第185話 奴隷のパートナー⑨
しばらくして、リッカが小屋から出てきた。
リッカと一緒に小屋に入ったはずのフワとシャクネは、なかなか小屋から出てこない。
「あのお嬢ちゃんたち大丈夫か? 俺が見てこよう」
そう言って小屋に入ろうとするアルベルトを、私は止める。
「待て。入るな」
そんな私を怪訝そうな顔で見るアルベルト。
「お前は気にならないのか? 一時的とは言え共に戦うことになったんだ。心配するのは当然だろ? 人間の死骸が転がっているのを気にしてるなら、それは覚悟の上だから大丈夫だ」
私の制止を振り切って小屋の中へ入るアルベルト。
仕方なく私は、アルベルトの後について行く。
小屋に入ると甘い血の匂いが鼻をつく。
人間の血は魔族を酔わせる。
特に魔力の濃い人間の血はその影響が強い。
小屋の中に飛び散っている血は、そこまで濃い魔力を宿してはいない。
それでも、約二十人分の残骸から香る匂いは、魔族の嗅覚を容赦なく刺激する。
私は平静を装いつつ小屋の中を見渡す。
血の匂いが充満した部屋の中で、二人の女性が佇んでいた。
立ち尽くす紅眼の女性と、両膝をついて項垂れる胸の大きな女性。
二人に共通しているのは、その瞳に映る自己嫌悪の色を隠せていないことだ。
服と血の海だけを残して跡形もなく消えた人間たち。
その肉体は全て二人に消化され、魔力となって彼女たちの身に宿ったのだろう。
血で真っ赤に染まった唇をぬぐいもせずに固まる二人。
そんな二人を見て対処に困った様子のアルベルト。
私は、そんな二人の姿を誰かに見せたくなかった。
だからアルベルトを止めた。
私には二人の気持ちがよく分かる。
初めて生きた人間を食べた時の気持ち。
似たような外見で、同じ言葉を話す、知性ある生き物を殺して食べる。
それだけでも精神的な衝撃は大きい。
そして、何より辛いのが、そんな生物を美味しく食べてしまう自分自身だ。
これまで食べてきた加工された肉とは異なる、新鮮な血と肉。
例え魔力量の少ない人間でも、そこから得られる豊潤な魔力は、その舌を魅了してやまない。
私はまだ経験したことがないから分からないが、新鮮な人間を口にした時の喜びは、性的な快楽にも似ているという。
余程自制心がなければ、その快楽を求めることをやめられない。
人を殺す罪悪感。
人を食べて喜ぶ自己への嫌悪感。
その二つが同時に押し寄せてくる。
私はそれを乗り越えられなかった。
そして、数十年一人で森を彷徨うことになった。
私はアルベルトの肩に手を置き、アイコンタクトで私に任せるよう伝えると、二人の前に立った。
虚な目をしたシャクネと、今にも泣き出しそうな目をしたフワ。
少女のような外見だった二人は、大人の女性になっていた。
ただ、その目は寧ろ、母親に助けを求める子供のようだ。
私はそんな二人を静かに抱きしめる。
今はどんな言葉も届かない。
仕方ないと言われても。
生きるためだと言われても。
本人は納得しない。
長い人生で一生残る傷。
それが二人の心に刻み付けられたのだ。
私がその時どうしてもらいたかったか。
誰に何を言われてもきっと心には響かなかっただろう。
ではどうすれば?
私の答えは、何も言わず抱きしめることだった。
シャクネは嗚咽を噛み殺し、フワは声を上げて子供のように泣く。
抱きしめることで何かが変わるわけではないかもしれない。
でも、辛い時、苦しい時に誰かに抱きしめてもらえるというのはきっと悪い気はしないはずだ。
これは、両親が死んで以降、誰からも抱きしめてもらえなかった私だからこその想いなのかもしれないが。
しばらく時間が経ったところで、私は二人から離れる。
未だ泣き止まない二人だったが、私がくる前よりは幾分まともな顔になっていると思うのは、私の勘違いではないと思いたい。
シャクネが目元を拭い、私に向かって頭を下げる。
「カレンさ……カレンちゃん、ありがとう。おかげでだいぶ楽になった」
シャクネにつられてフワも頭を下げる。
「あ、ありがとう!」
私はそんな二人に笑顔を返す。
「俺も人間を殺すのには抵抗があった……いや、今もある。だから二人の気持ちはよく分かる。慣れろとは言わないが、強くなるためにはどうしようもないことだ。気に病みすぎると心がやられる。また辛くなったら言ってくれ。私の胸でよければいつでも貸そう」
私の言葉に二人も笑う。
「本当にありがとう。私ももっと大人になれば、カレンちゃんみたいな包容力あるカッコいい大人の女性になれるかな」
そう呟くフワに、私は苦笑する。
「外見的にはもう同じくらいだし、歳も同じくらいだろ? 俺もお前たちも百歳を少し超えたばかりで、魔族としてはまだひよっこだ」
私の言葉に項垂れるフワ。
「そうだよね……。カレンちゃん、とっても大人に見えるから。私が子供っぽいのって歳のせいじゃないんだ……」
項垂れるフワの背中をシャクネがポンポンと叩く。
「大丈夫。フワちゃんは今のままで十分魅力的だから」
シャクネの言葉に少し顔を赤らめるフワ。
「シャクネちゃんこそ。外見が大人になって、ますますカッコいいよ」
お互いを称え合う二人を見て、思わず微笑ましい気持ちになった私。
そんな私の気分をぶち壊す声が聞こえてくる。
「おままごとは終わったかしら? のんびりしている時間はないから、さっさと行くわよ。ここで貴女が見つかりでもしたら計画はパーよ」
癇に障る言い方をするリッカを私は睨む。
「人の気持ちの分からない奴だな。お前、友達いないだろ?」
私の言葉に冷笑を返すリッカ。
「あら? それは友達がいる人のセリフでしょ? 何十年も森に引きこもってたボッチの貴女に言われたくはないわ」
カチンときた私に対し、アルベルトが間に入る。
「まあまあ、お二人さん。これから一緒に戦う仲だ。仲良くしてくれ。確かにお嬢さん二人も多少立ち直ったようだし、ここを離れるのには賛成だ。すぐに出発しよう」
私たちはアルベルトの言葉に頷き、リッカの家を出ることにした。
しばらく歩いたところで、シャクネとフワが後ろを振り返る。
二度とその地を踏むことのないかもしれない故郷。
家族も友人も残して行くその地に、多少なりとも未練があるのだろう。
私はそんな二人に話しかける。
「戦力としては苦しくなるが、残りたいなら残ればいい。お前たちにとっては、命を賭ける理由はないはずだからな。リッカのやつなら俺がどうにかする」
私の言葉に、二人は揃って首を横に振る。
「いいえ。シャクネちゃんを助けてもらう時に、私はカレンちゃんに恩返しをすると決めたの。だから大丈夫。どんなに嫌なことがあっても、死んじゃうことになっても全力で頑張る」
フワは、彼女には似合わない決意に満ちた表情でそう告げる。
「私も命を助けてもらった恩を返せない恩知らずにはなりたくない。それに、フワちゃんが行くのに私が行かないっていう選択肢はない」
シャクネがそう言ってフワの方を向くと、フワも笑顔でシャクネの方を見ていた。
私は真剣な目で二人を見る。
「私たちについてくる以上、これからも人間は食べてもらうし、同族である魔族も殺す必要はあるんだぞ」
私の言葉に二人も真剣な顔で頷く。
「覚悟の上だよ」
「覚悟の上だ」
そんな二人に対し、リッカが告げる。
「それなら道中も鍛えながら進みなさい。魔力量は増えたけど、まだまだ戦力としては心許ないわ。このまま四魔貴族と戦っても絶対に勝てない。一番伸び代があるのは貴女たちだから、頼むわよ」
リッカはそう言って私の方をチラリと見る。
「とりあえずシャクネちゃんはカレンちゃんを見習いなさい。性格はともかく、腕の方は確かだから。フワちゃんの魔法を活かすなら、彼女の戦い方がベストよ」
リッカは今度はフワを見る。
「フワちゃんはみんなとの連携ね。もっと魔力量が増えれば一人でも戦えるんでしょうけど、今は他の人の補助に徹した方が効果的だわ」
私はリッカをじっと見る。
「……何かしら?」
私は思ったことをそのまま口にする。
「意外に人を見る目はあるんだな。もっと自己中で自分のことしか見てないのかと思ってた」
私の言葉に、リッカは頬をひくつかせながら、笑顔で答える。
「私の仕事をなんだと思ってるのかしら? 軍を束ねる将軍よ? 乞食かハイエナのように屍肉を漁ってただけの人とは違うの。人を見る目がなければ仕事にならないわ。そんなことにも気付けないなんて、貴女は私と違って人を見る目がないのね。貴女の惚れた相手に会うの、楽しみにしてたけどこの分だと、期待外れになるかしら」
私は平静を装いながら笑顔で答える。
「そうなのか? 嫉妬に狂うだけのモテない自分よがりなストーカーかと思ってたが、それだけじゃなかったんだな。仕事だけはちゃんとできるストーカーだったのか。勘違いしていてすまなかった」
そんな私たちのやりとりを見ていたアルベルトが口を挟む。
「ねーちゃんたち。お互いいい大人なんだから、くだらない口喧嘩はやめようぜ。せっかくの美人なのに、そんなんじゃ男は逃げちまうぞ」
そんなアルベルトへ、リッカと私、二人の視線が向けられる。
「言ってくれるわね、ニンゲン。テラ様はお前みたいなドブネズミのような男とは違ってちゃんと本質を見てくださる」
そんなリッカに対して私は相槌を打つ。
「なるほど。だからお前はテラ様に選ばれないんだな。本質が腐ってるから」
私の言葉に、周囲の空気が冷えていくのが分かる。
「……言葉には気をつけなさい。優しい私にも我慢の限界というものがあるわ」
私はそんなリッカを鼻で笑う。
「悪かったな。俺は嘘がつけないんだ」
一触即発の空気の中、今度はローザが口を挟む。
「アルベルト。仲裁するつもりなら言葉を選べ。女性にさっきの物言いはなしだ」
ローザの言葉にアルベルトが頭を掻く。
「あー。俺は女心ってもんが分からねえからな。気を付ける」
ローザは今度はリッカと私を交互に見る。
「貴女たちも。馬が合わないのは分かるが、少しは強調性を持ってもらえないか? カレンもリッカも大事な戦力だ。どちらが欠けても、四魔貴族は倒せないだろう。だから仲良くとまでは言わないが、もう少しお互い歩み寄って欲しい」
リッカと私はお互い顔を見合わせる。
圧倒的強者であるリッカと私の二人相手に、堂々とものを言う彼女の毅然とした態度に、私は好感を覚えた。
「その子に免じて今回は許してあげる。次からは口の利き方に気をつけなさい」
相変わらずの上から目線に少し腹が立ったが、ローザの顔を立て、その怒りを抑えた。
「承知いたしました、将軍様」
私の言葉に満足した様子のリッカ。
「分かればよろしい」
私たちのやりとりを見たローザが笑顔になる。
口だけでもリッカへ阿るのは嫌だったが、ローザの笑顔を見れたからよしとすることにした。
私はそんなローザへ尋ねる。
「そういえば、お前はエディのどこに惚れたんだ?」
私の唐突な質問に、ローザは普段の毅然とした表情を崩し、目に見えて動揺した。
「え、あっ、と、突然なんだ?」
私はそんなローザへ笑顔を向ける。
「俺は俺と分かれた後のエディを知らない。お前は俺の知らないエディに惚れたんだろ? だから、そのエディを知りたい。まあ、お前ほどの女が惚れるくらいだから、私と別れた後も魅力的なのは間違い無いんだろうが」
私の言葉に、ローザは考えるそぶりを見せる。
「実は私にもよく分からない。私はアレス様が私の理想の男性だとずっと思っていた。だから、歳下の少年なんか恋愛の対象外だと思っていた」
ローザはそこまで言うと、百戦錬磨の女騎士から、ただの少女にその表情を変えた。
「でも、気付いたらエディを好きになっていた。恋ってこうやって急に落ちるんだ、と言うことを身をもって感じたんだ」
ローザは思い返すように宙を見ながら言葉を続ける。
「エディは、私に戦い以外の生きる意味を与えてくれた。エディは私に恋する気持ちを教えてくれた。強さと思いやりを兼ね揃えた最高の男だ」
恋する乙女の表情でそう語るローザの顔を、リッカはニヤニヤしながら、フワとシャクネは興味津々な表情で見ていた。
私も思わず笑顔になりながら、ローザへ礼を言う。
「ありがとう。エディが相変わらずいい男だっていうのだけは分かった。あとは会ってからの楽しみにしておこう」
私がそう言うと、フワがため息を漏らす。
「……いいなぁ。私も恋してみたいなぁ。ローザさんとカレンちゃんが惚れたエディって人相手なら恋に落ちることができるかなぁ……」
羨ましそうに呟くフワへ、シャクネが呆れたように言う。
「恋なんてそんないいものじゃないよ。苦くて、辛くて、切なくて。しかもこんなに魅力的な二人が相手なんて、フワちゃんがいくら可愛くても、泣いてる未来しか見えないよ」
シャクネの言葉に反応するフワ。
「あれ? シャクネちゃん、なんか恋したことがあるみたいに聞こえるんだけど……」
フワの言葉に、顔を赤くして慌てるシャクネ。
「いや、その、それは……」
その時だった。
急激に迫ってくる高濃度の魔力。
それに反応できたのは私とリッカのみだった。
「くっ……」
慌てて魔法障壁を張る私。
その間に、大きな氷の花を二輪咲かせ、フワとシャクネ、ローザとアルベルトをそれぞれ守るリッカ。
そして……
ーーブシュッーー
血飛沫を撒き散らしながらリッカの両腕が宙を舞った。
すぐさま氷の魔法で、宙を舞う両腕と腕が切り離された肉体の断面を凍らせるリッカ。
そんなリッカへ話しかける声がする。
「油断しすぎですよ、せーんぱい。……キャハハッ」
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