第165話 悩む奴隷
白髪の少年エディには、恋愛経験がなかった。
元の世界でも。
こちらの世界でも。
恋愛なんて何も生み出さない。
恋愛なんて時間の無駄。
そんな暇があれば己を磨く。
そして何より、自分のことを好きになる女性がいるなんて考えてもいなかった。
貧しくて。
いじめの対象で。
異性にモテる要素なんてない。
自分のことをそう評価していた。
事実、元の世界では、十五年以上に渡り、彼に近寄ってくる女性はいなかった。
自分が女性と恋愛できるのは、いい大学を出て、安定した収入を得られるようになってからだと思っていた。
……ミホに会うまでは。
容姿端麗。
頭脳明晰。
家柄もよく。
運動もできて。
人望もある。
そんな女性が、虐められている自分を庇い、自らの手を汚して自分のために尽くす。
それはあくまで、心優しい彼女の優しさだと思っていた。
貧しくて恵まれない哀れな者へ差し伸べられた慈悲の心に過ぎないと思っていた。
でも、それは違った。
なぜかはエディには分からなかったが、ミホは確かにエディに惹かれていた。
そんな彼女との距離が縮まり、恋愛へ発展するかもしれないと思った矢先、女神の格好をした女性の手によって、エディはミホと分断され、こちらの世界へ飛ばされた。
初めのうちこそ、ミホとの再会を考えていたが、そこでエディはカレンと出会う。
自分と同じく恵まれない環境で過ごしていた魔族。
美しく。
強く。
心優しい彼女に惹かれていくエディ。
そして、相手のカレンも想像を絶する努力を続けるエディに惹かれていく。
初めての恋。
初めての両想い。
被食者と捕食者。
種族を超えた恋。
どんな障害があろうもエディは乗り越える覚悟があった。
カレンと二人で幸せになるはずだった。
……レナに邪魔されなければ。
レナのせいで離れ離れになった二人。
それでもエディはカレンのことを想い続ける。
そんなエディに惹かれていく女性たち。
才気溢れる英雄の娘レナ。
従順な獣人の奴隷ヒナ。
気高き二つ名持ちの騎士ローザ。
強く美しい女性たち。
だが、彼女たちにはエディを振り向かせることはできない。
小賢者リン。
元の世界でエディに助けられ、十年片思いを続けた彼女も同じだった。
どれだけ想っても。
どれだけ彼に尽くしても。
彼の気持ちが彼女へ向くことはなかった。
彼女たち四人は理解していた。
エディには想い人がいることを。
そして、その想い人に勝たなければ、エディと結ばれることはないことを。
この世界では一夫多妻は珍しいことではない。
だが、愛するエディが、複数人の女性を選ばないことを彼女たちは理解していた。
彼女たちは諦めることはない。
どれだけ不利な状況でも。
……その結果、命を失うことになっても。
彼女たちはみなエディに惚れていた。
心の底から惚れていた。
人生をかけて惚れていた。
エディと結ばれるためなら何でもできる。
例え結ばれなくても、エディの為なら何でもできる。
それだけエディを愛していた。
彼女たちにとっては当然のことだった。
愛するエディの為に人生を投げ出し。
大好きなエディの為に命を捨てることは。
エディの頭の中は混乱している。
リンのことは尊敬していた。
人として。
師として。
このような人間になりたいと憧れるほどに。
そのリンが、元の世界での同級生だったという事実。
しかも、自分のことを好きだったという事実。
それも、生半可な好きではなく、命を賭けてしまうほどに愛してくれていたという事実。
……そして、自分のために本当に命を投げ捨ててしまったという現実。
それらが、いつも冷静なエディから、まともな思考を奪っていた。
なぜ自分なんかを好きに?
なぜ自分なんかのために命を?
エディには理解できない。
慈悲の心の塊であるミホならともかく。
自分と同じような境遇だったカレンなら分かるが。
なぜリン先生が?
どれだけ考えてもエディには分からない。
確かに、クズな同級生から守ったことはある。
変態貴族から救ったこともある。
ただそれだけだ。
こちらの世界に来てからは、お世話になりっぱなしだった。
魔法を教えてもらい、命も救ってもらった。
エディから感謝することはあっても、リンから惚れられる理由はないと思っていた。
エディには分からない。
リンほど素晴らしい女性が、自分なんかを好きになった理由が。
エディは改めて思い返す。
こちらの世界へ来てからの自分の周りには、魅力的な女性が溢れていたことを。
エディはこう考えていた。
レナは恐らく多少は自分に気があった。
種馬としてそばに置くくらいだから、それは多分間違いない。
だが、まだ子供のレナなら、身近に他に男がいないため、年頃の男と一つ屋根の下で暮らせばそういう気になるのも分かる。
それは自分が魅力的かどうかというより、レナが思春期の子供だからあり得ることだろう。
ヒナはきっと自分のことを異性としては何とも想っていないはず。
助けてもらったことを恩に感じ、過剰に自分のために尽くそうとするが、それは感謝の気持ちを忘れない義理堅さのせいだろう。
一度変な感じになったことはあるが、それも全て自分への感謝を表すためのはずである。
ローザもそうだ。
彼女のように騎士として多くの大人の男性と接してきた女性からみれば、自分のような子供など相手にするはずがない。
この世界ならではの儀式で身体的接触を求めてきたりもしたが、そこに恋愛感情などあるはずがない。
エディは自分にそう言い聞かせる。
……そしてゆっくりと首を横に振る。
本当にそうだろうか。
その思い込みのせいで、リンの想いに気付けなかったのではないか。
自分のどこに魅力があるのかは分からない。
だが、レナも、ヒナも、ローザも。
もしかしたら自分のことを好きなのではないか。
自分には自分でも気付かない魅力があるのではないか。
だから、リンも命を捨てられるくらい自分のことを好きになってくれたし、ミホも千年以上自分のことを想い続けてくれたのではないか。
なんたる自惚れだろうとエディは思う。
きっとそんなことはない。
自分は大した男ではない。
エディは思考のまとまらない頭で自分にそう言い聞かせる。
それ以上深く考えられない。
深く考えると、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
もし、レナやヒナ、ローザまで自分のことを想ってくれているとしたら。
エディは激しく首を横に振る。
自分にはそれだけの想いは背負えない。
カレン以外にたった一人。
リンの想いすら背負えなったのに。
「リン先生……」
エディは、自分のために命を散らした恩師の名を口にする。
彼女のことを想うと、目から涙が溢れてくる。
彼女に対して、恋愛感情は抱いていなかったはずだ。
……だが、好きだった。
人として。
師として。
エディはリンのことが好きだった。
そんなエディの肩をそっと抱き寄せる魔王。
「すずちゃんのことを思ってるのかしら? ユーキくんは優しいからね。でも、気にしなくていいわ。あの子は人の愛する人に手を出して勝手に死んだの。あの子のことなんてすぐに思い出せなくなるくらい、私が愛してあげる」
漆黒の龍の背に二人で乗りながら魔王は囁く。
その声は甘く。
エディの心に染みていく。
一種のチャームのような効果を秘めた魔王の言葉。
魔力抵抗のない人間は、言葉だけで威圧も誘惑もできる『魔王』の権能。
リンの死を受け、頭も心も整理もできずに、心が裸になっているエディの魔力抵抗は著しく落ちていた。
虚な目で魔王を見つめるエディ。
そんなエディの頭を優しく抱き寄せる魔王。
エディは何の抵抗も示さない。
「ふふふっ。あははっ」
魔王とエディ。
二人を背に、漆黒の龍は空を駆ける。
二人を、二人だけの世界に誘うように。
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