第176話 魔王の城

 主人不在の魔王城へ、漆黒のドラゴンが舞い降りる。


 ドラゴンの接近を感知し、敵だった場合に備え、迎撃体制をとっていた四魔貴族ナギをはじめとする魔族の一軍は、その背に乗っている人物に気付き、攻撃をやめる。


 自らの主人が大事そうに連れている人間の子供には目もくれず、ナギは主人の元へ駆けつけ、膝をつく。


「お待ちしておりました、魔王様。魔王様ご不在の間、私は……」


 そう言って涙ぐむナギを一瞥した後、視線を構わらの人間に移しながらミホは告げる。


「今の私は魔王でも何でもないわ。私が不在の間は、貴方が魔王になっていたんじゃないの?」


 ミホの問いかけにナギは首を横に振る。


「いいえ。貴女が戻ってくるのを存じ上げていたナミと私は、魔王争いには加わっておりません。今はそのことを知らないテラとスサが、その座をめぐって争っているところでございました」


 ナギの発言を聞いたミホは、その白く細長い指で、傍らの人間の頬を艶かしく撫でながら、ナギへ告げる。


「それじゃあ面白そうだから、二人はそのまま争わせといて。貴方は私とこの人の式の準備を手伝うように。それと、そこのあなた。この人の世話はナミにお願いしておいて。私自身を世話するより丁重に扱うよう伝えることを忘れずにね」


 ミホの言葉を理解しきれないナギは、失礼を承知でミホへ質問する。


「ち、ちなみに何の式でしょうか? 魔王様の再即位式でしょうか?」


 そんなナギへ、ミホは笑顔で答える。


「結婚式に決まってるじゃない。世界一の式にしないといけないから、貴方もしっかり頼むわね」


 千年ミホと付き合ってきたナギは、一度も見たことがないくらい輝いた瞳でミホがそう告げるのを、止めることなどできるはずがなかった。

 例え己のミホへの気持ちを裏切ることになっても。


「かしこまりました、魔王様」


 ナギが了承したのを確認したミホは、白髪の少年エディへ告げる。


「本当は一秒たりとも離れたくないけど、式の準備があるから少しだけ一人にするね。すぐに来るからそれまで待っててね」


 ほんの僅かな別れだというのに、涙目になるミホ。

 そんなミホに対し、無感情に頷くエディ。


 名残惜しそうに何度も振り返りながらミホが去った後、漆黒のドラゴンと共に取り残されたエディは、虚な目でその場に立っていた。


 そんなエディの元へ、紫色の瞳の魔族が近寄っていく。


「お久しぶりです、ユーキ様。と言ってもお話しするのは初めてですが」


 その瞳は暗さを孕み、紫紺に近かった。

 エディは紫色の瞳の魔族ナミへ視線を向ける。


「……俺の元の名前を知っているということは、君も同じ世界の出身ということか」


 ナミはその質問へは答えず、周囲を見渡すと、エディへ告げる。


「ここでは話せない話もあるかと思いますので、とりあえず客間へご案内いたします」


 ナミの提案に頷いたエディは、じっと己を見つめる漆黒のドラゴンへ虚な目を向けた後、ナミの後について、その場を離れた。


 ナミに案内されて入った魔王城の中は、魔王の城というよりは、物語に出てくるお姫様が住んでいそうな内装だった。


 白を基調とする洗練されたデザイン。

 華美過ぎない装飾は、訪れた者の心を落ち着かせる。


 訪れた者へその偉容を誇るのではなく、あくまで住む者のための城。

 そんな城の中をナミの後ろについてエディは歩き、客間へ通される。


「改めて自己紹介を。元の世界ではミホ様の護衛をしておりましたナミと申します。元の名前はもはや意味をなさないので、こちらの世界での名前で失礼します。こちらでは魔王となられたミホ様の片腕として千年ミホ様に仕えております」


 千年という途方もない年月に驚きつつ、エディは尋ねる。


「……ミホは、千年ずっと俺なんかのことを思ってくれていたのか?」


 エディの質問に、ゆっくりと頷くナミ。


「……はい。千年片時もユーキ様のことを忘れず、ユーキ様への想いだけで誰よりも強くなり、ユーキ様と幸せに暮らすために魔王となって、この国を理想のものへ作り替える努力をされてこられました」


 ナミの答えを聞き、黙ってしまうエディ。

 そんなエディに対し、ナミは言葉を続ける。


「そんなミホ様の想いに応え、ミホ様と幸せに暮らすというのならそれでもいいでしょう。ユートピアのような国で、貴方のことを誰よりも愛する美しいミホ様と、何不自由なく暮らすことができると思います」


 そこまで喋った後で、ナミはエディの耳元へ唇を寄せる。


 その唇は艶かしく。

 エディを誘惑する。


「……でも、それでいいんですか?」


 魔王の片腕とは思えないナミの発言。

 その発言に、虚だったエディの目は見開く。


「ユーキ様……いえ、エディ様に、ミホ様以外の想い人がいるのを私は存じ上げております。本当はその方と結ばれたいのではないですか?」


 ナミの言葉に、エディは警戒する。


「なぜそれを知っている? あんたとは初めて話すはずだが」


 エディの質問に、ナミは答える。


「女神様に与えていただいた称号の力です。私の称号は『暗殺者』。殺したい相手とその相手に関連する情報を、ある程度把握することができます。だから私は、エディ様に関する情報をそれなりには存じ上げております。生涯を誓い合った方と離れ離れになっていることや、尊敬する師をミホ様のせいで失ったことも」


 ナミの言葉にますます警戒するエディ。


「……その殺したい相手というのは?」


 ナミはエディの耳元から唇を離し、笑みを浮かべる。

 笑顔というには余りに冷たく、背筋が凍るような笑みを。


「それをお伝えするには、エディ様の本心を聞かなくてはなりません。先に名前を告げてしまうと、エディ様のお答え次第では、エディ様を殺さなければなりませんから」


 ナミはそう言うと、エディへ答えを迫る。


「ミホ様と結ばれ、ペットとなって何不自由ない生活を送るか。それとも、ここを抜け出し、想い人と結ばれる道を選ぶか」


 エディは虚な瞳に、少しだけ光を灯して考える。


 エディの心の中には、未だカレンへの想いが消えずに残っている。

 だが、仮に後者を選んだ場合、ミホが怒り狂い、世界の崩壊と直面する可能性すらあることを感じていた。


 エディは、カレン以外の女性と結ばれるつもりはなかった。

 だが、それは、世界と引き換えでも構わないというわけではない。

 自分は愛のために殉じても良かったが、そのせいで世界を犠牲にするのを躊躇う程度には、この世界に大切な人ができていた。


 すぐに答えを出せないエディに対して、若干の苛立ちを隠さないナミ。


「優柔不断な人ですね……。代わりに私が本心を告げてあげましょうか?」


 ナミはそう言うと、再びその唇をエディの耳元に寄せる。


「貴方はミホ様ではなく、想い人と結ばれたい。そのためにはミホ様を倒さなければならない。でも、ミホ様を倒すことはできない。……そうですよね?」


 ナミにそう言われると、そう思っているような気がしてるエディ。


 ……でも、本当にそうなのだろうか。


 カレンと結ばれたいと思っているのは間違いないが、そのために千年も自分を思い続けてくれたミホを倒したいと思っているのだろうか。


 自問しそうになるエディを、紫紺の瞳で見つめるナミ。


「でしたら、私が力になりましょう。史上最強の魔王を倒す手段を貴方に」


 ナミはそう告げると、エディの手を優しく握る。


 この手を握ってはダメだ。


 そう思った時にはすでに遅く、エディの手はナミの冷たく白い手で、しっかりと握られていた。


 エディは質問する。


「俺なんかにミホが倒せるのか? 魔王って言うからには四魔貴族より強いんだろ? 俺は四魔貴族どころか、その配下の将軍にすら敵わない」


 エディの質問を、ナミの言葉に対する返答と受け取ったナミは、冷たい笑みを顔に貼り付けたまま答える。


「そうですね。ミホ様の力は絶大です。エディ様ががこちらの世界に来た時に守れるよう、千年寝る間も惜しんで己を鍛えられました。そして称号の力であらゆる能力が百倍になっており、神ですら歯が立たないほどの存在になってしまいました。でも、そんなミホ様にも弱点があります」


 言葉を区切るナミに、エディが質問する。


「どんな弱点だ」


 エディの言葉を聞いたナミはニヤッと笑います。


「それは貴方です。貴方のことになると、冷静沈着で全てを見通すミホ様が、ただの恋する少女になってしまいます」


「現に、ミホ様は今、貴方を探し出すために、本来の百分の一の強さになっています。ナギにそう導くようそれとなく暗示をかけましたから。いつものミホ様なら絶対にそんなリスクは侵しませんが、貴方の名前を出した途端、ろくに考えもせずにそう判断されました。倒すなら今しかありません。あの方が魔王の座へ返り咲けば、再び今より百倍強くなり、誰にも倒せない存在に戻ってしまいます」


 ナミはそう言うと、紫紺の瞳を暗く輝かせる。


「とはいえ、百分の一になってなお、あの方の強さは史上最強に変わりありません。四魔貴族が束になってかかっても、敵わないでしょう」


 ナミはエディの目を見ながら話を続ける。


「それに、私はミホ様に与えられた名前により、ミホ様へ直接歯向かうことはできません。だからといって名前を捨てれば反逆とみなされ、すぐに処断されてしまうでしょう」


 エディには話が見えない。

 それではミホを倒すのは無理としか思えない。

 そんなエディの心を見透かしたかのように話を続けるナミ。


「まずは、強力な仲間を増やしましょう。私の夫である四魔貴族のナギはミホ様に惚れているから無理ですし、残りの四魔貴族であるテラやスサも、ミホ様に心酔しているので難しいと思います」


 ナミはそこまで言って目を見開く。


「狙うは、この国の東を治めるヨミ。彼女はミホ様の洗脳で、貴方とミホ様の幸せだけを守るよう言いつけられていますが、もともとはミホ様を殺そうと考えていました。それに、数百年前、ミホ様をあと一歩のところまで追い詰めた強者であり、元の世界での私たちのクラスメートでもあります」


 ナミは言葉を続ける。


「ただ、ミホ様はその時より遥かに強くなっていらっしゃるので、やはりそれだけでは倒せません。だから……」


 ナミはそっとエディに近寄り、その艶かしい指で、再度エディの頬を撫でる。


「貴方の力が必要です。ミホ様は貴方相手には心も体も無防備になります。特に初夜ともなれば、千年分の想いが溢れ、警戒するどころではなくなるでしょう。そこで、これ

を使ってください」


 ナミが手にするのは、神々しく光り輝く短刀。


「……これは?」


 エディの問いかけに、ナミは笑顔で答えます。


「これは女神様の加護が宿った剣です。さらに、魔族にも効く毒を塗っておきました。これで傷つけられた場所は傷が回復しづらくなり、毒で動きも鈍くなります。それでもミホ様は死なないでしょうが、急所を衝ければ、流石のミホ様でも不利になるのは間違いありません」


 ナミは恍惚とした表情で言葉を続ける。


「初夜ともなれば、いつも周りを警護している邪魔な者たちもいないので、ヨミと私できっと倒せるはずです」


 ナミの言葉を聞いたエディは考える。


 エディが惚れているのはカレンだ。

 カレンと生涯を共にしたいという気持ちは、今も変わっていない。


 カレンを幸せにするためなら、なんだってやる覚悟でいたはずだった。

 だが、今、エディは悩んでいる。


 カレンと結ばれるため。

 カレンと幸せになるためにミホを殺す。

 千年自分のことを思い続けてくれた初恋の相手を殺す。


 その選択がエディにはできない。


 エディの目から見て、ミホは狂ってしまっていた。

 己への愛で狂ってしまっていた。


 だが、エディに向けられたその瞳は。

 エディに向けられたその笑顔は。


 元の世界で自分に安らぎを与えてくれた笑顔だった。

 元の世界同様、エディの心に突き刺さるこの世で最も美しいものだった。


 エディは悩む。

 心の底から悩む。


 カレン。

 ミホ。


 俺は……

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