第184話 奴隷のパートナー⑧

 リッカが、氷に閉じ込められた少女のもとへ向かう。


 私と同じ赤い瞳の少女は、目を見開いたままその時を止めていた。

 少女を助けるために命まで賭けて私を殺そうとしたフワは、いたたまれない様子で氷の中の少女を見つめている。


 なかなか氷を溶かそうとしないリッカへ、私は提案することにした。


「俺が炎で溶かしたらダメなのか?」


 リッカは分かってないな、とばかりに肩を竦める。


「そのまま熱で溶かしたら、固体化されたことで水分が膨張している細胞が、解凍時に破壊されて死んじゃうわ。何度か試したことがあるから間違いない。私が解除する以外に助ける方法はないの。解凍の魔法式は少し複雑だからちょっとだけ待ってなさい」


 私はそう言って意味心な笑みを浮かべるリッカに任せることにした。

 ……何度か試したことがあるというのは聞いてもろくなことはなさそうなので、聞き流した上で。


 リッカが氷に触れると、氷が輝き、明らかに熱とは別の要因で溶け出していく。


 氷が完全に溶けると、中にいた少女は、支えるものがなくなり倒れそうになる。

 そんな少女を自らの手で支えるフワ。


 フワの腕の中の少女はゆっくりと口を開く。


「シャクネちゃん……」


 少女の瞳を見るなり、強く少女を抱きしめて嗚咽を漏らすフワ。


「ふ、フワちゃん。息が苦しい……」


 フワの大きな胸で圧迫された少女シャクネは、フワを押しのけるようにして離れる。


 涙を拭い、そんなシャクネへ笑顔を向けるフワ。

 シャクネも笑いかけて、急に身構えた。


 その視線は二人の様子を退屈そうに眺めていたリッカに向けられている。


「リッカ! フワちゃん、すぐに逃げて。リッカは私が死んでも食い止めるから」


 慌ててフワの前に出るシャクネを見たリッカは笑う。


「呼び捨てとは随分なご挨拶ね。私、これでも一応テラ様の軍では将軍を務めているのだけれど」


 そんなリッカに、シャクネはその赤い瞳を烈火の如く燃え滾らせながら怒鳴りつける。


「黙れ! 私はテラ様の利を害することはしないし、大切な友達にも絶対手出しはさせない。例え死んでもお前を止めて、フワちゃんだけでも逃して見せる」


 猛り狂うシャクネを見ながら、リッカはふふふっと笑う。


「さっきまで凍ってたとは思えないくらい熱い子ね。そこまで熱い子なら鍛えれば使えるようになるか……。私の目もまだまだね」


 リッカは再びふふふっと笑う。


「訳の分からないことをごちゃごちゃと……。フワちゃんも早く逃げて」


 一人焦った様子のシャクネを、全員が苦笑いしながら眺めている。


 周りを見渡したシャクネは、ようやく自分だけ状況認識が異なっていそうなことに気付く。


「……えーと。今、リッカが私を凍らせようとしていて、フワちゃんと人間二人に無理やりテラ様のお気に入りの『名無し』さんを殺させようとしている……ってことでいいんだよね?」


 フワへ問いかけるシャクネ。


 どう答えたらいいか考えるフワが答える前に、私が自分の名前を名乗る。


「『名無し』改めカレンだ。とりあえずそこの雪女とは、しばらくの間、手を組むことになった。お前もフワも人間も、俺を殺す必要はもうないぞ」


 私の言葉に、シャクネが驚く。


「……フワちゃん、本当なの?」


 シャクネの言葉にフワは頷く。


「……うん。後で詳しいことは話すけど、カレン様がそうしてくださったの。カレン様のおかげで一度氷漬けになったシャクネちゃんも助けることができたんだよ」


 フワの言葉を聞いたシャクネは、再度驚いた顔を見せると、片膝をついて首を垂れる。


「詳細は後でフワに確認しますが、カレン様のおかげで救われたとのことで、どうお礼を申し上げていいのか分からないほど感謝しております。本当にありがとうございました」


 真剣に礼を言うシャクネに、私は微笑みかける。


「俺は俺自身の意志に従っただけだ。特に気にしなくていい。敢えて言うなら、俺は今から俺の大切な人を救いに行く。この雪女やフワたちも一緒だ。無理にとは言わないが、手伝ってくれると助かる」


 シャクネは顔を上げ、胸に手を当てる。


「どこまでお役に立てるかわかりませんが、ぜひお手伝いさせてください。微力ながら全力を尽くさせていただきます」


 私は微笑んで手を差し伸ばす。


「ありがとう。ただ、手を貸してもらえるのは助かるが、その様付けで呼ぶのはやめてくれ。敬語もいらない。フワもだ。俺はただのはぐれ魔族。大した人物でもない」


 私の言葉を聞いたフワとシャクネが目を合わせる。


「分かったよ、カレンちゃん」


 そう言ってにっこりと微笑む二人。


「ちゃ……ちゃん?」


 想定外の呼称に、思わず口に出してしまう私。


「何かおかしかった? 呼び捨てはなんか嫌だし、言われたことには従ったつもりだけど……。歳も近いみたいだし、いいかなって思ったんだけど、嫌なら変えるよ」


 私は考えるが、特に議論することでもないので受け入れることにした。


「い、いや、大丈夫だ」


 若干顔を引きつらせながら答える私に、リッカが話しかけてくる。


「話が終わったならさっさとこの場を離れましょう。貴女がこの国を抜け出すのがバレるとマズいから。最悪、貴女は監禁されて私は処刑ね。だからすぐに行くわよ、カレンちゃん」


 そう言ってまたもやふふふっと笑うリッカを睨んで口を開く私。


「黙れ雪女。一時的に手は組むが、お前に気を許したつもりはない」


 そんな私を見て、大袈裟に両手を交差して自らの両腕を掴み、怖がった演技をするリッカ。


「まあ怖い。そんな顔をしてたらこれから助けに行く貴女の大好きな人に愛想を尽かされちゃうわよ、カレンちゃん」


 私はリッカを睨みつけ続けながら言葉を投げつける。


「そんな女に数百年思い続けた男を奪われそうになっている奴がよく言う」


 私の言葉にカチンときた様子のリッカ。


「……やっぱりここで殺そうかしら?」


 顔には笑みを貼り付けたままだが、周囲の空気が急激に冷えたように感じる。

 無意識なのか意識的になのか、リッカの魔力が漏れ出しているようだ。


「やってみろ。ただで死んではやらないぞ」


 リッカに対抗して魔力を練る私に、フワが慌てて声をかける。


「ダメです、二人とも。ここはリッカ様が言う通りすぐにとここを離れましょう。カレンちゃんも早く大切な人を助けに行きたいんでしょう?」


 フワの言葉に、リッカに対する苛立ちは抑えきれなかったものの、仕方なく頷く。


 そんな私に対して、勝ち誇ったような顔で告げるリッカ。

 改めてイラッとしたが、私は我慢して話を聞く。


「その通り。それじゃあすぐに出発……と言いたいところだけど、フワちゃんとシャクネちゃんの二人、ちょっといいかしら?」


 リッカの言葉に、フワとシャクネは顔を見合わせた後頷く。


「貴女たちはこのまま連れて行っても、そこの人間二人より役に立たなそうだから、もっと強くなってもらうわ。みんな私の家まで行くわよ。カレンちゃんは見つかると面倒だから顔を隠してついてきてね」


 リッカを除く五人は、リッカが何をしようとしているか分からないまま、リッカの後ろについて歩く。


 人間には手っ取り早く強くなる方法なんてない。

 だからこそエディは、文字通り血の滲むような努力で強くなろうとしていた。


 でも、魔族は違うことを、私は思い出す。

 魔族は、ある程度までなら簡単に手っ取り早く強くなる方法がある。


 リッカに連れられて行ったのは、リッカの家だった。

 将軍の家としては小さな、一人暮らし用としては大きな家の裏側に連れて行かれた私たち。


 そこには小屋があった。

 馬でも飼っていそうな、それなりの大きさはあるが見すぼらしい小屋。


 その小屋の中に、魔族が強くなるための素材は揃っていた。


「これからしばらくここには帰ってこないし、このまま放置しても死ぬだけだから、貴女たち二人で全部食べなさい」


 そこに並んでいたのは、鎖で繋がれた二十人ほどの人間だった。


 並べられた人間たちの目に生気はない。

 虚な目でこちらを見る人間たち。


 私は思わず、彼らから目を逸らす。


 そんな私を見たリッカが、何かしら反応していたが、私はそれすらも見ないようにした。


「リッカ様。これは……?」


 尋ねるシャクネにリッカはさも当然とばかりに答える。


「人間よ。見れば分かるでしょ?」


 そう。

 見れば分かる。


 人間二人と共に行動していた二人は、間違いなくこの小屋の中の生き物が人間であることは分かっている。


「この人たちを食べる……のですか?」


 フワも疑問を口にする。


 ローザたち人間二人も目を背けていた。


「そう。貴女たちがほとんど人間を食べていないのは知ってるわ。だからこそ貴女たちは弱い。本来なら、魔王様が名前を授けた貴女たちがそんなに弱いはずはないの。私やカレンちゃんくらいまで強くなれるかは分からないけど、ちゃんと食べてちゃんと鍛えれば、少なくとも旅団長くらいにはなるはずよ」


 リッカの言葉に間違いはない。

 それは分かる。


「見たところ、それなりには鍛えてるみたいだから、あとは食べるだけ。だから……」


 リッカは笑う。


 私に向けていた半分冗談の嘲りや挑発の笑いではなく。


 冷たく笑う。


「食べなさい」


 私は人間二人に視線で促し、シャクネとフワ、それにリッカを残して、三人で小屋を出た。


「止めなくていいのか? お前たちの同属だぞ?」


 私の問いに、普段は飄々とした様子の人間の男が答える。


「あんたたちが何を食べて生きているかは知っている。あんたたちと手を組んだ時点でこうなることは覚悟していた。人間として間違っているのは分かっている。俺らの神様は許しちゃくれないだろう。でも……」


 人間の男は、私の目を真っ直ぐ見る。

 覚悟に満ちた目で私を見る。


 その目は、私の好きな白髪の少年とよく似ていた。


「俺は俺の国を守るためにあんたらと組む。あんたらが強くなるためだというのなら、同族が目の前で食われるのも受け入れる。それをみすごした俺が地獄に落ちて国が救われるなら、俺はいくらでも地獄に落ちてやる」


 人間の男の言葉に、私は頷かずに答える。


「俺はお前たちの国になど興味はない。俺の最優先事項はエディの救出のみ。エディさえ助け出せれれば、それで構わない。だが……」


 私は微笑んで見せる。


「お前たちの国には、死なせたくない奴が他にも何人かいる。あくまでエディ第一だが、俺もお前たちの国を救うのに出来る限りは手を貸してやろう」


 人間の男は、深く頭を下げた。


「恩にきる。俺に差し出せるものはほとんどないが、食いたいというのなら俺の体くらいなら差し出してやる。全てが終わったあと食ってくれ」


 人間の男の言葉に私は苦笑する。


「無事に終わったのなら食う必要はない。魔族だって見境なしに人間を食うわけじゃない。少なくとも俺は、顔を合わせ、言葉を交わした人間を何の躊躇もなく食えはしない。ただ……」


 私は表情を引き締め、人間の男の目を見る。


「エディの身に危機が迫り、お前を食うことでその危機が打開できるなら、俺は迷わずお前を食べる」


 私の言葉に人間の男は笑う。


「それでいい。だが、窮地を脱した後は、俺の国を救ってくれよ」


 人間の男の言葉に私も笑う。


「最善を尽くすことを約束しよう」


 私と人間の男のやりとりを見ていたローザが私に話しかける。


「カレン。私からも君に頼みがある」


 ローザの言葉に私はまた苦笑する。


「随分と人間からお願いされる日だ。聞くだけは聞いてやる。話してみろ」


 ローザは頭を下げて私に頼んだ。


「レナ様を殺さないでくれ」


 レナ。


 エディの母親を殺し。

 私を殺そうとした女。


 私は直接は返事をせずに、逆にローザへ尋ねる。


「……それで? お前の願いを聞く対価として、お前は何を差し出してくれる?」


 私の質問に、ローザも答える。


「私もアルベルトと同じで、差し出せるものはほとんどない。カレンの非常食になるくらいしかできないだろう。君のレナ様への怒りは分かっているつもりだし、私の命なんかじゃ釣り合わないのも分かっている。それでもお願いしたい」


 女騎士の言葉に、私は純粋な疑問をぶつける。


「なぜお前はそこまであのガキに尽くす? 正直、あのガキにそこまでの価値があるとは思わない。お前が生きていた方が、国のためにもエディのためにもなるんじゃないのか?」


 私の言葉にかぶせるようにアルベルトも口を挟む。


「お前はあのお嬢様に売られたんだろ? あのお嬢様は、小賢者とエディ少年の助命は申し入れても、お前のことは救わなかった。そんな奴のために命張るのは無駄だと思うぜ」


 私とアルベルトの言葉に、ローザは少しだけ考えてから答える。


「私の命はアレス様に捧げるつもりだった。だが、アレス様は亡くなられた。その後はエディに捧げることに決めた。でも、エディはスサから救い出しさえすれば、リンもいるし、カレンもいる。きっともう大丈夫だ」


 ローザはそう言うと、優しげな目で私を見る。


「レナ様自身については正直思うところはある。だが、それ以上にアレス様への恩返しができていないのが私の心残りだ。忘形見であるレナ様に生きてもらうことが、私からアレス様への恩返しなんだ」


 ローザのアレスへの想い。

 それは尊敬に値する。


 だが、だからといって私はレナを許す気にもなれない。


 エディと過ごすはずだった時間。

 大切なその時間を奪われた。


 今エディは、レナと子作りをするために生かされているという。

 エディがレナと「そういうこと」をしていると想像するだけで、発狂しそうになるほど心が荒れ狂う。


 ただ、レナは子供だ。

 感情のままに動くのもやむを得ない部分もあるのかもしれない。


 エディ。


 私は心の中でエディの名を呼び、そして決めた。


 エディとの時間はこれから作ればいい。

 レナと「そういうこと」をしていたとしても、生きるためにしかたなかったと思うしかない。


 私は魔族失格だ。


 憎い相手でも。

 食事に過ぎない人間相手でも。


 見知った相手を簡単に殺すという判断ができない。


「あのガキのことは正直、殺してやりたい程憎い。だが、お前の心意気は嫌いじゃない。あいつが心を入れ替えているのなら、考えてやろう」


 自分に言い聞かせるよう、私はそう言った。

 私の言葉に、ローザはホッとした顔を見せる。


「感謝する。レナ様がなおもカレンを殺そうとするならば、その時は私がレナ様を斬ろう」


 私はローザの言葉に頷く。


「ただ、一つだけ条件がある」


 私がそう言うと、ローザの顔が少しだけ引き締まる。


「何だ?」


 真剣な様子のローザに、私は微笑みかける。


「命を大事にしろ。エディのパートナーを俺と争うんだろ? 死んで勝負をなしにされるのは困る。エディは、正々堂々とお前をねじ伏せた上で、俺のパートナーにする」


 私の言葉に、ローザも微笑む。


「それではお礼に命を差し出せないじゃないか。エディが私に惚れたとしても、後で文句を言うんじゃないぞ」


 そう言って微笑むローザの顔は美しかった。


 わざわざ自分の恋愛を厳しくしてしまったかもしれない自分に苦笑しつつ、私はもう一度ローザへ笑いかけた。

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