第178話 奴隷のパートナー②

 初めから終わりが来ることは分かっていた。


 その分かっていた終わりが来ただけだった。


 最強の人間アレスによる私の討伐。


 少年は多少強くなったとはいえまだまだ未熟。

 必要最低限の人間しか食べていない私も、力不足は否めない。


 そんな状況でのアレスの手の者との戦闘。


 最初の刺客は、アレスの娘だった。


 娘を一人で戦闘に送り込むというのは、相当な自信があるのだろう。


 そして、その自信を裏付けるだけの実力をアレスの娘は持っていた。


 戦っても勝てる絵が描けない。

 でも戦うしかない。


 幸せの日々を一日でも長く過ごすために。

 例え今回勝っても、次はさらに強力な刺客が来るだけだと分かっていても。


 本当の終わりが来るその日まで、粘り続けるしかない。


 だが、相手の初手から私の思いは踏みにじられる。


『風槍』


 アレスの娘によって放たれた風の槍が、真っ先に逃がそうとした少年の母親を貫く。


ーープシュッーー


 幸せが崩れる音。


 私が弱いばかりに。

 私と知り合ったばかりに。


 殺される少年の母親。


 家族のような存在になっていた少年の母親。


 その母親が無惨にも物言わぬ骸となる。


 取り乱す少年をなだめるのがやっとの私。


 そんな私たちのことなど考えず、少年ごと私を殺そうとするアレスの娘。


 私の思考は、幸せな生活を維持することから、少年だけでも生かすことに切り替わる。


 これ以上、私のせいで、やっとできた家族のような存在を失うわけにはいかない。


「俺が時間を稼ぐ。お前は母親の体を持って逃げていいぞ」


 少年の筋力も体力も人間離れしている。

 私が時間を稼げば、十分逃げ切れるだろう。


 そう考えた私の想いを変えたのは、少年だった。


「母さんを食べてください」


 あろうことか、何よりも大切にしていた母親を、私に食べさせようとする少年。


「な、何を馬鹿なことを。お前にとって母親は何より大事だったんだろ?」


 そう問いかける私に、少年は答える。


「何より大事でした。でも、母さんが死んだ今、俺にとって何より大事なのはグレン様、貴女です」


 思いも寄らない少年の言葉に、私は内心激しく動揺する。


 少年と過ごした時間はほんの僅かだ。

 気が遠くなるような年月を一人で過ごした私と違い、少年にとっての私は、かけがえのない存在というには足りないはずだった。


 そんな私を何より大事だという少年。


 絶望的な状況にもかかわらず、私は幸せを感じていた。


 この少年と出会えたことに。

 この少年が私を大事に思ってくれたことに。


 私は感謝した。


 私は思わず感謝の言葉を述べそうになる。


 だが、考え直す。

 それは、未だ窮地が続く今やるべきことではない。


 そして私は、少年の母親を食べることにした。


 家族同然に思った相手を食べる行為。


 私は、化け物だ。

 本当は少年のそばにいる資格はないのかもしれない。


 それでも私は、少年の母親を食べる。


 許して欲しいとは思わない。

 でも、少年のことは絶対に助ける。

 だから、私に力を分けて欲しい。


 心の中で少年の母親へ語りかけながら、私は少年の母親を貪った。






 ……結果的に。


 アレスの配下である刀神と、当のアレスの温情により、少年と私は生かされることになった。


 少年の奴隷となり、魔王様にいただいた名前を捨てるという必要はあったが。


 代わりに、私は少年から名前を与えられた。

 とても美しく、素晴らしい名前だと感じたのを覚えている。


 ……今はその名前も思い出せないが。


 その後、少年はアレスの家で、魔法と剣を教わることとなった。


 奇跡のような確率で生き延びた私。


 アレスの家で少年と共に過ごす夢のように幸せな日々。


 少年は、食事と入浴と睡眠の時間を除き、己を鍛えることにすべてを費やしていた。


 誰よりも己に厳しく、どれだけ辛くても己を甘やかすことのない少年。

 血反吐を吐いても愚痴の一つすらこぼさない少年。


 私はそんな少年を一番近くで見守り、手助けをする。


 少年は僅か十年と少ししか生きていない。

 だが、私はそんな少年を尊敬していた。


 軍に所属する魔族でも、ここまで己に厳しい者はいない。


 私は少年のことは家族だと思っていた。

 それは今も変わらない。


 でも、家族としての位置付けが変わってきた。


 庇護の対象である子供や弟のような存在から。

 生涯を共に過ごすパートナーへ。


 被食者と捕食者の恋愛なんて悲劇しか産まないことは分かっている。

 ……それでも想いが止まらない。


 一番そばで少年の頑張る姿を見ているから、それは尚更だった。


 人として。

 異性として。


 気付けば私は、心の底から少年に惚れていた。


 産まれて初めての感情。

 そんな感情を、私は隠す。


 来たるべき時に来たるべきタイミングで伝えようと思いながら。


 そんな少年を巡るライバルは多い。


 アレスの娘も。

 アレスの娘と少年の魔法の師であるリンという人間も。


 少年の母親を殺したアレスの娘は論外にしても、リンという人間は手強そうだった。


 思えば、初めて会った時から、リンは私を敵視していた。


 なぜかは分からないが、リンは出会った時から少年に惚れていたのかもしれない。


 強さも申し分なく、容姿も人間とは思えないくらい整っており、人柄も問題ない。

 それが私からリンへの評価だった。


 いつも一緒にいる分、今はまだ私の方が有利だと考えているが、それでも油断できないくらいに、リンは魅力的だ。


 そして何より、少年への想いの強さは異常と思えるほどだった。


 何がそこまでリンの想いを駆り立てるのかは分からないが、私だって負けるわけにはいかない。

 無駄に長い人生を過ごしてきたが、対人関係は素人で、恋愛に至っては、初めてだ。


 それでも、私は少年を誰にも譲るつもりはなかった。


 毎日そばにいて。

 少年の成長を見守り。

 いつか結ばれる。


 その将来を疑っていなかった。






 ……それも、アレスが他の十二貴族たちに襲撃されるまでは。


 平穏は。

 幸せは。


 突如終わりが来ることを私は知っていた。


 初めはパパとママを失った時。

 二度目は少年の母親を失った時。

 そして今回が三度目だ。


 劣勢を察したアレス、刀神、リンの三人は自分たちが足止めとなることで、アレスの娘と少年を逃すことにしたようだった。


 私はそんな二人を連れて逃げる役目。


 リンは、私へ少年を託した。

 それは彼女の目でしっかり伝わった。


 彼女もきっと少年と一緒にいたかったはずだ。


 それでも彼女は残った。

 全ては少年のために。


 私は同じ男性を同じくらい愛する彼女の思いを受け取り、少年と共に逃げた。


 途中、追手の人間と交戦する。

 追手は手練れの五人組で、私一人では手に余りそうだった。


 こちらは、逃げるのをごねて嫌がったため気絶させたアレスの娘と少年と私。

 実質少年と私の二名だ。


 でも、私は全く負ける気がしていなかった。


 少年の実力はずっと一緒にいた私が一番分かっている。

 そして、毎日一緒に訓練した私には、少年の動きも考えもよく分かっていた。


 五人との戦闘は、完璧な連携を行った私たちの一方的な勝利で終わった。


 だが、私は少年の手を汚させてしまった。


 アレスの娘に襲われた時を除けば初めての実戦で。

 同族である人間を殺してしまった少年。


 私のために手を汚し。

 私に死ぬなという少年。


 今がタイミングではないことは分かっていた。

 一刻も早くこの場を離れなければならないことは分かっていた。


 でも私は、自分の感情を抑えきれない。


 好きだ。

 私はこの少年が好きだ。


 俺を残して死ぬな、という少年の言葉に返事をする。


「分かった。その代わり〇〇〇も私を残して死ぬな。死ぬ時は一緒だ。共に生き、共に死のう」


 私の素直な気持ち。

 心の底からの本音。


「俺の生まれたところでは、それはプロポーズになるぞ」


 私は少年の言葉に笑顔で返す。


「そのつもりで言ったからな」


 魔族にとってのプロポーズは重い。

 それは、魔王様への忠誠すら時に凌駕する。


 それでも私は、少年にプロポーズしたことに一片の悔いもない。


 私は少年と唇を合わせた。


 幸せと快感が押し寄せる。


 今この時が、私の人生の絶頂だった。

 この時のために、私は生きてきたんだ。






 ……でも。

 ……やはり。


 私の幸せは続かない。


 気絶させていたはずのアレスの娘。


 その娘が、私へ憎悪の目を向ける。


 嫉妬と羨望。


 その二つが渦巻いた目で、私を見る。


 その目は、親の仇を見るよりドス黒く、見るに耐えないほど醜かった。


 アレスの娘はそんな目で少年へ命じようとする。

 少年の手で私を殺させようと命じようとする。


 私は、その瞬間、すべてを諦めた。


 愛する人に殺される。

 それもまた幸せな最期だろう。


 少年も、暫く経てば死んだ私のことなど忘れて幸せに暮らしてくれるはず。

 少年相手ならきっと、どんな女性でも惹かれていくだろうから。


 だが、少年は私を殺さなかった。

 少年のためなら死など怖くはなかったのに。


 少年は私に命ずる。


「○○○! 俺のことを忘れて、遠くへ逃げろ!」


 その言葉で、私の額が光り……。


 そして私は、再び一人になった。

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