第183話 奴隷のパートナー⑦

 相手に肉弾戦の技術がないからといって、近接戦闘が弱いとは限らない。


 現にリッカは人間二人の攻撃を難なく止め、弾き飛ばした。

 魔法に特化した者も、近接で使える魔法で備えているのが普通だ。


 それどころか、近くに行けば行くほど魔法の威力は減衰せずに強力になるし、回避も困難になる。

 格上の魔法使いに対し近づくのは、基本的には悪手だろう。


 だからこそ私もできることなら使いたくなかったし、今まで使わなかった。

 危険が格段に跳ね上がるからだ。


 でも、このままでは勝てないのは間違いない。

 相手の土俵で戦ってもジリ貧だ。


 危険は承知でも、違う土俵で戦わなければならない。


 リッカの懐に潜り込んだ私は、左拳を真っ直ぐに打ち出し、攻撃を加えようとする。

 しかし、眼前に広かった氷の花により、それは防がれた。


 そのまま私は横に移動し、側面から回し蹴りを入れる。

 しかしそれも、すぐに反応したリッカの魔法障壁により難なく防がれた。


 当然その対応は想定済み。

 この程度の攻撃が通るようなら苦労はしない。


 ただ、収穫はあった。

 一撃目は魔法で防いだが、二撃目は魔法障壁で防いだ。


 恐らく、魔法で作った氷の花よりは、純粋な魔力のみで作った魔法障壁の方が弱い。

 連撃に対しては魔法の発動が間に合わないのであろう。


 それを確かめるための攻撃だったので、私は内心ほくそ笑む。

 相手は間違いなく私より強いが、手が届かないほどの高みにいるわけではない。


 今の攻撃はあくまで様子見。

 これだけだったら、わざわざ大量に魔力を消費して、炎を身に纏わせた意味がない。


 単純な近接戦闘のみならわざわざ炎を纏わなくても、魔力を体に通わせるだけでいい。

 炎を纏わせたのには、もちろん理由がある。


 私は再度、リッカへ拳を放つ。


 私が手足を動かすたび、炎が光の軌跡を残し、踊るように舞う。

 もちろん、その美しくも見えるであろう炎の舞で、相手を魅了するのが目的ではない。


 先ほどと同じように、一撃目を魔法で防ぐリッカ。

 そこまでは先ほどと同じ。


 違いは二撃目。


 私は、右足の炎へ注ぐ魔力を急激に増やし、そして足の周りを風魔法による空気の壁で遮断した。

 急激に熱せられた空気が一気に膨張する。


 空気の壁で封じられ、圧力の増した空間。

 圧縮された力は、一方向だけあえて薄くされた空気の壁の方向へ一気に爆発する。


 爆発の勢いで繰り出された超速の蹴りは、赤い軌跡を残して、リッカの作り出した魔力障壁へ直撃する。


ーーパリンッーー


 爆発の勢いを利用した全力の蹴りは、油断したリッカの魔法障壁を一撃で砕く。


 その隙に氷の花を作り出し、私の蹴りを受け止めたのはさすがと言える。

 でも、そこまではまだ私の読みの内。


 私は次の攻撃を繰り出す。


 左拳の炎を肘まで広げ、少しだけ体から外に開いた肘の後ろで、先程の蹴りと同じように指向性を持たせた上で、炎を爆発させた。


 爆発に乗った左拳が真っ直ぐにリッカを襲う。


ーーバキッーー


 今度も防がれはしたが、やはり魔法は間に合わず、魔法障壁での防御となるリッカ。


 私は通常の攻撃と炎の爆発による攻撃を織り交ぜながら、リッカを攻め続ける。


 この距離で少しでも攻撃の手を緩めれば、好機が一転、絶体絶命の危機へと変わるだろう。


 実際、防御に使う氷の花を、私の体も巻き込む形で使おうとするリッカ。


 私はそれを躱しながら攻撃を繋ぐ。


 魔法一発で形勢が変わる紙一重の攻防。

 私にできることは、リッカが攻撃に転じる隙を与えずに攻撃し続けることのみ。


 そして幾度目かの攻防で、私はついに、リッカの鉄壁の防御をこじ開ける。


ーーパリンッーー


 氷の花を掻い潜り、魔法障壁を砕くことに成功した。


 私は空かさず空いた左手で、無防備となった前面からリッカの首を掴んだ。


 炎がジュウジュウと音を立てながらリッカの首の表面を焼く。

 ただ、皮膚の表面に氷の膜を張ったリッカの体には、恐らくほとんどダメージは与えられていないだろう。


 ……でも、これで詰みだ。


「俺はここからお前を滅するだけの魔法を放つことができる。お前がどんな行動を取ろうとも、それより先にお前を殺すことができる」


 私はあえて宣言する。


「俺の勝ちだ。命は取らないから、フワの大切な人を解放しろ」


 私の言葉に、少しだけ考えるそぶりを見せるリッカ。


 私はその表情に違和感を覚える。

 リッカからすれば絶体絶命の状況。


 だが、リッカの顔にあるのは恐怖の色でも諦めの色でもない。

 ただ単純にこの後どうするか悩んでいる顔。


 リッカは渋々、自分を無理やり納得させるかのように口を開く。


「悔しいけど、テラ様の見る目はあったということね。一階級下の魔力で、将軍の実力を凌ぐなんて……」


 リッカはそう言うとニヤッと笑う。


「でも残念。将軍を倒せる実力はあっても、私は倒せない」


 次の瞬間、リッカの魔力が爆発的に増える。

 もともと私より多かった魔力量はさらに多くなり、その魔力量は四魔貴族のテラ様に迫る勢いだった。


 ……いや。


 その量、質ともに、テラ様そのものと言って間違いなかった。


ーーボンッ!ーー


 爆発的な魔力の圧だけで弾き飛ばされる私。


 私には何が起きたか分からない。

 リッカは間違いなく氷の魔法の使い手だった。

 その魔力から凍てつく寒さを感じさせる、強力な氷魔法の使い手だった。


 ……でも。


 今の彼女から感じる魔力は。

 私の皮膚を焦がさんばかりにじりじりと熱を感じるその魔力は。


 間違いなく炎魔法の使い手のものだった。


 異なる系統の魔力をここまで使いこなせる存在は、一人しか知らない。


 ……魔王様だ。


 先程まで水色に光っていたその瞳は、今は赤く輝いている。

 混乱する私に、リッカは微笑みかけた。


「ここまで強いのは想定外。お前を脅威と認定するわ」


 リッカがなぜ急に炎の魔法を使えるようになったのか。

 しかも、ただ使えるようになっただけでなく、その実力が急激に上がり、四魔貴族であるテラ様と見間違うが如くになったのか。


 その理由は全く分からない。


 ただ言えることは、このままでは間違いなく私が負けるということだ。

 私は、理由を考えるのをやめ、思考を、どうすれば今の状況を打開できるかに振る。


 そんな私を嘲笑いながらリッカが右手を前に出す。


「お前はお前の大切な人に会うため、人間の王国へ向かった。そういうことにしておきましょう」


 リッカの周りの空気が熱で歪む。


「安心しなさい。灰すら残らないよう一瞬で燃やし尽くしてあげるから、痛みもないわ」


 一か八かで全力の魔法を叩き込もうか。

 それとも、先ほどのように懐に飛び込んで暴れようか。


 どちらも勝機はかけらも感じないが、他に手は思い浮かばない。


「……取り込み中悪いが、一つ提案をいいか?」


 私が決めかねていると、突然割り込んでくる者がいた。


 先ほど弾き飛ばされていたままになっていた人間の男だ。


 後少しで私を殺そうというタイミングでの人間の男からの発言に、リッカは不快感を隠さない。


「家畜に過ぎない人間風情が。魔族の将軍たる私が、なぜ人間如きの話を聞かねばならない?」


 普通の人間ならその殺気だけで死にかねない状況にもかかわらず、人間の男は言葉を続ける。

 ……そのこめかみに浮かんだ脂汗を隠しながら。


「あんたは四魔貴族テラに気に入られたいんだよな? それだけの力があるんだったら、こんな姑息な手を使う必要はないんじゃないか?」


 人間の男の言葉に、リッカの殺気が増す。

 その目は、どうでもいい家畜を見る目から、不快な害虫を見る目へと変わっていた。


「人間如きに何が分かる。テラ様が選ぶのは自分にふさわしい力を持つ者だけだ。数百年、そんな者は現れなかった。私がどれだけ強くなろうと、それだけでは振り向いてはくださらない」


 怒りを隠さないリッカに対し、人間の男は、慎重に言葉を選ぶようにしながらも話を続ける。


「本当にそうか? 確かに魔族は強い異性を求めると聞く。だが、それだけではないんじゃないか?」


 人間の男の言葉に、リッカは少しだけ興味を向けたようだ。


「何が言いたい?」


 人間の男は、緊張感を保ちながら言葉を続ける。


「この美人のねーちゃんは確かに強いが、あんたよりは恐らく弱い。それでもテラに気に入られてるんだろ? その理由は多分、意外性だ」


「……意外性?」


 リッカは復唱するようにそう尋ねる。


「そうだ。自分に誘われて断るはずがないのにそれを断った意外性。魔力量の割に強いという意外性。テラはこれまでどんな女でも選り取り見取りで見飽きてるんだろう。そうするとこれまでと違うものに惹かれるはずだ」


 いつの間にか真剣に話を聞いていたリッカが続きを求める。


「……それで? 結局お前は何が言いたいんだ?」


 人間の男は真剣な顔で誘う。


「俺たちと一緒にスサを倒そう」


「何!?」


 人間の男の言葉に、その場にいた全員が驚く。


「このままこの美人のねーちゃんを殺しても、もしバレたらお気に入りを殺したあんたはテラの不興を買うのは間違いない。だから自分の手での殺しを避けたんだろ? それよりあんたの手でスサを倒した方がテラがあんたに振り向く可能性は高い」


 リッカは嘲るように人間の男へ言葉を返す。


「馬鹿馬鹿しい。それができればとっくにしている。私はある能力で瞬間的にはテラ様と同じ実力を持つことができる。だが、それだけではスサは倒せない。スサの配下の将軍たちが黙っていないだろうし、スサは常時テラ様と同等の力を使える」


 人間の男はなおも食い下がる。


「確かに一人ではそうだろう。だがこっちには美人のねーちゃんもいるし、他にも強い仲間がいる。配下の将軍たちは俺たちが倒し、スサとの戦いも俺たちがサポートすれば、戦えないことはないんじゃないか?」


 リッカは思案を始めた。

 そんなリッカに対し、私も言葉を添える。


「お前が大事にするものは何だ?」


 リッカが怪訝そうな顔でこちらを向いた。


「命を大事にするのなら、このまま俺たちを殺せばいい。簡単に殺されるつもりはないが、残念ながらお前が生き残る可能性の方が高いだろう」


 リッカの反応を待たず、私は言葉を続ける。


「ただ、その代わりお前がテラ様と結ばれる可能性は低くなる。自惚れかもしれないが、俺に惚れたまま俺が死ねば、俺のことが心に残り、他の女のことは何とも思えなくなるかもしれない。そうならなくとも、俺を殺したことがテラにバレて不興を買うかもしれない」


 私はリッカの気持ちを引き寄せられるよう、最大限気持ちを込めて話す。


「俺も惚れた相手がいるから分かる。惚れた相手のためなら何でもできる。惚れた相手に選ばれるためなら何だってする。命より。誇りより。優先すべきものが俺にはある」


 私は小さく息を吸い、最後の言葉をかける。


「お前が今為すべきことは俺を殺すことなのか? テラ様に意外性を感じさせ、テラ様の興味を得ることではないのか?」


 私はリッカの目を真っ直ぐに見つめる。

 想いを込めて見つめる。


「互いの惚れた相手の為、共に四魔貴族を倒そうじゃないか!」


 私の言葉を聞き終えたリッカが口を開く。


「ふふふっ。テラ様が貴女を気に入った理由が、今ようやく少しだけ分かったわ」


 リッカはその顔から一瞬だけ氷の仮面を剥がし、素顔の笑みを見せてくれた。


「貴女たちの口車に乗ってあげる。私が手に入れたくて仕方のないテラ様の好意を踏みにじったのは、今も許せない。でも、本気でスサを倒すなら、貴女の力は必須。とりあえずスサを倒すまでは生かしてあげる」


 リッカはそう告げると、人間の男の方を向く。


「ニンゲン。お前たちの仲間というのは本当に使えるのよね? もし何の役にも立たなそうならば、私たちの食事にして、魔力という形で貢献させるからね」


 人間の男はリッカの言葉にホッとした表情を見せた後、自信たっぷりに答える。


「将軍のねーちゃんに勝てるかどうかは微妙だが、美人のねーちゃんとはいい勝負ができるかもしれない奴はいる。他にも、俺より強い奴なら何人もいる。きっと足手まといにはならないはずだ」


 人間の男の言葉に、リッカはしばらく黙った後、返事をする。


「分かったわ。貴女のお仲間がスサのお腹に収まっていないことを祈りましょう」


 リッカはそう言うと、私の方へ体ごと視線を向けた。


「貴女に一つだけ忠告よ。テラ様は今まで欲しいものは全て手に入れてきた。ここで逃げれば、貴女はテラ様にとって生まれて初めて手に入れられなかったものになる」


 リッカの目から輝きが失われ、冷酷な色になる。


「手に入らなければ。他人の手に渡すくらいなら。いっそのこと殺してしまえ。そう思われる可能性は高いわ。スサを倒せたとしても最悪、今度はテラ様と敵対することになる。もちろん、その時は私も敵になるわ」


 ふふふっ。


 そう言って笑うリッカ。

 そんなリッカへ私は頭を下げる。


「俺の身を案じてくれてありがとう」


 私の言葉に戸惑った様子を見せるリッカ。

 そんなリッカには構わず、私は話を続ける。


「ただ、それでも俺は、エディと結ばれる道を選ぶ。四魔貴族が相手でも。例え魔王様が相手でも。どれだけ不利でも。ほぼ間違いなく死ぬのだとしても。私はエディを選ぶ」


 私はそう言った後、天を仰いで私の大切な生涯のパートナーの顔を思い浮かべた。


「だって私は、エディのことが好きだから」


 自分でも、自分の顔が笑顔になっているのが分かる。

 百年以上の人生で、初めて心の底から惚れた最高の相手のことを思い、私はそれだけで幸せな気分になる。


 好きな人の声を思い出せる。

 好きな人の顔を思い出せる。


 たったそれだけのことが何で嬉しいんだろう。


 そんな私を見てリッカが再度笑う。


「魔族にとって最高の男性であるはずのテラ様を袖にして、そんな笑顔を向けるほどの男なんているのかしら。貴女の大切な人に会うのが楽しみだわ」


 リッカがの言葉に、私は顔を引き締める。


「そんなこと言ってエディに惚れても、エディは誰にも渡さないからな」


 私たちのそんなやりとりを見ていたフワが口を開く。


「あの……そろそろシャクネちゃんを助けてもらいたいんですが……」


 私とリッカは顔を見合わせ、声を揃える。


「あっ」

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