第187話 太陽の国の主
カレンたちは、岩の影に氷漬けとなったシナツを残し、その場を離れた。
テラの国の戦力低下を懸念したリッカが、スサを倒した後で解凍できるよう、氷を砕かずに生かしておいたのだ。
スサを倒し、一度テラに認められてしまえば、シナツがなんと言おうと、大丈夫だろうとの判断からである。
リッカが魔法を解かない限り、解けないはずの氷。
熱で無理やり溶かそうとすれば、細胞が死滅して中身の人が死んでしまうはずの氷。
そんな氷に閉じ込められたシナツ。
……だが。
ーーピキッーー
突然氷がひび割れる。
周りには誰もいない。
当然、リッカが戻って来て魔法を解いたわけでもない。
それなのになぜか割れていく。
ーーパリンッーー
乾いた音を残して氷は真っ二つに割れた。
中から現れたのは、無傷のシナツ。
細胞が破壊されて死ぬどころか、凍傷の一つも追っていなかった。
「あー、マジでやばかった」
シナツはそう言うと、真っ二つに割れた氷を、真空の刃で切り刻む。
シナツはリッカの氷に閉じ込められる直前、自身の周りを何十もの空気の層で覆っていた。
その空気の壁が熱を遮断し、氷とシナツの間の障壁となり、シナツが氷漬けになるのを防いだのだ。
シナツは辺りを見渡し、魔力を探知するが、自分が感知できる範囲には、もうリッカたちがいないことを確認した。
シナツは考える。
「うーん。どうしようかな。今から追いかけて全員殺すか、国に戻ってテラ様に報告するか」
リッカの実力はよく分かっていた。
単純な実力は若干自分の方が上。
だが、詳細不明の隠し技があることを知っており、まともに戦えば自分が負けるだろうとシナツは思っていた。
その上、一緒にいるカレンの実力も侮れなかった。
一対一なら次戦っても恐らく勝てるが、リッカと共闘されると、不意をつかない限り勝てないだろうと考えていた。
そして、一度目はうまく行ったが、二度目も不意打ちが通用するとは思っていない。
それほどリッカという存在は甘くないことを知っていた。
シナツはカレンたちを追跡するのを諦め、テラへ報告することにする。
リッカがテラの命令に従わなかったことを告げれば、相対的に自分の評価が上がるだろうと考えてのことだった。
シナツはすぐにテラの屋敷へ赴き、テラへの面会を求めると、メイドの筆頭の魔族が答える。
「今テラ様はどなたとも会いたくないそうです」
将軍であるシナツへ、冷たく言い放つ筆頭メイド。
もちろん、並の魔族が将軍へそのような態度を取れば、殺されても仕方ない。
だが、テラ直属の住み込みメイドは違う。
家事だけでなく、戦闘から夜の伽までこなす、優秀な人材の集まりだった。
中でも筆頭ともなれば、将軍にも引けを取らない強さを持っている。
シナツもそれは理解していた。
戦って負けるつもりはなかったが、余裕で勝てる自信もなかった。
だからその態度には触れず、言葉を続ける。
「そうなの? それじゃあ、『名無し』のことについて重要な話があるって言ってみてよ」
私の言葉に、筆頭メイドの顔色が変わる。
テラを狙う全ての女性にとって『名無し』の話題はタブーに近かった。
これまでよくも悪くも本命のいなかったテラの嫁争い。
お手付きされた女は数多くいれども、結婚の候補にあがることはなかった。
リッカやシナツを含めた将軍たちも。
強さと美しさに加え、家事や夜の伽の能力まで兼ね備えた直属のメイドたちも。
誰一人として噂にすらならなかった。
ハードルは高いが、誰もが候補になりうる嫁争い。
そこに風穴を開けたのが『名無し』ことカレンだった。
数百年独り身を貫き、心から女性を愛することなどないのではないかとさえ思われたテラ。
そんなテラが自ら声をかけ、あろうことかプロポーズまでした女性。
それがテラの国の住人ですらなく、自分の名前すら名乗らない女だった。
その衝撃は、果てしなく大きく、テラを狙う女性たち全てに様々な反応を引き起こした。
リッカのように怒り、嫉妬し、殺気を放つ者。
落胆し、項垂れ、自死すら選びかねない者。
テラのことを想い、身を引こうと考える者。
動揺し、どうして良いか分からなくなる者。
テラが女性を愛せることを知って喜び、『名無し』より魅力的になれば良いだけと割り切つて、略奪しようと考える者。
筆頭メイドも例外ではない。
彼女もまたテラに対して並々ならぬ思いを抱いていた。
伽は何度も行なっていた。
体も技も誰にも負けない自信があった。
でも、体を重ねる度に想いが募るのは自分の方ばかりで、テラはかけらも愛情を示さなかった。
強さも。
想いも。
絶対に負けていないはずなのに。
全く振り向いてくれないテラ。
そんなテラを虜にした女。
筆頭メイドは、想いと忠義の狭間で揺れていた。
一人の女としては、絶対に認められなかった。
だが、筆頭メイドとしては、主人の生涯の伴侶が見つかったのは喜ぶべきことだった。
だが、その女については謎だらけだった。
どこから来たのかも。
その名前すらも分からない。
一番分からないことといえば、たいして強くもないその女に、なぜテラが惚れたのかだ。
その女は、筆頭メイドたる彼女の理解を超越した存在だった。
そんな女に関わる話。
興味を惹かれないわけがない。
「それなら、私が同席することを条件に御目通りを許可します」
筆頭メイドからの提案に、シナツは考える。
その結果、この女がいたところで、支障はないと判断した。
「分かった。キミも一緒に来てくれていいよ」
筆頭メイドに案内されて、シナツが訪れたのは、テラの寝室だった。
何年も前に一度だけ抱いてもらって以来、久しぶりに訪れる寝室に、シナツは胸の高鳴りを感じた。
だが、そんな胸の高鳴りに水を刺すように筆頭メイドが告げる。
「寝室に入っても驚かないでください。そして絶対に口外しないでください」
なぜそんな話をするのかシナツには分からなかったが、特に深くも考えず、シナツは頷く。
筆頭メイドが開いた扉の先にいたのは、憔悴しきった様子のテラだった。
瞳の下にはクマができ、その瞳からは輝きが失われていた。
常に、光り輝く気品と自信に満ち溢れていたテラの、今まで見たことのない姿に、シナツは動揺を隠せない。
テラは虚ろな目で顔を上げ、シナツを見ると、すぐに俯きため息をつく。
「……帰れ」
覇気なく呟くテラに対し、このまま帰るわけにはいかないシナツは口を開く。
「『名無し』に関してのお話がございます」
シナツがそう口にした瞬間、テラは俯いていた顔を勢いよく上げ、曇っていた瞳をいつものように輝かせた。
「彼女がどうしたんだ? ついに俺のプロポーズに応えてくれる気になったのか?」
その反応を見た瞬間、シナツは己の失策を悟る。
プロポーズまでしたことは知っていたはずなのに。
シナツはテラの『名無し』への想いを侮っていた。
彼女に会えないことで。
テラはこの世の終わりかと思うくらい意気消沈した。
彼女の話題が出ただけで。
これ以上ないくらいに嬉しそうな反応を見せる。
小細工と詐術、話術には自信があったシナツも、想像を超えたテラの反応に、頭が働かなくなった。
下手なことを言うのがまずいのは分かっていた。
だが、この状態のテラに嘘をつくのは、更にまずいことも分かった。
浅はかな考えをしたことを後悔しながら、仕方なくシナツは、予定通り話をすることにした。
「テラ様。『名無し』がこの国を離れました」
シナツの言葉を聞いた瞬間、目の色を変えるテラ。
テラの変化を察したシナツは、その追求から少しでも逃れられるよう、焦るように次の言葉を紡いでいく。
「『名無し』は、スサに支配された人間の王国にいる大切な人を救いに行った模様です。その手引きをしているのは、リッカです」
シナツは、言うべきことは言ったと、一息つきながらテラの次の言葉を待つ。
「……それで?」
だが、次のテラの言葉にシナツは戸惑う。
状況についての大筋は伝えられたはずだった。
もっと細かいことが知りたいのだろうかと思ったシナツは、さらに詳細を伝える。
「リッカは、テラ様の下っ端メイド二人と、非常食のつもりか、質の良い人間二人も連れています。その意図はよく分かりませんが……」
そこまで話して、シナツは、自分の答えがテラの意図した質問に答えられていないことに気付く。
「そんなことはどうでもいい」
案の定、テラからそう言われてしまうシナツ。
「俺が聞きたいのは、なぜお前がここにいるかと言うことだ」
テラの言葉に、血の気が冷める思いのシナツ。
「何百年も待ち望んだ俺の花嫁がこの国を離れていくのを知りながら、なぜお前はここにいる?」
とても配下に向けられるものとは思えない、冷徹な視線。
ようやくテラの質問の本質を理解したシナツは、顔を青ざめさせながら答える。
「と、止めようとはしたのですが、悔しいことにリッカはボクより強くて……。それに、『名無し』も魔力量以上に強かったので、一人で足止めするのは難しくて……」
シナツは、その言葉が自分の首を絞めることになるのに気付きながらも、それでもそう言わざるを得なかった。
それほどにテラから向けられる威圧感が恐ろしかった。
知らずのうちに震える足を隠すこともできずに、シナツはただ、静かに怒気を放つテラを怯えながら見つめる。
「つまりお前はこう言いたいわけだ。自分が弱くて無能だから『名無し』を逃してしまったと」
テラの言葉に、防衛本能から思わず首を横に振るシナツ。
「そ、そう言うわけでは……」
しかし、その後の言葉が続かない。
代わりにテラが口を開く。
「それではこういうことか。お前は俺と花嫁が結ばれるのをよしとせず、命を賭けてでも俺の花嫁を止めようとする意思はなかった、と」
図星をつかれて、思わずぐっと押し黙るシナツ。
それどころか、自らの手で殺そうとしたなどとは、口が裂けても言えない。
テラは、そんなシナツへつかつかと近寄り、その顎をくいっと押し上げると、息がかかるほど近くで、シナツの目を見る。
普段なら喜ぶべきシチュエーションだったが、今は全く喜べない。
テラはシナツへ告げる。
「お前も俺の妻になりたいんだよな? この国の女は誰もがそうだ。だからお前に選ばせてやろう。リッカを殺し、俺の花嫁を連れ帰るか。今ここで俺と戦い、お前の方が『名無し』より俺の花嫁にふさわしいと証明するか。好きな方を選べ」
冷酷な色を残したままのテラの瞳に、シナツは悟る。
テラはシナツを生かす気がないことを。
不意打ちなしでリッカと『名無し』二人相手に戦えば、今度こそ間違いなく殺されるだろうし、テラと戦っても、テラはシナツ相手に手加減せず戦うつもりだろう。
どうせ死ぬなら、惚れた相手の手で殺されたい。
そう思ったシナツが、後者を選ぼうとした時だった。
「テラ様。シナツが『名無し』様を取り戻しに行くのであれば、私もご一緒してもよろしいでしょうか?」
筆頭メイドがそう告げた。
この女の目論見が何か、シナツにはすぐに分かった。
テラ様の正妻の座を狙うこの女にとっても、『名無し』の存在は邪魔だ。
取り戻すという名目でシナツに同行し、『名無し』を殺そうという算段だろう。
恐らくはリッカかシナツにその罪を着せて。
シナツとしては、願ったり叶ったりとまでは行かずとも、現状よりはありがたい提案だった。
今この場でテラに殺されるのは免れるし、将軍並の力を持つこの女と組めば、リッカと『名無し』相手でも、十分以上に戦える。
その後、この女がシナツを殺そうとしたとしても、勝ち目はあった。
絶対勝てるとまでは言えないが、テラや、リッカと『名無し』相手よりは、遥かに生き残る確率は高いだろう。
思わず笑みを浮かべそうになったシナツに対し、テラはため息をつく。
「……だからお前たちじゃダメなんだ」
テラの言葉に思わず顔を見合わせる筆頭メイドとシナツ。
「お前たちの魂胆は見え見えだ。二人で手を組んで俺の花嫁を殺すつもりだろ?」
図星を突かれた筆頭メイドとシナツは押し黙る。
「……みんなそうだ。俺に気に入られるために媚を売る。お互い貶め合い、邪魔者は殺そうとさえする」
テラはそう言いながら遠い目をする。
「その点、あいつは違う。俺のことなど眼中にないし、本気で俺を倒そうとしていた。そんなあいつだからこそどうしても手に入れたい」
テラは渇望していた。
自分の伴侶となる女性を。
どれだけ強くても。
どれだけ美しくても。
テラの心を掴む女性はこの数百年現れなかった。
唯一、ほんの僅かながらも可能性らしきものを感じていたリッカもまた、国外に『名無し』を連れ出し、恐らく殺そうとしている。
そのほんの僅かな可能性を壊したくなくて抱かずにおいていたのに、とテラは残念に思う。
やはり。
テラは思う。
やはり、あの女しかいない。
別の男に惚れていると宣言し、男の中ではナギと並び魔族最強であるはずの己のプロポーズを断る女。
欲しい。
あの女がどうしても欲しい。
そしてもう一つ。
自分よりも上だという『名無し』の想い人を見てみたいという気持ちもあった。
本当に自分より強いとは思えなかったが、どんな男だったら『名無し』が自分のプロポーズを振り切ってでも惹かれるのか気になっていた。
テラは筆頭メイドに命ずる。
「クシナ。花嫁は俺が迎えに行く。すぐに国を空ける支度をしろ。そしてお前も着いてこい」
筆頭メイドのクシナは、テラの指示に、素直に従う。
恋敵である『名無し』を殺すことより、テラの命に従うことの方が、彼女の中では圧倒的に優先順位が上だったからだ。
「かしこまりました」
クシナはそう答えると、すぐにその場を離れ、テラと自分が不在の間、軍や統治に問題が出ないよう手配を始めた。
残されたシナツは考える。
恐らく、これで今すぐ自分がテラに殺されることは無くなった。
だが、このままこの地に残っても、テラに伴侶として選ばれることはない。
シナツは、テラに申し入れる。
「ボクも同行してもよろしいでしょうか?」
テラは深く考えることもなく、頷く。
「いいだろう。『名無し』が向かった先は、スサの支配下に入った人間の国だ。最悪、スサと争うこともあるかもしれない。最小の人数でいきたいが、一方で戦力が欲しかったところだ。ただ……」
そう言ってテラがシナツを見る目に力を込める。
周囲の空気ぐ突然重くなるのをシナツは感じた。
「妙な真似はするなよ。もし少しでも怪しいと思えば、お前は灰も残らず消えると思え」
テラの言葉に、こめかみに汗を流しながらシナツは頷く。
「はい!」
シナツは諦めない。
どれだけ不利な状況でも。
最後の最後まで諦めない。
小柄でそこまで才能に恵まれたわけでもない己が、将軍にまで昇り詰めたのは、どんな状況でも諦めなかったからだ。
シナツは目的達成のためならどんなことでもする。
汚いことでも。
卑怯なことでも。
シナツは、この状況でも、何とかテラをものにする方法を考え始めていた。
その目に、狡猾な蛇のような想いを宿しながら。
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