第173話 新たな王⑧
人間にとって所有物に過ぎず、見下している存在であるはずの私たち獣人へ、頭を下げる『軍師』。
私たち五人は、想定外の出来事に、思わず顔を見合わせてしまいます。
「国を救いたいならご自分の手で救えば良いのではないでしょうか?」
私の言葉に、『軍師』は悔しそうに首を横に振りました。
「私たちでは、王国を支配する四魔貴族やその配下の将軍クラスの魔族はおろか、同じ人間にもかかわらず魔族に力に尻尾を振り、甘い蜜を吸う腐った十二貴族にも敵わない。悔しいが、自分たちの力ではどうしようもない」
そう言った後、私の目を見る『軍師』の目に、私は強い思いを感じました。
「君たちは強い。だが、人を信じ過ぎている。本来それは褒められるべきことなのだが、今の世界、それでは生きていけない」
『軍師』は、力強く言葉を続けます。
「四魔貴族スサを倒し、十二貴族の手から王の座を取り戻すという点に関しては、私たちと君の目的は同じはずだ」
私にそう語った後、今度はリオたち四人を見渡します。
「君たちが王国を救い、そのウサギの子の大切な人を助け出すまで、騙されやすい君たちに代わり、私の仲間たちが出来る限りこの国の獣人たちを救おう。そして、王国を無事取り戻せた後は、国として君たち獣人の支援をしよう」
力強くそう語った後、『軍師』は私に視線を戻します。
「先ほど人を信じすぎるなと言ったばかりだが、少なくともあの女商人よりは、私たちの方が信用できると、神に誓う。そして、信用への担保として、私を君たちに同行させてもらいたい。信用できなかったり、裏切ったりした場合は、私を殺せばいい。私一人では、君たちの誰にも敵わないから」
私は、耳に魔力を込めながら『軍師』の話を聞いていました。
彼の言葉に嘘はなさそうでした。
ただ、アマンダのように、心音が絶対ではないことを私は学びました。
私は考えます。
彼の提案は願ったり叶ったりです。
でも、だからこそ私は不安になります。
今までの人生、こんなに思い通りに進んだことはありませんでした。
自分の努力以外で私にもたらされた幸運といえば、エディ様との出会いだけです。
エディ様のおかげで、私は人として生きることができました。
エディ様と出会えるような幸運が、人生で二度も起きるはずがないと思っていました。
返事をためらう私に、『軍師』が語りかけます。
「諜報を担当している私の仲間からのから情報だが、君は王国にいる大切な人を助けるために、仲間を集めていたようだな。返事を聞く前に質問だが、君の大切な人というのは、私と戦った少年だろ?」
思いがけない『軍師』の言葉に、私は気づかずに俯いていた顔をパッと上げます。
「あの時、彼は只者ではないと感じたが、その感覚は間違いではなかった。君のような素晴らしい仲間を育て、風の噂では剣聖と五分に渡り合ったとも聞く。彼を助け出せれば、本当に四魔貴族を倒せるかもしれない」
エディ様は、レナのせいで四魔貴族スサと戦う機会すらありませんでした。
もし戦っていればどうにかなったか。
それは分かりません。
力の差は圧倒的です。
でも、何かを期待させるのがエディ様でした。
この男は、エディ様の話を出すことで、私の気を引こうとしているのかもしれません。
でも、私は自分の感覚を信じることにしました。
人間は信用ならない生き物だというのは、今回のことでも十分分かっています。
アマンダのことから、耳で聞いたことが全て正しいとは限らないことも。
でも、人間にもエディ様やローザさんのような人間がいるのもまた事実です。
この男の心臓の音は、仲間を想う時のエディ様やローザさんの心臓の音に似ていました。
言葉を聞いても騙されるだけです。
心臓の音にまで騙されるなら、これはもう仕方ないでしょう。
私は一つだけ提案した上で、この男を信じることに決めました。
「分かりました。それなら一つだけお願いです。私の奴隷になってください。そうすれば少なくとも貴方に裏切られることはないでしょうから」
私の言葉に色めき立つ『軍師』以外の人間たち。
下に見ている存在であるはずの人間の奴隷になる。
そんな屈辱的なことはないでしょうから、彼らの怒りは当然でしょう。
そして、奴隷になれば裏切ることもできません。
だからこそ、もし奴隷になってくれるなら手放しで信用できます。
食ってかかってきそうな人間たちを、『軍師』は左手で制します。
「それで信用を得られるならそうしよう。もともと国を救うためなら命を捨てる覚悟。名誉も命も。全ては国のために」
所属する国を持たない私には、国を大切に想う気持ちは分かりません。
でも、この男にとっての国は、私にとってのエディ様のようなものなのでしょう。
見下していたはずの獣人に頭を下げ、奴隷になってまで救いたいくらいの。
私は『軍師』の額に血で模様を描き、契約を施します。
契約が終わるなり、『軍師』が口を開きました。
「それではすぐにこの国を離れましょう、我が主人。あのアマンダという女商人は恐ろしく勘がいい。私の裏切りも、貴女たちを逃がそうとしていることも、気付いていてもおかしくない」
私は頷き、リオたちの顔を見渡します。
「私は大丈夫。リオたちは?」
私の言葉に、リオが返答します。
「最後にココに会っておきたかったけど、そんな余裕がないのは分かっているにゃ。個人の我が儘を通すタイミングではないにゃ。ココには、ご主人の大切な人を助け出し、さらに力をつけた上で会いに来ればいいにゃ。今すぐここを出るにゃ」
ミーチャたちも同じ考えらしく、リオの言葉に頷きました。
獣人の私たちは、持ち出すほどの資産も荷物もありません。
予め国を出るつもりで荷物を用意してきていた『軍師』以外、ほぼ着の身着のままで私たちは商国を出ることにしました。
獣人が自由に出歩くと不審に思われるため、門のところで『軍師』の奴隷のふりをした以外は、特に障害もなく、私たちは無事国を出ることができました。
商国の都から、少し離れたところで、私は索敵も兼ねて、耳に魔力を込めて周りを伺います。
すると、信じられない音が耳に飛び込んできました。
ーーブスッーー
ーーズサッーー
ーーグチャッーー
肉に穴が空く音。
肉が切り裂かれる音。
肉が潰れる音。
それらの音が、呻き声や悲鳴とともに聞こえてきます。
声の主は、先ほど私たちと戦った、『軍師』の仲間たち。
私は思わず『軍師』の顔を見ます。
私の反応を見て、表情を変えずに口を開く『軍師』。
「これだけ離れていても聞こえるなんて、本当に耳がいいのだな」
他人事のようにそう話す『軍師』へ、私は思わず一歩詰め寄ります。
「貴方の仲間たちが殺されています。見捨ててきてよろしいんですか?」
私の言葉に『軍師』はさも当然とばかりに答えます。
「アマンダたちを裏切ったのだからな。遅かれ早かれこうなることは分かっていた。彼らは、アマンダの雇った傭兵たちが私たちを追ってこないよう足止めをしてくれている。商国に残る君たちの仲間は、信頼できる人間に預けることになっているし、彼らの命に代えても敵をこちらには来させないだろうから安心したまえ」
仲間の命が散っていくというのに、顔色一つ変えない『軍師』。
「仲間が死んでるのに……。貴方には。人間には。人の心というものがないのですか?」
刺すように尋ねた私の言葉に、『軍師』は苦笑しながら答えます。
「おかしなことを言う。彼らは王国に愛する者、大切な者を残している。そんな自分の命より大切な人たちを救うために命を賭ける彼らの想いを全て背負い、王国を救うのが私の使命だ。後ろを振り返り、彼らのことを悼むような時間があれば、どうすれば王国を救えるか考える。それが私の使命だ。彼らを悼むのは王国を救った後でいい」
それだけ言った『軍師』は、今度は私に尋ねます。
「逆に問おう。君の大切な人というのは、自分の命より軽い者なのか?」
私にとってエディ様は何よりも大切です。
エディ様のためなら自分なんてどうなってもいい。
エディ様のためなら仲間だって騙す。
エディ様のためなら同胞が人間の玩具にされるのも、黙って見過ごす。
彼らも私と同じなのでしょうか。
同じくらい大事な人がいるから、平気で命を投げ出すのでしょうか。
私は、死にゆく彼らのことを思いながら、『軍師』の言葉に返事します。
「いいえ。エディ様のためなら、自分の命なんて喜んで投げ出しますし、貴方たちのことも平気で犠牲にするでしょう」
私の返事を聞いた『軍師』は黙って頷きます。
「そうだろう。私たちの関係は、お互いの利害のため、目的のために手を組んでいるだけのものだ。だが、その目的を果たすためには、自分の命も、他人の命も。すべてを犠牲にしてでも成し遂げたいだけの想いがあることを理解し合っておきたい」
私も頷きます。
そうやって少し硬くなった雰囲気の中、リオが口を挟みます。
「それじゃあ、一個質問にゃ。ご主人の大切な人ってどんな人にゃ? 助けに行く人のことをよく知っておきたいにゃ。弱いはずのウサギのご主人がそこまで強くなって、しかも危険を冒してわざわざ商国に仲間を探しにきてまで助け出したい人ってどんな人か気になるにゃん」
リオの言葉に、私は即答します。
「強くて。優しくて。賢くて。勇気があって。頼りになって。見ず知らずの私のために戦ってくれて。獣人の私にも人間と同じように接してくれて」
エディ様を表すには言葉が足りません。
世界一大事な人。
世界より大事な人。
エディ様のためなら何でもできる。
エディ様のためなら命なんていらない。
次の言葉を紡ごうとする私に、ミーチャが告げます。
「なるほど。その人のことを好きってことだな」
ミーチャの言葉に、自分の顔が赤くなるのが分かります。
「そ、そんな恐れ多いこと……。エディ様は私の恩人で、尊敬すべき方です。そのような方を、す、好きだなんて。もちろん人として好きかと言われればそうなんですが、恋愛的な意味ではなくて」
焦る私を見ながら、リオが口を挟みます。
「自分の気持ちに素直になるにゃん。人を好きになるのは何も恥ずかしいことじゃないにゃ」
私は首を横に振ります。
「私なんかに好きになられても迷惑なだけです。エディ様には既に心に決めた方がいらっしゃいます。その他にも、エディ様の周りには魅力的な女性が溢れています。気まぐれで助けていただいた奴隷に過ぎない私なんかじゃ、恋愛の対象になるなんておこがましいです」
そんな私に対し、呆れたような顔をするミーチャ。
「勝ち目がないから諦める。身分違いだから諦める。そんな弱い奴がご主人だったなんてガッカリだ」
ミーチャは私の目をじっと見据えます。
「私のご主人は、ウサギの身にもかかわらず、虎もライオンも狼も従える凄い人だ。そんなご主人が、戦いもせずに負ける姿なんて見たくない。強さに命を賭けるなら。大切な人を救うために命を賭けるなら。恋愛にも命を賭けろ」
私は、ミーチャの言葉に心を揺さぶられれながらも反論します。
「私が貴女たちに勝てたのは、魔力を覚えたのが早かったからです。私は恋愛なんてしたことないですし、私が好きになることでエディ様に迷惑はかけられません」
私の言葉に、今度はリオが憤慨します。
「ご主人。私たちはご主人が魔力を使えるようになるずっと前から戦いの場に身を置いてきたにゃ。魔力を覚えたのが多少早かっただけで、戦いを覚えて数ヶ月で私たちより強いご主人のその言葉は、私たちに対する侮辱にゃ」
そう言いながら、リオはさらに詰め寄ってきます。
「ご主人に好きになられることで迷惑に思うような男なのかにゃ、ご主人のご主人は?」
リオの言葉に、私は言葉を返せません。
「私のご主人は、凄いにゃ。私を助けてくれて、私に魔力を与えてくれて、私の大切な仲間を助けてくれたにゃ。ご主人が自分に自信がないなら、私が代わりにご主人を称えるにゃ」
私は困惑します。
エディ様を好きになる。
恋愛対象として。
そんなこと考えたことすらありませんでした。
エディ様は雲の上の存在。
私なんかが好きになるのはおこがましい。
その想いが先行し、それ以上考えることはありませんでした。
……好きになってもいいのでしょうか。
私にとって神にも等しいエディ様を、恋愛の対象なんかにしてしまって、本当によいのでしょうか。
「難しく考えすぎなんだよ、ご主人は」
突然ローがそう呟きます。
「人を好きになるのにいいも悪いもねえ。権利も条件もねえ。こいつを守りたい。こいつとずっと一緒にいたい。その気持ちだけでいいんだ。例え人種や身分が違っても、好きになっちまったもんはしょうがねえ。ちゃんとその想いを自分で認めて、貫くしかねえ」
ローの言葉を聞いたルーがミーチャの方をチラチラ見ながら笑います。
「ふふふっ。お兄ちゃんにしてはいいこと言うじゃないですか。やっぱり同じ経験をしている先輩の意見はためになりますね」
ルーの言葉を聞いたローの顔が赤くなります。
「う、うるせえ! 俺は俺と俺の大切な人を助けてくれたご主人に、少しでも報いたいだけだ」
私は、四人の顔を見渡します。
「私は皆さんが思うほどできた獣人じゃありません。自分の目的のために多くを犠牲にし、皆さんのことも利用しています。地獄に落ちるかもしれない所業をした私に、幸せになる権利なんてあるのでしょうか」
私の言葉を聞いたリオが真顔で私に言葉をかけます。
「ローの言葉っていうのが癪だけど、人を好きになるのに、幸せになるのに権利なんて関係ないにゃ。それに、権利の話をすれば、私にも権利は無くなっちゃうし、多分ローたちにも無くなっちゃうにゃ。この手は血だらけで、地獄があれば一番底まで落ちること間違いなしだからにゃ」
そこまで言ってリオは優しい笑みを浮かべました。
「自分の気持ちに素直になるにゃ。私たちが全力で応援するにゃ」
私は、知らずのうちに頬を熱い液体が流れるのを感じます。
「……いいのかな。エディ様を好きになってもいいのかな」
『いい!』
私の言葉に全員が頷きます。
私からエディ様への気持ちは純粋な感謝の気持ち。
そこに邪な想いなどないと思いたかったです。
でも、もう自分に嘘はつけません。
私はエディ様が好き。
異性として好き。
なんて甘美な気持ちなんでしょう。
その気持ちを認めるだけで。
気持ちが晴れやかになります。
エディ様に初めて助けていただいたときの気持ち。
嬉しくて。
幸せで。
空に舞い上がってしまいそうな気持ち。
そんな気持ちが思い出され、心がポカポカと、そしてフワフワと、浮ついたような気分になります。
エディ様と結ばれるのは、四魔貴族を倒すより険しい道のりかもしれません。
……それでも。
私はスタートラインに立つことを決めました。
出遅れているのも、ライバルたちが魅力的なのも百も承知です。
それでも私は、エディ様と結ばれたい。
多くの同胞を見捨て、私を信頼してくれる仲間を利用しできた私。
そんな私が、自分だけ幸せになろうなんて自己中心的なんでしょう。
でも、私は知ってしまいました。
自分の気持ちに素直になることの心地良さを。
好きな人を好きだと思える幸せを。
「ウサギのお嬢さんの気持ちが固まったところで、そろそろスピードを上げようか。私も仲間が命がけで稼いでくれた時間を無駄にはしたくないのでね」
私なんかの気持ちの整理のために待ってくれていた『軍師』。
まだよく分からないので、手放しで信用はできませんが、ありがたい気配りです。
「そうですね。『軍師』さんのおっしゃられる通りです。ただ、このまま王都についても四魔貴族には敵わないので、もう少し離れたら、道中鍛えながら進みます。皆さん覚悟してください」
私の言葉に、『軍師』以外の四人の表情が険しくなります。
「ご主人の訓練は厳し過ぎるにゃ……。王都に着く前にご主人に殺されてしまいそうにゃ」
私はそんなリオに笑顔を返します。
「これまでのはまだまだ序の口です。エディ様の訓練はもっと激しかったです。これからさらに厳しくなるので覚悟ください」
私の言葉に、ますますうんざりした顔を見せるリオ。
「『軍師』のおじさん、覚悟するにゃ。ご主人は、どんな魔族よりも恐ろしいにゃ」
そんなリオを横目に見つつ、私は改めて決意を胸にします。
全てはエディ様を助け出してから。
その道のりが険しいことは承知しています。
でも、今は一人じゃない。
恋心を知った新しい気持ちで、新しい仲間と共に、私はエディ様を助けるため、王都に向かっての一歩を踏み出しました。
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