第186話 奴隷のパートナー⑩

 目の前に現れた女性は宙を舞っていた。


 新緑の瞳に、小柄な体。

 猫目で童顔なその女性は、言葉を続ける。


「いーけないんだ。テラ様のお気に入りを連れ出すなんて。テラ様にバレたら殺されるだけじゃすまないかもしれないよ」


 戯けた話し方をする女性に、リッカは脂汗をかきながら答える。


「あら。この子がお散歩したいって言うから付き合ってあげただけよ」


 そんなリッカを見てもう一度笑う小柄な女性。


「キャハハッ。せーんぱい。うそが下手だよ。だったらそこの下っ端メイド二人と、ニンゲン二匹は何かな?」


 そんな女性にリッカはなおも笑みを浮かべながら答える。


「身の回りの世話をする二人と、非常食二匹ってことでどうかしら?」


 そんなリッカの答えに、小柄な女性は首を横に振る。


「零点だよ、せんぱい。そのお気に入りがスサを倒したいから協力する。その結果、スサを倒せたならよし。せんぱいがスサを倒したことにしてテラ様に気に入られる。もしその女がスサに殺されたなら、その女がいなくなったことに気付いたせんぱいが追いかけたけど間に合わなかったことにして、せんぱいは元の位置に収まる」


 小柄な女性はそう言って猫のような目を細める。

 リッカはそんな女性の言葉には答えない。


 それを見た女性の顔が歪む。


 猫のような表情は、獰猛な肉食獣のものへと変わった。


「……そんな勝手許すわけないでしょ」


 そう言うと、女性の顔が元に戻る。


「いい考えだと思うよ。……でも、ずるい。ずる過ぎる。だから……」


 女性はにいっと笑う。


「だから、その考え、ボクが使わせてもらうことにするよ」


 女性はそう言うと、私の顔を見る。


「嫉妬に狂ったせんぱいが、この女を殺した。それを見つけたボクが、せんぱいを倒した」


 女性は高らかに笑う。


「これでボクはテラ様の妻に近づける」


 そんな女性に対し、リッカは無理に笑顔を作って告げる。


「シナツ。貴女じゃ、テラ様の妻にはなれないわ」


 リッカの言葉にシナツと呼ばれた女性が反応する。


「……何だって?」


 明らかにムッとした様子のシナツに対し、リッカは笑顔のまま答えた。


「だって貴女、テラ様に飽きて捨てられたんでしょ? せっかく夜の相手に選ばれたのに、一度限りで二度と呼んでもらえないなんて」


 リッカの言葉に、シナツは激昂する。


「黙れ! 何百年もそばにいて、一度も抱いてもらえていないお前が言うな!」


 ふふふっ、とリッカは笑う。


「それに……」


 リッカはシナツの言葉を無視してそう言うと、私を見た。


「貴女、弱いじゃない。一応将軍を名乗っているけど、不意打ちをしなきゃ私に喧嘩も売れない雑魚でしょう? そんな雑魚がテラ様に選ばれるわけないわ。貴女はきっとこの子にも勝てない」


 明らかにシナツを煽るリッカ。

 リッカの目が私に告げる。


 自分を置いて、さっさと逃げろと。


 私はピンと来る。

 リッカはシナツを挑発し、自分に敵意を引きつけ、その隙に私たちを逃すつもりなのだろう。


 でも、それに気付いたのは私だけではなかった。


「……あれ? せんぱい、もしかしてその子たちを逃がそうとしてるの?」


 リッカと私の視線からリッカの意図を見抜いたシナツ。


 私には分からない。

 リッカがなぜそのようなことをするのかが。


 リッカは自己中心的な女で。

 私たちのことは、テラ様と結ばれるための道具にしか思っていないはずだった。


 それがなぜ、両腕をもがれて魔法すら使えない状況で、自分を犠牲に私たちを逃そうとするのかが分からない。


「そうね。この子たちがいたら本気で戦えないから」


 そう言いながら、地面に落ちた腕に目を向けるリッカ。

 でも、リッカが動くより早く、両腕は突然の風により、遠くへ吹き飛ばされた。


「せーんぱい。腕をなくして戦えない状況で同じことが言えるのかな?」


 リッカは顔色を変えないようにしながら答える。


「貴女みたいな雑魚なんて両足があれば十分よ」


 リッカは魔法特化型の戦闘スタイルだ。


 そんなリッカでも、手を相手に向けれなければ、魔法の威力も精度も極端に落ちる。


 肉弾戦も全くできないということはないだろうが、足だけで、将軍相手にまともに戦えるとは思えない。


 リッカのことは好きじゃなかった。

 だからこれから言うことはリッカのためではない。


「フワ。シャクネ。そこの雪女を連れてこの場を離れろ。ローザと人間の男。二人はさっき吹き飛ばされた雪女の腕を探してくれ」


 私の指示に、四人がすぐに動き出す。


「何を勝手なことを……」


 そう言いかけたリッカの言葉を遮る。


「雪女。これはスサを倒すための練習だ。問題ないからお前は離れていろ」


 私の言葉に、リッカは少しだけ驚いた顔を見せた後、笑顔を作る。


「練習で死ぬなんてバカな真似は許さないから。貴女には、私がスサを倒してテラ様と結ばれるため、役に立ってもらわないといけないんだからね」


 私は頷く代わりに、右手を上げて答えた。


「おい、ボクちゃん。お前の相手は俺がしてやる」


 私の言葉にシナツが顔を歪める。


「……キミさ。ちょっとテラ様に気に入られたからって勘違いしてるんじゃない? せんぱいに言われるならまだしも、たかだか師団長レベルの魔力しか持ってないやつにバカにされると、優しいボクでもキレちゃうよ」


 私はそんなシナツを鼻で笑う。


「悪いな。そこの雪女より弱そうだったから、つい態度に出てしまった。……でも。魔力量が多少多いくらいで俺に勝った気になるなよ、不意打ちしかできない卑怯者」


 卑怯者。

 強さが全ての魔族にとってこれ以上の侮辱の言葉はない。


 案の定、シナツは激昂する。


「お前ぇぇぇ!!」


 次の瞬間、シナツの魔力が爆発的に高まった。


ーーボンッーー


 何かが爆ぜる音がしたかと思うと、シナツは私の目の前にいた。

 恐らく、空気を爆発的に膨張させ、その勢いを推進力に変えて飛んできたのだろう。


 唸る拳が私の顔面へ迫る。


 私も足元を炎で爆発させ、宙に飛び上がることでそれを回避した。


ーーブォンッーー


 拳が通り過ぎた後、音が遅れて到達する。


 さすがは将軍といったところだろうか。


 戦い方も。

 その速度も。

 強者のそれだった。


 でも、肉弾戦は私の望むところだ。

 一番厄介なのは遠距離戦に終始され、魔力量の差にものを言わされることだ。


 肉弾戦なら、まだ戦いようがある。


 その為の心理的な揺さぶり。

 敢えて行った挑発的な発言は効果的だったと言えるだろう。


 もちろん、肉弾戦になれば私が有利になるというわけではない。


 魔力量も。

 一撃の威力も。

 スピードも。


 全てにおいて相手の方が上だ。


 戦闘の経験も、将軍に上り詰めるくらいだからそれなりにあるだろう。

 私が勝つ前向きな要素は見当たらない。


 それでも私は勝たなければならなかった。

 リッカより弱い将軍にすら勝てないようでは、とてもじゃないが四魔貴族相手になんて戦えない。


 シナツの初撃を躱した私に対し、シナツは冷静に対処する。

 崩れかけた体勢のまま左手を私の方へ向け、真空の刃を放った。


ーーブンッーー


 隙ができたように見えていたシナツに対し、蹴りを振り下ろそうとしていた私は、慌てて魔法障壁を張る。


ーーピキッーー


 かなりの魔力を込めていたはずの魔法障壁に、ヒビが入った。

 肉弾戦の合間の、苦し紛れのような攻撃が、私にとっては一撃必殺になりかねない威力を秘めている。


 その事実に、改めて相手の強さを認識しながらも、私は次の手を打つ。


 このまま自由落下しては、シナツの攻撃の餌食になりかねない。

 自ら望んだ近接戦闘から、私は一旦離脱することにする。


『紅蓮!』


 自ら捨てた名を冠した炎をシナツ目掛けて放つ。


ーーブオッーー


 音を立てて迫る高音の炎に対し、シナツは風に魔力を通わせ、空気の壁を作る。

 幾重にも作られたその壁は、炎も熱も通さない。


 魔法障壁よりも強力な壁が、私の攻撃を阻んだ。


 でも、それは想定範囲内。

 防御を余儀なくされたシナツは、空中で炎を放った反動で後ろへ後退した私へ、追撃を行うことはできなかった。


 私は、シナツから攻撃されることなく、動きを制限される危険地帯だった宙空から、地面へと戻ることに成功する。


 そんな私に対し、シナツは次の一手を打つわけではなく、言葉を投げかけてきた。


「キミ、魔力量がない割には、攻撃の威力も高いし、戦闘技術も高いね。大口を叩く訳も分からなくはないな。……でも、それだけだ」


 シナツは吐き捨てるようにそう言った。


「強さに関して言うと、あのテラ様がプロポーズをするまでには思えない。それならまだ、せんぱいの方が可能性はある。でも、テラ様はキミに惚れた」


 シナツはじっと私の目を見ながら言葉を続ける。


「キミ、テラ様に何をしたの? それを教えてくれるなら、見逃してあげてもいいよ」


 私はそんなシナツの問いには直接答えず、逆に質問を重ねる。


「その前に聞きたい。お前はテラ様に惚れているんだよな?」


 私の言葉を聞いたシナツは笑い出す。


「惚れる? 何言ってるの、キミ? 魔族にとって強い異性と結ばれ、強い子を成すことはステータスだよ。魔族の男で一番強い四魔貴族のテラ様。女としてそんな男を求めるのは当然だよ。何とか一晩を共にして、誰にも負けない自信ができるくらい鍛えた技で落とそうとしたけどダメだった。だからボクはキミがどうやったのか知りたいんだ」


 私はシナツの言葉に、思わず嘲りの笑いを返してしまう。


「ふっ。お前には何を言っても無理だ。お前よりはあの雪女の方がよっぽど可能性がある」


 私の言葉に眉を顰めるシナツ。


「どういうことかな?」


 私はシナツの問いには答えない。


「言っただろ。お前には何を言っても無理だって」


 テラ様が求めているのはきっと、単純に強い相手ではない。

 だからといって、容姿や、シナツが言うような夜の技でもない。


 だが、それを言ったところで、異性やその異性と子供を産むことをステータスと言うような女には伝わるわけがない。


 それよりは、気には食わないが、純粋な想いを持っているリッカの方が、テラ様の心を揺さぶる可能性はある。

 それをリッカへ言うのは癪だから、エディを助けるまでは言ってやるつもりはないが。


「あっそ。それなら予定通り殺すまでだよ」


 シナツはそう言うと、再び魔力を高め、臨戦態勢をとる。

 私もそれに呼応し、魔力を高めた。


 肌を切り裂くように渦巻くシナツの魔力は、私のものより明らかに強い。

 でも、私は負ける気はしなかった。


 想いを持たない者に、真の力は宿らない。


 だからこそ、歪んだまでの想いを持ったリッカには強さを感じたが、シナツにはそれを感じなかった。


 私は軽く深呼吸をしてから呟く。


『火練』


ーーボンッーー


 小さな爆発の衝撃を推進力に変え、私は一歩でシナツへ迫る。

 シナツが仕掛けてきた先程とは逆の構図。


ーーボンッーー


 肘の後ろの爆発を更なる推進力に変え、右の拳が空気を切り裂いてシナツへ迫る。


ーーブォンッーー


 私同様、風を爆発的に発生させ、宙へ逃れるシナツ。

 体勢が崩れた私は、シナツ同様に左手で魔法を放とうとする。


 でも、そこからの動きは違った。


 宙へ浮かんだシナツは、そのまま姿勢を制御し、宙へ留まっている。

 恐らく、風を制御して浮いているのだろう。


 私は瞬時に状況の不利を悟り、すぐさま足元で炎を爆ぜさせ、先程せっかく逃げ出したはずの空へ向かった。

 このまま地にいたのでは、上空から一方的に攻撃されるからだ。


 それを見たシナツは、笑いながら私を迎え撃つ。


 空は彼女の戦場だった。

 宙空に浮かぶシナツへ、私は爆発の推進力だけで飛び回りながら攻撃を加える。


 側から見れば、今は互角に渡り合えているように見えるだろう。

 ただ、空での戦いにも慣れており、安定して浮かぶシナツに対し、初めての空での戦いで、私の魔力は急激にその残量を減らしていった。


 でも、私はその攻撃の手を緩めることができない。


ーーブンッーー


 私の髪を、シナツの手刀が掠める。

 その攻撃は、真空の刃を纏っており、手だけを避けても躱しきれない。

 避けるのにも爆発が必要で、その度に魔力が失われる。


 ただでさえ量で負けている私の魔力は、今や風前の灯だった。


「そろそろ終わらせてあげる」


 シナツの右手に膨大な魔力が集約していく。

 どのような攻撃が来るかは予想もつかない。


 ただ、残りはずかな魔力では回避も防御も難しいだろうことだけは分かった。


 それでも私は負けるわけにはいかない。

 絶対絶命の状況の中でも、次の手を模索し続ける。


 私の惚れた、私のパートナーならきっとこの状況でも最後まで考え続け、打開策を見つけ出さはずだ。


「終わりだよ」


 相手の魔法が発動するその時まで、フル回転で頭を働かせているまさにその時だった。


「貴女がね」


 突然聞こえて来た声。


「……えっ?」


 シナツが惚けたような声でそう口にすると、声の持ち主は、冷酷に、しかし美しく、自らの名を冠する魔法の名を唱えた。


『六花(りっか)』


 巨大な氷の花がシナツを捕らえる。


 右手に魔力を集中させ、その他が無防備に近かったシナツは、その攻撃で全身が凍りついた。

 地面に落下し、氷の花びら部分が砕けると、六角形の氷の中にシナツが取り残される。


「訓練のお邪魔だったかしら?」


 悪戯っ子のような笑みを浮かべてそう尋ねるリッカ。

 私はそんなリッカに笑みを返す。


「いや。そろそろ切り上げようと思っていたところだからちょうどよかった」


 未だ左腕があったところが凍ったままのリッカは、回復した右手をシナツへ向けたまま、特に恩を着せてくるわけでもなく言葉を続ける。


「時間稼ぎ、とりあえず礼を言っておくわ」


 私は苦笑する。


「本気で一人で倒すつもりだったんだがな」


 リッカも苦笑する。


「まあ、人間の二人が腕を見つけてくれなかったら、そうしてもらうつもりだったけどね」


 私がローザとアルベルトの方を向くと、リッカの左腕を抱えたままのアルベルトが少し自慢げな顔をしていた。


「お姉様」


 シャクネが突然そう呼んだ。

 一人っ子で、当然妹などいない私は、周りを見渡す。

 

「リッカ。お前、自分の妹を凍らせてたのか?」


 リッカは首を横に振る。


「何言ってるの? 私に妹はいないわ」


 私はシャクネの方を向く。

 その瞳は真っ直ぐに私の方を向いていた。


「お姉様。先ほどの戦い感動いたしました。同じ炎の魔法の使い手として、私はお姉様のようになりたい。フワちゃんを守る力を身に付けたい。突然のお願いで申し訳ございませんが、これから私のお姉様として、ぜひご指導の程よろしくお願いします!」


 シャクネの言葉に戸惑う私。


「まあ、戦力増強のため、戦い方を教えるのは構わないが、何で俺がお姉様なんだ?」


 私の言葉に首を横に傾げるシャクネ。


「えっ? 尊敬できる女性にあった場合は、お姉さまと呼びなさいって、テラ様のメイド仲間の先輩から言われましたが……」


 人生のほとんどを孤独に森の中で過ごし、メイドの慣わしなど知らない私はリッカの方を向く。


「そういうものなのか?」


 リッカも首を傾げる。


「さあ? 私も軍のことしか知らないから。軍ではそんなことなかったけど」


 それが習わしだと言うのなら、違和感はあるが、わざわざ否定するまでもないだろう。


「いいなぁ。私もシャクネちゃんにとってのカレンちゃんみたいに、お姉様って呼べるような人に出会いたいなぁ」


 そんなフワにリッカが微笑みかける。


「私のことを呼んでもいいわよ」


 そんなリッカに対し、フワが全力で否定する。


「だ、大丈夫です! 私の魔法は特殊なので、自分で何とかしてみます!」


 リッカはそんなフワを見ながら、笑う。


「あら、残念」


 そう言って笑うリッカの顔は、冷酷非道な魔族の将軍のものには見えなかった。

 氷に閉じ込められたシナツの方が、よっぽど悪そうな目をしていた。


 シャクネを凍らせたり、他人を利用して私を殺そうとしたりと、許せない部分は多々あるが、テラ様を愛するあまりだとすれば、分からなくもない。


 それでも、リッカとの共闘に不安がないといえば嘘だったが、少なくとも、全く信用に値しない者ではなさそうだった。


 今の私は、将軍にすら一人では勝てない。

 でも、リッカを筆頭に今共にいるメンバーと一緒なら、何とかなりそうな気がしてくる。

 それに、ローザの話でアレスは死んだようだが、王国にはリンもいるようだし、刀神の爺さんもいる。


 今の私は、森を一人で彷徨っていた頃の私ではない。

 エディと出会ったことで、私は変わった。

 誰かと一緒に協力することを覚えた。


 私は心の中で呟く。


 待っていてくれ、エディ。

 私が……私たちが、必ず助けに行くから。

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