第175話 新たな王⑨

 跳躍する私たちを、無数の魔法の矢が襲います。


 ーードドドドッーー


 ただ、その攻撃は私が両腕に抱えるリオとミーチャが強固な魔法障壁で防いでくれました。


 高速で飛ぶ私たちを、的確に攻撃する敵の実力は相当なものです。

 私の索敵の範囲外から攻撃を命中させたことといい、遠距離戦では勝ち目はないと思われました。


 あのままさっきの場所にいれば、まとになっていたのは確実。

 素早く私を跳躍させた『軍師』の判断は的確だったと言えるでしょう。


 空中から見える敵は二十人程度。

 そのうちの十人ほどは魔導師風に見えます。


 観察している間も絶え間なく降り注ぎ続ける敵の攻撃。

 そのほとんどが初級魔法でしたが、リオもミーチャも、魔法障壁に注ぐ魔力を緩めることはできませんでした。


 基本的に魔法障壁は想定される最大の攻撃に備えて張ります。

 魔力を節約して薄くした結果、障壁を貫通され、死んでしまっては元も子もないからです。


 熟練の魔導師であれば、敵の攻撃に合わせて障壁の厚さを自在に調整しますが、魔力を使えるようになったばかりのリオとミーチャにそれを求めるのは酷でしょう。

 敵も、それが分かっているからこそ、敢えて初級魔法を放ち、こちらの魔力の消耗を図っているはずです。


 そのおかげもあって、敵の攻撃を防ぎ切り、無事着地できた私たち三人。


 そんな私たちを待ちうけていたのは、ミーチャたちを嬲ろうとしていた傭兵団長でした。


「くくくっ。あれだけ大口叩いておいて逃げるとは。獣人の誇りというのは随分と軽いんだな」


 傭兵団長の挑発に苛つきを覚えるリオとミーチャ。

 そんなリオとミーチャを抑えて、私が答えます。


「私たちに怯えて、他の傭兵団と結託するような弱腰の人間に非難される謂れはありません」


 私の言葉を聞き、面白そうに笑う傭兵団長。


「いいな、お前。アマンダにはお前だけは生きたまま捕獲しろと言われているが、楽しむ分にはいいだろ。ウサギのくせしてその強気な態度。たっぷり可愛がってやるよ」


 下卑た笑いを浮かべる傭兵団長を睨みながら、私は答えます。


「私には心に決めた方がいます。私の全てはその方のもの。貴女のような盛った猿は、ご遠慮願います」


 私の言葉を聞いたリオとミーチャが、笑いながらそれぞれ私の右と左の前へ立ちます。


「さすがご主人。よくぞ言ってくれた」


 リオが嬉しそうに笑います。


「何でもいいけど、さっさと片付けてご主人のご主人に会いに行くにゃ。こんな猿じゃなくて、まともな男の子種をもらいに行くにゃ」


 ミーチャも興味がなさそうに傭兵団長を見ながらそう言います。


 私たちの態度にムッとする傭兵団長。


「お前ら、調子に乗っていられるのも今の内だけだ。五人がかりで俺一人と戦うのが精一杯だったお前らも、今は三人しかいない。それに、今回は俺一人じゃなく、俺の配下の精鋭も二十人連れてきた。お前らに勝ち目はない」


 傭兵団長の言葉に私は思わず笑ってしまいます。


「私たちが王都を離れたのは、貴方が怖かったからではありません。先程の不意打ちのような遠距離攻撃を警戒しのと、圧倒的な人数差。それが理由です。強力な魔法が使えない私たちには、その二つが大きな弱点ですから」


 私の言葉に、怪訝な顔をする傭兵団長。


「おいおい。それだと近距離で人数差が小さければ勝てるとでも言いたげだな」


 傭兵団長の言葉に、私は頷きます。


「その通りです。猿にしては多少頭が回るようですね」


 私の言葉についに激昂する傭兵団長。


「お前ら。死なない程度にぶちのめせ。手足の一本二本ならなくてもいい」


 傭兵団長の指示を受け、傭兵団長の配下が四人ほど前に出ます。

 魔力の量はいずれも多く、全員が二つ名持ちに匹敵する魔力を秘めていました。


 ……でも、それだけです。


「リオ。ミーチャ。片付けてください」


 私の言葉を受けたリオとミーチャが、その魔力を解放します。


 百獣の王と密林の王。


 その二人が今、その名に恥じない存在感を放ちました。


 濃密な魔力と王者の風格を兼ねそろえた二人が放つ気配は、仲間であるはずの私にさえ、恐怖を感じさせます。


 そして……。


 それぞれ右腕と左腕に魔力を込めたリオとミーチャの一振りで、四人は切り裂かれました。


 なすすべなく肉塊となり、血を撒き散らす四人。


 その生暖かい血を浴びて、固まる傭兵団長。


「な、なんだそれは? この間のは手加減だったとでもいうのか?」


 狼狽る傭兵団長へ、私は答える。


「この間も本気でしたよ。ただ、あれから三日経ってます。男子三日会わざれば刮目して見よ、です。まあ、この場にいるのはみんな女子ですけど」


 腕を振るって爪の血を落とすリオとミーチャを残し、私は前に出ます。


「リオとミーチャは魔力が使えるようになったばかりでしたからね。もともと魔力が使えた私は、もしかしたらそんなに強くなってないかもしれませんよ」


 私の言葉を聞いた傭兵団長が剣を抜きました。


「獣風情が調子に乗りやがって……。確かに魔力は高いが、それだけで勝てるほど勝負は甘くねえってことを教えてやる」


 剣を構える傭兵団長。

 以前の私なら、緊張する場面。


 でも、今の私は不思議と緊張していませんでした。


 この三日間、リオたちと訓練をする中で、彼女たちと同等以上の戦いを行うことができて自分の戦闘力を客観的に認識できたこと。

 剣や魔法ではなく、己の肉体を武器とするリオたちの戦いを見ることで、戦い方に磨きをかけられたこと。

 そして何より、エディ様への気持ちに素直になり、心の重荷が降りたこと。


 それらの様々な要因が今の心理状態を作り上げているのでしょう。


 一つだけ言えることは、今の私は、全く負ける気がしないということ。

 それだけです。


 エディ様が私に教えてくれました。


 強くなるために必要なのは、心技体の三つ。

 私には心が欠けていると。


 今ならその言葉の意味が分かります。


 弱くて。

 卑屈で。

 根性なしの私にはさよならです。


 私は、リオやミーチャたちのご主人で。

 エディ様の奴隷。


 そんな私が、弱くて卑屈なのは、みんなを貶めることになります。


 私は強く、自信に溢れていなければなりません。


 私を主人と言ってくれる人たちのために。

 私の慕うご主人様のために。


 相手は三日前、五人がかりでも倒しきれなかった強敵です。


 でも、私は負けるわけにはいきません。

 この程度の相手に負けていては、四魔貴族は愚か、その配下の将軍にすら手も足も出ないでしょう。


 私は脚へ魔力を込めます。

 ありったけの魔力を込めます。


 上半身には殆ど魔力が流れておらず、攻撃を受ければ一たまりもないでしょう。


 でも、相手はそんな私に、強力な魔法を放つことはしてきません。

 獣人を魔力が使えるように変えることができる貴重な存在を殺してはいけないから。


 傭兵団長は剣を抜き、構えます。


 次の瞬間、高速で私の方へ飛びかかってくる傭兵団長。

 並の相手であれば目に捉えることすら困難な速度での攻撃。


 でも、私には見えます。

 その動きは、この三日間見てきたローやルーの動きで慣れた目には遅く、その筋肉の動きまではっきりと見えます。


 魔力の薄い私の上半身を狙った上段からの攻撃。

 私を殺さないよう、剣の腹を用いた攻撃。


 避けるのは簡単ですが、心理的な影響を狙い、私は敢えてその攻撃を受けます。

 魔力の篭った右足で。


 傭兵団長の攻撃は、相当な重みがありました。


 でも、リオやミーチャの攻撃に慣れた私には、片足で問題なく受けられる程度の重さでしかありません。


 攻撃を受けた私は、そのままさらに足へ魔力を込めて傭兵団長を剣ごと蹴り飛ばします。


 よろける傭兵団長へ、私は追撃のため、今度は左足へ魔力を込めました。


 私のこれまでの攻撃は、自分では本気のつもりでしたが、実はそうでなかったことがこの三日で分かりました。


 攻撃に失敗した後、退避することが前提の逃げの一撃。

 自分の全てを込めたと思っていた『剛脚』ですら、それは同じだったことが、リオやミーチャとの訓練で分かりました。


 相手を確実に倒す意図を持った剛腕。

 二人の攻撃には、訓練でさえ、恐ろしいまでの気持ちが込められていました。


 逃げの気持ちが入った攻撃が、自分より格上の相手に通じるわけがありません。


 魔力を使えなかった私には知る由もありませんでしたが、魔力は精神力が大きく左右する力。


 確実に相手を倒す。

 その意思なき攻撃に、力は宿りません。


 エディ様。

 ローザさん。

 そしてリオとミーチャ。


 みんなに学び、私はようやく戦士になれました。


 左足に纏う魔力が渦巻きます。

 三日前に、重力や遠心力まで使った攻撃とは異なり、己の力のみを考慮した一撃。

 それでも、その時の一撃より強力な一撃。


 私は、精神を統一し、その一撃を放ちます。


『剛脚!』


 放ったのはただの回し蹴り。


 ただ、唸りを上げたその蹴りは、私がこれまで放ったどんな攻撃より威力の高いもの。


 傭兵団長は、恐らく全魔力を振り絞ったと思われる魔法障壁を張り、右腕でそれを防ごうとします。


ーーバリッ、バキャッ!ーー


 しかし、私の蹴りは魔法障壁を破り、右腕をへし折り、肋を砕きます。


 それでも倒れないのはさすがといったところですが、もはや大勢は決しました。


「終わりです」


 トドメを刺そうとする私に、傭兵団長が喚くように怒鳴ります。


「ふ、ふざけるな! この俺が獣なんかに。しかも犯されるしか能の無いウサギなんかに。やられるわけがねえ!」


 残った左手で剣を持ち、私へ斬りかかってくる傭兵団長。


 私はそれをひらりと躱します。


 まだ動けるだけでも立派ではありますが、隙だらけの乱暴な攻撃は、もちろん私には当たりません。


 ガラ空きとなった顎を蹴り上げようとした私の動きを見て、なぜかニヤリと笑う傭兵団長。


 すると、突然動きがよくなり、後ろへ身を倒して私の攻撃を躱すと、恐らく最後の魔力を振り絞ったと思われる攻撃を、私目掛けて放ちます。


 足を上へ上げ切った私は、回避の行動が取れません。

 このままでは、私が次のアクションを行うより早く、相手の件が私に届くでしょう。


 ……でも、残念ながらその攻撃が私に届くことはありませんでした。


『雷光』


 頭の中で小さく呟いた私。


 本来であれば、反動や踏ん張りが必要ですが、電気信号で無理やり筋肉を動かし、本来なら考えられない動きを行う、エディ様直伝の魔法。


 私は、振り上げた足のかかとを、傭兵団長の脳天へ叩きつけました。

 本来であれば不可能な動きを傭兵団長は予測できず、無防備に受けます。


ーーグチャッーー


 頭蓋が潰れる音が、魔力で強化された私の耳に響きます。

 耳に残る不快な音。

 喜ばしいとは言い難い、思い返すには耳ざわりな音が、私に勝利を告げました。


 頭部を潰された傭兵団長が、フラフラとふらついた後、バタンと倒れます。


 残りの敵を始末し終えていたリオとミーチャが私に声をかけます。


「さすがご主人。まさか本当に一人でこの男を倒すとは……」


「助太刀するタイミングを伺ってたけど、全く必要なかったにゃ」


 私は、潰れた頭で横たわる傭兵団長を一瞥した後、周りを見渡します。


 リオとミーチャに斬り裂かれた無惨な死体の山。

 対するリオとミーチャは、かすり傷すら負っていません。


 わずか三日での大幅な戦力増。

 これならエディ様の助けになれるでしょう。


 私たちは、死体はそのままに、ルーたちのもとへ向かいます。


 幸いルーも命には別状なく、『軍師』の治療のおかげで、無事回復していました。


「足を引っ張ってしまい、申し訳ございません。今後必ず挽回しますので、どうか見捨てないでください」


 片膝を地面につき、項垂れるルー。


「顔を上げてください。謝ることなんて何もありません。索敵の範囲を狭めていた私のミスです。今後は薄く広くを心がけるようにします。それより、ルーが無事で何よりです」


 笑顔を向ける私に、涙を浮かべながら顔を上げるルー。


「ありがとうございます」


 人から素直な感謝の気持ちを向けられることに慣れていない私は、照れを隠せませんでした。


「それに、ルーはもう私の大切な仲間です。仲間は絶対に見捨てません。それがエディ様の教えですから」


 初めは、ルーを選んだリオの判断に疑問を持っていましたが、三日間の訓練で、彼女自身の戦闘力はもちろん、ローにも負けない指揮能力の高さも分かりました。


 王たる資質を持ったミーチャが、後継に据えようと思うのも、今なら理解できます。


 本来ならいずれが王になってもおかしくない実力と資質を持った四人。

 そんな四人が私の奴隷となっているという事実に、私はプレッシャーを感じます。


 前向きになり、少しだけ自分に自信を持てるようになってなお、それは変わりません。


「ご主人」


 そんな私に、リオが語りかけます。


「何でしょう?」


 平静を装って答える私に、リオが真面目な顔で懇願しまた。


「私はご主人に、獣人の王になって欲しい」


 リオの突然の申し出に、私は困惑します。


「ウサギという虐げられる者の最たる存在であるご主人が、獣の頂点に立つ私やミーチャ以上の力を示した。一部とはいえ仲間を取り戻し、上位の実力を持つ人間を倒した。何より、この場の四人がご主人のことを、王にふさわしいと思った。ご主人の大切な人を助けた後で構わない。私たち獣人に、希望と力を与えて欲しい」


 語尾に『にゃ』を付けるのもやめて、真剣な表情で私を見るリオ。

 ミーチャもローもルーも同じ視線をしています。


 そんな四人に嘘やごまかしは通じないでしょう。

 私は本音で話します。


「私の心にあるのは、これまでほとんど接点のなかった同じ獣人ではなく、私の何より大切な存在であるエディ様です。エディ様のお役に立ち、できることならエディ様と結ばれる。それが私の全てです」


 私の言葉に落胆の色を隠さない四人。

 それでも私は言葉を続けます。


「……でも。それは個人としての私です。私は皆さんの主人になりました。主人とは、配下の願いを無視したらダメだと思っています。私は皆さんのような王の器は持っていません。それでも、皆さんのより良い主人であるべく心がけましょう。エディ様を助け、エディ様と結ばれることができたなら、同胞たちを助け、獣人のための国を作るのに力を尽くしましょう」


 私はまだ、何も成し遂げてはいません。


 かなり戦えるようになったとはいえ、四魔貴族や将軍クラスの魔族にはまだ敵わないでしょう。

 エディ様は私のことなど恋愛対象として眼中にないでしょうし、レナの奴隷契約問題も解消しなければなりません。


 そんな状況で、先のことを話すなんておこがましいことこの上ないでしょう。


 それでも私は、将来を見据え、偉大な四人の仲間たちの主人として彼女たちの期待に応えようと考えていました。


 王の資質を持った四人の主人になる。

 その意味を深く考えることもなかった過去の自分。


 でも、今の私は違います。


 自分が獣人たちよ王になるということに実感は湧きません。

 なから私はこう思います。


 ただ己の主人と同じように。

 彼女たちの主人にふさわしい人物となれるように。

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