以上待ち望んだ、最高の男性よ」


 ミホの言葉に全員の俺を見る目が、興味深く見るだけのものから、吟味するものに変わる。


「カッコいいかどうかは主観によりますし、頭の良さや優しさや意志は見ただけでは分かりません。でも、一つだけ分かることがあります」


 ナギが厳しい目で俺を見ながらミホへそう告げる。


「何とかしら?」


 ナギは見下すような目で俺を見ながら言い放つ。


「この男は弱い。この男は恐らく、魔族で言えば師団長にも満たぬ力しか持っておりません。この男が強いというのは、いくら魔王様のお言葉でも信じられません」


 ナギの言葉に微笑むミホ。


「貴方が私の言葉に歯向かうなんて、千年一緒にいるけど初めてね。だったらこうしましょう」


 ミホは俺とナギ双方の顔を見てから告げる。


「実際に戦ってみて。そうすれば分かるわ」


 ミホの言葉に俺は目を丸くし、ナギはニヤッと笑う。

 そんな俺たちを、ナミは興味なさそうに、リカは興味津々な様子で見ていた。


 俺は改めてナギを見る。


 神経質そうではあるが、顔は整っており、金色の瞳が爛々と輝いていた。

 魔力は抑えているようだが、その身から滲み出るオーラは、まさしく強者のそれだ。


 スサと相対した時に感じた、絶対的強者との圧倒的な力量差を、改めて感じる。


 ミホが何のつもりで言ったのかは分からないが、俺がこの男とまともに戦えるとは思えない。

 そもそも、死んだアレス以外に、四魔貴族とまともに戦える人間なんて存在しない。


「ここでは狭いから外に出るぞ。寝巻きのままでは戦えないだろうから、着替えてくるがいい」


 ナギは笑みを見せたまま俺に向かってそう告げる。

 戸惑う俺に、ミホは微笑みかけた。


「大丈夫だよ」


 それだけ言うと、席を立つミホ。

 ミホに続くように、ナギ、ナミ、リカも席を立つ。


 仕方なく俺も席を立つが、不安しかなかった。


 四魔貴族どころか、その配下の将軍にすら勝てないだろう俺が、四魔貴族相手に無事でいられるわけがない。

 ナギがほくそ笑んでいるのが伝わってくる。


 急いで着替えて城の外に出ると、俺よりも早く着替え終わったミホが待っており、訓練場のようなところへ案内された。


 俺とミホ以外の四人は既に待ち構えており、俺が到着すると、ナギが顎で指図し、俺とナギは、訓練場の中心へと歩いて向かう。


 向かい合って立つ俺とナギ。

 俺に向かい、勝ち誇った笑みを浮かべるナギ。

 対して、緊張を隠せない俺。


 そんな二人の間に、なぜかミホが立ち、俺に微笑みかけた後、ナギに向かって体の正面を向ける。


 間に立つミホに対し、困惑を隠せないナギ。


「あの……魔王様、申し訳ございません。そろそろ始めたいのですが……」


 そんなナギにニコニコと笑いかけるミホ。


「ええ。始めましょう」


 そう言ったままその場に残るミホ。

 訳がわからないナギは困惑する。


「魔王様がそこにいらっしゃると始められないのですが……」


 そんなナギに対し、逆にミホが首を傾げる。


「何で?」


 ミホの言葉にますます困惑するナギ。


「だって私はユーキ君の剣であり、盾でもあるもの。魔物使いが戦いに魔物を使うように、飛竜乗りが戦いに飛竜を使うように、ユーキ君は私を使っていいの」


 ミホの言葉に呆然とするナギ。


「クハハッ。確かにそれは最強だ」


 ミホの言葉を聞いて大笑いするリカ。


「魔王様、さすがにそれでこの男が強いというのは無理があります」


 泣きそうな顔でそう告げるナギ。

 何かと俺を敵視するこの神経質そうな男のことは好きではなかったが、今この時だけはナギに同感だった。


「ふふふっ。半分冗談よ。貴方が私の大事なユーキ君に意地悪ばかり言うから、私もいじめたくなったの。でも」


 笑ってそう言った後、ミホは真面目な顔になる。


「ユーキ君が強いと思っているのはホントよ。私はユーキ君が、どれだけ強いか知ってる。私が知る誰よりも強いことを知ってる」


 ミホはそう言うと、どこか遠くを見ながら笑みを浮かべる。


「だから私はユーキ君が好きなの。私が知ってる。今、この世界で私だけが知ってる。ユーキ君の強さ。そんな強さを持ったユーキ君のことが、大好きなの」


 確信を持ってそう告げるミホに、誰も口を挟めない。


 俺ですら知らない俺の強さ。

 そんなものが本当にあるのだろうか。


 俺は弱い。


 守りたいものも守れない。


 母親も。

 恩人も。

 仲間も。

 恩師も。


 誰も守れなかった。


 自分の意思も貫けない。


 カレンだけを愛すると誓ったはずなのに。

 ミホを前に真実を告げる勇気を持てない。


 力も。

 心も。


 全てが弱いのが俺だ。


 下を向く俺とは対照的に、ナギは表情を緩めた。


「……分かりました。一度は疑ってしまい申し訳ございませんでしたが、魔王様がそこまで仰られるなら、強いのは間違いないのでしょう。何より、そのお心がどれだけこの人間を信頼し、惚れていらっしゃるか、よく分かりました」


 ナギが俺の方へ顔を向ける。


「私もお前を魔王様の夫として認める! だが、命に代えても誓え。絶対に魔王様を幸せにすると」


 涙を浮かべながら俺へそう言い放つナギ。


 そんなナギに対し、俺は言葉を返せない。

 期待を込めた目で俺を見るミホの目を見つめ返すことができない。


 いつまでも返事をしない俺を訝しみ始めるナギ。


 そんな状況に救いの手を差し伸べてくれたのは、ここで俺が本当の気持ちを告げると困るナミだった。


「ナギ。ユーキ様にとって、誓いの言葉は神聖なものであり、結婚式で宣言したいと思っておいでなのです。今ここで迫り、困らせてはなりません」


 ナミの言葉を聞いたナギは納得の表情を見せる。


「失礼した。人間の機微はよく分からないもので。式での誓いの言葉、楽しみにしている」


 ブスリと俺を刺す言葉を告げ、ナギは笑みを浮かべた。


 下を向き続ける俺をこの場から解放してくれたのは、リカだった。


「戦いが見れなかったのは残念ではあるが、我が主の気持ちが聞けてよかった。それでは城に戻って食事にしようではないか。我はもう腹が減って仕方がない」


 リカの言葉で、俺たちは城の中へ戻ることになった。

 ミホへ告げることのできない、俺の本音だけを置き去りにして。

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